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折々の記 2004 A

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】04/02〜        【 02 】04/16〜
【 03 】04/25〜        【 04 】05/09〜
【 05 】06/07〜        【 06 】06/19〜
【 07 】07/17〜        【 08 】08/15〜
【 09 】08/22〜        【 10 】08/31〜


【 08 】08/15〜

  08 15 水の五則
  08 17 湖北の観音さま
  08 18 六波羅蜜
  08 19 MIDIでの作曲
  08 20 アテネ五輪

 08 15(日) 水の五則

朝早く雨が降り始めたが、雨は止んだ。東京の真夏日は40日に及び観測史上最多となっていると報じている。ここ二〜三年、気象の異常は激しい。

環境汚染の影響としか考えようがない。科学の発達は人々の凡欲を満たすことには貢献しているが、判らないところで人の生活を蝕んでいる。

科学の発達は異常気象のみならず、自己中心の生活が強まってきて、友達間はもちろん親子間ですら欲望のために暴力をはたらくに到った。

校内暴力、いじめ、殺傷にみられるように、他人を思いやる倫理観はうすれ、自由の名のもとに自己欲の追求が容認されるようになっている。

子供だけのことではなく、大人の変化を見逃すわけにはいかない。政界や財界、国際間においても利己的な発想がまかり通って、数々の金銭利権の汚職に始まって戦争もその延長線上の現象になっている。

政治家の堕落した資質、理念のない指導者の跋扈、個人の中に哲学の価値が薄れてきてしまった。「ほんとうのことはなにか」それを求める価値観がないがしろにされて、自由の名のもとに或いは平等の名のもとに、自分勝手が横行する世の中になってきている。

“自分勝手が横行する”ようになるのは歴史の自然の成り行きなのだろうか。

ともあれ、貴重な敗戦の教訓、人殺しの教訓からわれわれは何を学び取るべきなのか、またまださ迷っているとしか言いようがない。

『水の五則』これは故人の一つの考えをまとめたものである。この言葉を常に考えることとは別に、人の在り方は絶えず心の中で求めなれけばならない。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~m-510/hitorigoto.htm


水の五則

 一 みずから活動して他を動かしむるは、水なり (自分から実行する)
 二 常におのれの進路を求めてやまざるは、水なり (淀んだ水は腐る)
 三 障害にあって激しくその勢力を百倍し得るは、水なり       
                 (エネルギーは障害に比例して大きくなる)
 四 自ら潔くして他の汚濁を洗い、清濁あわせいるる量あるは、水なり 
                         (泥水の汚れは泥水で洗う)
 五 洋々として大海をみたし、発しては霧となり、雨雪と変じ、あられと 
   化す。凍っては、玲ろうたる鏡となり、しかもその性を失わざるは、 
   水なり    (人間の心はよく変わるが、その本性に変わりは無い)


湖北地方には、江州伊香三十三所観音霊場があって、心の文化を尋ねるよすがとなりそうである。よく調べて訪ねてみたい。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~m-510/reijyoh.htmを参考にしたい。


今日は真介、真弓、涼羽がヨーロッパから帰る日である。
直前のメールは次の通りであった。


 次の行程で行ってきます。

 7/30日本→マレーシア
 7/31マレーシア→スイス
   スイスでは教え子が大使のコックをやっているので、会ってきます。
 8/4スイス→ウィーン
 8/6ウィーン→プラハ
   ウィーンからプラハは真弓の歌の仲間のツアーと同行します。
 8/8プラハ→リンツ
 8/9リンツ→ザルツブルク
 8/12ザルツブルク→ウィーン
 8/14ウィーン→マレーシア
 8/15マレーシア→日本



 08 17(火) 湖北の観音さま

昭和30年頃なのか、湖北のお寺で戦国時代の戦禍をまぬがれた仏像を何体も見たことがある。戦禍をまぬがれたのは、その地方の人々が仏様たちを避難させていたからだと聞いていた。

今になって調べてみると、観音の里として驚くほどの数の観音さまが現存されている。これだけの数の観音さまを持っている地方は他にはないだろう。

《前掲》 http://www2u.biglobe.ne.jp/~m-510/hitorigoto.htm
【水の五則】
黒田官兵衛の作との説があるそうだ。
木之本町の観音寺には千手観音菩薩(重要文化財)があり、境内にこの地方の長者の墓碑(黒田官兵衛の祖と伝えられている)があるという。
ついでに検索から黒田如水、日本の名水百選で伊吹の湧水を調べるとよい。

《前掲》 http://www2u.biglobe.ne.jp/~m-510/reijyoh.htm
【江州伊香三十三所観音霊場】
湖北の観音さまの簡単な解説があり、観音菩薩の一部も調べることができる。さらに、「MapFan.net」のソフトで湖北の地図をコピーしてチェックしていくと視察の参考になる。

http://www.biwa.ne.jp/~kannon-m/kakeashi.htm
【観音の里・高月から木之本】
このページには実地踏査のデータが載っておってたいへん役立つ。
さらに、このページの末尾にある『ほーむ』をクリックして『館内紹介』を見ていくと、「観音さまとは」「観音の里・高月」「伊香三十三所観音霊場」もテキスト版で見ることができる。

http://info.biwako-visitors.jp/cycling/erea_kohoku.html
【しがサイクリングマップ】
観音所在地以外の、14コースに分けたデータが載せてある。観音さま以外のことが多く出ておってとても参考になる。

URL以外に、日立デジタル平凡社で出している「世界大百科事典」というCD-ROMで、〈観音〉〈十一面観音〉〈千手観音〉〈如意輪観音〉〈如意輪観音〉〈不空羂索観音〉〈馬頭観音〉〈六道〉を調べると、詳細なデータを手に入れることができる。

こんな方法で湖北の観音さまのあらましをつかむことが出来た。
プリントアウトしてみると100ページ余になる。
湖北の旅も楽しみの一つになった。

 08 18(水) 六波羅蜜

1  栄華の春も 移ろえば
  雲北嶺に 群がりて
  六波羅の夢 破れよと
  荒ぶは木曽の 青あらし

京都はお寺の多い都である。‘六波羅’とあるのは平家のお屋敷があったところだ。 http://park15.wakwak.com/~yoshimo-2/moto.195.html ここの「6薩摩守」を見ると上記の歌がある。

調べてみると、波羅蜜多はサンスクリットの paramita の音写で、‘完成した’とか‘到達した’意味で、経典では‘度’とか‘到彼岸’と訳したという。

修行はこの波羅蜜多を身につけることにほかならない。

大事な修行を六つあげたものが六波羅蜜多である。

智 慧  布 施  持 戒  忍 辱  精 進  禅 定

智 慧 (とらわれなく判断すること)
    助け合い、ルールを守り、耐えしのび、はげみ、自己をみつめ、苦楽を
    乗り越えて、どちらへもかたよらない中道を、此の岸から彼の岸へ・・
    菩薩へ、完成へ。

布 施 (与えること)
    布施行にとって最も大事なことは応分の施しをした時、その施しをした
    事を心に止めず、その対象を求めないことである。もちろん布施は物質
    のみではない。

持 戒 (戒律を守ること)
    道徳・法律・条令等は、時代によって人が作り、現代ますます複雑にな
    っていく。我々は常に高度な常識をもち如何なることにも対処できるよ
    う自らを戒めることである。

忍 辱 (耐え忍ぶこと)
    仮に辱めをうけても、本当に耐え忍ぶならば、苦の多い現代に生かされ
    ている事がわかり、すべての人の心を心とする、仏の慈悲に通ずる。

精 進 (ひたすら努力すること)
    不断の努力である。人はそれぞれ立場、立場で努力し誠心誠意を尽くす
    ことである。

禅 定 (心を集中・安定させること)
    静かな心で自分自身を客観的に見ることである。

観音さまに接して、お釈迦さまの心を心としたいならば、六波羅蜜多をだいじにしなければならない。

 08 19(木) MIDIでの作曲

孫が音楽をインターネットで送信したいという。
PCサクセスのハードウエア基礎講座に「MIDIで作曲に挑戦」がある。
 @ 「シーケンサー」ソフトを手に入れること。
 A 「MIDIキーボード」を手に入れること。
 B 「サウンドカードと接続MIDIリード」が必要かどうか。
以上の機器を音楽専門店で接続など尋ねて準備することになる。

機器を準備したら、「MIDIキーボード」の操作方法を学ぶことになる。
音楽専門店にあると思うが、なければアマゾンなどで調べて手に入れなければならない。

MIDIの人気商品:
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明日は一応、音楽専門店へ行って様子を見ることとしたい。

 08 20(金) アテネ五輪

2004年は21世紀初のオリンピック年で、そのせいだろうが、アテネ五輪である。

さて、水泳競技会場や陸上競技の砲丸投げ会場などテレビで見ると、屋外プールだったり、砲丸投げなどは昔行なわれた場所でできるだけ質素な形で行なわれていた。

日本とギリシャの女子ソフトの競技を見たが、日本の応援が勝敗にとらわれた雰囲気に満ちていたのに対して、ギリシャは質素で時の流れに流されない気質をもっていると感じた。

アテネは http://park19.wakwak.com/~yoshimo/moto.63.htmlの“〔2 早教育は英才をつくる〕;§3 その他の早教育の例”を見ればわかるように、


 アテネは、総面積は北海道に及ばず、平野は二割に過ぎない。降雨少なく土地はやせていた。海による商業貿易に頼った。全盛期でも人口五十万、市民はその五分一の十万足らずだったのに、歴史上これほど多くの文化人を輩出した国はない。アテネのほか三、四のポリスを除いて、市民は一万にも満たなかった。
 早教育は、ギリシャ人の習慣であった。スパルタを除いてどのポリスも、ポリスによる義務教育はなかった。


にもかかわらず、素晴らしい人たちを輩出した国であった。(アテネ全盛期の人口のうち四十万余はアテネ独特の古代スレイブであった。)

彼らが現在、古代の気質から学んでいるものがあるとすればそれは何であろうか。

時流に流されるのは、何処の国にも共通することと思うが、祖先の人たちがどう生きてきたのかを学んだとき、自国の持つ文化の核心になっていたものを無意識のうちにも身につけていくのではないだろうか。

ひるがえってわが国を想うとき、道元や空海、芭蕉や良寛、松蔭や賢治、その他数々の素晴らしい人たちを輩出している。

私たちが、こうした人たちの気質から学んでいるものがあるとすればそれは何であろうか。

「勝つことばかり知しりて負くることを知らざれば、害その身にいたる」……勝敗もたいじな人生の成長の要素にはちがいないが、アテネ五輪をいろいろの角度から収穫の多いものにしたいものである。

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