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折々の記 2005 @

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】01/01〜        【 02 】01/02〜
【 03 】01/05〜        【 04 】01/09〜
【 05 】01/14〜        【 06 】01/24〜
【 07 】03/28〜        【 08 】03/30〜
【 09 】04/15〜        【 10 】04/22〜


【 3 】01/05〜

  01 05 2005年は酉年●千富美さんの誕生日
  01 06 スマトラ沖地震

 01 05(水) 2005年は酉年

酉年の意味が出ていたので紹介しておきます。

  http://allabout.co.jp/study/chinese/library/mlibrary5.htm


「酉」は干支のときだけトリなんです

2005年は酉年ですね。

年賀状にトリの絵をデザインした人も多いのではないでしょうか?
ここでは酉年にちなんで、トリにまつわる中国の話や中国語をご紹介しましょう。

干支についての基礎知識と、「あなたはなにどし生まれですか?」の中国語表現についてはこちらをどうぞ!

ちなみに「酉年」の「酉」は、お酒を盛る器を表した象形文字です。「酉」にさんずいがくっつくと「酒」になることからも納得ですよね。ですから意味の上では「酉」とトリは何の関係もないのです。干支として登場する時にだけ、「トリ」と読まれるんです。ちょっとビックリですね。

酉年でなくても、元旦は鶏の日
中国では元旦を「鶏の日」としています。
正月は1日から7日までにそれぞれ動物をあてはめ、あてはめられた動物の絵を飾ったり、その動物を殺さないようにするという習慣があったと中国の古い文献に記録があります。

なぜ1日が鶏に決まったのかについては定かではありませんが、そんなわけで1月1日は鶏の日なのです。

ちなみに2日は狗(いぬ)、3日は猪(ぶた)、4日は羊、5日は牛、6日は馬、7日は人(刑罰などを行わないという意味)です。

鶏の日の他の説として、この日に晴れるとその年は鶏がよく育ち、(2日以降に晴れればその動物がよく育つ)8日は穀物の日で、この日に晴れれば豊作、というように、その年の農作物を占うというものもあります。

中国の古典や歌にもよく登場する鶏
中国では最古の文献と言われている「詩経」にも鶏が登場しており、正月に関する歌に鶏が登場することもしばしばあります。

中国では古くから、鶏が愛用され、大切にされてきたということが伝わってきますね。また、「鶏には五徳が備わっている」という言葉さえあるそうです。亀の扱いとは正反対ですね。

(私註:儒教で、温・良・恭・倹・譲の五つの徳目。兵家で、知・信・仁・勇・厳。)


酉年に鶏の絵が用いられていますが、これと同様に辰年に龍の絵が用いられています。そういう意味では時刻や方角を表わす十二支は子は鼠、丑は牛、寅は虎、卯は兎、辰は龍、未は巳、午は馬、未は羊、申は猿、酉は鶏、戌は犬、亥は猪を当てていますから、干支に使う漢字は実在の動物とは異なった文字を使っています。

酉の文字は酒の文字に由来するというのが面白いので載せたのである。

千富美さんの誕生日 昭和39年生まれ満41歳甲辰(きのえのたつ)


誕生花
雪割草(ゆきわりそう) madesta primrose 忍耐・自信・あなたを信じます
雪割草(ゆきわりそう) madesta primrose 忍耐・自信・あなたを信じます
臘梅(ろうばい) Carolina Allspice 慈愛

小寒 二十四節気の一つ 旧暦十二月節気

新年宴会
1874(明治7)年から1948(昭和23)年まで行われていた、天皇が豊明殿に出御し、皇族・大勲位・親任官・勅任官および外国使臣を召して宴を賜った儀式。民間でもこれにならって、この日に新年を祝う会が行われるようになった。

シンデレラの日
1956(昭和31)年、グレース・ケリーがモナコのレーニエ大公と婚約した日。

魚河岸初競り
各地の魚河岸で競りを開始します。 新年の初物として御祝儀相場がつけられる。

歴史
131年 第13代天皇・成務天皇が即位
488年 億計尊が即位して第24代天皇・仁賢天皇に
675年 天武天皇が、天文を観察し吉凶を占う為の日本初の占星台を設置
824年 天長に改元。834年に承和に改元
1348年 楠木正成の子・楠木正行が高師直軍との激戦の末に敗れ自刃
1592年 豊臣秀吉が、朝鮮を経て明へ出兵する為の出陣令を発布
1855年 江戸幕府がアメリカ大使アダムスと「日米和親条約」の条約本書を批准交換
1874年 東京の京橋〜新橋に馬車・人力車専用道路が完成
1904年 大阪朝日新聞に「天声人語」欄が登場
1905年 日露戦争で要衝旅順を攻略した乃木大将とロシア軍のステッセル将軍が現地水師営で会見し互いの善戦を讃える
1914年 定員の5倍を乗せていた駿河湾汽船「愛鷹丸」が風浪により沈没。死者121人、生存者25人
1919年 ドイツ労働者党結成。翌年、国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)に改組
1919年 松井須磨子が島村抱月の後を追い自殺
1927年 東京の大日本相撲協会が大阪大角力協会を合併。相撲界が一本化
1939年 平沼騏一郎内閣が発足
1946年 東京西部で占領軍兵士の集団強盗が続発
1948年 愛知県守山町で名鉄電車が脱線。死者35人
1951年 北海道の十勝鉄道の一部(下幌内〜上幌内)がこの日限りで廃止
1953年 NHKラジオで『笛吹童子』の放送開始
1956年 女優グレース・ケリーとモナコのレーニエ大公との婚約を発表
1963年 秋田沖で猛烈に発達した低気圧により各地で被害。以後日本海側が大雪となり連日鉄道が運休。三八豪雪の始り
1964年 ローマ教皇パウルス6世が東方教会総主教アテナゴラスと会談
1968年 チェコスロバキアで共産党第一書記ノボトニーが解任されドプチェクが就任。「プラハの春」と呼ばれる自由化政策をすすめる
1974年 「日中貿易協定」調印
1976年 カンボジアが民主カンボジアに国名を改称しシアヌーク殿下が国家元首に
1984年 中曽根首相が現職の首相として戦後初めて靖国神社に年頭参拝
1985年 環境庁が「名水百選」を発表
1985年 中華人民共和国で25年ぶりに作家の創作の自由を保証
1988年 東京・六本木のディスコ「トゥーリア」で天井から吊るしていた照明装置が落下。客3人が死亡
1996年 村山富市首相が退陣を表明
1997年 ロシア軍が約2年ぶりにチェチェン共和国からの完全撤退を発表

誕生花
三角草(雪割草) Hepatica 忍耐
三角草(雪割草) Hepatica 自信
臘梅,蝋梅(唐梅) Winter sweet ゆかしさ,慈しみ

誕生日
1823年 李鴻章 (清末の政治家)
1867年 夏目漱石 (小説家,英文学者『坊つちやん』『こゝろ』)
1871年 ファノ (伊:数学者(射影幾何,代数幾何))
1874年 J.アーランガー (米:生理学者,神経繊維の機能上の分化を発見)
1876年 コンラート・アデナウアー (西独:首相(初代))
1887年 バーナード・リーチ (英:陶芸家)
1894年 中山雅吉 (歌人)
1897年 三木清 (哲学者,評論家)
1903年 田宮博 (生理化学者,光合成の研究)
1905年 片岡球子 (日本画家)
1906年 松本たかし (俳人)
1907年 金素雲(キム・ソウン) (朝鮮:詩人,随筆家)
1909年 クリーネ (数学者(論理学))
1910年 茶木滋 (童謡詩人『めだかの学校』)
1914年 ジョージ・リーブス (米:俳優『スーパーマン』)
1917年 清美川梅之 (プロレス,相撲[元])
1918年 北条誠 (小説家,脚本家『向う三軒両隣』)
1921年 ジャン大公 (ルクセンブルク:大公)
1921年 桐山靖雄 (宗教家,阿含宗開祖)
1921年 土井勝 (料理研究家)
1923年 文野朋子 (俳優)
1925年 三笑亭夢楽 (落語家)
1928年 10代目金原亭馬生 (落語家,5代目古今亭志ん生の子)
1928年 ウォルター・モンデール (米:副大統領[元],駐日大使[元])
1928年 ブットー (パキスタン:大統領,首相)
1932年 ウンベルト・エーコ (伊:小説家,批評家『薔薇の名前』)
1932年 井上一成 (衆議院議員[元],郵政相[元])
1932年 宜保愛子 (霊能力者)
1932年 荒木新一 (演出家)
1932年 石橋大吉 (政治家)
1934年 玉置宏 (司会者)
1935年 加納時男 (参議院議員(自民党))
1936年 加賀美俊夫 (経営者,オリエンタルランド社長)
1937年 桑田武 (野球(大洋・巨人・ヤクルト/内野手[元]・外野手[元]))
1938年 フアン・カルロス1世 (スペイン:国王)
1939年 井奥貞雄 (衆議院議員[元](自民党))
1940年 荒岐山正 (相撲/前頭[元])
1941年 宮崎駿 (アニメ作家,映画監督,プロデューサー)
1943年 沢村忠 (キックボクシング)
1946年 ダイアン・キートン (米:俳優,映画監督)
1946年 三笠宮寛仁親王 (皇族,三笠宮崇仁親王の第一男子)
1947年 高田美和 (俳優)
1947年 今村雅弘 (衆議院議員(自民党))
1947年 石川好 (ノンフィクション作家,評論家『ストロベリー・ロード』)
1948年 高橋三千綱 (小説家『九月の空』)
1951年 桂きん枝 (落語家)
1951年 沢松和子 (テニス,沢松奈生子の叔母)
1955年 小城敏 (アナウンサー(YTV讀賣テレビ))
1955年 渡辺えり子 (俳優,劇作家,演出家)
1956年 榎木孝明 (俳優)
1958年 高橋由佳利 (漫画家『プラスティック・ドール』)
1958年 八神純子 (歌手)
1959年 高見恭子 (タレント,高見順の子)
1959年 森田信吾 (漫画家『栄光なき天才たち』)
1961年 吉竹春樹 (野球(阪神・西武/投手[元]・外野手[元],阪神/二軍守備・走塁コーチ))
1963年 三遊亭萬窓(三遊亭窓樹) (落語家)
1964年 千疋美徳 (サッカー(鳥栖/監督))
1965年 佐久間レイ (声優,歌手)
1966年 鬼来砲良蔵 (相撲/前頭[元])
1966年 天野由梨 (声優)
1968年 安江真由美 (アナウンサー(WOWOW))
1969年 マリリン・マンソン (米:歌手)
1969年 川尻哲郎 (野球(阪神/投手))
1970年 榊原知子 (アナウンサー[元?](SUTテレビ静岡))
1971年 高田万由子 (タレント,俳優)
1971年 黒田硫黄 (漫画家)
1972年 SHINOBI (プロレス)
1973年 中澤佳子 (アナウンサー(SBC信越放送))
1973年 薬師寺正人 (プロレス)
1973年 櫻井淳子 (俳優)
1974年 吉江豊 (プロレス)
1975年 エメルソン (ブラジル:サッカー(清水/DF))
1977年 瀬戸カトリーヌ (タレント)
1977年 渡辺大介 (プロレス)
1978年 阿久津愛 (歌手(ZERO))
1979年 元ちとせ (歌手)
1979年 田中雅美 (水泳)
1982年 相澤貴志 (サッカー(川崎/GK))
1984年 長澤奈央 (俳優,タレント)
1985年 小出由華 (俳優)


以上のことは

  http://koyomi.vis.ne.jp/directjp.cgi?http://koyomi.vis.ne.jp/doc/old_0010.htm と
  http://www.nannohi.jp/01/05.html

の二つを参考にして拾い出したものである。

千富美さんは子供たちの母親として、俊成の妻として、一家の中心になって毎日を送ってくれている。感謝し敬服している。こんなことを書かれると、照れるかも知れないが、一度は書いておきたかった。

昨年は鹿塩の旧宅の庭石を三個いただき、坪庭へ配置した。後々おおきな記念になると思う。

下平家三代目へのバトンを引継ぐことができる。嬉しいことである。

真介一家は昨日伊賀良へ寄ってから小諸へ帰っていった。


 01 06(木) スマトラ沖地震

千富美さんは皇太子妃雅子様と同級生になる。秀は天皇陛下と同級生である。

それは覚えやすいことだ。それは別にして昨夜は餃子を作って誕生祝をした。優は手作りのケーキを作った。感心なことだ。

昨日のニュースによると、スマトラ沖地震の犠牲者が15万人にもなったという。悲しい出来事で胸が痛む。

スマトラ沖地震第一報は【M8.9スマトラ沖地震】として 12/27 に取りあつかった。
地震は12月26日の午前8時頃であった。

ヤフーニュースで報道された地震第一報はロイターからであった。

 《インドネシア・スマトラ島で地震、米観測ではM8(ロイター) - 26日(日)13時46分》

割合詳しいニュースになったのは産経新聞に入ったものであった。

 《大津波、死者7200人超 日本人20人安否不明 M8.9スマトラ沖震源(産経新聞) -27日 4時56分》

産経新聞に入ったニュースは 12/27 を見れば解かるが、冒頭の書き出しは次の通りであった。

 ■インド洋沿岸8カ国
 【バンコク=岩田智雄】インドネシア・スマトラ島西方沖で二十六日午前八時(日本時間同十時)ごろ、マグニチュード(M)8・9の強い地震が起きた。地震で津波が発生してインド洋沿岸に広く被害をもたらし、ロイター通信などによると、死者はインドやスリランカなど八カ国で七千二百人を超えた。行方不明者も多数に上り、日本人観光客二十人も安否不明となっている。AP通信は死者数を八千七百人としており、被害はさらに拡大しそうだ。

続いて私が取り上げたのは 12/30 日で、被害情報が次々に拡大していった様子がわかる。


そして昨日のニュースである。悲しい出来事である。


津波の犠牲者総数、15万人超す

 【ニューヨーク=勝田誠】国連人道問題調整事務所(OCHA)のヤン・エグランド所長は4日、記者会見して、インドネシア・スマトラ島沖地震と津波の被災国からの報告に基づき、犠牲総数が15万人を上まわったことを明らかにした。

 インドネシア・スマトラ島北部とアチェ州の被害実態が不明で、死者数がさらに増える恐れもあるという。

 また、同所長は、各国や国際機関が表明した復興支援額は「20億ドル(約2080億円)から30億ドル(約3120億円)の間になった」と述べた。日本が表明した無償援助5億ドルについては「すぐにでも入手可能なものだ」と高く評価した。

 同所長は「援助は大半の被災地で大多数の人々に届いている」と述べる一方で、インドネシアやスリランカなどで被害が最も深刻な地域で援助が届かず、衛生状態も悪化したと指摘した。
(読売新聞) - 1月5日13時44分更新




01月05日付 朝日新聞社説


スマトラ沖大地震――アジアの力が試される

 この惨禍の広がりは空前のことだ。

 インドネシアのスマトラ島沖で起きた巨大地震と大津波の被害は、発生から10日たっても増え続けている。

 津波はインド洋を囲む12の国の海岸に押し寄せ、死者は15万人を超えた。けがをしたり、家を失ったりした被災者は数百万人に達する可能性もある。

 多数の国々が次々に襲われた。地震や津波への備えも満足にない、発展途上国がほとんどだ。スマトラ島北部のアチェのように紛争で疲弊しきった地域が含まれていたことも、被害をいっそう深刻にしている。

 リゾート地にいた日本や欧米からの多くの旅行者も命を落とした。

●水を食糧を薬品を

 いま緊急にしなければならないのは、かろうじて難を逃れた人々がとりあえず命をつなげるよう、必要な物資を彼らの手元に届けることだ。

 国連によると、食糧の援助をすぐに必要とする人は各国合わせて180万人、家を失った人は500万人にのぼっているという。

 現地では国連や米欧、日本、中国などから派遣された救援要員が支援活動を始めている。しかし、様々な理由で物資が現場まで届かない事例も多く伝えられている。

 アチェ地方は、70年代から独立をめざす武装闘争が続き、和平合意も崩れて内戦状態にある。そのうえ地震で交通網が寸断され、救援に向かおうにも陸や海からは近づき難い。スリランカも、津波にのみ込まれた東部はとりわけ内戦の傷が深く、援助物資が届いていない村がたくさんある。

 だが、いまは紛争を理由に支援を遅らせている場合ではない。それは当事者双方にとって得にはなるまい。

 被災地はどこも日本の真夏並みの暑さだ。井戸は汚染され、腐敗した遺体は片づけられないでいる。衛生状態はひどく悪化している。下痢患者が出ており、コレラや赤痢の流行が心配されている。安全な飲み水と医薬品の供給、早めの手当てが急務となっている。

 こうした支援を間に合わせることができるかどうか。それが何万人という人々の生死を分けることになる。

●支援国は調整を急げ

 救援と復旧を進めるためには、国際社会をあげての支援が要る。巨額の資金が必要だし、効率的な活動のためには国連や支援国間の調整が欠かせない。ジャカルタであす開かれる被災国と支援国との緊急首脳会議の意義はそこにある。

 小泉首相、パウエル米国務長官、中国の温家宝首相、欧州連合の代表、それに国連からアナン事務総長……。一つの自然災害で、アジアと世界の指導者がこれだけ集まるのはきわめて異例だ。

 国連の集計によると、当面の緊急援助として、40カ国前後から計20億ドルの資金拠出が表明されている。この規模も、一つの災害に対する国際的な支援としては前例がない。

 いまはまず緊急支援だが、続くインフラの復旧、さらに本格的な復興には、アナン氏が言うとおり、早くて5年から10年はかかるだろう。

 地震と津波は、人々の生活だけでなく、経済や産業基盤を根こそぎ破壊した。立ち直りが遅れれば、もともと不安定な国々や地域がさらに難しい状況に陥る恐れがある。新たな紛争やテロさえ招きかねない。

 国連にせよ先進諸国にせよ、被災国に対する息の長い取り組みを迫られる。国連を軸に進むアフガニスタン復興会議のような枠組みが参考になるだろう。

●日本が世界を引っ張れ

 こんどの災害救援に、日本の出足は速かった。政府はインドネシア、スリランカ、モルディブ、タイの4カ国に緊急援助隊の医療チームを派遣した。テントや毛布、浄水器なども送り込んだ。たまたまインド洋から引き揚げる途中だった自衛隊の護衛艦をタイのプーケット沖に回し、遺体の収容にあたらせた。

 ピースウィンズ・ジャパンや難民を助ける会などのNGOも現地入りした。

 小泉首相はジャカルタ会議で、被災国や国際機関に5億ドルを無償で供与することを表明する。支援総額の4分の1で、米国を上回る最大の額だ。

 日本は地震と津波にしばしば襲われ、大きな惨禍を経験してきた。資金力に加えて、災害の研究と対策でも世界のトップレベルにある。しかも、被災した国々とは「アジアの一員」として向き合っていかねばならない国である。

 ジャカルタの会議やその後の復興支援で、日本が国際社会を引っぱっていくことを期待したい。

 イラク問題をめぐる米欧の亀裂が、津波災害への支援の進め方にも影を落としている。だが、今回は国際社会がぜひ国連を中心に足並みをそろえてもらいたい。それを米国に促すことも、小泉首相の役割である。

「Asian Tsunami」という英語の呼称が今回定着した。歴史にもそう記憶されるだろう。

 アジアがアジアに対してどれだけのことができるか。日本は何ができるのか。それが試される。


「折々の記」は自分の思うところを載せるだけでいいのだが、よりどころをURLだけ表示しておいても、後々にはなくなってしまうのであえて情報そのままを載せている。

軍事費にかけるのでなく人の為にかける費用ならば、私たちはどんなにも辛抱できる。手を取り合う喜びが生まれるからである。

今こそ、アメリカの片棒をかつぐことなく、アジアの貧しい人たちのためにお金を使ってほしい。


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