0歳教育関係へ
私製本「0歳教育」
【私製本「0歳教育」の概要】
【躾・その考え方と親の責務 】
【胎児教育・その1 】
【幼児の能力を育てる・その1】
【胎児教育・その2 】
【幼児の能力を育てる・その2】
【誕生と乳児・その1 】
【幼児の能力を育てる・その3】
【誕生と乳児・その2 】
【幼児の能力を育てる・その4】
【0歳児の年間計画 】
【幼児の能力を育てる・その5】
私製本「0歳教育」の概要
「親の愛情とは、わが子のしあわせを願って、何かを、してやること」
は じ め に
有線本部から「0歳教育シリーズ」の放送を受持ってほしいと話があったのは、62年の10月でした。個人的には、0歳教育に身も心も投入するつもりでいたので、非才を顧みずお引受けしました。
教育の荒廃が、家庭の親子関係に端を発しており、且つまた、教育が行なわるべき時期というものは、実は0歳に近いほどよいという科学的研究の結果もあり、そうしたことから私はおこがましくも、喬木村有線放送引受けを「可」とする判断をしたわけであります。
引受けた限り責任があり、話の内容は充分な根拠に基ずく必要もあったので、それから急ピッチで資料としての書籍の収集と読解が私の課題となりました。
驚いたことに、調べれば調べるほど人間の<mind-brain,mind-brain-body>「心脳」或いは「心脳体」の恐ろしいほどの能力にぶちあたり、吾を忘れて没頭することとなりました。
受胎から6歳まで、誰でもが持っているという、その不可思議な超能力<ESP=Extra Sensory
Perception>を活動させ、一人一人の幼児に、素晴らしい能力や、素敵な人格や、逞ましい心身を、どう身につけてもらったらいいか、それこそが「0歳教育」が取組む課題にちがいないと思いました。
じっと考えていると、なにか頭の中がぞくぞくしてくるような、未来へ電気がほとばしるような、次々に新しいことが生まれでるような、そんな感じがしました。
さて、一つの幼い生命体がそんな素晴らしい能力・エネルギーを持っていることとは別に、どんな親でも、生まれながら幼い子供に対して、命を賭ける一途な本能を持っていることを自覚しなければなりません。
親というものは、水火も辞せぬ激しい愛情と、静かなそれとはわからない温かい愛情を持っています。
ここに0歳教育が完全に成功する基盤があります。
私は、この放送原稿を書いているうちに、親の愛情とは何か、という課題の答えに気がつきました。それはこういう言葉でよいと思います。
「親の愛情とは、わが子のしあわせを願って、何かを、してやることである」
この冊子は、放送原稿をまとめたものであります。ですからこの内容をよく読みとって、具体的な仕事にとりかかって頂きたいと思います。この素晴らしい子育ての仕事に命をかけてください。
昭和63年10月19日
0歳教育の概要(昭和62年12月3日)
皆さん今日は、話の広場「0歳児教育」の時間になりました。
有線本部では、12月から「0歳児教育」、いわゆる「0歳教育」という番組を始めるように、決めたそうであります。それで、その番組を担当するように依頼をうけました。
いろいろ考えましたが、引受けることにしました。「0歳教育」ということは、今日的な課題として、全国各地、真剣に取り組まれていることの一つでありますので、お引受けした限りは、精いっばいの努力をしてまいりたいと思っております。どうぞ、よろしくお願いします。
この番組は、有線放送でございますから、一方的な話になるわけでございますので、質問やご意見がございましたら、遠慮なく連絡いただきたいと思っております。
今日は、第1回でございますので、0歳教育の概要について、いくつかの資料を選んで、お話したいと思います。
「0歳教育」といいますと、赤ちゃんが生まれてから、およそ一年間の教育、ということになりますが、実は、そういうとらえ方ではなくて、就学前の教育とか、幼児教育といういい方でもよいのではないかと思います。もっとわかり易くいえば、赤ちゃんがこの世に生をうけたとき、いいかえれば、受胎したときから始まって、小学校入学までを考えてもよろしいわけであります。
従来でいえば、赤ちゃんが言葉をいえるよになって、親子の意志疎通ができるようになってから、教育があるんだ、という考え方が一般的であったと思います。
ところが、赤ちゃんは何もしゃべれないが、生まれた時から、もっといえば、お母さんのお腹の中にいるときから、言葉や感情から健康にいたるまで驚くほどの力で、それらいっさいを身につけていることが、わかってきたのであります。
ですから、受胎したときから就学前の教育を始めることが、とても大事だという考え方ができあがってきたんです。そんなわけで「0歳教育」という言葉が、一般的に使われるようになったわけであります。
言葉はことばとして、まあどっちでもいいわけですが、では赤ちゃんはいったい、どんな能力をもっているんだろうか、それをはっきりさせることが、実は「0歳教育」の大切さを理解する手がかりになりますので、例をあげて、考えてみたいと思います。まず初めに、胎児教育、いわゆる胎教を実践したジツコ・スセディックという人が書いた本の一部を紹介します。
「あれはちょうど、スーザンが1歳の誕生日を迎えて、間もない頃でした。もうすぐ2歳半になる子供をつれて、近所の母親がうちに遊びにきていました。
その時、スーザンは『ロビンソン一家』という本を、開いて見ていました。ゆっくりとぺージをめくっていくスーザンを見て、その母親は、彼女がただ絵本を見ているだけだと思ったんでしょう。『スーザン、そのご本にはどんなことが書いてあるの』こう聞かれたスーザンは、その母親に本の内容を読んで聞かせました。
彼女を知らない人なら、誰でも跳び上がるほど驚いたことでしょう。一緒につれてきていた2歳半の子供は、スーザンの隣で、まだ片言しかしゃべれなかったんです。そして、その母親は、信じられないというより、何か奇妙なものを見たときのような動揺をかくせず、自分の子を抱きかかえると、あわてて家に戻っていきました。」
この子を育てた母親は、アメリカ人と結婚した館林実子という日本人なんですが、実子さんは、妊娠5ケ月目から、6つの指導目標をたてて、胎児教育を始めております。
例えば、具体的にいうとこうなんです。「あ」という字の、読み方や綴り方を教える時に、縦14センチ横15センチのカードに、色あざやかに書かれた「あ」という字を、何度も何度も、正しく発音しながら、その字を指でなぞるんだそうです。
そして、こういうんだそうです。「これは『あ』という字よ。赤いきれいな字よ。ほら、あなたにもあるでしょ、頭の『あ』という字よ。そしてまた、足の『あ』という字よ。あいうえおの『あ』という字よ」こんなふうに話しかけるんだそうです。
このとき気をつけることは、自分で「あ」という字の形や色や意昧を頭に焼き付けるようにイメージ化し、そのイメージを頭からだんだんおろして、へその緒から赤ちゃんに伝えてやることだといっております。
さて、こんな話を聞きますと、「うっそー」「ほんと?」と自分の耳を疑わざるを得ません。でも、これは事実なんです。
生後2週間で単語を話し、3ケ月目には会話が始まり、9ヶ月目で歩き始めるという、見事な発達を示しているといいます。この子は5歳の時幼稚園からいきなり高校へいって勉強をし、11歳のスーザンは今、マスキンガム大学で生活しているといいます。友達との遊びも大好きで、運動も音楽も、みんなと一緒にやっているといいます。
以上は胎教についてでしたが、次にお産の話の例に移ります。こんどは「マジカル・チャイルド」という本に書かれている、アフリカのウガンダという国の赤ちゃんについて、の一部を紹介します。
「ウガンダの母親は、赤ちゃんが生まれる直前まで、日常の仕事を普通にこなしています。それから一人になれる場所へいって、自分でしゃがんで、時には母親のたすけをかりて子供を産みます。
約1時間後には、生まれたばかりの赤ちゃんをだいて、近所の人や親戚の人に見せてまわります。そして生まれた子は、母親の胸に下げられた吊り帯の中に裸で入れられ、眠る時でさえ、母親から離れることなく育てられます。
母親といつも一緒にいるので、赤ちゃんはいつでも欲しいときに乳を飲み、母親も布1枚を通して、赤ちゃんの要求を感じとり、それに応じている。こうして生まれ育つ赤ちゃんは、どこでも観察されたことのないような赤ちゃんに育っていきます。
生後6週から7週目の赤ちゃん300人を調べたところ、全員が上手にハイハイをし、自分でお座りができます。さらに鏡の前で、長時間自分の姿を、あきることなく見ていられる。
この能力は、欧米の子供では、6週や7週ではなく、24週(6ケ月)たたないと見ることはできない。
また、6ヶ月から7ヶ月の間に、ウガンダの子供達は、おもちゃの取り返しテストができるようになる。子供に、あるおもちゃを見せ、次にそのおもちゃを部屋の反対側のおもちゃ箱の中にいれてしまいます。つまり、一辺見せたおもちゃを、今度は見えない所へかくすわけです。ウガンダの子供はすぐ立ち上がって部屋の中を走っていき、おもちゃを取り返すのです。同じテストを、欧米の子供にさせると、15ヶ月から18ヶ月にならないと、うまくできない」
このウガンダの赤ちゃんの話は、実はお母さんと赤ちゃんの絆を作る上では、欠くことのできない、ほかの時期ではどうしても取り返しのできない、重要なことなんだそうです。
最近テレビで紹介されていますように、もともと自然界の動物の出産と産後の親子のかかわりは、その時期にしかできない重要なことのようです。ウガンダの赤ちゃんの話は、親子のあり方の重要性を象徴しているものであります。
情緒や能力を伸ばしていく上で誕生直後からの、親子の肌の触れ合いが、いかに大切なものであるかを、象徴しているものなんです。
人間の頭脳と心の発達を、豊富な資料、学問の裏づけによって、ピアスという人は、人間の成長の仕組みを1冊の本にまとめています。
かわいい赤ちゃん、よわよわしい、その赤ちゃんが、想像もできないような、すばらしい仕組みによって、どんどん成長していることをピアスは説明し、教えています。
それで、その本を読んでいますと、0歳教育の中でも殊に、この出産のあり方と、お母さんと赤ちゃんのあり方、というものを、大事に考えなくてはいけないんだ、ということを教えられます。
いいかえてみますと、赤ちゃんの性格や心ばえ、能力や体力は、どのようにして伸びるのかということをよく理解し、自然出産という方法が、赤ちゃんの心や体の発育に、どれほど重要な意味をもっているのか、ということを理解し、具体的には、時間の経過とともに、どのような触れ合いの仕方を必要とするのか、ということを、大事に考えなくてはならない、というわけであります。
ちょっと理屈っぽくなって、ごめんなさい。では最後に、いろいろの能力はどのようにして伸ばしていったらいいんだろうか、どのように教育したらいいんだろうか、ということですが、これはいろいろありますので、後てだんだん取り上げようと思います。
そこで今日は、鈴木鎮一という先生の「どの子も育つ、育て方ひとつ」という本の一部を紹介したいと思います。鈴木先生は、ご存じのように、バイオリン教育で、世界中からその教育の仕方を注目され、その教えを広めている方であります。ではその本の一部を読んでみます。
「人間が環境の子である以上、才能教育はより早くから、できれば0歳からやることがよいのはいうまでもありません。
しかし更に重要なことは、よい才能は、よい努力の下に常に育つ、ということです。
私自身、能力の開発を遅く始めたため、私の能力の育ち方が大きくマイナスをうけたことは確かです。かといって、私は自分自身に失望することはないのです。「年齢の如何にかかわらす、よい方法の下で訓練し努力するところには、必ず能力が育つ」ということがあるからです。
現に、誰でもが日本語を立派に使いこなしているのですから、他のことについても、同じレベルの能力を示すことのできる、頭脳的な基盤はあるわけです。つまり、能力の芽はすべてにわたって育てられている、といえるのです。
よく、うちの子はもう中学生になってしまっている、高校生になってしまっている、それでも才能教育は可能なんだろうか、という質問をうけます。
そんな時、私はいつも次のように答えることにしています。
『私は17歳から始めました。この程度までなら誰にでもなれるという見本が、ここにあるのです。重要なことは、苗を育てることなんです。そして、花を咲かせ実を結ばせるまでの栽培が、肝心なことなんです』
というのです。言葉を自由にしゃべれる限り、あとは、よき条件の下に努力すれば、必ず人間として立派な能力の持ち主になることができます。
問題は、よい努力です。その努力の内容いかんで、育ちの大小も決まってきます。15歳からでは駄目だとか、20歳からではもう遅いとか、そういう愚かな判断は、一切私たちにはありません。どんな年齢からでも、よい努力の下に能力は育つんです。
努力のないところに能力は育たないことを知ると共に、自分が無駄な努力をしていないかどうかを、よく検討しなくてはなりません。無駄な努力はよくありません。今の自分をかえりみて、自分には能力がないと嘆き、あきらめてしまう人は、ほんとにあわて者だと思うんです。
「努力をすれば知らない間に能力が伸びる」これが能力の正体です。そして、その努力の内容、即ち訓練の方法によって、能力というものは、ガラスともなり、ダイヤモンドともなるものです」
初めに申しましたように、今日は第1回ですので、0歳教育の概要について、話したわけであります。既に子供さんが、大きくなられた方もおられるんですが、やがての孫子のために、どう心掛けていったらいいんだろうか、という角度で考えていったらいかがでしょうか。
次回の1月には、概要ではなく、各論に移りまして、胎児教育、いわゆる胎教について話したいと思っています。
仏教では、受胎のときを人の誕生として、まだ人間としての姿かたちもはっきりしない胎児のうちから、一個の人間として認めておるんです。
人の生涯のスタート、それは受胎に始まるわけであります。親が可愛いわが子に注ぐ愛情の、その望ましい伝え方の具体的方法について話したいと思います。
今日は以上て終わらせていただきます。
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