4年前に盲導犬のオパールが私の元に来てから、急に講演の話が多くなった。それまでも無かった訳ではないが、ここ数年、盲導犬がテレビや映画などのメディアで頻繁に取り上げられるようになったことと、私の市議選のニュースがマスコミで流された事もあって、年間15〜20回前後の依頼が来るようになった。 一昨年私が「長岡市の町の先生」に登録されてからは更に小学校の総合学習の時間などで多く声がかかるようになった。当然、中学や高校からも年に数校あり、障害者団体や大手の一般
企業からも声がかけられる。最近では市内 H製紙の社員の皆さんの講演が印象に残っている。
一口に講演と言っても、自分の事を話すとなると結構難しい。そして意外と思われるかも知れないが、難しいのは小学生。それも幼稚園から上がったばかりの1年生から変声期を迎えた6年生までの全校生徒となると、頭の仲はもうパニック状態となる。朝礼の挨拶で全校生徒に向かってお話される校長先生などは私にとっては、もう神様としか言いようがない。言いたい事はたくさんあるのに、何をどのように話したらうまく伝わるだろうか。準備の段階であれこれと試行錯誤の時間が過ぎる。
講演会は子供達との学習とふれあいの場であると同時に、私自身にとっても表現力を身につける、格好の場と考えている。しかし、何回やってもそうなのだが二つ返事でお引き受けしてはみるものの、講演の日が近づくにつれ、焦りと緊張が高まり、「断れば良かったかな」といつも後悔してしまう。
そうは言っても「お会いできる日を楽しみにしています。」などと、例えお世辞でも言われてしまえば一生懸命やるしかないと思ってしまう。3日ほど前から話す内容の整理が始まる。もっと早くから始めたら良さそうなものだが、相手の年齢や環境に合わせた言葉を醸成する作業と、自分の気持ちを高めるのに時間を費やしてしまう。
しかし講演の魅力のひとつは緊張感。甘く見て油断をすれば場がしらけてしまう。まさに格闘技のようなもの。しかしリアルタイムに反応を肌で感じることができるのは魅力のひとつだ。
それに問題は、光を感じる程度の視力しかない私にとって、聞いてくれている皆さんの反応を表情や動作で感じ取ることができないのはちょっとしたバリアだ。講演のはじめに「可笑しかったら声を出して笑って欲しい」と前置きするのだが、話が下手なせいかなかなかそうはうまくいかない。それでも最近は音が無くても肌でその空気を感じるようになった気がする。会場と気持がひとつになれた瞬間は、こちらも涙が出るほど感動することがある。
講演の終わりには少し質問の時間を設けることもある。最近の質問で面白いと思ったのは小学4年生の質問で、「ご飯はどうやって食べるのですか。」というのがあった。「箸と茶碗で…。」と答えるのもおかしいので、それなりに丁寧に応えておいた。察するに普段、地域などで障害者と接触する機会が無いのが原因なのだろうが、残念ながら子供達にとってはそんな事も不思議に思える事のひとつなのだ。
また他の学校では「もし今、目が見えるようになったらどうしますか。」というのもあった。一瞬、ギクッとしてとっさに「嬉しい」と応えようとした。しかし思い直して暫く考えた後、「今のままでいい。今の私で満足している。目が見えなくなったことが今の私を作ってくれた。」と応えてしまった。多少強がりに聞こえたかも知れないが、今の私の正直な気持なのだと思う。
いずれにしても私のつたない経験が、聞いてくれている皆さんに少しでも生きる勇気と感動、それに新しい発見、ができたなら最高の幸せである。
少し長くなるが、先日、県立寺泊高校で話した講演の要旨と、後日、担任のO先生からお送りいただいた生徒さんの感想文を、了解をいただいたうえで以下に掲載する
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(03年1月28日 ふう)
(別掲)
《講演の要旨》
盲導犬の話。オパールとの暮らし。盲導犬は移動の自由を与えてくれると同時に失いかけた勇気と自信を取り戻してくれるかけがえのない存在だ。
「失明」という事実は私に死に匹敵するほどの大きな失望を与えた事は間違いない。しかし同時に人生の大きな転機も与えてくれた。事実を直視し、自らの運命を受け入れることで人生や生き方が大きく変わってくるものと思う。
視覚障害と言うこと。それは肉体の機能をすべて失うことではなく、多少不便になったということでしかないと実感する。
マイナスに絶対的なマイナスなどはない。マイナスをプラスに変えることだってできるのだ。
差別には三つの差別がある。それは言葉による差別。制度による差別。そして最後は心の差別だ。
本当の差別は皆の心の中に潜んでいる。
世の中に不必要なものなどひとつもない。皆が何かしらひとつの役割を担って生きている。ネイティブアメリカンの言葉に次のようなものがある。
「この世に生まれてきたものすべてに使命があり、この世に生まれてきたものすべてに目的がある。」
これは自然界の成り行きであり、必然でもある。
決してあきらめないこと。そして夢を持って生き続けること。
《生徒の感想》
◎ 1年女子
私は身体障害者の人達を、心の中で差別していました。
けれど今日の藤田さんの話を聞いて、考えが変わりました。好きで障害を持っているわけではないんだから、馬鹿にしてはいけないし自分も突然不自由な体になってしまうこともあるのだから…。
それに、不自由だって、その人は精一杯頑張って自分のやりたいことにチャレンジしている。
目の不自由なひとにとって、犬はとても大切な役割をしていると思った。
私達の声で助けになるのなら、困っている人がいたら助けになってあげたいと思った。
本当に必要のないものはこの世にないことが分かりました。1人一人を大切にしていきたいです。
◎ 1年女子
講演会を聞いて思ったことは、「藤田さんは本当に目が見えないのか」ということです。
旅行に行ったり、マラソンをしたり、しかも大会にまで出場するなんて…。私にはそんなこと想像もつかなかった。「旅行なんかも一人で行ってしまうくらいすごい人だなあ」と思った。私も行った事がない北海道に一人でいってしまうなんて話の中で一番びっくりしたことです。
オパールを最初に見たとき思ったことは、「藤田さんの指示を聞いて偉いなあ」と思ったし、講演会のときも、ちゃんと講演会が終わるまで座って待っていたりと、私の犬とぜんぜん違っていた。
最後に質問があった「目の見えない人とどう接すればよいのか」について、藤田さんは「普通に付き合えばいい。いっしょに歩く時は左右どちらかの肘を少し出して歩く」「いすに座るときは、背もたれに触らせる」ということを話てくださいました。
約16年間生きた中で一番心に残る講演会になりました。
◎ 1年男子
今日の講演で、僕は、障害はマイナス要因だがそれが人生における全てでなく、それを克服すると初めてマイナス要因をプラスに変えることが出来るのだと。
でも克服といっても計り知れない努力をし、苦しんでできるものであり、藤田さんの強い人間性にも感動しました。
人生から光をうしなった気持ちは僕には分かりません。
ふざけ半分で目をつぶり、教室を歩くととても怖いものです。
藤田さんは「光を失って生活にも大きな障害にもなったし、精神的にも自分を哀れんでしまい苦しかった3年だったと言われました。
しかし人間の生き方に「これというものはない。失うこと、得ること、失って得ることなどたくさんのことがある」
そしてアメリカの先住民が「この世の中で、そして自然界で不必要なものなど無い」といっていると言う事を聞きました。
そして「夢をもて」ということも。僕も夢をもち、失ったものがあったとしても、そのマイナスをプラスに変える力をつけたいです。
今日の話は僕たちに大きなプラスになりました。
最後に藤田さんのさらなる活躍を心から望みます。
◎ 2年女子
今日の講演で、夢や目標を持てば必ず達成できると藤田さんから教えていただきました。
藤田さんは障害を抱えても生き生きしていました。それは障害があっても自分ができることをオパールとともに達成されたことだと思います。
私は目がみえます。目が見えるのに自分でどこに行く勇気も持てませんでした。
今日の藤田さんからのお話で、わたしも挑戦してみようと思います。
今日はとてもよいお話を聞けて光栄でした。ありがとうございました。
◎ 2年男子
藤田さんのことは長岡駅でみたことがあったので、また会えると思って今日はどきどきしていました。
障害を持っていてもあんなにたくましく生きていけるのだからすごいと思います。
中指と薬指のことをきいて、なるほどと関心しました。
障害者にはできないこともあるけど、できることもたくさんあると話してくださいました。
差別しないで普通に接するのが当たり前の世の中になってほしいです。
3年男子
今日、藤田さんの話を聞いて障害者のイメージが変わりました。
これまでは障害者は影でひっそり生活しているイメージでした。
藤田さんは市議会議員であり、障害をまったく苦にしていないように話してくださいました。
もし自分に目が見えなかったらきっと藤田さんのようにはなれなかったと思います。
目が見えないというハンデキャップに負けず、前向きに生きている藤田さんに感動いたしました。
あと、僕は犬はあまり好きでないけど、今日オパールを見て1時間一度もほえずじっとしていて関心しました。
今日、藤田さんの話がきけて本当によかったです。
3年女子
オパールはとてもおりこうで可愛かった。目が見えないことは大変だとおもっていたが、盲導犬や周りの人の助けで結構やっていけるんだと思った。
これからも元気な藤田さんでいてほしい。オパールと一緒に頑張ってください。
盲導犬のことをもっと調べてみようと思いました。
《担当O先生より》
4百字詰の原稿用紙のいろんなことをかいてくれました。
全部送りたいところですが、たくさんあって送れません。
申し訳ありません。大多数の生徒にとって、とても充実した時間をもてたようです。
ありがとうございました。
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