折々の記へ

折々の記 2005 A

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】04/27〜        【 02 】05/01〜
【 03 】05/08〜        【 04 】05/22〜
【 05 】05/28〜        【 06 】06/20〜
【 07 】06/29〜        【 08 】07/15〜
【 09 】08/03〜        【 10 】08/10〜


【 2 】05/01〜

  05 01 おかしな労働基準監督署
  05 03 若葉
  05 03 治安立法の極秘文書
  05 04 池の平の涼羽
  05 05 佐久のバルーン

05 01(日) おかしな労働基準監督署

以前からそう思っていたのだが、真似ごとの法治システムには「ザル法」が多くこの「労働基準監督署」は有名無実である。

今日はメーデーで労働者はしきたり通りに各地で気勢を上げた。調べてみるとメーデーというのは「1日の労働時間を8時間に」なったその記念の祝日なのだが、1日8時間労働とはまっかなウソになっており、監督官庁は実態を知りながら旧来のしきたりに準じている。


メーデー
1886年(明治19年)の5月1日、アメリカのシカゴで労働者が「とストライキを起こし、その3年後の5月1日にパリに集まった世界中の労働者の代表がこの日を労働者の祝日とした。
(日本では1920年(大正9年)から行われている)


どうしてこうも法律が遵守されないのだろうか。法治国家といいながら実は個人の人権が全体の運用のために無視されており、法律はまっかなウソとして存在しているのである。

何故こうも厳しく言うかといえば、家庭崩壊につながる要素が多分にあるからなのである。

この理由を耳にする人は、‘家ではそんな心配は無用である’と義理にも言わなくてはならない羽目になることはわかる。

だが、国民一人一人の生活を守るために法律があるのに、自らそれを否定するように、悪弊側の肩を持つのである。おかしな空気になっている。

権利の主張を法律が保障しない、これが悪習の元になっている。責任者は労働基準監督官である。

一つの企業体の中で8時間労働を主張し、不当な超過勤務に加わらない場合などには、企業人事に於いて海外勤務を命じたり、部署転換を命じたりするのである。………こんな企業発展を目指した人事が黙認されていいのだろうか。

法律の狙いはそんなことを否定するだろうが、私が槍玉に挙げている労働基準監督官は、知っていても見て見ぬふりをしていると言わざるを得ない。

参考になるデータ

  http://www.roudou-trouble-kaiketu.net/ <労働基準法>

  http://www.roudou-trouble-kaiketu.net/ <労働基準法……第4章 労働時間、休憩、休日及び年次有給休暇>

  http://www.roudou-trouble-kaiketu.net/ <労働問題解決ネットワーク>

05 03(火) 若葉

「若葉」(わかば)http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html は 松永みやお作詞・平岡均之作曲/初等科音楽(二)昭17.2 の歌である。

風薫る五月そのままのイメージの歌に感ずる。年配の人なら誰しも耳にしている歌なのである。

若葉

1 あざやかな みどりよ 明るい みどりよ
  とりいをつつみ わらやをかくし
  かおるかおる 若葉がかおる

2 さわやかな みどりよ ゆたかな みどりよ
  田畑(たはた)をうめず 野山をおおい
  そよぐそよぐ 若葉がそよぐ

寒かった四月の陽気とはうって変わって、日に日に山肌を覆う緑は色が増している。

歳をとってからはよけいに四季の変化を目にして妙に感動するようになっている。

05 03(火) 治安立法の極秘文書

「施行から58年の憲法記念日となる3日、各地で護憲、改憲両派の集会が開かれた」として、仙台の河北新報は次のように報じている。


「戦争への道」と護憲派 改憲派は「歴史的改正へ」

 施行から58年の憲法記念日となる3日、各地で護憲、改憲両派の集会が開かれた。衆参両院の憲法調査会が4月に最終報告書をまとめ、憲法改正をめぐる議論が高まる中、護憲派は「9条改正は戦争への道」と批判し、改憲派は「歴史的な憲法改正がいよいよ始まる」と訴えた。

 護憲派の市民団体は、東京都千代田区の日比谷公会堂で「5・3憲法集会」を開催し、約5000人が参加。主催団体の一つである「『憲法』を愛する女性ネット」の山口菊子さんが「憲法調査会や自民党は、9条を変えて戦争への道を切り開こうとしている。無関心な人や『戦争は遠い国のこと』と思っている人も巻き込んで、憲法を守ろう」とあいさつした。

 愛知大の小林武教授は「憲法改正の目的は、日本が海外で戦争ができるようにすること。政府は憲法を嫌悪し『機会があれば変えよう』と思ってきたが、それができないのでこれまで解釈を変えることで対応してきた。改正は国民のためを思ってしようとしているわけではない」と説明した。


3日の信濃毎日新聞には、治安立法の極秘文書発見という記事が出ていた。


治安立法の極秘文書発見

 太平洋戦争開戦直後に成立した「言論・出版・集会・結社等臨時取締法」の立案から施行までの詳細が分かる内務省の一連の極秘文書が2日までに、米公文書館で保管する文書の中からまとまって見つかった。極東国際軍事裁判(東京裁判)での戦犯追及のため国際検察局(IPS)が戦後、占領下の日本で押収していた。

 戦時治安立法の制定過程を知る上で貴重な史料。特に法の運用に当たる現場の警察官への逐条解説文書には、漠然とした条文に隠された言論封殺の意図が生々しく記されていた。

 米公文書館が保管するIPS文書の中から立教大学の粟屋憲太郎教授が発見。今回の史料は同教授によれば、東京裁判には証拠として提出されずに終わったという。

………………………(後略)………………………


2005年05月03日火曜日


同じ3日の信濃毎日新聞には、慶応大名誉教授内山秀夫‘歴史が教える平和への道筋’が載っている。

近代史専攻の教授の話は理路整然としていてマクロの見方をしており、すっきりしていてわかりやすいものであった。

大事な考え方だからFTPにアップロードし、これも載せておくのでジャンプして読むと良い。。


    <軍事は安全調達させない>


“過ちはくりかえしません”と広島の礎石に刻んだ誓いは、どうなっているのか。‘喉もと過ぎれば熱さを忘れる’という程度の誓いであってはならない。戦争は一切の破壊であり生命の破壊であり、自己否定の論理に直結していることを忘れてはならない。

やがい憲法改正の国民投票がくる。愛子様の皇位継承と一緒くたにするような投票方法はとらないと思うが、そんな狡猾な考え方は断じて許してはならない。


05 04(水) 池の平の涼羽

3日に小諸へ出かけた。夕食には心のこもった家庭料理をご馳走になった。

4日は湯の丸から池の平へ出かけた。高峰高原から湯の丸へ行ったことがあったのに池の平はなにも知らずに通ってしまった。

池の平の涼羽

 なるほど人が軽いピクニックに行くのに格好な場所である。説明板を読んでみると、噴火口の跡であるというとおりの景観で素晴らしいところであった。









案内説明板

池の平はこんな湿原

 上信越高原国立公園の南、浅間山系にある池の平湿原は三方ヶ峰旧火口にできた高層湿原です。  何万年も前に噴火した火口が、きびしい気象条件のもとで(長い時間をかけて)できた貴重な自然の庭園です。  ほぼ 2000m の標高ながら、3000m級の高山帯でしか育たない植物がたくさん見られます。また、現在、湿原は乾燥化がすすんでいます。人の手では決して造ることができないこの自然を、次の世代に残すために優しくいたわって見てください。


この説明版には真ん中に全体の略図があり、上記の概略解説とともに、次の項目で細かい案内をしてくれる。
 A…岩場の高山植物
 B…斜面のカラマツ
 C…湿原の林緑
 D…三方ヶ峰の荒原(風衝地)
 E…西側山稜の植物
 F…湿原の池のまわり(池塘)
 G…外輪山の尾根(稜線)
池の平湿原については検索で調べてみると次のようなページで解説や写真を見ることができる。

http://homepage3.nifty.com/nostalgia_html/ikeno.html<湯の丸高原・池の平湿原>
http://www.un-nice.co.jp/~book/trek/13karu_ikenotaira.html<高峰高原・池の平湿原>
http://kazeno.info/karuizawa/2-asama/ikeno/ikenotaira/ikenotaira.htm<池の平湿原(池ノ平湿原)高峰高原>
http://nekokumado.at.infoseek.co.jp/ikenotaira-shitsugen_index.html<竜胆の花咲く 池の平湿原>
http://wako.cool.ne.jp/oriorinohaha/ikenodaira/ikenodaira.htm<池の平湿原>
http://www.toyo-keiki.co.jp/shinshu/shinshu_050.htm<「湯の丸高原」「池の平湿原」の花々>

三方ヶ峰の眺望は、(黄塵万丈は大袈裟だが)霞がかかった佐久平を一望することができた。
涼羽は三方ヶ峰まで歩いていったので帰りには疲れ、真弓さんのおんぶは大変だった。

昼食は東部町のおいしい蕎麦屋さんへ行った。欅(楠かな)の大木に囲まれた閑静なお店で東京からこちらへ来たということである。

夕食は同じく東部町(合併によって東御市になっている)でイワシのお膳をご馳走になった。

涼羽は満三歳になって家で家庭教育をすすめていた。漢字カードをフラッシュしてみたら習ったカードはぐんぐん読んでのけた。爺やが身振り手振りで遊んだり、寝ない子を食べるお化けになって遊んだりしたが、あんまりウスッペラ調子の振る舞いは良くなかったかなと反省した。

この子がすてきに成長することを念願している。

05 05(木) 佐久のバルーン

4日の朝食後千曲川上流の佐久平に気球がいくつも揚がっているのが見えた。5日は朝食のおむすびを作って見に行った。

第13回大会(10万都市誕生記念)佐久バルーンフェスティバル2005 が行なわれていた。3日から5日まで県道78号線佐久橋のたもとの河川敷に「千曲川スポーツ交流広場」があってそこがフェスティバル会場であった。

佐久のバルーンフェスティバル

 子供の想像力はものすごいし、ヱネルギーに満ちている。

 こんなに大きい、といって手を広げて伸ばしていたが、河川敷の交流広場で大きくなった気球を見ると、声を飲んでじっとみつめていた。

 強烈な印象が孫の脳裏を駆け巡っていたに違いない。





調べてみると、 <佐久バルーンフェスティバル>の解説には次のような一連の記事が載っていた。


第1戦: 渡良瀬バルーンレース2005
栃木県藤岡町渡良瀬運動公園 4月8日(金)〜10日(日)

第2戦: 佐久バルーンフェスティバル2005
長野県佐久市千曲川スポーツ交流広場 5月3日(火・祝)〜5日(木・祝)

第3戦: 鈴鹿バルーンフェスティバル2005
三重県鈴鹿市鈴鹿サーキット/鈴鹿川河川敷 9月17日(土)〜19日(月・祝)

第4戦: 2005 佐賀インターナショナルバルーンフェスタ
佐賀県佐賀市嘉瀬川河川敷 11月2日(水)〜6日(日)

第5戦: 2005 MOTEGI熱気球インターナショナルチャンピオンシップ
栃木県茂木町ツインリンクもてぎとその周辺(茨城・栃木県内に設定予定)
11月23日(水・祝)〜27日(日)

 シリーズチャンピオンが決定する最終戦。栃木・茨城両県にまたがる広大なフライトエリア内で競技と離着陸が行われるMOTEGI大会は、日本の大会には珍しく山が連なる地形を含み、より高度な飛行技術が必要とされる。加えて、広さを活かした長距離飛行競技も可能なため、まさに世界のトップが競うのにふさわしい大会といえる。メイン会場であるツインリンクもてぎは、モータースポーツを中心とした大型スポーツレクリエーション施設もあり、本格的なカートレースなどが気軽に楽しめる。来年開催となる熱気球世界選手権のプレ大会としても注目です。


今日は在所の兄の78才の誕生日であった。歳はどんどんと積み重なっていく。朱熹の「偶成」“既秋聲”は他人ごとではなく歳月人を待たずの感をしみじみと思う。


【折々の記 2005 Aへ】