「市議は語る 藤田芳雄」 平成14年7月9日 長岡新聞より転載
私の元に、盲導犬のオパールが来たのは平成10年7月のこと。オパールが居てくれることで移動が自由になり、生きる希望や勇気がわいてきた。移動の自由はオパールの目を通して取り戻すことができた。そして社会や行政は自分の心の目を通して見つめていこうと思う。
障害者も社会を構成する一員である筈。障害を持った者が自ら政治に参加し、障害者が感じていることを行政に反映させようと思ったのがきっかけだ。周囲からの薦めもあって立候補し、考えてもみなかった3763票という多くの票を頂いた。トップ当選だった。その瞬間、、私は長岡市民の良心をあらためて信じることができた。
当選後、最初に手掛けたことは、市庁舎、市立劇場などの公共施設のバリアフリー化だった。当時は市庁舎内に点字誘導ブロックすらなかった。当選直後の6月議会で私は早速、公共施設のバリアフリー化を訴え一般質問を行った。
翌年、早速市庁舎には点字誘導ブロックが敷設され、階段には手すりがつけられ、音声誘導装置も導入された。
私が最も力を入れたのは市庁舎玄関脇の車いす用スロープに屋根を架けること。ある車椅子の方から「雨の日にはズブ濡れになる。」と言われたことがきっかけだった。そう言えば健常者用の階段には車寄せまでちゃんと屋根が付いているのに、傘も差せない車椅子用のスロープには屋根が無いのだ。どう考えてみてもおかしい。不完全なバリアフリーとも言える。庁舎前に待機しているタクシー運転手からは「雨の日は車椅子が可哀想だ」との声も聞いた。
これも早速翌年度の予算で工事費がつき、スロープ上に屋根が取り付けられることになった。しかしここからが面白いのだが、この工事に伴ってこれを延長し、一般駐車場に続く歩道にも屋根を付けることになった。一般外来者も雨の日に駐車場から庁舎まで濡れず行けると喜ばれた。期せずして私が常々訴えていた「障害者が暮らしやすい街づくりは誰にとっても暮らしやすい街になるはず。」となった訳だ。
長岡市の人口に占める高齢者の割合は既に全国平均を上回り、更に高齢化が進んでいる。これからの高齢者対策は街をバリアフリー化するというハード面と、健康な身体を維持し、また寝たきりにならないよう予防することなどのソフト面の両方が必要だ。看護や介護を受けずにすむように、日常の健康づくりが大切となる。そのためには高齢者や障害者にも手軽に使える、体育館やプールなどの
施設が必要であり、健康な体づくりを支援することに行政は力を入れるべきだ。
当然、それらの施設を造るためには、それなりの資金が必要となるが、その結果、健康の維持増進が図られ、健康保険や介護保険の支出が抑制されれば、財政面からだけでなく、健康管理の面からもより有効な手段となる。まさに一石二鳥と言ったところだ。
私は30歳代半ばに医師から将来の失明宣告を受け、生きる望みを失い精神的なドン底状態を味わった。しかしオパールが来てくれたことで移動の自由を再び得る事ができ、音声パソコンを手にした事で、新聞やメールなど情報収集の道が開けた。徐々に自信を取り戻すことができた。
一度自由を失った者には、一層その自由のありがたさを強く感じるものかも知れない。
私は自宅で鍼灸院を開業しているが、東洋医学では「未病を治す」と言う言葉がある。
健康維持と言う面でも、失ってからでは、それを取り戻すには時間がかかる。今の健康をいかにしたら維持できるかが大切だ。
私は失明してからマラソンを始めた。一九九二年のホノルルマラソンを皮切りに今年の長野マラ
ソンまで、フルマラソンを五回完走した。走っている間は苦しさから、「いつ止めて歩いてしまおうか。マラソンなんてもうやめよう」などと思いながら走っているのだが、ゴールと共に充実感でそんな事は一遍に吹き飛んでしまう。そんな繰り返しで今もまだ走り続けている。
障害を持つ子供たちと、持たない子供たちが一緒に学んだ方が、お互いに精神形成において良いという研究結果も出ている。統合教育の必要性を強く感じている。
行政には保護や措置ではなく、障害者自身の自立を促す施策が求められている。
DPI(障害者インターナショナル)世界会議札幌大会が今年の十月に開かれる。世界中から108カ国、2500人のあらゆる障害者が集まる予定になっているので、私も参加をして多くの障害を持った方々と交流し、世界の福祉の現状に触れることを今から楽しみにしている。(文責 高井)
藤田芳雄(ふじた・よしお)。昭和23年4月15日生まれ。平成11年初当選、1期目。
文教社会委員会副委員長。克雪防災対策特別委員会委員。
(本文の一部を加筆訂正しました)
(ふう)
(2002-12-19)
|