0歳教育関係へ
私製本「0歳教育」
【私製本「0歳教育」の概要】
【躾・その考え方と親の責務 】
【胎児教育・その1 】
【幼児の能力を育てる・その1】
【胎児教育・その2 】
【幼児の能力を育てる・その2】
【誕生と乳児・その1 】
【幼児の能力を育てる・その3】
【誕生と乳児・その2 】
【幼児の能力を育てる・その4】
【0歳児の年間計画 】
【幼児の能力を育てる・その5】
0歳児の年間計画
0歳児の年間計画
「親の愛情とは、わが子のしあわせを願って、何かを、してやること」
0歳児の年間計画(昭和63年5月3日)
小学校や中学校では、文部省によって一定の教育計画が決められていて、それに準拠して教育活動がおこなわれております。小中学校は義務教育であり、国に責任があるからでございます。
それ以前の子供の指導は何を目指し、どのようにおこなっていけばよいのでしょうか。それについては、公的機関からは何も示されておりません。
これは理屈の上からいって当り前といえば当り前のことになります。子供のために一体何をしてやればよいのでしょうか。
幼児教育にとって、それが実は一番の課題でありますし、幼児教育の根幹に係わる課題でございます。
私たち親は、学校に入る前に、教育などという言葉を使わずに、その子の可愛さゆえに、その子の将来のことも薄っすら頭にあったりして、言葉を教えたり、数を教えたりおもちゃのお遊びをしたり、絵を描かせたり、行儀作法を教えたり、歌をうたったり、自然について話したり、絵本を読んだり、お伽話をしたり、実にさまざまなことをしてまいりました。
そしてその分野は、生活全般にわたりました。ところが、熱心な人々の努力・実践によって、それぞれの発育年齢に合わせて、幼児に何をしてやっていったらいいのか、そうしたことがだんだんとわかってまいりました。
たとえば、カール・ヴィッテという人やストーナー夫人の言葉の教育、鈴木鎮一先生の音感教育、ドーマン博士の数学教育や語学教育、或いは最近多くの本を出版している七田真先生の幼児教育理論など、これらには教えられるところが沢山ございます。
その人達によれば、愛情とか、礼儀作法とか、連想する力とか、推理する力とか、物事を思い浮かべる想像力とか、思考力とか、集中力とか、記憶力とか、そういう力は、どうすれば身につくのか、はっきりしてまいりました。
それは、子どもが或る条件の環境の中で生活していると、もともと持っている超能力に支えられて、その環境に適応し、それらの力はぐんぐん身につく、というのであります。
そこで、子供のいろいろな力が、やりようによって、どのようにでもなっていく、というのであれば、もし、そうだとすれば、私たちは就学まえの子供たちになんとか力一杯のことをしてあげなければならないと思います。
幼児教育は大切であるとわかりきっているにしても、それでは両親が具体的に「我が子に対して何をしてやればいいのか」ということに就いては、出版物にはまとめられたものがあまりありません。
私は何とかして、生まれてからの月別のプログラムを作り、誰でもそれを参考にしていけば、一応手落ちのない幼児への対応が出来るという、そういうものを作ろうと思いました。
それからいろいろと材料を集めて、やっと満4歳までの月別計画をつくりました。
まだまだ不十分なものでありますから、これからもいろいろと資料を追加して、だんだん良いものにしていかなければなりません。現在のところ90頁くらいのものにまとめてあります。
考えてみますと、このプログラムだけではまだまだ足りません。いわゆる躾といわれる分野のこと、いいかえますと、心の持ち方や礼儀作法、言葉づかいや他の人との言葉や行動の在り方などの、いわゆる「躾」に関することを、子供にどう身につけてもらったらいいのか、という課題があります。
それからまた、言葉を多く使えるようになるために、そして理解力をつけ、コミュニケーションがうまくいくために、言語活動をどのようにして高めていってやればいいのか、具体的には、絵カードを利用するとすれば、どのような物を何時、どのように扱ってやればいいのかとか、同じように石井式の漢字教育をどう進めるのかとか、文宇カードをどう準備し、どう使ったらいいのかとか、お伽話をどう考え、どう扱ったらいいのかとか、絵本を読むのにどのようにしてやっていけばいいのか、どうすれば、自分で読むようになるのかとか、言語活動だけでもいろいろと考えなくてはならないことが、沢山あります。
また、数に関しては、何時ころからどのようにして教えていったらいいのかとか、ドーマン博士のドッツ・メソッドをやるとすれば何時ころから、どのようにしたらいいのかとか、教える系統はどうなっていればいいのかとか、自然の中から数に関する興味関心を、どのように育てていったらいいのかとか、数の関係でも沢山の課題が出てまいります。
或いはまた、外国語や音楽を習うには、小さい時からがよいといわれるのに、一体何時から何を、どのようにしていったらいいのかとか、誰がやってくれるのかとか、自分でそれらができるのかとか、いろいろと考えさせられることがあります。
この他考えてみますと、畠や堤に生えている草や、山の木や庭の花や道端のちいさい虫など、その名前を教えたり、その生活についてお話をしてあげたりとか、雲をみて自然の力を感じとらせたり、飛行機やテレビについて、どのように係わって文化の姿を理解させるのかとか、幼児との生活を考えてみますと、それはそれは沢山のことが出てまいります。
これらのことは、学校へ行ってからでよいという人はもういないと思いますが、学校へ入るまでに、自分と周囲との係わり方や基本的な知識は、身につけなければなりません。早い話、「これ、なーに?」とか「どうして雲は動いていくの?」とか、幼児の独特な問いかけに対し、私達は誠意をもって答えてやらなくてはいけません。幼児の好奇心は、幼児の感覚の世界や幼児なりの自然認識の世界を自分の中に一生懸命築こうとしているわけでございます。それに対してほっておいてよい筈がありません。
私がいままで長々といいましたようなことについて、実は親としては、おおよその計画とか、範囲とか、見通しとか、を持っていなくてはならないと思います。そうしますと、先に話しました「幼児教育プログラム」だけでは、実はまだまだ足りないわけでこざいます。
ですから言葉、数、音楽、絵、英語、生物、植物、地理、歴史、地域、衣食住、運動、遊びなど、いろいろと私達は勉強していく必要があります。
小さな子供に、遊びの中とか、散歩の時とか、なにか自分に出来ることはないのかと考えてみますと、一杯あるように頭では考えているのですけれども、実際には子供への係わり方について、如何に自分が無力なものであるかを、私は痛感するのであります。
親子の文化遺産のバトンタッチは、学校だけに任せておいていい筈はありません。子供の吸収能力の高いときに計画をたて、大事な内容については手際よくバトンタッチしていくことが大事なんです。
今月は、以上で終わります。
「幼児教育プログラム」については、連絡して下さればご返事いたしますので、よろしく願います。
来月はいわゆる「躾」について、その考え方と親の責務についてお話いたします。
戻る