折々の記へ

折々の記 2004 @

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】12/29〜        【 02 】01/15〜
【 03 】01/24〜        【 04 】01/30〜
【 05 】02/07〜        【 06 】02/18〜
【 07 】03/01〜        【 08 】03/06〜
【 09 】03/09〜        【 10 】03/21〜


【 04 】01/30〜

  01 30 驚くべき非常識
  02 02 「春近し」福寿草 ●イラクへの自衛隊派遣

 01 30(木) 驚くべき非常識

古賀潤一郎の学歴詐称について

ウソを言う人は国会議員の資格はありません。わたしたちの代表になる資格はありません。

「国会議員続けることが恩返し」学歴詐称に限らず、古賀議員と同様の迷い言を並べて、開き直った議員さんの多さ。そして、更に驚いたのは、民主党の対応。

石井一党副代表の発案とかで、「他党議員の留学を総点検」する? 党事務局が該当議員をリストアップし、各大学事務局に、卒業・在籍の有無を文書で問い合わせる?

まことに、日本の政治社会は「どこまで行っても三流」、情けない!

 02 02(月) 「春近し」福寿草

節分が近づき啓蟄が近づいた。節分も啓蟄も間違いのない春を告げることばなのだが、暦の上での言葉であり実感できるものではない。

いままで「春近し」という意識はそうはなかった。ところが福寿草は気がつくと蕾がふくらんでいたり、花が咲いていたりした。そして、ああ春がくるなと感じてはいたとおもう。

ところが昨日になって、福寿草の芽が出てから初めて蕾がふっくらと丸みをおびているのである。数箇所にわけておいた根からみんな顔をだしたではないか。あの独特の色合いをしたかわいらしい芽がでている。

福寿草はもう「春近し」を告げています。

歳をとったのでことさらにそう想うのだろう。

地中の虫たちは自然の運行を察知して蠢きはじめるのであろう。

人の世には戦争がある。戦争はすべてを破壊していく、あってはならない悲しい出来事である。この戦争がなくなり人の世に春爛漫の風が吹くのはいつのことか。

人がやっていることだから、人が築かなければ「人の世の春」はやってはこない。


人がお釈迦様のようになればいい、良寛のようになればいい。雲雀や福寿草のようになればいい。 だが、雲雀や福寿草の心を知ることはできない。かといってお釈迦様や良寛のようには簡単にはなれない。

そうはいっても、釈迦や良寛のような先達を私たちはもっているのは事実である。「粘華微笑」を介して“あらそい”の実相を知る入り口にたつことができるし、「焚くほどに風がもてくる落葉かな」を介して清貧の境地に身をおいた良寛を知る入り口にたつこともできる。

“あらそい”は心が豊かでないとき生ずる。“心の豊かさ”はみずから築く以外には“手”がない。

すぐれた先人の遺してくれたもの……それは文字でる。

文字は個人の生きてきた証となる。

文字を通してはじめて、憧れる考え方に接することができる。 釈迦にしても、 良寛西行兼好長明光悦芭蕉大雅にしても、みな文字を通してその考え方から学ぶことができる。

そのほか、どんな人でも真似をしたいなあという人があったら、調べ上げていくとよい。時勢の風潮が何となくおかしいと感じたときには、「人の世の春」のために調べていけばよい。

たとえば、親子関係のみだれについて調べようとするなら、親子関係を大事にした故人 「中江藤樹」を調べると、人のあり方はこうでなくてはいけないし、これから学んでいこうという意欲もわくというものである。

ガンジーのような人がいないとすれば、一人一人が手を差しのべて「人の世の春」を築いていきたいものである。

●イラクへの自衛隊派遣が決められた

「人の世の春」とは正反対の方向へ日本が向かいつつある。悲しいけれどもこのことは事実である。私の心の核心に相反する方向へ日本が動き出した。

“あらそい”の頂点になる相互殺人…すなわち戦争は、どんなことがあっても容認してはならない。

参考として、次の記事を転載する。


【転載】
神浦元彰(軍事アナリスト)の「J−RCOM」
  〜激動する世界の最新軍事情報を発信〜 http://www.kamiura.com/new.html

■タイトル イラク支援 派遣承認案 衆院を通過 本会議、野党抜き裁決 (各紙1月31日朝刊)

■要約 イラクに自衛隊を派遣する承認案は、31日未明、自民党、公明党の賛成多数で可決された。民主、共産、社民の野党3党は、衆院テロ防止特別委員会で強行採決されたことに抗議して、本会議を欠席した。与党は3月6日までに国会承認の手続きをとることを予定している。

■コメント 自衛隊のサマワ調査報告が事前に準備され、現状に関係なく形式的なものとして処理されたことに驚いた。

もしこの報告書偽造に自衛隊も一役買っていたなら、それこそ自衛隊の自殺行為である。

今月号の月刊「文春」に城山三郎氏の寄稿文が載っている。

終戦直後、最後の特攻と言われた中津留大尉は、宇垣司令長官とともに大分から特攻に飛び立ちます。

しかし海上の様子から、中津留大尉は終戦を確信しました。

しかし後席の宇垣司令は米軍に突っ込むように命じます。

苦しんだ中津留大尉は爆弾を海上に捨て、沖縄の伊平屋島で戦勝パーティーをしている米軍泊地に突っ込む振りをして急旋回し、海岸の岩に機体をぶってけて最後を遂げたそうです。

つづく2番機も中津留大尉の意図を察知し、米軍を避けて最後を遂げました。

もしあのとき、戦勝パーティーにわく米軍に突っ込んでいれば、日本軍は最初の真珠湾でだまし討ちし、最後の沖縄でだまし討ちにしたという汚名が残った。

そのために日本は、4カ国が分断統治した可能性もありました。中津留大尉の判断は戦後の日本を救ったといえるそうです。

もしサマワでの偽報告書に自衛隊が手を貸してしれば、その罪は国家100年の苦しみを与える大罪に値します。

まさに責任者が自決しても、その責任をとり切れないほどの禍根を残します。いくらイラク派遣を正当化しても、ウソで塗り固めなければ通用しないような正道はありません。

いくら政治家や官僚がダメであっても、自衛隊がそれに付き合う必要はまったくない。

自衛隊員は中津留大尉に覚悟を学べ。




【折々の記 2004 @へ】