2005/5/3 信濃毎日新聞より
軍事は安全調達させない
歴史が教える平和への道筋


不戦条約

「締約国は、国際紛争解決のため、戦争に訴えることを非とし、かつその相互関係において、国家の政策の手段としての戦争を放棄することを、その各自の人民の名において厳粛に宣言す」(第一条)

「締約国は、相互間に起こる一切の紛争または紛議は、その性質または起因の如何を問わず平和的手段による以外、これが処理または解決を求めないことを約す」(第二条)



昭和四(1929)年、つまり、七十六年まえ、上の(右の)二か条を主たる内容とする条約が成立し、日本も署名した。

私たちはそれを不戦条約

  (下平付加)       クリックして是非とも読んでおきたいもの
  「不戦条約」
  (パリ)「不戦条約」

とよび、あるいはそれを提案し、それを提唱した二人の人物をとらえて「ケロッグ=ブリアン協定」とよんだ。前者は米国国務長官、後者はフランスの首相・外相経験者である。

先日、衆院のそれに続いて参院憲法調査会の最終報告書が提出され、それぞれの内容について報道された。

参院の報告書によると、五党が一致した意見としての「共通認識」は三十三項目だが、その多くは現行憲法の維持、または改憲の必要性のないものだった。

もっとも注目されていた九条について、集団的自衛権の行使は、「認める立場でも、憲法明記か、憲法解釈により可能かの意見対立があった」とした。

憲法を勝手に解釈して強大な軍隊をつくり、外国とくに米国の要求のままにそれを動かし、非核三原則や武器禁輸もたてまえ化している状況を、国民がぎりぎりのところで危ないと思っている結果、改憲無用とでたのだろう。だが、決して安心はできない。

安心できないのは、「戦争は避けられない」とする考え方がはびこっているからである。

前防衛庁長官の石波茂氏は、
「安全保障に携わる人間(政治家)というのは、心配して、心配して、心配して、それで何事もなかった、そういうことでいいのです。楽観して、楽観して、楽観して、何かあったときには責任をとらない、そういう人もいると思います」(『国防』新潮社刊)
と、きっぱり書いている。

武力抗争に際して、私たちは責任のとりようもなく、その上、大量殺戮兵器によって殺される可能性もあるのにである。

政治家ですらどう責任をとってよいか分からなかったのが第一次世界大戦だった。だから、第一次世界大戦での戦禍に脅えた人間たちは懸命に国際協調に走ったのだ。


国際連盟、ワシントン海軍軍縮条約、中国をめぐる紛争防止のための九カ国条約、太平洋地域における各国の領土・権益をめぐる四カ国条約、ヨーロッパの安全保障を目的としたロカルノ条約、

  (下平付加)    URLは参照の為-検索から自分でシャンプして詳しくは調べてみて
  国際連盟
    http://ww1.m78.com/topix-2/league%20of%20nations.html
    http://www.tabiken.com/history/doc/G/G181L100.HTM
  ワシントン海軍軍縮条約
    http://kahuetaisyourouman.hp.infoseek.co.jp/88.html
    http://www.tabiken.com/history/doc/T/T351R100.HTM
  中国をめぐる紛争防止のための九カ国条約
    http://www.tabiken.com/history/doc/E/E232C100.HTM
  太平洋地域における各国の領土・権益をめぐる四カ国条約
    http://www.tabiken.com/history/doc/H/H241R100.HTM
  ヨーロッパの安全保障を目的としたロカルノ条約
    http://www.tabiken.com/history/doc/T/T254C100.HTM

等をつないでゆけば、政治が、戦争から安全保障へ、そして平和へと大きく転換してゆく道筋が明らかになる。

この道筋に太く強く打ち込まれた道標が、冒頭に書き出した不戦条約だった。


この条約の全文は、「人類の福祉を増進すべきその厳粛なる責務を強く感銘し」で始まる。その締約国は六十三ヶ国に及んだ。

私が言いたいのは、私たちの憲法上の立場、あるいは日本は、世界史上に明記され、人類史的に確認された居場所なのだ、ということである。

ある人は「軍事はリアリズムだ」と言いつのる。だが、軍事はついに人間に安全・幸福を調達させなかったのが現実だった。

私たち日本人は、この世界史、人類史を脈々と受け継いでゆく使命を、今こそ自らに刻印すべきではないのか。
(内山秀夫 慶応大名誉教授)

以上