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折々の記 2005 @

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】01/01〜        【 02 】01/02〜
【 03 】01/05〜        【 04 】01/09〜
【 05 】01/14〜        【 06 】01/24〜
【 07 】03/28〜        【 08 】03/30〜
【 09 】04/15〜        【 10 】04/22〜


【 4 】01/09〜

  01 09 日の出入●天気予報
  01 10 はなごよみ
  01 12 小六には面白いが難問●英語●数学●和算
  01 13 津波と先覚者●浜口梧陵●「稲むらの火」

 01 09(日) 日の出入

誰しもお気に入り欄に利用したいURLを登録している。

暦についても同じことなのだが、私は次のページを登録している。

  こよみのページ<http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/doc/old_0010.htm>

このページを開いてみると訪問回数が800万近くであることがわかるが、それだけになかなか充実している。折々に私は利用している。

最初のページに「日の出入」というボタンがあるので、クリックしてみると、長野県諏訪地方の「日の出入」も表示してくれる。なぜ諏訪かというと、今日現在の諏訪の「日の出」時刻は東京より7分遅いのである。

喬木村役場の東経は137度52分38秒3で、諏訪地方(諏訪市役所)は138度06分56秒8だから、その経度差は14分18秒5である。

時計時刻計算をしてみると、その差は1.16分≒約1分10秒の違いだけである。

そこで諏訪地方の「日の出入」時刻を調べると、次のように出ている。

【日没が早い日】この冬では12月4日から12月7日までであった。

  月  日・・    日  出・・   日  入・・
  12/03    06:41    16:34  
  12/04    06:42    16:33  
  12/05    06:42    16:33  
  12/06    06:43    16:33  
  12/07    06:44    16:33  
  12/08    06:45    16:34  


【日出が遅い日】この冬では1月1日から1月12日までである。

  月  日・・    日  出・・   日  入・・
  12/31    06:57    16:44  
  01/01    06:58    16:44  
  01/02    06:58    16:45  
  01/03    06:58    16:46  
  01/04    06:58    16:47  
  01/05    06:58    16:48  
  01/06    06:58    16:48  
  01/07    06:58    16:49  
  01/08    06:58    16:50  
  01/09    06:58    16:51  
  01/10    06:58    16:52  
  01/11    06:58    16:53  
  01/12    06:58    16:54  
  01/13    06:57    16:55  


「こよみのページ」というURLは関連事項へのジャンプも沢山あって、まことに都合がよい。

●ついでに天気予報では次の二つを参考に見ている。

  【気象庁天気予報 長野地方】<http://www.jma.go.jp/JMA_HP/jp/yoho/20.html>

  【Yahoo!天気情報 トップ > 関東・信越 > 長野県 > 南部(飯田) > 喬木村】 <http://weather.yahoo.co.jp/weather/jp/20/4830/20415.html>

日本列島には寒気が南下してきて、裏日本は全般に降雪の予報が出ており、飯田地方は山沿いの雪で風が冷たく外の仕事には不向きな天候である。

 01 10(月) 花暦 はなごよみ

今朝は凍みて−5度になっている。

日本の花暦は、中国(清の時代)に作られた花暦が江戸時代に渡来し、これにならって日本の風土にあうように作り直したそうです。俳句の歳時記にも取り入れられています。

「こよみのページ」から

【季節のページ】<http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/doc/old_0010.htm>

へジャンプし、「花暦」を開いてみると、今月の花は「福寿草」になっている。

家の福寿草はまだ外に出したままなので、芽も蕾も土の上に顔を出していない。

 花暦(中国・日本)
 中国 日本(江戸)  日本(現在1)  日本(現在2) 
 睦月 梅 松 梅 福寿草
 如月 桃 梅 椿 水仙
 弥生 牡丹 桜 桃 菜の花
 卯月 桜 藤 桜 チューリップ
 皐月 木蓮 菖蒲 藤 カーネーション…
 水無月 柘榴 牡丹 紫陽花 花菖蒲
 文月 睡蓮 萩 山梔子 百合
 葉月 梨 薄 百日紅 朝顔
 長月 葵 菊 萩 彼岸花
 神無月… 菊 紅葉 木犀 秋桜
 霜月 山梔子… 柳 山茶花 菊
 師走 芥子 桐 枇杷 石蕗


上記のテーブルには写真が載っており、先日中村紙店で購入したフルカラー多機能紙「FCドリーム」へ印刷してみると、綺麗にプリントできた。

今年はデジカメで「はなごよみ」を撮ってみようと思う。

 01 12(水) 小六には面白いが難問

四月から孫の友美が中学生になる。

祖父としては英語や数学をパソコンでも勉強できることをねがって学習のサイトを見つけていた。見つけたのは結局は Google 索引の結果であった。

「算数道場」というURLには、目に鮮やかな図形が載っていて、小六の問題としてあった。


第206回の問題

出題期間 2005年1月1日〜1月20日
出題範囲 小学校6年生2学期程度
難易度 B(普通)
(面積比)

 下の図のような角Bが直角で、ABが20cm、BCが24cmの直角三角形ABCがあります。辺上の点、D,E,F,G及びH,I,J,Kは、辺AB,BCをそれぞれ5等分する点です。
 このとき、下の図の色をつけた部分の面積の和は何平方センチメートルですか。

   △の頂点Aから下へ、A,D,E,F,G,B の記号をつけ、
   ∠R Bから右へ、  B,H,I,J,K,C の記号をつけ、
   △の頂点Aから Hへ、L,M,N の記号をつけ、
   △の頂点Aから Iへ、O,P の記号をつけ、
   △の頂点Aから Jへ、Q の記号をつける。
 



この問題は小学校6年生2学期程度、難易度 B(普通)としてあるが、普通の中学生でも難解な出題のように思う。


【解答】……多分間違いはないだろう。

    S=〔(△ABC)−(△AKC)−(□AFMO=□EFMO+△AEO)〕/2
    S=〔(20*24/2)−(20*24/5/2)−(12*24/5*2/2/9*2)
      -(4*24/5/2)〕/2
    S=〔(240)-(48)-(12.8)-(9.6)〕/2
    S=84.8(赤色の部分の面積は84.8平方センチメートル)

(12*24/5*2/2/9*2)の証明】

△ADOは△AFIと相似し相似比は1:3であり、面積比は1:9となる。なお、△ADOと△DEOはDOを共通の底辺とし面積は等しく、(12*24/5*2/2/9*2)が成立する。

(4*24/5/2)の証明】

□EFMOはEMを共通の底辺とする△EFMと△EMOWで面積は等しい。それゆえ、□EFMOの面積はは△GBHの面積に等しく、(4*24/5/2)が成立する。


友美にはどんなURLがいいのか、調べているときりがない。順序は考えてないから、時間をかけて選別しておきたい。具体的に調べていって役に立つものを幾つか選び出すようにすればよい。

次のものが参考になりそうである。

●【中学英語学習

  http://www.i-chubu.ne.jp/~c846ra/junior.html
  Junior English (usefull☆☆☆)

  http://www.tos-land.net/ctgsrc.php?myname=1150
  カテゴリー検索のページ (指導者用 interesting☆☆☆)

  http://www.egao21.com/01/
  中学英語がゼロからよくわかる本(親切☆☆☆)

  http://www.google.com/search?hl=ja&q
 =%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E3%80%80%E4%B8%AD%E5%AD%A6&lr=

  Google 検索ー英語(英語学習サイトの検索☆☆☆)

  http://www.geocities.co.jp/HeartLand/2498/index.html
  中学生の学習・英語と数学(親切☆☆☆)

  http://www.core.tdk.co.jp/ps/shohin/shohin.htm
  中学英語教科書完全準拠(高価だが参考にしてもいいかも)

  http://curb.hp.infoseek.co.jp/
  速読基礎演習・上級英文法・中学英文法(親切☆☆☆ダウンロードできる)

●【中学数学学習

  http://www.geisya.or.jp/~mwm48961/math/index_m.htm
  中学数学の基本問題(usefull☆☆☆)

  http://www.wcsnet.or.jp/~miyaguti/index.html
  Mathematical Trip(数学小旅行☆☆☆)

  http://dir.yahoo.co.jp/Science/Mathematics/Education/
  Yahoo!掲示板(数学サイトの検索☆☆☆)

  http://www.hokuriku.ne.jp/fukiyo/math.html
  12さんすう34数学5 Go!(数学落穂広い☆☆)

  http://www.mathcomics.com/
  mathcomics(数学落穂広い☆☆)

  http://www.nikonet.or.jp/spring/index.htm
  数学のいずみ(高校数学☆)

  http://www10.plala.or.jp/mathcontest/
  日本数学コンクールの広場(過去の問題☆)

  http://www2.gol.com/users/nekopapa/
  ねこばばクラブ(過去の問題☆)

  http://homepage3.nifty.com/~plato/
  算数道場(設問サイト☆)

  http://www.sansu.org/
  算数にチャレンジ(設問サイト☆)

  http://www5f.biglobe.ne.jp/~roro1/sansu.htm
  ろろのお遊びページ(設問サイト☆)

●【和算】

上記URLとは別なのだが、

  http://www.wasan.jp/
  和算の館

が載っている。数学をやっていれば、和算についても知っておくのもよい。

県別に掲額してある神社など出ており、長野県には割りに多くのっている。最初の「一色神社」を開いてみると判るのだが、解説が出ていない。

解説を手に入れるには次の本を探さなくてはならない。

  増補長野県の算額 [赤羽千鶴他著] 教育書館 1998
  信濃の和算 [赤羽千鶴著] 信濃教育会出版部 1978
  新長野の算額 [赤羽千鶴他編] 自家版 1985

長野県で出ているところは次の寺社である。

一色神社       松巌寺
葛山落合神社1     葛山落合神社2
筑摩神社       長谷観音
天幕社        熊野神社
永福寺        諏訪大社下社
諏訪大社上社     善光寺1
善光寺2        田上観音堂1
田上観音堂2      鳥出神社1
鳥出神社2       水穂神社1
水穂神社2       天然寺
長命寺        北向観音堂
和算家ゆかりの地

 01 13(木) 津波と先覚者

津波といえば、昔の小学校では稲を燃やして村民に警告した故事が耳に残っていた。

昨夜NHKで放映したので調べてみると、出ている。

http://www.google.com/search?hl=ja&q=%E6%B5%9C%E5%
 8F%A3%E6%A2%A7%E9%99%B5&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

 「Google 濱口梧陵」で検索

検索結果の第一ページには次のURLが出ており、関係件数は200件にも及んでいる。

  広川町が産んだ世界的偉人、浜口梧陵伝
  安政の津波時の浜口梧陵手記
  濱口梧陵、儀兵衛、稲むらの火、津波対策 ...
  稲むらの火 -人物紹介-
  地 域
  紀伊民報AGARA
  独り言17 浜口梧陵
  稲村の火
  授業実践事例・アイデア集

●「広川町が産んだ世界的偉人、浜口梧陵伝」には次のように紹介している。


浜口梧陵は文政3年6月(1820年)に、紀州藩(現和歌山県)の広村(現有田郡広川町)に、浜口七右衛門の長子として生まれた。しかし父は一年後死去、母親しんの手によって育てられ、名は成則、字は公輿、通称儀兵衛と呼ばれ、梧陵は号である。

  彼は幼いときより、温厚な人物であり、また聡明で物事を深く考え、洞察力に富んだ人物であった。
  彼が成長した時代は幕末の激動期であり、日本の将来に対して、不安と期待の入り交じった多難なときであった。
  彼は、日本の将来を見据え、鎖国攘夷論者を批判し、「世界の現状は門戸開放主義である。もし人が遠方より訪れるなら、迎えて交わるのは普通の礼儀である。しかるにその容貌を見ず、その来意をも確かめず、ただこれを拒絶するのは、あたかも臆病な犬が見慣れぬ人の影を見て遠吠えするようなものである。」と語った。
  そのように進取の気性に富んだ梧陵は、30歳の時、海外への渡航を幕府に願い出ているが、時まだ至らず、断念している。

  当時、外国の侵略に備え、武器などを購入し、人々を組織する試みがなされていたが、梧陵は、「武備がいかに厳重でも、人の心が一致していないならば、何の効果があろうか」と語り、「目下の急務は、学校を興し、文武を励まし、人材を養成することである」と述べた。

  そして、浜口東江、岩崎明岳らと相図り、広田町に道場を設け、子弟の教育にあたる。後の慶応2年(1866年)に、新たな場所に道場を新築し、耐久中学(高校)の前身、耐久社を設立し、ここに本格的な学校を創立する。
  彼は人材を養成することの大切さを知っていただけではなく、それをまさに実践したのである。彼はまた、郷土の人材育成だけではなく、広く人材を育成し、学問の道を望みながらも、貧しき者たちのために、学資を融通している。その中には勝海舟も含まれていた。

  彼は明治2年(1868年)に和歌山藩小参事に任ぜられ、大広間席学習知事に任命される。彼は西洋の文物を研究する必要を感じ、英語学校を設立しようとして、福沢諭吉に教授を依頼する。しかし福沢諭吉には断られたが、イギリス人サンドロスや、通訳山内堤雲、吉川泰次郎、有名な英学者松山棟庵らを招いて、共立学舎を設立する。

  広の町は、浜が湾曲していることから、昔から津波の被害の受けやすい土地であった。
  安政元年11月5日(1854年)夕刻大津波が広の地を襲った。そのとき、梧陵はすすき(籾を取り除いた後のわらの堆積物)に火を放ち、多くの人命を救ったという。これは後に小泉八雲によって、「生ける神」として世界的に知られるようになった。また後にこれをもとにして、「稲むらの火」として教科書に掲載され、有名になった。

  しかし梧陵の偉大さはそのようなエピソードで表せるものではない。阪神大震災でもそうであるが、被災した後、再び元の生活にどのように戻していくかと言うことの方が大変である。

  彼はまず食糧を確保するために、備蓄米を出し、地元の有志もまた食料を援助し、260俵、銀840貫を得たことが記録に記されている。さらに彼は小屋を建てて、被災した人々のために住まいを備え、農具を鍛冶屋に命じて多く作らせ、生産手段を確保した。また自ら住居を建てたものには、普請料(建設補助金)を与え、漁師のためには、漁船、漁網などを与え、再びもとの生業ができるようにされた。

   梧陵の優れた人格と、博愛精神をかいま見ることができる。しかしながら、広の地は幾たびもの津波によって、甚大な被害を被ってきた。ある人々は広の地には住めないと感じ、別の土地へ移住していった。梧陵は広の土地を津波から守るため、また職を失った人々のために、堤防を築くという、当時としては大変な大工事を起こした。しかもその資金は浜口の両家から出すという、壮挙であった。安政2年(1855年)に起工し、足かけ4年目の安政5年(1858年)に完成した。さらに彼は、借家を建設し、極貧の者には無料で貸与し、農商業者には極めて低利で資本を貸した。

  広橋も破損したので、その橋も自費で修復した。彼が出費した総額は実に4665両に上ると言われる。村民が彼を尊崇し、浜口大明神として祭り上げようとしたが、彼は堅く固辞した。このような業績により、小泉八雲によって「生ける神」と評されたことも当然であろう。まさに人々のために自らを費やした、真の政治家である。

  彼は明治元年和歌山藩勘定奉行を命じられる。明治13年(1880年)には和歌山県初代県会議長に就任している。明治17年(1884年)海外の視察の情止み難く、65歳の高齢を押して、アメリカに旅立った。しかし翌年の明治18年2月(1885年)アメリカにて発病し、帰らぬ人となった。

  今日、自らの利益を優先させる世にあって、梧陵の生き方はまさに偉大である。教育の危機が叫ばれているが、その根本原因は、自らの利益が第一になっている点が上げられるであろう。梧陵のように、他の人々のために自らを費やすことの価値を、今一度私達は認識すべきではないだろうか。


●忘れていた話は「稲むらの火」というものであった。挿絵は載らないが、全文を載せておく。



 小泉八雲の名作、「生ける神」をもとにして、教科書用テキストと
 して作られたのが、この名作「稲むらの火」である。子供達にとっ
 て、やや難しい表現が見られるものの、五兵衛つまり浜口梧陵の
 崇高な生き方を教えている点で、非常に優れた教科書用テキスト
 である。津波襲来の実録は梧陵の手記をご覧いただきたい。……


稲むらの火    

 「これはただ事ではない。」
とつぶやきながら五兵衛は家から出てきた。今の地震は別に烈(はげ)しいという程のものではなかった。しかし長いゆったりとしたゆれ方と、うなるような地鳴りとは、老いた五兵衛に、今まで経験したことのない不気味なものであった。五兵衛は、自分の庭から、心配げに下の村を見下ろした。村では、豊年を祝うよい祭りの支度に心を取られて、さっきの地震には一向気がつかないもののようである。

 村から海へ移した五兵衛の目は、忽(たちま)ちそこに吸い付けられてしまった。風とは反対に波が沖へ沖へと動いて、見る見る海岸には、広い砂原や黒い岩底が現れて来た。
 「大変だ、津波がやって来るに違いない。」と、五兵衛は思った。このままにしておいたら四百の命が、村もろ共一のみにやられてしまう。もう一刻も猶予(ゆうよ)はできない。
 「よし。」
と叫んで、家にかけ込んだ五兵衛は、大きな松明(たいまつ)を以て飛び出してきた。そこには取り入れるばかりになっているたくさんの稲束が積んである。
 「もったいないが、これで村中の命が救えるのだ。」と五兵衛は、いきなりその稲むらの一つに火を移した。風にあふられて、火の手がぱっと上がった。一つ又一つ、五兵衛は夢中で走った。こうして自分の田のすべての稲むらに火をつけてしまうと、松明を捨てた。まるで失神したように、彼はそこに突っ立ったまま、沖の方を眺めていた。

 日はすでに没して、あたりがだんだん薄暗くなってきた。稲むらの火は天をこがした。山寺では、此の火を見て早鐘をつき出した。
 「火事だ。庄屋さんの家だ。」と村の若い者は、急いで山手へかけ出した。続いて、老人も、女も、子供も、若者の後を追うようにかけ出した。
 高台から見下ろしている五兵衛の目には、それが蟻(あり)の歩みのように、もどかしく思われた。やっと20人ほどの若者がかけ上って来た。彼らはすぐ火を消しにかかろうとする。五兵衛は大声に言った。
 「うっちゃっておけ。−大変だ。村中の人に来てもらうんだ。」
 村中の人は追々集まってきた。五兵衛は、後から後から上ってくる老幼男女を一人一人数えた。集まって来た人々は、燃えている稲むらと五兵衛の顔とを代る代る見くらべた。
 その時、五兵衛は力一杯の声で叫んだ。
 「見ろ。やって来たぞ。」

  たそがれの薄明かりをすかして、五兵衛の指さす方を一同は見た。遠く海の端に、細い、暗い、一筋の線が見えた。その線は見る見る太くなった。広くなった。非常な早さで押し寄せて来た。
 「津波だ。」
と、誰かが叫んだ。海水が絶壁(ぜっぺき)のように目の前に迫ったと思うと、山がのしかかってきたような重さと、百雷の一時に落ちたようなとどろきとを以て、陸にぶつかった。人々は我を忘れて後ろへ飛びのいた。雲のように山手へ突進して来た水煙の外は、一時何も見えなかった。
 人々は、自分等の村の上を荒れ狂って通る白い恐ろしい海を見た。2度3度、村の上を海は進み又退いた。
 高台では、しばらく何の話し声もなかった。一同は波にえぐり取られてあとかたもなくなった村を、ただあきれて見下ろしていた。

 稲むらの火は、風にあふられて又もえ上がり、夕やみに包まれたあたりを明るくした。始めて我にかえった村人は、此の火によって救われたのだと気がつくと、無言のまま五兵衛の前にひざまづいてしまった。


次の二つのデータを見ると、「稲むらの火」にはいろいろの間違いはある。小泉八雲にしても実録ではなく作文だから当然のことである。

この話の元になった八雲の「生ける神」と、「浜口梧陵手記」を見ると様子がわかる。

  http://www.sam.hi-ho.ne.jp/aiiku/ikerukami.htm
  「生ける神」小泉八雲作

  http://www.sam.hi-ho.ne.jp/aiiku/goryosyuki.htm
  浜口梧陵手記

紀伊への旅の折には広川町を訪ねて見聞を広げようと思う。具体的なデータはこれから集める。


【折々の記 2005 @へ】