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私製本「0歳教育」

【私製本「0歳教育」の概要】 【躾・その考え方と親の責務 】
【胎児教育・その1     】 【幼児の能力を育てる・その1】
【胎児教育・その2     】 【幼児の能力を育てる・その2】
【誕生と乳児・その1    】 【幼児の能力を育てる・その3】
【誕生と乳児・その2    】 【幼児の能力を育てる・その4】
【0歳児の年間計画    】 【幼児の能力を育てる・その5】



0歳児の年間計画

躾・その考え方と親の責務
「親の愛情とは、わが子のしあわせを願って、何かを、してやること」


躾・その考え方と親の責務(昭和63年6月3日)

 今回は躾について、その考え方と親の責務ということを中心にして、お話申しあげたいと思います。

 躾という言葉を広辞苑で調べてみますと、礼儀作法を身につけさせること、または、身についた礼儀作法、と説明しております。そして礼儀というのは、敬意を表す作法とありますから、人を大事にする作法、思いやる作法であります。作法というのは所作であり、それは立居振舞でありますから、人を大事にし思いやる立居振舞ということになります。

 人を思いやるというのは、儒教でいうところの恕でありますから、人の心の、一番大事な心の持ち方であります。そんなわけでありますから、礼儀作法を身につけるということは、大変良いことであります。

 礼儀作法を身につけるということは、一つは人を大事にする心を身につけることであり、もう一つはその心を人に伝える立居振舞を身につけることであるといえます。まず人を大事にする、そういう心を磨いていくことが大切であり、その心が言葉や体を通して外に現われる、いいかえますと、いろいろの言葉づかいや立居振舞として現われるようになる、ということになります。

 それは朝夕の挨拶「おはようございます」「お休みなさい」であり、丁寧語であったり、敬語づかいであったりするわけであります。また「すみません」「有難うございます」「お蔭さまで」という言葉と共に現われる、会釈や礼であります。

 履物をそろえてぬぐことは大事な礼儀作法であり、お掃除や整理整頓もまた大事な礼儀の心構えの一つであります。花をつくり花をかざり、書をかいて書をかざり、お茶をつくってお茶をいれる、こうしたことは昔から一つの芸術にまで高められており、茶道、花道、書道という言葉で位置づけられております。或いは武道などは礼に始まり礼に終わるといわれます。「三尺さがって師の影をふまず」という言葉は、ちょっとおおげさかもしれませんが、今では話だけの心掛けになっているものもあります。

 こんなふうに躾、礼儀作法ということを考えてみますと、実はとても幅広い分野にまたがっておることがわかります。躾というよりも、人柄づくりといっても差し支えないと思います。

 それで幼児期の躾について考えてみたいと思います。親がきちんとしつけないから、あの子供はどうも・・とか、親が甘いから子供がどうの・・とか、そういう言葉をよく耳にしますが、ほんとにそうなんでしょうけれども、ただそういう言葉づかいのニユアンスから受ける感じでは、親がきちんと言葉で指導する必要があるとか、何か躾の型とか、或いは礼儀作法の型に、なかば強制的でもいいからはめこむ、というか、いいかえると、親の扱い如何によって子供の躾ができるようなニユアンスを、よく感ずることがあります。親の扱い如何によって、子供が躾を身につけていくと考えますと、それは大きな思い違いがあるように思います。

 私はこんなふうに考えたいと思います。しつけるとか、躾教育というような、そんな難しい言菓を使わずに、親自身が明るい気持で、温かい思いやりの気持で、ものごとに接しながら、幼児にそれを伝えてやっていく、そういうことが基本だと思います。

 例えばすがすがしい晴れた朝など、子供と一緒に外に出て、「ああ、気持がいい朝だなあ、深呼吸しようかな」といって両手を高く上げて大きく息を吸います。子供はそれをまねて、手をぎこちなく上げて、息をフーと出します。それから花畠にいき「この花は大きくなったなぁ、今日も暑くなるだろうから、水をかけてやろうね」と子供に話しかけ、一緒に花に水をやります。お隣のおばさんがやってきたら「おばさん、おはようございます」と挨拶するようにします。「さあ、手を洗ってごはんにしようね」と一緒に手を洗い「はきものは、おとうさんのように、ぬいだら揃えておこう」など、このような生活場面で子供に係わってまいりますと、どの幼児でも、具体的な生活の中で、まわりの人々の言葉がけとか、日常生活の行動の仕方、思いやりのある所作、敬意を現わす作法など、それらを通して、すべてのパターンをまねてまいります。

  このまねが何回も繰り返されることによって、幼児の心の中に、生活の仕方や人に接したときの係わり方の、その基礎が築きあげられてまいります。親の礼儀作法とか、家の人の礼儀作法など、それらを幼児はまねて、自分の礼儀作法というものを、自分で築きあげていくものであります。これが、躾や礼儀作法を身につける、原理であります。

 親が「ああしなさい」とか「こうしなさい」とか指示をして、幼児に礼儀作法をしつけようとするのは、幼児の本来の心の働きにそってはおりません。

 幼児は親をまね、家の人のまねをして、自分で礼儀作法の在り方を、自分の心の中に築きあげていくのであります。幼児は素晴らしい働きをもっています。「親が教えてやったから出来るようになったんだ」という考え方は、親中心の一方的な考え方であり、幼児のほうから見れば、勿論親が係わってくれたから出来るようになるわけですが、実はもっと一人の人間としての独自性をもっており、幼児はいろいろの材料を取捨選択して、自分独自の生きざまを、自分で築いているのであります。幼児の素晴らしさを、充分わかって頂きたいと思います。

 ですから親がよりよい礼儀作法を身につけ、またよりよい生き方を求めて、幼児と一緒に生活し、幼児に係わってやるならば、幼児もまた良い礼儀作法を身につけるようになります。

 親の愛情とは、できるだけ良い環境を、子供の周りにしつらえて、子供に係わってやることであります。こうした原理がよくわかったとすれば、すてきな躾の在り方はただ一つ「親自身、よりよい躾・礼儀作法を求めて生活すること」であります。幼児はそれをまねたり、参考として、自分の世界を築いていくからであります。更に進めていいますと「親自身、よりよい躾・礼儀作法を求めて生活すること」そのことは、子供に対する親の責務であります。私は躾については以上のように考えております。

 さて、躾についての基本的在り方をこのように考えてまいりますと、今度は、親というものは、どのような躾・礼儀作法を求めたらいいのか、ということが課題になってまいります。そこで、心のいろいろの状態っていうものは、言葉や、表情や、所作になって現われるということから、先ず、みていきたいと思います。

 例えば、日常使う短かい言葉一つにしても、それがちょっとした話の仕方とか、返事の仕方とか、そんな簡単なこと一つにしてみても、心の現われ方は非常に多いのであります。声の面からみても、声の早さ、高さ、強さ、明るさ、などによって、温かさ、思いやり、真剣さなど、挙げれば限りないほど、一つの言葉づかいの中に、あらゆる心の状態を私たちは感ずることができるわけであります。

 心の持ち方は、言葉だけでなく、話すときの目とか顔の表情にも現われ、あるいはまた仕草とか動作などにも現われて、千差万別の心の状況を他の人に伝えてまいります。ちょっとした言葉がけや返事の仕方一つとってみても、このようなことが言えるわけであります。

 目の見えない人は耳で、耳の聞こえない人は目で、ちょっとした話の内容から、温かい思いやりがあるかどうか、真剣な内容か単なる伝達か、威張った気持からか、親切な気持からか、或いは、明るい気持か沈んだ気持か、などなど、総てわかると思います。

 このように、ちょっとした話一つにしても、その話を通して、その人の心の状況は、声や表情や動作などを窓口にして、他の人に向かって、すべて明らかにされるわけであります。極端にいえば、その人の躾に係わる考え方、礼儀作法に係わる考え方などすベてが、ちょっとした話一つから明らかにされてくるのであります。歩き方一つでも、その人柄が察っせられるとか、5分間の座り方一つでも、その人柄が察っせられる、と聞きます。

 躾とか、礼儀作法というのは、実は生活すべてに現われてきております。頭の下げ方、挨拶の仕方、のし袋の書き方、などなど細かくいえばいろいろあるでしょう。でも、そんなことは心の世界のほんの一部であり、試行錯誤しながら、だんだん身につけていけばいいと思います。大事なのは躾・礼儀作法を生み出してくる、もとになる心の世界を、どのように広げ、深め、豊かにしていくか、ということであります。

 「心の世界をどのように広げ、深め、豊かにしていくか」それは、私たちが赤ちゃんの時からしてきたように、あらゆる情報を、自分のまわりから取捨選択して、自分の中に取り込み、自分で築き上げることであります。

 目の前の人からいいものを取り込むこと、本を読んで体系的な考えを持ったり、一つ一つの情報を取り込むこと、取り込んだ情報を取捨選択して自分で自分の考えを組み立てていくこと、これを繰り返し進めていきながら、心の世界を広め、深め、豊かにしていくようにする、こんなふうに考えていけばいいのではないでしょうか。

 ですから、夫婦喧嘩はやめて、人の悪口もやめて、子供を叱かることもやめて、明るい話をし、夢をもち、学ぶ心をもち、本をよみ、たえず計画を立て、ものごとを作り出していく、そういう生き方をしたいものだと思うのであります。

 鈴木鎮一先生は、子供の教育についての質問を受けたとき、こう答えています。

 「子供の姿、それは、あなたが育てた姿です」

 私はその答に接したとき、暫くはその活宇に釘づけになりました。
子は親を見て育ちます。それが原点であります。今日只今の、その今の環境に適応して子供は育っていきます。躾教育も全く同じことだと思います。

 以上で「躾・その考え方と親の責務」ということについての話を終わります。次回は「能力を育てる・その1」という内容でお話申しあげます。

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