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折々の記 2004 @

【心に浮かぶよしなしごと】

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  01 24 学力テスト―理数教育の底上げを
  01 26 学力テスト―理数教育の底上げを(続)

 01 24(土) 学力テスト―理数教育の底上げを

01月24日 朝日新聞

寒波が日本を襲っている。インフルエンザも始まっている。朝日新聞のトップに「高310万人学力テスト 理数目立つ低正答率」という記事が載っていた。「27面に特集、34面に関係記事」との注書があり、詳細にその記事が出ていた。

学力低下……それはもう“ああ、そう!”では済まされない事態に追い込まれている。
大事なことだから載せたい。




■学力テスト――理数教育の底上げを   〈トップから社説を検索〉

 全国の高校3年生を対象にした学力テストの結果が文部科学省から公表された。

 おおむね予想通りの水準だった国語や英語に比べ、数学と理科の正答率は文科省が期待した成績をかなり下回った。しかも、基本的な知識や原理、法則が十分理解されていなかった。

 さらに数学では、できる生徒とできない生徒に分かれ、二極化がうかがえる。理科では平均点より低い生徒たちの層が最もふくらんでいた。かねて専門家が指摘してきたように、理数系の教育が深刻な状態なのは間違いない。

 高校生は学科や進学、就職など進路に応じて教育内容も決まってくる。もともと成績のばらつきは大きい。しかし、だからといって、このまま放置しておくわけにはいかない。

 理数系は途中でつまずいたままにしておくとますます分からなくなる。小、中学校で基礎ができていなければ、なおさらだ。つまずいた生徒が入ってきても、そうしたことにはかかわりなく、学習指導要領に沿って教科書を漫然と教えているのが多くの高校の現実だろう。

 高校でも小、中学校の内容にさかのぼって教える工夫があっていい。場合によっては、小学校の教員が中学校へ、中学校の教員が高校へ出向いて教えるなどの交流をすべきではないか。そうすることによって、どこでつまずいたか、なぜついていけなくなったのかを探ることもできる。

 東京都の高校改革では、勉強についていけなくなった生徒がやり直せるよう「エンカレッジスクール」という試みが始まった。ここでは小学校で学ぶような基礎的な内容も改めて教える。こうした生徒に合わせた取り組みを広げていきたい。

 学力テストと同時に実施したアンケートでは、授業がある程度分かる生徒が約4割しかいなかった。授業についていけないと、ますますやる気がうせるだろう。学校以外では勉強しない生徒も半分近くいた。

 一方で、勉強が進学や受験、社会生活に役立つと考えている生徒ほど成績はいい。何らかの動機があれば、勉強する意欲も出てくるわけだ。

 問題は、勉強する動機を見いだせない生徒をどう指導するかである。簡単ではないが、学校や大人たちが動機づけの場を幅広くつくっていくほかあるまい。生徒自身が気づかなかった将来の目的や職業意識、適性が引き出されることもある。

 兵庫県では、すべての中学2年生を対象に、5日間職場体験やボランティア、福祉活動をさせる「トライやる・ウィーク」という活動がある。自分の進路を考えるうえで役に立ったという生徒が少なくない。

 いまやほとんどの子供が高校に進む。それぞれの能力や個性を考えながら、数学や理科をはじめとする基礎学力や意欲をどう高めていくか。きちんと点検する時だ。

■《天声人語》    〈コラムから天声人語検索〉

 いろいろな岐路があるが、あのときから日本は変になった。歴史家らがそう指摘する岐路の一つが1918年からのシベリア出兵だった。ロシア革命後のソ連への干渉戦争である。あの失敗を教訓として生かせなかったために、その後泥沼のような戦争に突き進むことになった、と。

 戦地から政治学者の吉野作造にあてた青年将校の手紙がある。軍隊にとって最も大切なのは国民の後援があることだが「多数同胞はむしろ出征の無意義を唱えているありさまである」。兵士も何のために出征したかを理解していないと訴えた(『日本の百年 6』筑摩書房)。

 派兵については、政府・政党間でも足並みがそろっていなかった。第一党の政友会総裁原敬は「自衛の必要以外ではみだりに兵を動かすべきではない」と政府に進言していた。しかし、裏では軍や若手官僚が着々と出兵準備を進めていた。

 米国の共同出兵提案に乗るかたちで派兵に踏み切ったが、犠牲者の多い悲惨な負け戦だった。「列強と共々に兵をシベリアに出しながら、結局は我が国独り露国民の反感を深く買ふの愚に陥つた」。ほぼ同時代に出た外交史の書もそう記した。

 強硬派に引きずられた。大義が不明確だった。途中から目的が拡大していった。ゲリラ戦に対応できなかった。撤兵の機会を逃した。様々な教訓を残した派兵である。

 日の丸の小旗に送られて自衛隊員たちがイラクに向けて出発していく。「ルビコン川を渡っていく」との感が深い。シベリア出兵時とは時代状況がまるで違うとはいえ、大きな岐路にある。

■「理数は苦手」鮮明 高3・10万人学力テスト   〈トップから〉
 期待の正答率、超えたのは数学で30問中1問    〈今日の朝刊を検索〉

 文部科学省は23日、全国の高校3年生約10万5千人を対象に、02年11月に実施した学力テストの結果を発表した。数学と理科では文科省側が期待した正答率を大幅に下回り、とくに数学では30問中1問しか上回らなかった。国語と英語は期待した程度の成績で、理数系教科が苦手な傾向がはっきりした。併せて実施したアンケートでは、「勉強嫌い」の生徒が7割を超え、勉強に対する意欲が乏しいことが浮き彫りになった。

 高校生を対象にした全国一斉のテストは40年ぶり。対象者は全3年生の8%で、無作為に選んだ国公私立の高校約1400校の生徒。過去の結果との比較で学力の推移をはかるのは難しいため、文科省側(大学教員らによる問題作成委員会)が、あらかじめ問題ごとに「このくらいの生徒に出来てほしい」と期待する正答率を設定(設定通過率)。実際の正答率と比べることで成績を見る方法をとった。

 今回実施された7科目は、いずれも国語、数学、理科、英語の4教科のなかで基本となっている科目だが、数学1は期待した正答率を上回ったのは1問だけで、8割にあたる24問で下回った。全体の正答率は50・2%で、期待した正答率の平均(61・2%)からは11ポイント低かった。「三角比」の問題などでつまずきが目立った。

 平均61・1〜54・4%の正答率を期待した理科の4科目でも、下回った問題数が6〜7割で、全体の正答率は50%前後だった。

 得点別の人数の分布をみると、数学1では、最も得点の高い層の人数が一番多い一方で、平均点を大きく下回る層にも集中している。理解度の高い生徒と低い生徒の「二極化」の現象がうかがえる。

 理科の4科目はいずれも平均点より低い層の人数が最も多くなっているのが特徴だ。

 国語1は4教科のなかで唯一、全体の正答率が期待より上回った。英語1もほぼ期待に近い正答率だった。いずれも記述式の問題では正答率が低い傾向があった。




「27面に特集、34面に関係記事」は詳細な記事が載っており、有料でないとURLからはコピーできないし、その分量も多い。だから新聞を保存しておこうと思う。

 01 26(月) 学力テスト―理数教育の底上げを(続)

●01 19 警鐘・アジアから見捨てられる日本…これでもいいのか…(続)で、日本のつまづきの要因を「人の養育」ととらえてその考え方をとりあげた。

一昨年の世界共通の学力テストの結果(23番目位)を見てドイツのシュレーダー首相が「ドイツ人は馬鹿なのか」と嘆いたと伝えられたが、今日の新聞記事を読んで、今度は日本国民すべてが「こんなことじゃあいかん」と議論が百出するだろう。

重要な問題として議論が出ないとすれば、日本での学力問題は崩れる一途をたどるしかない。きのうの日曜討論で子供のことが討論されていたが、0歳教育をふまえた考え方はでていない。知識層の指導者の考え方の基本部分ができていないといわざるを得ない。

自分の主張してきた論理の骨組を簡単には修正したくないのだと思う。学者や評論家のみにくい見栄なのである。

戦争を止めようという運動も人の養育という運動も、本来は一人で精神構造を築く運動である。

意見の多寡によって集団の方向が決められる民主主義という手法にしたがえば(弱点もあるけれども)、最小集団の喬木村からこうした運動の輪を広げていく必要が生ずる。 Like a ripple! 波紋のように! 他人任せの旧弊を破り、意見を出し合て進むべき方向をみつけたい。

朝日新聞の社説を注意深く読めば、社説自体に可笑しい考え方が見えている。

具体的にはこうである。


 高校生は学科や進学、就職など進路に応じて教育内容も決まってくる。もともと成績のばらつきは大きい。しかし、だからといって、このまま放置しておくわけにはいかない。

 理数系は途中でつまずいたままにしておくとますます分からなくなる。小、中学校で基礎ができていなければ、なおさらだ。つまずいた生徒が入ってきても、そうしたことにはかかわりなく、学習指導要領に沿って教科書を漫然と教えているのが多くの高校の現実だろう。

 高校でも小、中学校の内容にさかのぼって教える工夫があっていい。場合によっては、小学校の教員が中学校へ、中学校の教員が高校へ出向いて教えるなどの交流をすべきではないか。そうすることによって、どこでつまずいたか、なぜついていけなくなったのかを探ることもできる。

 東京都の高校改革では、勉強についていけなくなった生徒がやり直せるよう「エンカレッジスクール」という試みが始まった。ここでは小学校で学ぶような基礎的な内容も改めて教える。こうした生徒に合わせた取り組みを広げていきたい。

 学力テストと同時に実施したアンケートでは、授業がある程度分かる生徒が約4割しかいなかった。授業についていけないと、ますますやる気がうせるだろう。学校以外では勉強しない生徒も半分近くいた。

 一方で、勉強が進学や受験、社会生活に役立つと考えている生徒ほど成績はいい。何らかの動機があれば、勉強する意欲も出てくるわけだ。

 問題は、勉強する動機を見いだせない生徒をどう指導するかである。簡単ではないが、学校や大人たちが動機づけの場を幅広くつくっていくほかあるまい。生徒自身が気づかなかった将来の目的や職業意識、適性が引き出されることもある。

 兵庫県では、すべての中学2年生を対象に、5日間職場体験やボランティア、福祉活動をさせる「トライやる・ウィーク」という活動がある。自分の進路を考えるうえで役に立ったという生徒が少なくない。

 いまやほとんどの子供が高校に進む。それぞれの能力や個性を考えながら、数学や理科をはじめとする基礎学力や意欲をどう高めていくか。きちんと点検する時だ。



社説でおかしい箇所は次のような点だ。

@ 小中の学力の基礎ができていない。
A 小中高の先生方の出張交流。
B 「エンカレッジスクール」の試み。
C 動機があれば勉強の意欲が出てくる。
D 先生や親が動機づけの場をつくる。

〈@ 小中の学力の基礎ができていない。〉というのは間違いのない認識でスタート意識としてはよいのだが、ABは机上の空論というべきものであり、実行にあたっては労多くして益少なしというほかはない。

問題はCDの動機づけができれば解決するというような考え方である。@の課題がCDでは解決できないからこそ、先生方は疲労困憊しているのではないか。疲労困憊というのが妥当でないとすれば、いろいろと努力してみても改善の糸口が見出されない、ということで悩んでいるのが実態であろう。

幼少のときに教育することなくして学習の基盤はできないのである。……イ

それとともに先生方の教育権の確立が急務である。……ロ

(これはすべての人に当てはまることで、幼少のときに望ましい教育環境におかれていた人が多いが、そうでない環境のもとにおかれていた人も多くなっているのが実情であるといってもいい。)

「鉄は熱いうちに打て」の俚諺がある。吉田松陰を薫陶した玉木文之進が言った「馬の調教」の逸話もある。「瓜の木に茄子はならず」の俚諺もある。

優れた人たちの生育を読むとき、共通することは子供時代の親の立派な姿であることは議論の余地もないことであろう。

イとロに「目を向ける」ことなくしてCDにのめりこめば実相は見えてこないし、学力の練成は見込めない。だから社説としてはもっと根底に横たわる課題を提起すべきなのである。

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