06 28(月) 涼羽来宅 |
06 29(火) 長岳寺と阿智神社 |
進言公三河に進出、野田城を攻略中、病を得て帰国途上、この駒場の地に病没されました。その亡骸は土葬か火葬か謎とされておりましたが、昭和六年信州佐久市岩村田竜雲寺境内より、信玄公の遺骨が発見され、その骨壷の中より袈裟環が出まして、その環に次のことが書かれていました。 大檀越信玄干時天正元年四月十二日於駒場卒戦時為舎利納茲北高和尚項礼百拝即今神霊今日作麼生是安身立命処擲火云三世諸仏火焔裏転大法輪酉春念十八日全祝六十九歳 このことより駒場に火葬はなきやと照会あり、当地に古来より信玄公火葬塚と伝えらるゝ処あり、昭和十三年にこの塚より灰と骨粉を認めましたので、供養塔建立の議もありましたが、大東亜戦にて沙汰止みとなりました。 然るに本年信玄公没後四百年迎うるに当たり、塚より骨粉を求め、有志相はかりて、この塔に収め信玄公の徳をたゝえ供養の塔を建立いたしました。 |
07 04(日) 月見草 |
07 08(木) 月見草 |
●「富嶽百景」より ○昭和十三年の初秋、思ひをあらたにする覚悟で、私は、かばんひとつさげて旅に出た。 ・・・・・・・私は、甲府市からバスにゆられて一時間。御坂峠へたどりつく。御坂峠、海抜千三百米。 この峠の頂上に、天下茶屋といふ、小さい茶店があつて、井伏鱒二氏が初夏のころから、ここの二階に、こもつて仕事をして居られる。私は、それを知つてここへ来た。井伏氏のお仕事の邪魔にならないやうなら、隣室でも借りて、私も、しばらくそこで仙遊しょうと思つてゐた。 私は、どてら着て山を歩きまはつて、月見草の種を両の手のひらに一ばいとつて来て、それを茶店の背戸に播いてやつて、「いいかい、これは僕の月見草だからね、来年また来て見るのだからね、ここへお洗濯の水なんか捨てちやいけないよ。」娘さんは、うなづいた。 ことさらに、月見草を選んだわけは、富士には月見草がよく似合ふ と、思ひ込んだ事情があつたからである。 御坂峠のその茶店は、謂はば山中の一軒家であるから、郵便物は、配達されない。 峠の項上から、バスで三十分程ゆられて峠の麓、河口湖畔の、河口村といふ文字通りの寒村にたどり着くのであるが、その河口村の郵便局に、私宛の郵便物が留め置かれて、私は三日に一度くらゐの割で、その郵便物を受け取りに出かけなければならない。 天気の良い日を選んで行く。 河口局から郵便物を受け取り、またバスにゆられて峠の茶屋に引返す途中、私のすぐとなりに、濃い茶色の被布を着た青白い端正の顔の、六十歳くらゐ、私の母とよく似た老婆がしやんと坐つてゐて、女車掌が、思ひ出したやうに、みなさん、けふは富士がよく見えますね、と説明ともつかず、また自分ひとりの詠嘆ともつかぬ言一葉を、突然言ひ出して、・・・・・・・間抜けた嘆声を発して、車内はひとしせり、ざわめいた。 けれども、私のとなりの御隠居は、胸に深い憂悶でもあるのか、他の遊覧客とちがつて、富士には一瞥も輿へず、かへつて富士と反対側の、山路に沿つた断崖をじつと見つめて、私にはその様が、からだがしびれるほど快く感ぜられ、私もまた、富士なんか、あんな俗な山、見度くもないといふ、高尚な虚無の心を、その老婆に見せてやりたく思つて、あなたのお苦しみ、わびしさ、みなよくわかる、と頼まれもせぬのに、共鳴の素撮りを見せてあげたく、老婆に甘えかかるやうに、そつとすり寄つて、老婆とおなじ姿勢で、ぽんやり崖の方を、眺めやつた。 老婆も何かしら、私に安心してゐたところがあつたのだらう、ぽんやりひとこと、「おや、月見草。」 さう言つて、細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。 さつと、バスは過ぎてゆき、私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、花弁もあぎやかに消えず残った。三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みぢんもゆるがず、なんと言ふのか、金剛力草とでも言ひたいくらゐ、けなげにすつくと立つてゐたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。 「富嶽百景」日本文学全集54「太宰治集」新潮社より月見草関連分抜粋 |
竹久夢二「宵待草」 待てど くらせど 来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬそうな とは、竹久夢二の作詞による「宵待草」の一節。海鹿島海岸近くに、房総夢二会によって建てられた竹久夢二の碑文がある。 夢二は明治43年、27歳の夏に海鹿島に滞在し、この「宵待草」のモデルとなる女性、長谷川カタに出会った。宵待草とは、銚子の海岸に群生して夕方になると黄色い花を咲かせるマツヨイグサのことである。 |
07 09(金) 速聴機 |
07 10(土) 下平真広誕生日 |
07 12(月) 合併住民投票 喬木は反対 |
合併住民投票 喬木は反対、望月・奈川は賛成が60%超 市町村合併をめぐる住民投票と投票方式の住民意向調査が十一日、県内五町村で行われ、三町村で即日開票された。 下伊那郡喬木村の住民投票は飯田市、上村、南信濃村との合併の賛否を問い、反対が二千九百五十八票(60・4%)。喬木村は任意合併協議会から離脱する見通し。 北佐久郡望月町の住民投票は、佐久市、南佐久郡臼田町、北佐久郡浅科村との合併に賛成が四千四百二十七票(63・2%)。来年三月の新市発足が確実になった。 松本市との合併か、自立かが問われた南安曇郡奈川村の住民投票は「合併」が五百四十一票(67・1%)。村は、任意合併協議会の法定協への移行を進める見通しだ。 上伊那四市町村合併をめぐる南箕輪村の住民投票、高遠町の住民意向調査は十二日に開票する。 |