今、動物愛護週間である。この前の土曜日の午後、その一環としてハイブ長岡で動物愛護フェスティバルが催された。私も招かれて出席。市長以下、県会議員から市会議員までが、ズラリと並んだ会場には、ペットを連れたたくさんの家族連れなどが参加。犬や猫、そして小鳥まで、長寿の表彰など、たくさんの催しが行われていた。 私も盲導犬のオパールと共に、警察犬やボランティア犬(アニマルセラピーなどが目的)などに混じって盲導犬の働きや、間もなく10月1日から施行される障害者補助犬法などを短い時間で紹介する。 たくさんの動物に囲まれて、少々疲れを感じてヤレヤレと言った感じで帰宅。オパールの足を綺麗に拭いて家に上がり、落ち着いてからフト考えた。動物愛護って一体何なんだろう。 私はオパールに普段、愛護すると言うより愛護されている人間。偉そうに愛護などと言えた義理ではない。 それに本当の意味の動物愛護って、あの会場にいた幸せそのものとも言えるペット達の問題ではないのではないか。 森林伐採で既にジャングルは砂漠化し、住みかを追われた野生動物たちの群。環境ホルモンなどで絶滅の危機に瀕している何100種類にも及ぶ動物達。無造作に棄てられたペットボトルやビニール袋を飲み込んで、窒息や栄養失調で死んでゆく鳥たち。化学物質の汚染で汚れた川に棲む背骨が曲がった魚の群。開発によって山野を追われ、食物を探しに野に出ては猟銃で狙われる獣たち。ETC 動物愛護協会の役員をしていながら、シーズンを待ちかねたように鉄砲を担ぎ、猟犬を伴って山や川に出かけて行く市会議員も何人かいる。常識を疑われても仕方がない。 動物愛護を言うなら、環境の保全を抜きには既に考えられない。環境問題の解決こそ動物愛護なのだろう。動物たちが発している環境の注意信号こそ、我々人間への警告だ。 別にペットを可愛がるなとは言わないが、ペットたちの愛護など今更あらためて言うまでもない。自分の家のペットを可愛がるのは大いに結構だが、排泄や無駄吠えをさせない訓練こそ、大切な動物愛護でもある。きちんとした訓練やしつけもせずに、近所に迷惑をかける行為を見過ごしたり、逆に失敗を叱ってばかりいては、例え自分の飼い犬であってもそれこそ動物虐待である。 訓練された盲導犬のオパールと昼寝をしながら、あれこれ考えた動物愛護週間だった。 こんな事を言っているから、来年はきっと動物愛護フェスティバルにはお招きいただけないだろう。 (ふう) (2002-09-22) |