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折々の記 2004 @

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】12/29〜        【 02 】01/15〜
【 03 】01/24〜        【 04 】01/30〜
【 05 】02/07〜        【 06 】02/18〜
【 07 】03/01〜        【 08 】03/06〜
【 09 】03/09〜        【 10 】03/21〜


【 09 】03/09〜

  03 09 文章の書き方
  03 10 教訓と記念日
  03 14 韓郷神社…渡来民追加
  03 15 さくら
  03 19 マスメディア
  03 20 WARLD PEACE NOW イラク戦争あれから一年

 03 09(火) 文章の書き方

成川豊彦著「文章の書き方」という本に出会った。

家内が入っているグループで教本として買ったものである。これはいい本だ。
年来書くことが多かったが、気に入った文章は一つとして書けなかった。ところが、この本のページをめくってみると便覧風にまとめてあり、どのページもすぐ自分には参考になった。

誰でも手紙や作文など書かなければならないことがある。しかし、小学校も中学校もこのような本の紹介はしていない。

一人一人がこの本を机上に備えておいていつでも利用できるようにするとよい。

例えば、「ビジネス文書では文体は『である調』で統一する」の項は2ページ書いてあるだけだが、自分のホームページの文体は『である調』と『です・ます調』が混じっている。すぐ気づくし、気になる。

「文章は、断定形で書く」とか「書き出しは、短文にする」などの文章作法を読むと、すぐ自分の文章のくせを改めなくてはならないことに気づく。

国語の指導をしていた先生の文章は、やっぱり違っている。読みやすいし、明るくテンポもいい。
これから気をつけていきたい。

「文章の書き方」
成川豊彦
PHP研究所 1143円

霊木化現仏

  長野県神社庁飯伊支部連合大会。
  講演「神と仏をひとつに想う」飯田市美博館長 井上 正。

  <詳細は追記する>

 03 10(水) 教訓と記念日

先人の教訓


 我に七難八苦を与えたまえ  山中鹿之介

 戦国時代の武将。実名幸盛。出雲尼子氏の家臣。1566年(永禄9)尼子義久が毛利氏に降伏して
 以後,京都東福寺にあった尼子勝久を擁立して立原久綱らとともに尼子氏再興に尽力した。69年豊
 後の大友義鎮(よししげ)と連携して隠岐に挙兵,一時出雲の大半を回復した。毛利氏の将吉川(きつ
 かわ)元春の反撃により,71年(元亀2)伯耆末石城を陥されて捕らえられたが京都に脱出した。その
 後,織田信長の援助をうけ,73年(天正1)因幡に侵入,鳥取城を陥すなど再び吉川勢と戦ったが,
 76年因幡若桜鬼城を陥されて京都に逃れた。翌年より羽柴(豊臣)秀吉の中国経略に加わり,播磨
 上月城の守備を任された。78年秀吉の兵力が毛利氏に通じた別所長治の三木城攻撃に向けられ
 ている間に,上月城は毛利氏の大軍に囲まれ,籠城戦の末に勝久自害を条件として降伏した。そし
 て毛利輝元のもとへ護送される途中,帰順に疑いありとして備中阿部の渡で殺され,以後尼子残党
 の動きは封ぜられた。    加藤 益幹
 (c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.


夜明けの空に残月がかかっていた。両手を天空に広げて息を吸った。こんな月をみて彼は若いとき、自分の啓発を言葉に残したのだろう。

陸軍記念日……世界大百科事典による……


 1905年3月,奉天(現,瀋陽)付近で戦われた日露戦争中最大の陸上戦闘。前年,南満州(中国東北
 部南部)の諸戦闘に敗れたロシア軍は冬季間に本国から増援をえて(計32万),融氷とともに反撃に
 出ようとした。日本軍の満州軍総司令官は大山巌元帥,ロシア軍の極東陸海軍総司令官はクロパト
 キン大将であった。日本陸軍は旅順要塞攻略後の第3軍を合わせ満州軍全力(25万)をもって,ロ
 シア軍の機先を制し3月1日から行動を開始,敵の両翼を包囲するように攻撃前進した。戦意を失っ
 たロシア軍は退却にうつり3月10日奉天は陥落した。日本は敵主力の包囲には失敗し,攻撃力の
 極限に達したが,この勝利によって講和の気運はいっそう促進されることになった。旧陸軍は3月10
 日をのちに陸軍記念日とした。   栂 博
 (c) 1998 Hitachi Digital Heibonsha, All rights reserved.


記念日 3月10日……【今日は何の日〜毎日が記念日〜】から抜粋……


 東京大空襲記念日
 1945(昭和20)年3月10日深夜0時8分
 東京でアメリカ軍B9爆撃機344機による焼夷弾爆撃がありました。
 死者約10万人、焼失家屋約27万戸という、第二次大戦で最大級の被害を出しました。

 東京都平和の日
 東京都が1990(平成2)年に、「東京都平和の日条例」で制定。
 都民ひとりひとりが平和について考える日。

 陸軍記念日
 1906(明治39)年〜1945(昭和20)年
 1905(明治38)年、日露戦争の陸の決戦・奉天会戦で日本軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領
 しました。翌年からこれを記念して「陸軍記念日」となりました。

 金子みすゞ忌
 童謡詩人、金子みすゞの1930(昭和5)年の忌日。
 西条八十から「若き童謡詩人中の巨星」と称えられましたが、結婚後夫から詩作を禁じられ、
 夫から病をうつされた末、自ら命を絶ちました。

【金子みすず】

Google で検索すると「金子みすず詩集」を始めとして
膨大な数の Web が紹介されている。
子供たちがじっくり読むといい。
‘金子みすずの世界’というタイトルで
個人研究としてまとめるといい。

手元の本…「わたしと小鳥とすずと」…
…最初の詩…


      お魚

 海の魚はかわいそう。

 お米は人につくられる、
 牛はまき場でかわれてる、
 こいもお池でふをもらう。

 けれども海のお魚は
 なんにも世話にならないし
 いたずら一つしないのに
 こうしてわたしに食べられる。

 ほんとに魚はかわいそう。




「弥生」で青師の同級会がある。佐々木賢明が亡くなって下伊那は8人になった。
全くの健康という人はない。それぞれ何かしらある。

 03 14(日) 韓郷神社…渡来民追加



●神は自然のものに宿る
 韓郷神社の氏子総代会を明日開くことになっている。今年から3人代わったので、総代の仕事の内容をプリントした。その折に、渡来民の記述の中で追加しなければと考えていた、手元の本の紹介を簡単に追加した。その内容は、韓郷神社社誌のページを見ればわかるようになっている。

 学校で習ったことでは、日本列島へ渡ってきた人を帰化人という言い方で教わってきたが、その言い方はあきらかに間違っている

 なぜなら、もともと南方から海洋民族が渡り住み、また朝鮮半島から渡り住んできた多くの人たちがあって縄文時代や弥生時代があったのは誰もうたがわない事実なのに、帰化人としての記述は誰一人としてしていないからである。

 史書編纂という政治体制を中国から学ぶまでは、帰化人という表現はなかったという。とすれば、やはり移住民か渡来民か渡島民という言葉が適切だといえる。

帰化人というと何らかの理由があって、出生国から他の国へ国籍をうつすという意味合いがある。いまでも私は帰化するという言葉になじまない感じをもっている。基本的にはボーダレスであり、一人一人の立場を基本にしてものごとを考えていきたいものと思う。釈迦の教えの中には国籍云々の考え方はまったくない。

そんな立場で韓郷神社の由来を考え、むしろ渡来してきた人たちへの感謝と尊敬の念を深める。わけのわからないスサノオノミコトを祀るよりも、渡来した人たちの祖先崇拝の考え方に頭の下がる思いがするのである。私たちが間違って考えていくことは、子孫へだいじなものを伝承する義務に違背することになる。

 03 15(月) さくら

●今年初めての桜

 春と桜と、よせる情緒四季折々の草花が朝日新聞には掲載されている。

 花を愛(メ)でる、福寿草もサンシュユも四季を彩る花として大事にしていきたい。ヨーロッパの春を意味するスプリングという言葉に寄せる思いも、冬が長い地域ではもっともなことである。

 日本の「さくら」は春を代表する花である。桜の花言葉はともかくとして、桜は華やかである。華麗といってもいい。人の内部生活を華やかにしてくれる。

 カーライルの「衣装哲学」という言葉がある。美を求める心はすばらしい。美といわなくても心が休まり、エネルギーの復活をわたしたちは受け取れる。

 「桃の節句」ということばも、東洋においては四季おりおりの行事の中で花にまつわる表現としてすてきなことばである。俳句の季語もこうした東洋的感覚のあらわれの一つである。

 桜はそうしたことを含めて、ともかく華やかさ、しかも淡白さがある。日本全土に亘って多くの人たちが意図的に植樹をし、保護してきた。学校の校庭にはどこでも桜が植えられてきた。桜前線の情報もテレビで放映されるようになった。嬉しいことである。春祭りも桜前線と時期を等しく行なわれてきている。桜の咲くこの国土をだいじに守り育てていきたい。

一輪挿しの桜は、隣の一也さんが育ててきたもので、二月の末頃には寒い中で枝を切りそろえ束にして準備してきてくれたものである。それを毎年頂いている。労苦を思い感謝する

 03 19(金) マスメディア

『日刊ベリタ』のHPを見ていると次の記事が載っていた。



マスメディア時評
間違いを間違いとなぜ言えない イラク侵略戦争1年

     ………………………………………………………………………………………

 アメリカがイラクへの攻撃を開始して、まもなく一年を迎えます。

 この一年、アメリカが攻撃の口実とした「大量破壊兵器の脅威」に根拠がなかったことは誰の目にも明らかになり、暴力と報復の連鎖によって、事態は泥沼化の一途をたどっています。こうしたなか、日本の小泉政権は、アメリカなどの不当な占領を支援するため、第二次世界大戦後はじめて、重武装の自衛隊をイラクに派兵しました。

 最近のNHKの世論調査でも、イラク戦争に「正当性がなかった」が63%を占めます。国際秩序を踏みにじって無法な戦争を開始したアメリカと、憲法違反の海外派兵でそれを助ける小泉内閣の責任が、一周年を機にあらためて問われなければなりません。

言論機関としての責任

 マスメディアも当然、その責任追及を免れません。

 開戦当時、「読売」は社説で「責任は“決議愚弄”のイラクにある」(昨年三月二十日付)と書き、「産経」は主張で「国連決議に従って武装解除していれば、とっくに解決していたはず」(同十四日付)とのべました。両紙をはじめ、多くのメディアがこの一年、アメリカのイラク攻撃を支持しあるいは是認する立場からの報道と論評を続け、自衛隊のイラク派兵にたいしても容認し、ときにはあおってきたことはくりかえし本欄でも批判してきました。

 とりわけ問題なのは、「大量破壊兵器の脅威」というアメリカのイラク攻撃の口実に根拠がなかったことが明らかになるなかで、これらのメディアがとっている態度です。

 開戦後のイラクで大量破壊兵器の調査団長を務めたアメリカのケイCIA顧問の「大量破壊兵器はなかった」という議会証言は、開戦の根拠を決定的に突き崩すものとなりました。この証言に対し「読売」社説は「『増大する脅威』こそ大義だった」(二月十四日付)とごまかし、「産経」にいたっては「戦争の大義 正邪ではなく国益で語れ」(同二十三日付)と、「国益」まで持ち出して、戦争の大義を問うことさえ否定する論評を掲げたのです。

 「毎日」も、記者の署名入りコラムである「記者の目」で論説委員が「イラク戦争の大義 大量破壊兵器だけが問題か」(同十三日付)と、大量破壊兵器が発見されないから戦争の大義がなかったというのは「短絡的」だと非難しました。

 これらのメディアはなぜ、自ら攻撃を支持した根拠が根本から崩れつつあることに、正面から向き合おうとしないのか。自らの主張に責任を負うのは言論機関として最低限の責任です。開戦の際には盛んにイラクが大量破壊兵器廃棄の国連決議を守っていなかったと非難しておいて、その根拠が成り立たなくなると、今度はそれはたいした問題ではなかったといいだすのでは、真実の報道と公正な論評の名に値しません。

 「産経」のように、戦争の根拠や大義が失われてもそれはどうでもいい、「国益」で判断すべきだというのは、侵略者の無法を認める勝手な理屈です。「国益」の名でアジアを侵略した戦前さながら、ジャーナリズムを外れ、「大本営発表」を流し続ける国策報道の道を突き進んでいるといわなければなりません。

座標軸失ったメディア

 次々と起こる事象を、事実にもとづいて検証し、真実を追究して、国民の「知る権利」にこたえることこそ、マスメディアに求められる重要な役割です。この点で、戦争の大義や開戦の根拠をあいまいにすまそうというメディアの姿勢が、結局は状況に流されるだけの最悪の現状追認に陥っているのは重大です。

 「毎日」はことし一月一日付の社説で、自衛隊のイラク派兵について「基本的に同意する」と、賛成する態度を明らかにしました。「毎日」の派兵賛成は、メディアの世界でも大きな議論を呼びました。

 その「毎日」の論説委員長が、日本新聞協会の機関誌『新聞研究』三月号や「毎日」三月十一日付特集で語っているところによれば、「自衛隊派遣については戦争そのものへの評価とはまったく別に考えた」「戦争そのものを正当化することとは別だ」といいます。しかし、戦争の結果としての占領の支援に派兵するのに、「戦争とは別」などといういいわけが通用する余地はありません。問題の根本をあいまいにしたまま、ずるずると政府の政策を支持していくのでは、メディアの役割を果たすことはできないでしょう。

 この一年をふりかえると、イラク攻撃や自衛隊派兵に批判的な態度をとる「朝日」を含め、ほとんどのマスメディアが、アメリカのイラク攻撃を「侵略」だと真正面から批判せず、占領の中止を求めることにちゅうちょし、内外の戦争反対の世論と運動についてはまともに報道してきませんでした。なにが正しく、なにが間違っているのか、座標軸を国民に示せなくなっているといわれても弁解のしようがないでしょう。

 イラク戦争後の論壇で、アメリカの一極主義と小泉内閣のそれへの追従にきびしい論陣を張ってきた評論家の加藤周一氏と寺島実郎氏が最近のある対談で、「知的活動」を先に進める上で必要なのは「知的能力」だけでなく、「人間的な感情」だと語り、「目の前で子供を殺されたら、怒る能力がなければなりません」と、不条理に勇気をもって立ち向かう重要性を話し合っています。

 日本にいま求められるのも、国民の立場に立ち、問題の根本に迫って、正しいことは正しい、間違ったことは間違っていると堂々と主張できる、しっかりした座標軸を持ったメディアなのではないでしょうか。




 03 20(土) WARLD PEACE NOW イラク戦争あれから一年

彼岸の朝というと5時半には薄明をむかえる。天体の運行をまともに感ずる。今日は『お彼岸』である。

イラク戦争についてはいろいろとニュースが流れてくる。

何回でも叫びたいが、人殺しを認めてはいけない。政治家は死なないが、一般の人たちがバタバタ死んでいく。とんでもない政治が横行している。

あれから一年経つ。つぎのメルマガを参考にしたい。

WARLD PEACE NOW………きのう紹介した「日刊ベリタ」と同様、購読するとよい。

きのう「墓参り」をすませたので、今日は“馬鈴薯の植付け”と“松本一本葱の蒔き付け”をして、“南瓜の元肥をして床作り”をする予定である。

土中の虫とおなじように、やっと春めいてきたので働けるようになった。

フランス寓話が問いかけるもの http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040214/mng_____tokuho__000.shtml 「茶色の朝」というフランスの寓話(ぐうわ)が注目を集めている。日本でも昨年暮れ、邦訳(大月書店刊)が出版された。茶色はファシズムの象徴。原文はわずか十一ページ、声高ではなく「ファシズムの危険は市民の事なかれ主義に潜む」と指摘する。フランスではベストセラーとなり、同国や欧州で台頭する極右勢力の動きをけん制した。戦後初めて戦地に自衛隊が派遣された。「茶色」の危険は日本社会とは無縁だろうか−。 YAHOO NEWS http://headlines.yahoo.co.jp/hl?c=dom

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