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折々の記 2005 @

【心に浮かぶよしなしごと】

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【 1 】01/01〜

  01 01 酉年元旦の夢:新聞社社説:年賀状

 01 01(土) 酉年元旦の夢:新聞社社説:年賀状

秀は酉年である。だから今年の誕生日は72歳になる。

昨年は俊成家族が家に入ってくれた。5月からずっと見ていて千富美さんの生活ぶりに感謝し、敬意を表する。

そのことは年取りの挨拶の中で忘れないようにしてしたことである。

正月のうちに今年の夢を立てるようにも話した。

私は「健康に気をつけて働く」ことを願いにした。もう一つは「旅行の夢」である。

その基盤になるものは皆が喜ぶようにしたいからである。人は「健康で働く」ことしかない、と思うからである。人と人の橋(美智子様がつかった言葉)は、見て反応することが基本になるからと考えている。(美智子様は、人と人は一人一人と橋をかけることによってつながる、と言われた)

「旅行」は大脳の知的刺激と思うからである。活動の源は、好奇心が基本になるからと考えている。

情報の知識化と行動は生物が備えている基本的能力ではないか、と私は考えている。年齢を重ねてきて、そんな見方になってきたのだが、間違いはないだろうと思っている。

こんな風な考え方は、いままで読んだことも聞いたこともないのだが、年寄りになって辿りついた考え方である。

今年に限ったことではないが、こんな考え方を生活の中核にしていきたい。それが私の夢である。


一方、複数社会へ目を向けてみると、日本の政治の流れと意識の流れは、人の平和から見るとあらぬ方向に向かっている。

このことに関する情報収集と知識体系への組み込み、それと行動のあり方、この三つも単なる夢ではなく、自分が生きている「自由と責任」のなかの責任として、求め続けていきたいと考えている。

金や物が潤沢になってくると、人は輪廻の実相の通り、怠惰に走り精神生活に綻びを生ずるようになる。人が本来もっている「如何に生きるべきか」という哲学的命題から外れていってしまうようになる。

大まかに言えば、すべては自己防衛に走っていくこととなる。、漱石のいう凡欲の世界、即ち、金・名誉・異性、この三つが手に入りやすくなると、形而上の世界、即ち、宗教・哲学・道理、を離れて、優越感、排他思想、利己中心、暴発性、などなどに走るようになる。

多くの物騒な社会現象は人の心のなかに本来持っている病巣の虫が動き始めるのである。

大人は大人なりに、子供は子供なりにである。

小手先の対応では、とても元へ戻すことはできず、大きな手術がない限り復元しない。そしてその手術はほとんどの場合できない。

古代文化がその筋道を証明しているし、個人の栄枯盛衰がそれを証明している。


朝日新聞社説


2005年の始まり――アジアに夢を追い求め

 ロシア軍の司令官ステッセルが日本に降伏を申し入れたのは、100年前のきょう、1905年1月1日のことだ。激闘5カ月、中国・旅順の攻防はこうして結末を迎える。半年後、日本海でロシアのバルチック艦隊を撃破した日本は、勝利を決定づけた。

 のちに清国政府を倒す中国の革命家・孫文は、欧州でこれを知る。帰国の途中、スエズ運河で多くのアラブ人に声をかけられた。「東方の民族が西方の民族を打ち破った。だから我々も……」という歓喜の声だった。

 アジアの独立運動家たちも、思いは同じだった。この年11月に日本が韓国の外交権を奪い、日韓併合へと歩を進めるのは皮肉だが、大国ロシアに勝った日本が西欧からの独立を求めるアジア人に自信を与えたのは間違いない。

行き交う共同体構想

 それから1世紀。いま「東アジア共同体を」という声が行き交っている。

 東アジアの国々でそんな提言や研究会などが相次ぎ、東南アジア諸国連合(ASEAN)と日中韓3国の首脳たちは今年、マレーシアで「東アジアサミット」を開くことになった。05年を「東アジア共同体元年」と呼ぶ声すら聞かれる。

 中国とASEANの急接近や、さまざまな自由貿易協定(FTA)づくりの動きが火を付けた。アジア経済危機の克服を助けた日本、経済成長がめざましい中国、そして互いに相手を必要とする入り組んだ関係が原動力に違いない。

 しかし、底に流れるのは古い歴史や文化をもつアジアの共通性ではないか。

 「長い歴史から見ればアジアの方が西欧より先進国です……儒教にも仏教にも民主主義の思想はすでにそこにあった」とは、韓国大統領だった金大中氏の弁。いまイスラム圏と西洋に深い溝があり、欧州と米国にも亀裂が広がる中、アジアが自己主張を始めたように見える。

 1世紀前、明治の思想家・岡倉天心が「西欧の光栄はアジアの屈辱」「アジアは一つ」と唱えたように、過去にはアジア主義の流れがあった。

ナショナリズムの悪循環

 孫文は1924年、神戸市で「大アジア主義」と題する演説をした。道徳を重んじる「王道」の東洋文化が「覇道」の西洋文化より勝るとして、アジアの独立と復興を訴えたのだ。日本が「覇道の番犬」となる恐れにクギを刺しつつ、東アジアの連携を求めたのである。

 それが「大東亜共栄圏」という名の日本の野望に形を変えてしまったのは、アジアの悲劇だった。戦後60年にしてアジア諸国で語られる新たな共同体は、真の「共栄」を求めるものとして正面から受け止める必要がある。

 しかし、地域の政治に目を転ずれば、とても生やさしい現実ではない。

 北朝鮮の異常さは変わらず、日朝関係打開を探る動きも核と拉致問題で逆流。中国と台湾の関係は緊張をはらみ、日中の間にも厚い雲がたれこめている。

 膨れ続ける中国の軍事力は不気味だ。バネとなる愛国エネルギーは「反日」となって時に噴出する。日本はといえば、自分たちの過去を顧みず、中国をなじるばかりの言論も横行。両国が平和友好条約を結んでいることなど忘れたような悪循環である。小泉首相の靖国神社参拝、日本の海底資源を脅かす春暁ガス田の開発など、トラブルの種は尽きない。

 中国への不安はほかの国々にもある。抜きがたい中華思想、急激な経済発展がもたらした貧富の格差や経済倫理の緩み、共産党支配の異質性……。言語や文化などアジアの多様性も加わって、共同体など夢物語だという声もあがる。

 しかし、である。東アジアの先行きが不安だからこそ、できることから一緒に進める意味がある。「反米」に走るのではない。日本がアジアにしっかりした基盤をつくることは、健全な日米関係にとっても決して悪いことではない。

 日本人の意識を変えた韓流ブーム。漫画やアニメ、ポップスなどアジアに広がる日本発信の新しい文化。そして、離れがたい日中経済のきずな。これらは明るい可能性を示している。目の先をインドなどにも広げれば、さらに道は広がる。

日中の天然資源を共同で

 孫文が「大アジア」を唱えたころ、欧州では日本人を母にもつオーストリアの伯爵クーデンホーフ・カレルギーが「大欧州」を呼びかけていた。第1次大戦の惨状を目の当たりにし、仏独の歴史的な和解による統合なしには、欧州の平和も経済復興もありえないと考えたのだ。

 願いはヒトラー登場で無残に砕かれたが、第2次大戦後に息を吹き返す。それが今日の欧州連合(EU)にまで成長するのだが、第一歩は1951年に実現した石炭と鉄鋼の6カ国共同管理だった。独仏両国の国境付近で長く争いの種となってきた豊富な地下資源を、平和の種に転じようとした欧州の知恵である。

 同じ知恵を、いま日中両国が使えないものか。天然ガスなどの海底資源を共同開発・管理する仕組みをつくり、明日の平和につなげるのだ。日本にとって決してひとごとでない中国の深刻な環境汚染も、一緒に対処したらいい。

 そういえば、サッカーのワールドカップで実現した日韓共催は、どれだけ大きな副産物を生んだことか。日中関係にいま求められるのは、ダイナミックなプラス思考である。

 大欧州の夢も、はじめは多くの人が現実味のないユートピア構想と見た。

 だが、かの伯爵は書き残している。

 「いかなる歴史的大事業も、ユートピアに始まり、実現に終わるものなり」

 EUのように、とは言わない。アジアの実情にあった緩やかな共同体の実現に向けて、まずは夢を追い求めたい。



読売社説


『脱戦後』国家戦略を構築せよ…対応を誤れば日本は衰退する

 【新たな歴史的激動期

 干支(えと)でいう乙酉(きのととり)年の元日である。「昭和の戦争」が終了してから六十年。干支が一巡し、一九四五年に生まれた人たちも、今年、還暦を迎える。

 「戦後」は、すでに二世代相当の歴史的時間を経た。国際社会も日本も、「戦後」とは異質な世界といえるほど大きく変わってしまっている。

 「戦後」の世界は、基本的に米ソ冷戦構造の世界だった。その一方のソ連崩壊は、社会主義計画経済思想に対する市場経済主義の勝利でもあった。あれから、もう十年以上になる。

 世界は今また、新たな歴史的激動期に入っている。二〇〇一年の9・11米同時テロ事件、続くアフガン戦争、イラク戦争以後、世界・国際社会の様相は一変し、かつ急速に流動しつつある。

 他方で、情報技術(IT)革命の進展を伴いつつ、世界経済も急速な構造的変動のただ中にある。

 こうした世界的激動への国家的対応を誤れば、日本は衰退への道を辿(たど)る。変化の先行きを見据えた中長期的国家戦略を構築し、着実、強力に推進しなくてはならない。世界変化の速度を踏まえれば、迅速な対応が必要である。

 しかし、日本が内外戦略ともに迅速、適切に対応できるかどうかについては、懸念もある。現実の日本には、いまだに「戦後」思考を脱却できない“守旧”勢力が存在するからだ。

 【「戦後民主主義」の残滓

 こうした“守旧”思考は、文字通り「戦後」の数年間に、連合国軍総司令部(GHQ)の大がかりで巧妙な検閲・言論統制、マスコミ操作によって培養された「戦後民主主義」の残滓(ざんし)である。

 現行憲法の作成・制定過程そのものが最重要の言論統制対象だった。

 GHQが作成した現行憲法前文は、「平和を愛する諸国民」を信頼しさえすれば国の安全は保てるとする趣旨になっている。これに「戦力放棄」の九条二項が重なり、世界の実像とはかかわりなく一国平和主義が貫徹できるかのような「戦後」的幻想を生んだ。

 世界・国際社会の実像に対応すべき日本の現実的課題とはなにか。

 米国は現在、世界的な規模でいわゆるトランスフォーメーション、米軍再編に着手している。イスラム原理主義勢力による最大のテロ標的国家として脅威の変化に対応するとともに、唯一の超大国としての長期展望に基づく世界戦略の再編でもある。

 その一環として、北東アジアから中東に至る「不安定の弧」に対処するため、アジア・太平洋地域における即応展開能力を拡充しようとしている。

 この動きは、日本の長期的な国家安全保障と切り離せない。日米協力・相互補完関係を展望すれば、集団的自衛権を「行使」する様々なケースを想定せざるを得ない。

 「行使」は、憲法を改正するまでもなく、首相の決断による憲法解釈の変更次第で、直ちに可能になる性格の問題だ。首相および政治全体が、「戦後民主主義」的な軍事アレルギー感覚と一線を画す時である。

 【改正すべき教育基本法

 憲法とセットで制定された「戦後」規範の一つに、教育基本法がある。

 久しく改定の必要性が指摘されていながら、現在も、改定作業が難航しているが、最大の焦点は「愛国心」の扱いである。愛国心が是か非かなどということが議論の対象になる国など、世界中、どこにあろうか。

 こんな奇現象が生じるのは、「愛国心」と聞けば、反射的に「狭隘(きょうあい)な」という形容句をかぶせたがり、「戦前回帰」「軍国主義復活」などとして騒ぎ立てる“守旧”思考が、いまだに一定の勢力を有しているためだ。

 教育基本法策定の過程で、GHQは、日本側が主張した「伝統を尊重して」という部分を削除させ、「個」の尊重に力点を置く基調のものとした。

 伝統の尊重の否定=愛国心の否定は、公共心の希薄化につながり、今日の教育の乱れを招いている。「個」の尊重が、ともすれば児童・生徒の自主性の名のもとに放任へと傾き、規律心の低下、さらには昨今の学力低下にもなっているのではないか。

 世界経済の構造は、すでに中国の急成長により、大きく変容しつつある。加えてインドやブラジルなども、急速に台頭しており、いずれ世界屈指の経済大国化すると見られている。

 【「平等」偏重から転換を

 そうした流れの先行きを展望しながら、日本経済が国際競争力を保っていくための国家的対応とは、結局のところ、人材の育成に尽きる。教育を基本法の次元から立て直さなくてはならない。

 「戦後民主主義」を培養したGHQをリードしたのは、ニューディーラー左派と呼ばれ、「自由」に伴う創意と自己責任よりも、結果としての「平等」を重視するイデオローグたちだった。今日的にいえば左翼リベラル派である。

 たとえば占領下の一九四九年に作成されたシャウプ税制は、直接税を中心に据え、個人所得には重度の累進税を課す「平等」思考体系のものだった。

 現在、西欧諸国は、いずれも、消費税(付加価値税)という形の間接税が20%前後という税体系の下で、社会保障制度を維持している。

 これに対し、日本では、わずか5%の消費税率を10%に引き上げることにさえ、「弱者いじめ」という論法による抵抗が根強い。シャウプ税制的な「平等」思考の後遺症であろう。

 もちろん、消費税を大幅に引き上げる際には、食料品など日常的生活必需品については軽減税率の対象とするなどの配慮は要る。新聞、書籍を始めとする知識文化的商品も欧米並みに軽減措置を考える必要がある。

 ともあれ、老若男女の全世代が広く薄く負担する消費税の位置づけを中途半端にしたまま、現役勤労世代の直接税・保険料負担を主要財源とした社会保障システムを維持するのが無理なことは、はっきりしている。

 【経済規模縮小の危機

 日本は、来年二〇〇六年をピークに、人口の急激な減少という明治以来初めての“国勢”転換期に入る。

 とりわけ、生産年齢人口は、今後三十年間にわたり、世界最速のペースで減少し続ける。

 このままでは、二〇三〇年の実質国民所得は、二〇〇〇年に比べて15%縮小する、との試算さえある。

 社会保障システムを支える前提としての、日本経済の規模と生産性そのものを維持できるかどうかという、困難な時代に入っていく。

 今、日本は、まさに国家百年の計が問われている。「戦後」の思考様式を払拭(ふっしょく)し、内外にわたり国家、国民の活力を維持するための戦略的対応を急がなくてはならない。残された時間は、そう多くはない。



毎日社説


戦後60年で考える もっと楽しく政治をしよう

 戦後60年になる。平和主義も還暦を迎えた。危うくなった懸念もあるが、とりあえずこの快挙は喜び誇るべきである。

 戦後民主主義、象徴天皇制、人権の尊重などこの60年を支えてきた基本原則が現実とのずれでいずれも揺らいでいる。民主主義は観客席にいることが多い主権者と、それを見越した政党の緊張感に欠ける内部闘争とその結果である政策面でのだらしなさによって、活力を失っていないか。象徴天皇は世代替わりと女帝問題に象徴される存在感の変遷にそろそろはっきりした対応が必要になっている。

 人権も権利の付与が既得権化して社会福祉予算の拡大とそれに見合う負担の合意形成をしないまま、とりあえず国の借金によるしのぎを続けている。その限界ははっきりと見えてきた。

 ◇一律主義はやめよう

 公共の福祉という基本的人権抑制の政治判断をずっと避け、人気取りをしてきたゆえの不都合も目立つ。たとえば必要な公共投資は、所有権の壁や平等と称して全国にばらまく中途半端な割り当てによってむだばかり目立ち、不必要な事業ばかりが推進される妙な現状が蔓延(まんえん)している。医療の世界でも延命治療の限界と尊厳死のあり方に象徴される高額な医療費とその負担への合意がないまま、これも借金でまかなわれている。

 国民のために法律があることを忘れ、政府も公務員もその法律を国民の雑多で変化に富んだ要求をはねのけ一律主義を押し付けるために使っている。法律を社会の活性化のためにではなく、自分の身を守り、後で責められない言い訳の道具とみなしている。10年を超える規制緩和政策で法律が減るどころか、役所の権限を守り国民の行動を規制する法律の数が飛躍的に増えた一事をとってもそれは証明される。

 今振り返ればこうしたことはいずれも、60年という稀有(けう)な長期間にわたり幸せの日々を重ねてきた日本が抱え込んで当然の成功話の裏面である。

 少子化を問題視するが、日本中が「貧乏人の子だくさん」の世界からの脱却を目指して働いてきた結果であり、高齢化は豊かさの象徴である。この60年で最大の成果である高齢化と少子化の二つに祝杯をあげるでもないまま、年金の受け取りと支払いというたった一つの単線でつないで数字があわないと身勝手なクレームをつけている。

 アメリカと仲良くしたいがサマワに自衛隊を送るのはいやだ、子供はのびのびと育ってほしいが学力低下は許せない、靖国神社は参拝するが中国が文句を言うのはおかしい、もっと便利な暮らしをしたいが原子力発電はいらないし地球温暖化を招く二酸化炭素の排出は減らせ、食糧の輸入は自由化すべきだが自給率も上げろ……と。

 政治とはこうした国民のあい矛盾する、しかしそれぞれ当然の主張と要求をかなえていくからこそ、その手法と存在が尊敬される。しかも永続性をにらんで調和させるのが技だ。今、政治家はその最大の任務を放棄していまいか。それが60年を経て日本が抱える問題の中核だ。

 21世紀になって以降、年初に当たり社説では、成長一本やりの景気最優先主義から脱却しよう、すべてほしいでなくどちらかを選択する時期に来た、素直に現実を見なおせばやるべきことは明白だ、これからしばらくは超大国の政権と国民の意向の変化が世界を動かす「アメリカリスク」への対応が鍵になるとその年々の問題点と覚悟を示してきた。

 そして今年、星が一巡して還暦を迎え、この間たまったいろいろなシステム同士のもつれを、次の60年をにらんで解きほぐす手始めの年にしようではないか。そのために最も重要なのは、認識を共有し方向性を見定めて実現のための手段を編み出し実行していく政治なのではなかろうか。

 ◇説得という文化を

 60年で慣行化した日本の政治のやり方はやや民主主義的でない。言葉による説得で多数派を形成し主張を政策に変え実現していくという過程が必ずしも目に見えない場合が多い。間接民主主義を取っている以上目先は永田町での多数決がものを言うが、そのつど国民の多数を説得し納得させていくことが長期的に責任ある民主主義を根付かせるうえで絶対的な基盤になる。それをさぼって密室で出す結論は国民を政治から遠ざけ結局は観客主義を育ててしまう。

 今年京都議定書が発効する。エネルギー効率が世界一の日本はさらに効率を上げ10年で1億トン強の二酸化炭素を削減する義務がある。同じ10年間に議定書の削減義務のない米中だけでも20億トン以上増える見通しだ。たとえばこの世界の現実と議定書順守だけに固執する日本政府のあり方をわが政治家たちはどう説明し説得するのか。

 年金も消費税も公務員と天下り先の巨額な給与総額も合併しても減らない全国の議員数も米軍再編と自衛隊の今後も国連安保理常任理事国入り後の日本のあり方もすべて同じだ。

 なぜ、何が必要で、こういう見通しがあるからと説得による多数派工作がないまま進める過去60年の政治体質から、結果だけでなくそういう過程を共に楽しみ責任も共有するこれからの民主主義を形成する60年にしようではないか。



産経社説


歴史の大きな流れに思う 保守に求められる創造的挑戦

 歴史はとうとうと流れてゆく。遡行(そこう)できぬ川の流れのように。

 たしかに、眼前の風景だけを眺めれば、行く手を阻む岩壁は高く、大きく、そして険しい。目も眩(くら)むような七百兆円を超す中央・地方の財政赤字、真綿で国の活力を締めるような少子化と高齢化の進行、伸びきって弛緩(しかん)状態にある経済成長、これらは互いに絡み合って日本の前に立ちはだかっている。

 ◆悪しき戦後からの脱却

 この原因を本質的に考えれば、高度成長の果実を公共投資や社会福祉政策に還元するという美名のもとに財政秩序にこだわらずに大盤振る舞いしてきた戦後日本のニューディール型リベラリズム、換言すれば、一九七〇年代を支配した角栄的なるもの、あるいはミノベ的なるものの負の遺産である。とはいえ、この責め苦から目をそらす訳にもいかない。

 英米では一九八〇年代を支配した保守政権によって社会福祉国家論が克服されていったが、当時の日本における「戦後政治の総決算」は十全の成果を上げたとは言い難い状態で終わり、甘えの構造が温存された。

 その点、終戦から二世代六十年を迎えた平成十七年は、日本にとって「悪しき戦後」を超克する挑戦的な年となろう。いや、しなければならない。

 国政選挙は予定されておらず、真の保守政権のあるべき姿を構想する上で、これほどよい政治的条件と国際的環境に恵まれる年はない。歴史の流れに取り残されていく勢力からの抵抗は織り込まなければならないとしても、である。

 昨年の年頭のこの欄では、「日本の運命を決める一年」と記した。自衛隊のイラクへの復興支援や北朝鮮情勢の展開によっては七月の参院選挙で日本の保守政権に痛棒が加えられるかもしれず、十一月の大統領選挙では米国の保守政権が敗れる可能性も存在したからであった。

 しかし、結果が証明するように歴史は保守主義にとって好ましい方向に進んでいった。

 ◆一九九〇年体制の定着

 戦後日本の進歩主義的思想、無防備平和論、戦前の歴史全面否定などの潮流をせき止め、今の流れをつくったのは紛(まが)う方なく東西冷戦構造の崩壊と、これに続く湾岸戦争の勃発(ぼっぱつ)、それに昭和の終焉(しゅうえん)であった。

 いずれも一九九〇年前後に相次いだ事象である。

 このうち東西冷戦構造の崩壊はマルクス主義ないしは大衆迎合のばらまきに重心を置いたミノベ型進歩主義の敗北であり、サッチャー、レーガンの登場が世界の保守化を促した以上に日本の左派勢力への打撃となった。

 湾岸戦争は自衛隊の国際的役割が論議される契機になった。

 「よい戦後」と「悪い戦前」に単純二分化されていた昭和という時代も通史として眺められるようになり、そこには「悪しき戦後」も存在し、同時に「良き戦前」も存在したという複眼史観が根付いていった。

 こうした状況は潮目に変化が生じて以来の過去十五年の国会における対決法案の成立状況を精査すれば、おのずと明らかになる。

 一口に言えば、戦後の「進歩」的言論ないし勢力の全面的といっていい敗退である。伝統・慣習の重視、秩序、国の守り、主権尊重など保守主義の価値観に根ざした法律が、これら戦後進歩派の反対にもかかわらず、次々に成立していく過程が如実にあらわれているからだ。その内容については資料を付して三日付本紙で紹介したい。

 この延長線上に「戦後の終焉」を告げる象徴的ゴールとしての、あるいは究極の構造改革としての憲法改正(および教育基本法改正)がある。戦後進歩派が金科玉条とした聖域の変革もいよいよ流れの先にみえてきた、と判断して大きな間違いはない。

 しかも今後四年間は再選された米国ブッシュ政権との間で緊密な日米関係の維持が期待できるのは、憲法第九条の改定の上からも、また任期二年弱を残す現自民党政権にとっても歓迎すべき事態であろう。

 現政権が打ち出している国営事業の民営化や公共支出の削減、行財政改革などは各国の保守政権が追求する共通テーマであり、当然達成されるべき政策課題だが、その一方で抵抗が少なくないのも事実だ。

 加えて日本の進歩派勢力と不即不離の関係にある近隣諸国からは靖国神社参拝阻止などの動きが強まろうが、しかし、これらはいずれも一九九〇年いらいの保守主義化の流れを食い止められるほどの決定的要因にはならない。

 ◆「内なる敵」こそ真の敵

 とうとうたる流れの阻止ないし混乱要因になりうるとすれば、それは戦後左派や既成野党であるよりも、「内なる敵」すなわち保守政権に内在する腐敗や汚職であろう。

 それ故に高い道徳性と倫理観を備えた教養ある保守主義者を育成することは国家的要請といって過言ではない。

 巨視的にみて、近代日本を動かしてきたのは、例外的な戦後の一時期を除けば、保守主義者たちであった。この群像の中には清貧に甘んじた井戸塀政治家(資産を政治活動に使い果たし、あとに井戸と塀しか残らなかった人たち)が紛れもなく存在した。ここでも、角栄的なるものとの決別が−最近の元首相による巨額献金受領疑惑を持ち出すまでもなく−急がれる。

 保守主義は革命は好まないが、不断の改革は厭(いと)わない。今ふたたび、あの高貴な精神を取り戻すことこそ保守主義者に求められる喫緊の創造的挑戦ではないか。とうとうたる歴史の流れに淀(よど)みを生じさせないためにも。



日経社説


戦後60年を超えて(1)――歴史に学び明智ある国際国家めざそう

 戦後60年にあたる2005年は、歴史の節目を刻む年である。国連創設60年であり、冷戦構造のもとで自民党ができて50年だ。日韓正常化からは40年たつ。世界経済に目を転じれば、先進国サミットから30年であり、プラザ合意20年でもある。日本経済は長い停滞から脱出しつつあるが、イラク問題など世界の混迷は続いている。歴史の教訓に学び、日本の針路を考えたい。

第2の敗戦から再出発

 この60年に「日本の時代」はあったのか。プラザ合意前の1985年春、ジャーナリストのセオドア・ホワイトは日本の経済攻勢を「日本からの危険」と題するリポートにまとめる。廃虚と化した敗戦日本を目撃しミズーリ号の日本降伏に立ち会った歴史の証人の目には、経済攻勢は日本の総反撃と映ったのだろう。ホワイトを恐れさせた「日本の時代」はしかし、一瞬の幻に終わる。

 プラザ合意後のバブルの発生と崩壊、そしてデフレの進行で日本は「第2の敗戦」を迎える。巨額の負の遺産を抱え戦中・戦後システムを解体しながらの復興は、ある意味で戦後復興以上の難路だった。

 日本経済の浮沈は国際政治の枠組みと結びついていた。冷戦の時代は日本の成長期に符合する。「追いつけ追い越せ」という共通目標のもとに、走り続ければよかった。漁夫の利を得たのは日本だったが、冷戦終結で流れは逆転する。グローバル化の奔流のなかで、改革大競争に出遅れ「失われた時代」に入る。冷戦終結は第2の敗戦に符合する。

 戦後60年の教訓は何か。おごりが自らを見失わせ手痛い打撃をこうむる。過信と悲観の振れは大きかった。過去の成功体験にこだわるあまり転換が遅れた。それは国のあり方にも、企業経営にも、人々の生き方にも通じるものだろう。

 日本が第2の敗戦から抜け出そうとするいま、見渡せば、世界は変化と混迷の時代を迎えている。

 第1に、グローバル経済に大型新人が続々登場した。生産力と市場力を武器にしたBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)の成長には目を見張らされる。国連安全保障理事会の常任理事国(現米ロ中英仏)には日独ブラジル、インドの4カ国が手を挙げているが、これはちょうどプラザ時代のG5(日米独仏英)とBRICs4カ国にあたる。

 第2に、米欧間の亀裂である。イラク復興がもたつくのは、ブッシュ政権の単独主義に欧州諸国が反発しているからだろう。背景にはユーロ創設から憲法制定まで欧州連合(EU)の深化と東方拡大がある。唯一の超大国と大欧州の対立が深まれば、新しい冷戦に突入しかねない。

 第三にアジアの発展と混迷である。日本経済が第2の敗戦から立ち直れたのはアジアの成長の大波に乗り第2の発展期を享受できたからだ。その一方で北朝鮮問題などアジアで冷戦は終わっていない。それどころか歴史認識をめぐりアジアの2大国、日中に戦後は終わっていない。

 そこに欧州の平和との落差がある。シラク仏大統領は昨年、Dデー60年の式典にシュレーダー独首相を招いた。欧州の戦後は完全に清算された。対米関係を調整しつつ独仏融和に奔走し欧州統合を先導したジャン・モネのような無私の指導者がアジアにはいまだに現れていない。

競争力プラス協調力を

 戦後60年を超えて、日本はどんな道を歩むべきか。日本のよりどころは経済の競争力にある。改革の手を緩める暇はない。郵政民営化で市場の活力を取り戻さなければ、小泉純一郎首相は歴史に汚点を残す。少子高齢化や環境問題など成長のハードルは高いが、技術を競うチャンスでもある。直接投資や人材を受け入れ、グローバル経済と融合して初めて本物の競争力が身に付く。

 試されるのは国際協調力だ。日米同盟は外交の基本である。同時に超大国に対しては、単独主義をたしなめ双子の赤字是正を要求する口うるさい友でありたい。歴史の溝を埋めるのはアジア発展の大前提である。日中双方に中国版「冬のソナタ」ブームを生み出すくらいの懐の深さがあっていい。世界の分裂を防ぐため米欧間の架け橋になるのも日本の役割だ。国際協調なしに、テロとの闘いも中東安定もおぼつかない。

 ジャーナリストの清沢洌は60年前の元日、空襲警報のなかで日記に刻む。「蛮力が国家を偉大にするというような考え方を捨て、明智のみがこの国を救うものであることをこの国民が覚るように――」。多様な価値を認め合い、チェック機能が働く柔軟な社会。そんな明智ある国際国家こそ歴史が教える日本の道である。恐れられるのではなく尊敬される「日本の時代」をめざしたい。



中日社説


年のはじめに考える

この国にふさわしい道

 敗戦から六十年。見回すときな臭さが漂い、この国の行き先に不安を感じます。武力によらない新しい国際秩序への努力はできないか。新年の模索です。

 「還暦」−十干十二支の組み合わせが六十年でちょうど一回り、生まれ直すという意味があります。自然の摂理の中で、人間の営みを鋭く観察して得た東洋の知恵でしょう。

 この言葉を持ち出したのは、この国の行く末に危なっかしさを感じているからです。

 「9・11」以降の米国は、武力を前面に押し立て、一極支配のもと米国流の民主主義を広めようと必死です。小泉純一郎首相は追随してイラクに自衛隊を駐留させています。

敗戦の反省はどこへ

 そのかたわら、憲法を改定して、海外での武力行使、集団的自衛権の発動を可能にし、専守防衛の枠を超えた装備の開発へ向けた動きが活発です。同時に国家権力を強化する法律も着々と。

 小泉政権の延長線上には、必要なら米国と連携して武力行使をという国のあり方がちらちらします。

 イラクへの自衛隊派遣延長に対する六割以上の世論の反対には、そうした不安も込められています。

 六十年前、敗戦の反省から歩き始めた道をかなりはずれてしまったようです。ここは還暦の年、出発点に立ち返って考えてみます。

 「悲しみと苦しみのただ中にありながら、なんと多くの日本人が平和と民主主義の理想を真剣に考えていたことか!」(ジョン・ダワー著「敗北を抱きしめて」岩波書店)

 その中からいまの憲法が生まれ、米国の圧力にもかかわらず、半世紀以上も改定しないことで、自分のものにしたのです。

 国権の強化、軍部独走、そして数百万の生命の犠牲など、戦前への深い反省があったからです。

 国民主権、戦争放棄、基本的人権尊重のもと、私たちは六十年の間、戦火に巻き込まれず、他国民を殺害せず、生活を向上させました。

武力による安定は困難

 この基本を踏み外さずに、この国の針路を考えてみます。

 憲法九条の理念を最大限に生かし、平和と安定の新しい国際的な秩序づくりに大きな役割を果たす、こんな国のあり方です。

 テロ頻発、中国の軍備増強、北朝鮮のミサイルがいつ飛んでくるか分からないとき、書生論、平和ボケなどの言葉が飛んできそうです。

 しかし、現実はどうでしょう。

 「戦争は外交の失敗の結果であり戦場は議場の失敗の形態である」

 猪口邦子上智大学教授は、軍縮日本大使の経験から断言します。(「戦略的平和思考」NTT出版)

 戦争やテロを防ぐには、あらゆる「武器の不拡散政策の強化、同時に軍備の量的縮減を一対のものとして進める」ことが急務と指摘し、「戦場には参加しにくい日本は一層のこと、平和を画策する議場戦士としての外交力の傑出を」と、日本の役割を描いています。

 この場合、六十年間も戦争を仕掛けず参加せず、武器を輸出せず、核兵器を造らず持たないできたこの国のあり方は、国際的に大きな説得力を持っています。

 それなのに、最近はこの原則をなし崩しにする動きが目立ちます。戦後の六十年で身につけた財産をおろそかにしてはなりません。

 それに世界を見渡すと、武力を使わず紛争を解決し、安定を実現する試みが着実に進んでいます。

 現に起きている地域連携や地域統合です。欧州連合(EU)の加盟国は二十五カ国、巨大な経済圏をなし、憲法までも。長い間、戦争を繰り返した歴史を教訓にしてのことです。

 アジアでも、東南アジア諸国連合(ASEAN)に日中韓を加えた広大な地域で、連携の動きが活発です。信頼をつくり出し、もめ事は話し合いで解決する。補い合って民生の安定を目指す。やがては地域連合へ…。

 時間はかかりますが、こうした模索自体が地域の不安定要因を取り除き、ひいては紛争やテロの温床である地域や宗教の対立、確執を鎮め、貧しさを解消します。

 武力を使わない平和と安定の実現は決して絵空事ではありません。

 むしろ、米国のイラク支配を見ると、武力による安定がいかに難しいかが分かります。武力の行使が憎しみや恨みを生み、さらに武力を、と悪循環に陥っています。

日本主導による平和を

 「パクス・ヤポニカ」

 「日本主導による世界の平和」とでも訳しますか。宗教学者の山折哲雄さんは、平安三百五十年、江戸二百五十年の長い平和の時代に注目します。それを実現した「武家的なもの」を抑制し、武力の発動を鎮める技術の伝統や知恵を、世界に広く発信するよう提言します。(「日本文明とは何か」角川叢書)

 武力を使わない新しい国際的な秩序づくり−日本にふさわしく、より現実的な役割ではないでしょうか。「戦後零年」に還(かえ)った元旦、あらためて思います。



新聞社の社説を見ると、政治の方向についての意識の仕方が相当違っているものがある。ことに憲法理念に対する考え方では根底的に二分できる。

問題になってくるのは、東アジア共同体についての考え方である。

憲法理念に基づく意識の違いが東アジアの課題でも問題になってくる。政治の流れの方向がアメリカに偏した方向がいつまで政治家の意識の中に続くのかが問題なのである。

自民対民主というと政党間の綱引きのようなものになって負けん気があらわに見えてくるが、勝ち負けの論理ではなく、「国の行く末をどうするのか」が論理の中核にならなくてはいけない。

「国の行く末をどうするのか」を絶えず論理の中核に据えることが、野党の意識の中核にあって、それに基づく論議を絶えず続けなければならない。

《東アジア》に関する意識の方向を、気をつけてチェックしていきたい。

次に今年の年賀状を記録のために載せておく。


 謹賀新年

 今年もよろしくお願い申し上げます。
◆酉年でしたので昔聞いた「とりなうた」を調べてみました。
  鳥鳴く声す 夢覚ませ
  見よ明け渡る 東を 
  空色映えて 沖つ辺に 
  帆舟群れ居ぬ 靄のうち
 「いろはうた」より優れているという人もあります。
◆酉(日本大百科全書)を調べると次のように出てきます。
 十二支の第10番目。「ゆう」ともいい、十二支獣としてニ
 ワトリがあてられる。8月の異称として用いられるほか、江
 戸時代以来、江戸(東京)では11月の酉の日に、酉の市(い
 ち)の名で知られる鷲(おおとり)神社の祭礼が行われ、幸運
 や富を掻(か)き寄せるという熊手(くまで)が売られてにぎ
 わう。
 時刻としても用いられ、今日の午後6時を中心とした前後2時
 間を「酉の刻」「酉の時」といった。方角としては西をいう。
◆異常気象のタネは人がまき、生き物すべてその被害をこうむ
 ることとなっている。
◆優越感が仇となって人の殺傷と建造物の破壊をきたすことと
 なっている。
  平成17年元旦 395-1107 長野県下伊那郡喬木村5975
                          下 平 好 上
           URL http://park19.wakwak.com/~yoshimo/



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