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折々の記 2004 @

【心に浮かぶよしなしごと】

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【 06 】02/18〜

  02 18 イラク…朝日新聞社説●ネオコンとは何か●国連憲章●阿修羅
  02 23 http://www.worlpeacenow.jp/ というホームページ
  02 29 閏年二月の晦日

 02 18(木) イラク…朝日新聞社説

今朝の朝日を見ると次の社説が出ていた。この中の青字部分は注意したいので色付にした。



イラク戦争――「大義」をすりかえるな

イラクに大量破壊兵器(WMD)の大規模な備蓄はなかった。米政府の調査団を率いたデビッド・ケイ氏が米議会でそう証言してから約3週間が過ぎた。

WMDの差し迫った脅威を理由に開戦したブッシュ米大統領、ブレア英首相とも批判を浴び、相次いで調査委員会を作った。米大統領選挙にも響きそうな情勢だ。

だが東京では、これを深刻に受け止めまいとする人がいるようだ。開戦の判断の基礎が弱かった事実があったとしても、独裁政権をつぶし、将来の脅威を根絶やしにできた。そもそもケイ氏が戦争は正しかったと言っている。やはり戦争の大義はあった――。そうした日本の政府の言い分を強く支持する有力紙もある。

確かにケイ氏は、イラクがWMDの開発計画まで放棄したわけでなく、将来深刻な脅威となりえたと結論づけた。戦争で世界が安全になったと思うかとの議員の質問には「間違いない」と答えた。

だが、こうした証言を鬼の首を取ったかのように取り上げて、戦争は正しかったと大義をすりかえるのはいかがなものか。

証言が米英両国内に衝撃を与えたのは、戦争を支持するケイ氏でさえ、WMDをめぐる情報が誤りだったことを認めざるを得なかったことの意味の重さなのだ。

脅威に発展する危険があると判断すれば、戦争も辞さない。ケイ氏の主張も、ブッシュ政権の先制攻撃論の文脈にある。だからこそ、危険を判断するための情報に誤りがあれば大変なことになる。ケイ証言が問いかけたのはそのことである。

WMDが見つからないことは、むろん開戦の大義を揺るがせる重大事である。しかし、イラク戦争で本当に問うべきなのは、そもそも先制攻撃論が正しいのか、ということなのだ。

国際法の土台である国連憲章は、自衛の場合と、安保理が承認した場合にしか武力行使を認めていない。数知れぬ戦争を重ねてきた人類が歴史から学んだ知恵だ。

それをねじ曲げればどうなるか。強国がみずからの判断で他の国を危ないと決めつけ、安保理の同意なしに戦争をすることを誰も止められない。それを懸念したからこそ、欧州をはじめ多くの国々が米英による早期開戦に異議を唱えた。


むろん、いまの安保理には能力の限界がある。テロやWMDの拡散、「民族浄化」のような危機に対して、どんな場合に武力行使が許されるのかという基準づくりが必要だ。そうした努力を通じて、米国を国際協調の輪に引き戻していく。これがいま最も求められていることであろう。

イラクの主権回復への手助けを国連に求めたことにも、ブッシュ政権の単独行動主義の限界が見え始めている。イラク戦争が提起した問題はさておき「やむを得ない戦争だった」で片づけてしまっては、日本には世界という森が見えなくなる。



「ネオコンの論理」ネオコンといわれるアメリカの考え方を、日本は拒否できないでいる。

今度の戦争前に、フランスが国連で、獅子吼してアメリカの意見に反対していたのを忘れることはできない。 アメリカのネオコンに対して、いわば、自由で平等な立場で、国の意見を述べている。口角泡を飛ばしての獅子吼なのである。

日本は飼いならされた獅子になりさがっている。「板垣死すとも自由は死せず」といった退助がいたことも、遠い昔の語り草でしかないのか。森田ソニー会長が言った「NOといえる日本」の立場、考え方を無にしてはならない。

朝日新聞の社説は、そうした意味で留意すべき発言である。

●ネオコンとは何か

@「ネオコンの論理」〈アメリカ新保守主義の世界戦略〉
   ロバート・ケーガン著山岡洋一訳 光文社2003年5月25日初版発行

その「はじめに」の中でこうのべている。



ヨーロッパとアメリカが同じ世界観を共有しているという幻想にすがるのは止める時期が来ている。同じ世界に住んでいるとすら考えるべきではない。

力という決定的な点についての見方、つまり軍事力の有効性、道義性、妥当性についての見方が、アメリカとヨーロッパとで違ってきている。

ヨーロッパは軍事力への関心を失った。すこし違った表現を使うなら、力の世界を越えて、法律と規則、国際交渉と国際協力という独自の世界へと移行している。

歴史の終わりの後に訪れる平和と繁栄の楽園、十八世紀の哲学者、イマルエル・カントが『永遠の平和のために』に描いた理想の実現に向かっているのだ。

これに対してアメリカは、歴史が終わらない世界で苦闘しており、十七世紀の哲学者、トマス・ホッブスが『リバイアサン』で論じた万人に対する万人の戦いの世界、国際法や国際規則があてにならず、安全を保障し、自由な秩序を守り拡大するにはいまだに軍事力の維持と行使が不可欠の世界で、力を行使している

主要な戦略問題と国際問題で現在、アメリカ人が戦いの神、火星から、ヨーロッパ人が美と愛の神、金星からきたとされているのは、そのためだ。

両者が合意できる点はきわめて少なくなり、相互の理解も希薄になってきた。

そして、この状態は一時的なものではないし、アメリカの政権交代や悲劇的事件の結果でもない。

欧米の違いをもたらした原因は根深く、長年にわたって形作られてきたものであり、今後も長く続く可能性が高い。

国益の優先順位を設定し、脅威を確認し、課題を明確にし、外交政策と国防政策を策定し実行するにあたって、アメリカとヨーロッパは別の道を歩むようになった。 (以下略)



A「ネオコン」〈JapanKnowledge‘亀井肇の新語探検’〉

ネオ・コンサバティブ neo-conservative(新保守主義)を略したもの。

「強いアメリカ」を信奉し、それを推し進めようとするする政治勢力を指す。

ネオコンが力を持ち始めたのは1980年代初頭のレーガン政権時代からで、軍事力を背景として「民主主義」「人権」「市場経済」といったアメリカの伝統的価値観の拡大を目指している。

副大統領のディック・チェイニー、国防長官のドナルド・ラムズフェルド、国防副長官のポール・ウォルフォウィッツなどが代表的。

この人脈を保守系雑誌『ウィークリー・スタンダード』の編集長ウィリアム・クリストルが作ったタカ派団体「新たなアメリカの世紀のためのプロジェクト(PNAC)」が強力に後押ししている。

現大統領ジョージ・ブッシュもこうした背景に守られて「単独行動主義」を推し進め、「悪の枢軸」イラクを攻撃することがアメリカの利益になるとしている。

B「ネオコン」〈JapanKnowledge‘Multimedia Internet 事典’〉

ネオ(neo)とは本来「新しい」とか、「後期の」という意味に使われるラテン語の「neophytus」である。

「neophytus」は原始キリスト教では新しく洗礼を受けた者、カトリック教では初心者、新参者、修練者の省略語として使われ、デンマークの怒りっぽいバイキングで、キリスト教の洗礼を受けたことで有名なKing Harald Bluetooth(911〜1 November, 985または986/デンマーク語ではHarald Blaatand/ハェラル・プロテン)の俗称「Bluetooth」も「neophytus」、つまりネオ(neo)であった。

ただし、ネオ(neo)という場合は、ネオ・ナチという言葉でもよく知られるように、かなり過激な行動を取りやすい主義者が多く、neo condervativeの場合は政府の保守主義より過激で、実業界から資金を得て大きな政府に反抗し、社会改革をする名詞「neo condervatism(新保守主義)」から登場した団体の俗称として使われている。

ときには米国のネオコンが「軍事」を重視することから、マスコミを使って嘘の情報を流し、独自の主張を通そうとすることも多いということである。

例えば、「田中宇の国際ニュース解説」2002年12月2日では、多くのネオコンの自作自演情報が掲載されている。

詳細情報はURL(http://tanakanews.com/c1202US.htm)で知ることができる。米国のGAOは2003年6月24日に、軍事戦略実施中の現状報告書「Military Operations: Contractors Provide Vital Services to Deployed Forces but Are Not Adequately Addressed in DOD Plans. GAO-03-695」を公開した。詳細情報はURL(http://www.gao.gov/cgi-bin/getrpt?GAO-03-695)で知ることができる。

●「国連憲章は、自衛の場合と、安保理が承認した場合にしか武力行使を認めていない」
  社説の該当表現を調べてみると次のようである。

国際連合憲章

第7章 平和に対する脅威、平和の破壊及び侵略行為に関する行動

第39条〔安全保障理事会の一般的権能〕
第40条〔暫定措置〕
第41条〔非軍事的措置〕
安全保障理事会は、その決定を実施するために、兵力の使用を伴わないいかなる措置を使用すべきかを決定することができ、且つ、この措置を適用するように国際連合加盟国に要請することができる。この措置は、経済関係及び鉄道、航海、航空、郵便、電信、無線通信その他の運輸通信の手段の全部又は一部の中断並びに外交関係の断絶を含むことができる。
第42条〔軍事的措置〕
安全保障理事会は、第41条に定める措置では不十分であろうと認め、又は不十分なことが判明したと認めるときは、国際の平和及び安全の維持又は回復に必要な空軍、海軍又は陸軍の行動をとることができる。この行動は、国際連合加盟国の空軍、海軍又は陸軍による示威、封鎖その他の行動を含むことができる。
第51条〔自衛権〕
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

〔コメント〕
イ 自衛権を既定事実としていることは憲法に違反している。
ロ 集団的自衛権なるものも国家の意思としてはおかしい。

現状容認という悪弊に支えられてイとロが議論としてでも俎上に上がっている。

憲法の精神及び第二章第九条「戦争放棄」の根本理念からみれば、国連加入の時点で憲法をそのまま持ち込んでいくのか、自衛権のみ持てることにして加入するのか、曖昧のまま国民の論議もろくにせずに国連加入を祝ってしまった、そういう不合理を歩んできたことにそもそもの問題があった。

政治参加の意識の上に、あるいは、合理性に欠ける習慣から、わたしたちは大きな誤りをしたまま歴史を刻み続けてしまった。

首相が靖国神社の参拝を止めようとしない姿勢そのものが、過去の歴史に対する合理的判断のなさをあらわしている。

これは他人事ではなく自分自身の問題であった。軌道修正がないとあらぬ方向へ突っ走っていく。そういう意味から見ても、ネオコンに対するヨーロッパの政治意識は合理的であるといってもいい。

●阿修羅

柿の剪定が一段落になったので、「折々の記」へ書いているのだが、2月15日で書いた「お気に入り」へ「毎日チェックせよ」というホルダーの中の阿修羅の最初の白枠の中のイやロを開いてみていると、なかなか大変な記事が載っていた。

イ 「劣化ウラン告発フラッシュ・ムービー 」
ロ 「イラク侵略戦争に参加した米兵たちが、 謎の血栓症に罹って続々と死んでいる 」

この他にいろいろの記事が出ている。相互殺人の戦争は拒否しなければならない。

 02 23(月) worldpeacenow

WORLD PEACE NOW のMLを今朝読んで、転載してほしいという希望があって、何人かのアドレスへメールした。

できたら http://www.worldpeacenow.jp/を「お気に入り」へ登録して折々に開いて読むことをお勧めしたい。その最初のページに「メール登録」の欄があるから登録し受信していくといいと思う。

「赤信号みんなで渡れば・・・」の傾向は、どこの国でも同じようです。黙っていると政治家や一部の人たちの、自分中心とか所属分野中心という、他人を無視した考え方に陥っていきます。

政治家や一部の人たちは、自分を危険にさらすことなく、いつも生命や財産の危機に立つのは権力も財産もない一般市民なのです。

それは間違いのない事実です。

不条理な武力行使に加担しておいて、イラク復興とか国際協調とか人道支援とか、なんの道理がありえようか。

「死の商人」の実態を白日のもとにさらしだして、政官財の癒着を私たちははっきり見極めなければなりません。

一人の人は弱いものです。一人の人は仲良くしたいものなんです。それが人の基底にあります。

悲しい出来事がニュースで知らされますが、「人の基底」に立っての判断を中核として反応したいものです。

きょうは辰巳会の同級会が美ヶ原であります。この三月でみんな満75才の年寄りになります。

 02 29(月) 閏年二月の晦日

四年に一度の2月29日である。

【二代目紅梅】 02 15 の映像再掲 


 10年程前まで、古梅があった。この紅梅は
 その後へ、鉢植えのものを下ろしたもので、
 まだ若い木である。
 古梅はイチイの木とともに、別家初代の真広
 が庭へ植えたものである。
 真広80半ばの頃、次の歌を作っている。

    つつがなく
      芽ぶかむ春を
        待ちておる
      庭の古梅の
        下に佇み


この歌は春を待つ歌であるが、ただ、そんな意味ばかりではなく、上の孫の結婚を待ちわびていた祖父の祈りであったように思う。

時は流れる。

「世情の変態雲の如し」という。

いかに時が流れ人の世が変わろうとも、自然のなかの花木鳥獣の営みは、変わるところが少ない。

自分の世界と自認している、脳中の無限世界は個の消滅とともに消滅する。

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