耐震強度偽装事件で、姉歯容疑者ら8人が一斉に逮捕された。
逮捕前後、報道陣が競って容疑者らを取り
囲み写真や肉声を捉えようとしていた。 これら一連の様子をTVの報道番組を見ていて感じたことが幾つかある。
木村建設元東京支店長、篠塚容疑者は熊本の自宅にいて、その間、四六時中家の周りを報道陣が取り囲み、
篠塚容疑者が外出するのを待ち受けていた。
朝の散歩に出かけている間中、幾人もの記者がぴったりと寄り
添って歩いていた。
TV朝日のレポーターがマイクを突きつけ、執拗に問いかける。
篠塚容疑者は突きつけられ
たマイクの先を握り締め無言の抵抗を続けたまま歩き続ける。 家に戻り玄関に入る直前、レポーターが問いか
けると、一言「しつこいぞ」と一喝して、家に入っていった。
TVカメラは、ずっと篠塚容疑者の表情を捉えていた。
その表情は、取材に対する憤怒やるかたなさを十二分に語っていた。
それを見て、篠塚容疑者に対してでは
なく、むしろレポーターに対して何か人間の嫌な一面を垣間見せられた気がした。
たとえ、容疑者であっても、
このような遠慮会釈のない不躾な取材は如何なものか。
何人も基本的人権は憲法で保障されている。
篠塚氏には家族もいて、学校に通っている子供もいる。
「子供が学校から帰って来るから」と懇願したこともある。
また一方で、姉歯容疑者の残された子供に、自宅まで押しかけて父親の逮捕のコメントを求めている。
母親が先月、不幸な死に方をしたばかりであり、その心中を慮れば報道とはいえ、やりすぎではないかと感じた。
容疑者の親族はたとえ子供であっても容赦しないつもりでいるのだろうか。
容疑者本人は、致し方ないとしても家族や子供のことを考えればある程度、報道を自粛してもいいのでは
ないか。
メディアは第三の権力と言われて久しいが、容疑者の表情を捉え、赤裸々に全国に一斉に流れる映像
は容赦がない。
視聴者は、それを観せられているという感じすら受けることがある。 報道する側は、観る側がいる
から使命感とでも思っているのだろうか、さらにスキャンダラスな映像であればあるほど価値があると錯覚している
のだろうか。
容疑者は、司直の手により充分に制裁を受けることになっている。 報道は、容疑者のプライバシーの領域に
まで深く入り込む必要はないのではないか。
視聴者はそれを知ったところで、人生に何かプラスになることがある
のだろうか。
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