折々の記へ
折々の記 2003 B
【心に浮かぶよしなしごと】
【 01 】06/15〜
【 02 】06/20〜
【 03 】06/26〜
【 04 】08/13〜
【 05 】09/02〜
【 06 】09/24〜
【 07 】10/17〜
【 08 】10/31〜
【 09 】11/26〜
【 10 】12/03〜
【 10 】12/03〜
12 03 イラク・日本人殺害について
12 07 戦争に猪突猛進
12 10 イラク問題@情報収集
12 14 イラク問題A視点●原崇人妙子結婚式
12 17 干柿で多忙●自衛隊員よ、死よりは脱走を選べ
12 19 イラク問題B周辺事態法
12 21 イラク問題C岡崎研究所
イラク日本大使館の奥克彦さん、井ノ上正盛さん、運転手のジョルジース・ズラさん、三人の殺害が発生した。
このことについての大枠での理解については、いくつかのとらえ方が出てきています。
次に掲載しますのは昨日とりあげた「ネオコンの論理」と同じく no more war のMLの中に出てきた mail です。発信者は浅田明という方です。
転送(の転送)です。 浅田@宝塚
イラクでの外交官殺害を巡って下記の意見がMLを通してきました。マスコミでは報道されていないこともあるように思いますので紹介します。
Subject: 浅井久仁臣です
皆さん、こんにちは。大使館員殺害事件のマスコミの論調がどうもずれているような気がします。
いつもより多くの皆さんからの意見・異見をお待ちしています。
アチコチに回してください。
また、HPの宣伝も、あなた方の持っているネットワークへのリンクも大歓迎です。
ただ、リンクを貼られる場合は、事前に念の為連絡ください。
『浅井久仁臣・勝手に送りつけじゃーなる』をお送りします。
………………………………………………………………………………
浅井久仁臣 Kuniomi Asai
暇があったら、遊びにおいでよ
『私の視点』
http://www.asaikuniomi.com
<ぜひジャンプして見てください…好上>
日本人外交官殺害事件に思う
殺害された2人の大使館員は、ティクリットで行われる復興支援会議に参加するためにバグダッドから車を走らせていたということですが、昨日の「速報」で疑問を投げかけたように会議をティクリットで開催することも、それに日本の外交官が参加することも私には信じられません。皆さんご存知のように、この町はサッダーム・フセイン元大統領の生まれ故郷ですし、反占領軍攻撃の本拠地とみなされているところです。
その上、護衛、防弾車(簡易防弾とのことだが、イラクに出回っているAK-47自動小銃には有効ではない)、防弾チョッキという、最低限の危機管理も十分になされていなかった点を考慮に入れると、亡くなった大使館員のご遺族には酷な表現ですが、任務とはいえあまりに不用意な行動であったと断じざるを得ません。
マスコミは、2人の人柄を特記してその死を悼んでいますが、彼らの素晴しい性格や業績を称えることと、今回の事件の分析とは一線を画すべきです。
まず忘れてならないのは、現場が戦場であることです。戦場体験を多く持つ私から言わせて貰うと、戦場や紛争地域では平常時の常識、日本での善悪が通用しない、いや時に悪意に取られることさえあるということです。また、自分の言動だけでなく、人や車の動きにも細心の注意を払う必要があります。その場の空気の流れに微妙な変化が出たら危険信号です。それを「読み取る」能力が、戦場では自分の命を守ってくれるのです。危険を察知し、危機回避に全知全能を使わねば命がいくつあっても足りません。
危険察知能力と並んで重要なのは、人脈です。イスラーム社会では、人脈が大きな意味を持ちます。キーパーソンの信頼が得られれば、様々な情報がこちらから頼まなくても向こうから飛び込んできます。「それは、ジャーナリストだから可能であって、外交官の立場では…」と言う人もいますが、そういうアプローチをしているヨーロッパの外交官を何人も私は見ています。
また、そんな古臭いことにとらわれる必要はない、とする人もいますが、「郷に入っては郷に従え」、古人の教えに従うべきでしょう。イスラームの人たちは、「あなたの国は嫌いだが、あなた個人は信用する」とよく言います。地方の部族社会では、あらゆる情報がリーダーの下に集められ、部族の長はその情報を上手く活かしながら部族全体の利益を守ります。それは地方だけでなく、都市部でも同様で、親族や同郷で構成されるグループを通して、様々な情報が伝達されます。時に、「どこどこで危険なことが予測されるから近付くな」といった警告さえ流されます。
だからといって、彼らが実行グループと通じているということではありません。実行グループとて部族やそれに準ずるコミュニティーの存在を無視しては活動できませんから情報を流すのです。ただ、4月にイラク入りし、多くの公務に追われていた2人にそれを求めるのは酷かもしれません。
奥参事官の外務省ホームページに連載されていた「日記」を読むと、彼のいい人柄が読む側に伝わってきます。現地の人たちへの愛情も感じられます。しかし、残念ながら随所に気になる点が見受けられます。それは、彼が「日の丸」を背負ってしまっていることです。ラグビーで鍛えられたたくましい精神が、日の丸の位置をさらに高く掲げてしまっています。実行グループは、通り魔的に3人を襲ったとも考えられますが、私は彼らがバグダッドにいる仲間たちと連携していたとの見方をとっていますから、もしそうだとすれば、奥さんたちの活動は一定期間監視されていたのではないかと思います。
それにしても気の毒なのは、井ノ上三等書記官と運転手です。アラビア語の堪能な井ノ上書記官は、対イラク戦争が始まる前から「これは絶対にやってはいけない戦争だ」と、取材したジャーナリストに語っていたぐらいですから情勢に相当詳しかった方だと推察できます。ティクリートがどんな場所かも熟知していたに違いありません。しかしながら、書記官で通訳という弱い立場では奥参事官に異論が言えなかったのではないでしょうか。映像で収容された3人の遺体を見ましたが(日本のメディアでは発表されません)、中でも井上さんの両腕が宙に浮いたままの姿は、彼の悔しさを現しているように見えてなりません。
それと、イラク人運転手ですが、現地映像を見ると、米軍の厚い護衛の下にバグダッドの日本大使館に送られた外交官の棺とは別に、汚い乗用車の屋根にくくりつけられて「帰宅の途」についています。これも現地の人たちの感情を考えれば、他に方法があったのではと残念でなりません。こうなった以上、せめて遺族の方たちが納得行く保証をするよう外務省に強く訴えたいものです。
………………………………………………………………………………
奥 克彦さん
井ノ上 正盛さん
ジョルジース・ズラさん
ご冥福をお祈りいたします
合掌
浅田 明 asada-a@poporo.ne.jp
昨日に続いていい天気だ。今日は優の8歳の誕生日。電子辞書「速辞書3」を贈物とした。
今朝の各新聞社の社説を見ると、自衛隊のイラク派遣閣議決定の記事が載っている。遮二無二アメリカとの歩調を合わせようとしている。憲法に戦争参加を拒否する条文があるというのに。自衛隊は明らかに軍隊である。
歴史の目からみれば、日本は再び武力という力によって共存共栄や平和を築こうとしている。「過ちはくり返しません」という誓いをよそにしてである。
私たちは一人一人で総理大臣をはじめ指導的な人々にメールを出して「武力による紛争解決ではない考え方」を勧めるよう訴えなければならない。人を殺してはいけない。
極めて緊急な課題である。
朝日新聞と信濃毎日新聞は自衛隊の派遣に対して警鐘を鳴らしている。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html(朝日新聞社説)
http://www.shinmai.co.jp/news/2003/12/06/006.htm(信濃毎日新聞社説)
ところが、読売新聞は政府の動きを肯定している。国民の動向をどう考えているのだろうか。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20031206ig90.htm(読売新聞社説)
昨日は外務大臣が葬儀委員長をつとめた外交官の葬儀がおこなわれた。ベトナムでNGОが殺害されたときの政府の反応はこんなふうではなかった。
アラブ諸国での報道では、日本の外交官殺害の問題を、テロではなくレジスタンスと表現しているという。相手の側にたっての思索がなければならない。
いまや戦争そのものを「概念としての論争」を繰り返すのでなく、「相互殺人の論争」ととらえて、対処し、活動していかなくてはならない。
そうした意味ではできる限り事実にそった情報を収集しなければならない。
例えば次の「日本軍事情報センター」や「私の視点」などをこうした情報の中心としておき、波紋のように広がっていく情報にリンクしながら、情報倉庫を各自が整えることが緊急なことである。
http://www.kamiura.com/index.html(日本軍事情報センター)
http://www.asaikuniomi.com(私の視点)
情報収集とともに大事にしなくてはならないことは、情報の発信と相互理解にもとづく平和活動であり、ことに情報の発信を進めていかなければならないことである。
つぎのマガジンも有益である。
「PUBLICITY」(パブリシティー) 編集人:竹山 徹朗
このマガジンの購読申し込み先はつぎのサイトからです。
http://www.emaga.com/info/7777.html
ともかく戦争への参加・突入をみんなで止めさせなければならない。
戦争拒否……風雲急を告げている。
12月8日は75歳の誕生日でした。米英に対する宣戦布告は1941年だから13歳であり、あれから62年経った。
「戦争放棄」を規定した憲法を祝してから60年にもなる。
「過ちはくり返しません」誓いの言葉を払いのけて、再び武力行使による国際紛争解決の道……戦争に踏み込みました。
あれだけ近隣諸国から靖国神社参拝を批判されながら、平然としている小泉首相です。
一国の宰相としては失格です。
シュミット元西独首相がドイツと日本の現状について、ドイツは戦争責任を真摯に反省し、近隣諸国と友好的な関係を築いてきたが、日本は戦争責任を曖昧にして、未だに近隣諸国と友好的な関係を築けていないので、全く違うと指摘していましたが、今回も国のために尽くしたといってたたえ、その責任を不問にするのは同じ誤りをくりかえすものです。
●イラク問題情報収集
有事立法・ガイドライン資料集
http://www2.odn.ne.jp/btree/syuhen/を見ると、次のような冒頭の記述が載っております。「このページの目次」をみると膨大な資料館になっておりますから、調べていくにはいい案内人になってくれます。
1999年、新ガイドライン制定に伴う法改正の第一弾「周辺事態法」が成立しました。
この法律によって、自治体や民間人を「一般的な協力義務」(政府解説)として米軍の行
う戦争に動員することが出来るようになりました。この法律を実効あらしめるために自衛
隊だけでなく米軍のための「有事立法」も公然と研究が行われるようになりました。
このほかサイトとして次のようなものも役にたちます。
力を合わせて戦争を止めよう
http://nowariraq.jca.apc.org/
爆弾はいらない 子供たちに明日を
http://homepage2.nifty.com/mekkie/peace/iraq/
日本軍事情報センター
http://www.kamiura.com/index.html
「イラク復興、独仏など排除」米国防副長官が方針(日経)
http://www.nikkei.co.jp/sp1/nt57/20031210AS2M1000A10122003.html
「イラク復興事業、米政界関連企業に批判集中 大義の陰で利権独占」
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/nybomb/afterwar/art/031113M057_0706101D10DT.html
「戦後復興は“公共事業”?」
http://www.asahi-net.or.jp/~HB1T-HCY/keizaidangi14.htm
「対イラク戦争は石油=軍事帝国アメリカの“巨大公共事業”」
http://www.jca.apc.org/stopUSwar/Bushwar/arrange_iraq_attack20.htm
イラク問題A視点(その一)
★ Quote/金言(あ〜先人の言葉に学べばよかったのに・・)
"If the United Nations once admits that international disputes can be
settled by using force, then we will have destroyed the foundation of
the organization and our best hope of establishing a world order."
-- Dwight Eisenhower
「もし国連が国際紛争を力によって解決できると一度でも認めたなら、我々は、
その組織の基盤と世界秩序を構築するという最良の望みを破壊することになるだ
ろう。」……アイゼンハワー
"I object to violence because when it appears to do good, the good is
only temporary; the evil it does is permanent."
-- Mahatma Gandhi
私は、暴力に反対します。なぜなら一見、良さそうに見えたとしても、その良く
みえたものは単に一時的に過ぎず、暴力が成すところの害悪は永遠だからです。
……ガンジー
素晴らしい言葉の数々を意訳する才能がないので、ほぼ直訳しています。これを
元に、御自分なりに解釈してみてください。
〔この『金言』はホーバン由美子http://www.sweetnet.com/の発行するメルマガ「子育てネット SweetHeart 283」に載っていたものです〕
イラク問題A視点(その二)
★バグダッドの高校教師からのメール
私はヤフージャパンであなたのeメールアドレスを見つけました。私はバグダッドで高校教師をしています。空手と日本語を勉強したことがあり、常に日本と日本国民を尊敬しています。
日本の軍隊が米国の侵略を助けるために、イラクに来ようとしているというのは、ひどいニュースでした。私は決してサダム・フセインを支持したことはありませんが、米国は武装強盗以外の何者でもありません。彼らは毎日、イラク人を殺しており、一般市民は誰もアメリカ人を支持してはいません。
いまやますます多くの者が抵抗運動に参加しています。彼らはテロリストでもなく、旧政権の残党でもありません。ごく普通の人々です。もし日本が侵略されたら日本国民がどんな行動に出るか想像してみてください。まさに同じことがここで起きています。イラクの再建を担うのはイラク人であって、であって、侵略者どもではありません。
米国に同盟する侵略軍としてイラクに来ないでください。イラク人は日本を尊敬していますが、もし軍隊が来るとなると、日本はイラクや全イスラム教徒の敵となりましょう。あらゆるイラク人はひどく失望することでしょう。これまでに全イスラム教徒の敵となったことのない偉大な国である日本が、アメリカを支持することは、日本人の生命を含めて、すべての損失に値することではありません。侵略者たちが去った後なら日本を歓迎しますが、絶対に今ではないのです。
どうか、われわれの本当の気持ちを日本の人々に伝えてください。日本軍がわが国を侵略するべきではありません。私は日本を愛しています。どうぞどうぞ、われわれの敵にならないでください。私たちは日本が独立国家として正しい決定をなされることを願っております。
(最初の自己紹介部分に、本人の名前が入っていますが、了解を受けていませんし、どんな被害があるかわかりませんので、その部分だけ省略しました……浅田明)
イラク問題A視点(その三)
★MLの西羽潔さんのメール@
皆さん 西羽です
今日の産経新聞によりますと、野中広務氏が昨日の講演で、日本人外交官殺害事件について、「小泉(純一郎)首相は葬儀で『家族の誇り、日本国の誇り』と言う前に『最高責任者として誠に申し訳ない』とわびることができないのか」と述べたそうです。
先に、お二人が殺されたのは、小泉首相のイラク派兵という政策のためだと申し上げましたが、あの哀悼の言葉を聞いて、私も同じような感想を抱きました。
この記事から、野中氏が7月に、「イッちゃん(小沢氏)には流す涙があるが、小泉首相には涙すらない」とも語ったということを思い出しました。首相は、あの哀悼の言葉を述べたとき、涙で絶句しましたが、あの涙はなにだったのでしょうか?
首相はまた知覧で特攻隊員の遺書を読んで涙し、それが靖国神社参拝につながっていると言っています。知覧でも、江田島でも、また九段でも、特攻隊員の遺書を読んで、涙を禁じえない日本人はいないでしょう。
しかしその涙にもいろいろあるようです。国の誤れる政策の犠牲者を悼む涙や、大義ある政策に殉じた勇士を称える涙と…。
去る12月8日、靖国神社の境内には進軍ラッパが鳴り響いたようですが、その翌日の首相の談話を聞いて、今度は進軍ラッパを思い出しました。
★MLの西羽潔さんのメールA
橋本裕さん、皆さん 西羽です
> 戦前戦後の「文芸春秋」に連載された菊池寛の「話の屑籠」より文章を拾ってみました。当時の代表的知識人の心情がうかがえます。
このように整理していただきますと、当時のいわゆる文化人がいかに時代に迎合していったか、よく分かります。「戦争を語り継ごう −リンク集−」に掲載した意義があったと、嬉しく思っています。
この中で、一番身に沁みたのは、<昭和17年>の部分でした。
> 国民皆兵である以上、小学校の三、四年生になれば、昔の武士の子が、十一、二歳で切腹の作法を教えられたように、国のために死する覚悟と作法とを教えるべきであったと思う。われわれ明治大正に育った人間は、学校教育において、あまりに生命を大切にすることのみを教えられすぎていたと思う。
昭和17年には、私はまさに小学校3年生でした。「国のために死する覚悟と作法」を教え込まれる毎日でした。
武士道とか、英霊とかが議論になっていますが、孫や曾孫のために、ああいう時代が2度と来ないよう願っています。
●原崇人妙子結婚式(12月13日)
原貞次郎先生の長子原崇人君と、我孫子出身の佐々木妙子さんが結婚された。崇人君は妹三人の四兄弟の総領で、落着いた立派な青年になっていた。細君になった妙子さんは新宅のおばさんによく似た人柄のようだった。立派で新鮮で、これからの結婚式はこうありたいと思っている。
池袋の『リビエラ』という場所で、Civil Wedding 形式という初めての結婚式でした。
崇人君の今後の成功を祈る。
フセインが拘束された。これは14日のニュースである。
まだ年賀状ができていないのに、干柿のしごとで朝から晩まで多忙多忙! きょうは真介の46歳の誕生日だ。もう46歳になる。「歳月人を待たず」というが、わが身を回顧してみるとその感がひとしおである。
小泉さんは幼子のように、自分の国の立場でしゃべり続けている。相手の立場は依然として言葉には出てこない。
相手がどうなのか、この人も『聞く耳』をじゅうぶん備えてはいない。
●自衛隊員よ、死よりは脱走を選べ
◎ミュージシャンの生田卍さんから、日刊ベリタ掲載のコラムを送っていただきました。筆者は東京新聞の記者さんです。転送の際はベリタからとお書きください。以下引用。
【コラム】
自衛隊員よ、死よりは脱走を選べ 重ねて敗北のペン、詫び状に変えて
「戦争が始まった時、ジャーナリズムは既に敗北している」。3月20日のイラク戦争開戦直後、知人のジャーナリストが議論の中で語ったこの言葉にうなずいたことを覚えている。
自衛隊のイラク派遣を閣議決定した際の小泉首相の会見を聞きながら、この言葉が再び頭をよぎった。
「さあ、戦争報道だ」と勇ましくジャーナリストが現場に出かけることは、それはそれで必要なことなのだが、ジャーナリズムの最も重要な仕事の一つは、平和がかろうじて保たれている間になんとか戦争を回避すべく、事実の提供や戦争の愚を批判する評論で貢献することだ。
その意味では、いわゆる戦場記者たちよりも、平和の時代にその社会に潜む「膿」のありかをさぐり、告発する記者たちの仕事の方が重要だとも思う。
米反戦団体のニュースサイト「アンチ・ウォー・コム」によると、イラク戦争開戦以来現在に至るまで、イラクでは兵士、民間人合わせて最小推計で2万1000人、最大推計で5万5000人のイラク人が死亡した。
事故死、病死、自殺などを合わせた米兵の死者も500人に迫ろうとしている。これだけの犠牲を払っても、なおイラクの平和と安定の希望は見えていない。むしろ、イラクの状況は悪化するばかりだ。
尊い犠牲の果てに、拓ける未来の希望というのも確かにあるかもしれない。
しかし、戦争に伴う不条理な犠牲が未来の「民主化」や「経済発展」で必ずしも贖(あがな)えるとは思えない。とりわけ、戦争犠牲者とその家族にとっては、贖(あがな)いがたい。彼らの時間は長くとまったままだ。その痛みは永遠のように続く。
たとえ長い時間と膨大な労力、コストがかかったとしても、戦争を為政者に回避させることにジャーナリストは心血を注ぐべきだろう。核という人類全体にとっての危機である最終兵器を持つ国が増えつつある現代においては、特に戦争回避の命題が持つ意味は大きい。
世界のジャーナリズムは、私自身も含めてイラク開戦時に、一斉に敗北した。その後の報道はすべて、いわば「敗戦処理」だ。
だが、そういう自覚すらなく、米軍にエンベット(埋め込み)された従軍記者たちの何人かは、深い悲しみが広がる戦争の実像は伝えず、テレビゲームのような戦闘の場面だけを勇ましく伝え続けた。イラク開戦後もバグダッドに残り、米軍による空爆下の報道を続けたアジアプレスの綿井健陽氏は、一部の従軍記者の報道ぶりを「戦闘を伝えただけで戦争を伝えなかった」と語っている。その通りだと思う。
敗戦処理も、ジャーナリストの重要な仕事ではある。始まった戦争を一刻も早く終わらせるために、事実の提供や評論で貢献すること。それは戦争を回避させることとともに、歯を食いしばってもがきながら、辺見庸氏の言葉を借りれば「汗かきながらの悪戦苦闘」でも、やり続けなければならない。
自衛隊の派遣阻止は、日本のジャーナリズムにとっては、その「敗戦処理」の中でも重要な仕事であったように思う。しかし、結局は阻止できなかった。
野球にたとえれば、大差を付けられた後にマウンドに上がった投手が、再び相手打線の火だるまになったようなものだ。
現在のイラクの状況の中に自衛隊を派遣することに反対している日本人は、各メディアの世論調査によると、九割近くに達している。このような世論が生まれるに至ったことに、日本のメディアはいくばくかの貢献をしたといえるのかもしれない。
ジャーナリストの立場からは「メディアに過剰な期待を抱いてもらっても困る」「市民一人一人が立ち上がってくれ」と言いたくなる場合も多いのも事実だ。
しかし、自衛隊の派遣決定が、新たなる敗北、敗戦処理中の敗北であることは認めざるを得ない。付言すれば、自衛隊派遣に反対してきたすべての人にとっての敗北でもある。
なぜ、敗北したかは時代状況を絡めてさまざまな説明が可能だとは思うが、そんな分析は当面、あまり意味は持ちそうにない。おそらくそれは、歴史家の仕事であってジャーナリストの仕事ではない。
再び、このイラクとアフガニスタン(コンゴやチェチェンなど実はほかにもある)で続く戦争を一刻も早く止めることに目を向けなければならない。
派遣された後の自衛隊については、ただ起きたことを伝えるしか仕事は残っていないように思う。個人的な思いをいえば、彼らが無事に帰ってくることができるかどうかについては深い関心を抱いてはいるが、現地での報道に携わる気にはあまりなれない。
イラクの全体状況から離れた自衛隊の一挙一投足を事細かに報じるようないやな匂いが立ち込める洪水報道に巻き込まれる予感があるからだ。
いったん派遣されてしまえば、日本が米国の占領統治に協力し、軍を派遣したという事実は消えない。おそらくは、イラクの混迷の長期化に結果として加担してしまうことになるように予測している。
あまり積極的な価値ではなかったとはいえ、かつての戦争においても日本は中東では「手を血で染めていない」という日本外交の財産にも大きな傷が付いたことになる。
そしてそれを一番よく分析し、知りつつあると思われるのが、派遣される自衛隊にとって脅威となる占領軍を狙う武装勢力だ。
面映いほどに「日本人を尊敬している」と言っていたイラク人が、今は日本に冷めた目から「卑劣な国」という軽蔑の支援を向けつつある。
ティクリットでの日本人外交官殺害事件は、その軽蔑が憎悪に変わりつつあることを示した事件でもあった。
われわれの重ねての敗北によって、自分の本当の意思に沿わずにイラクに派遣されることになった自衛隊員には、お詫びとともに、ぜひ伝えておきたいことがある。
まずは、上官、特に日本にいて指揮を執ろうとしている上官を信用してはならないこと。もちろん、米軍はもっと信用ならないことも肝に銘じておくべきだ。
米兵が次々と脱走していることも、現地での身の処し方として参考になると思う。その情報も伝えておく。
米兵脱走に関する情報を最初に報じたのは、カタールのネットメディア「イスラム・オンライン」と思われる。
それによると、長引く駐留で兵士の士気が落ちる一方の中、米軍は駐留6カ月を超えた兵士を対象に、9月25日から順番で2週間の本国帰国の休暇を与えているが、この一時帰国が導入された直後の10月末の時点で、帰国後の休暇が過ぎても米国内の基地に戻らず、行方をくらました米兵士が少なくとも28人に上っている。この事実は米軍当局者も認めている。
さらに12月3日、調査報道で知られるフランスの週刊紙カナール・アンシェネはイラク駐留米兵のうちこれまでに約1700人が脱走したと報じた。
同紙によると、脱走の大半は、やはり同様に休暇期間を過ぎても米国内の基地に戻らず、そのまま行方をくらますケース。米軍はその全容を隠し続けているという。
脱走は一時帰国した米兵だけでもないようだ。アラビア語のニュースサイトによると、イラク北部のモスルでは、多数の米兵が連日トルコに脱走しているという。イラク人の請け負い業者が500ドルで国境を越える脱走の手助けをしているとの情報もある。
「もう二度とイラクに戻りたくない」という米兵が相当数に上っていることは間違いない。
イラク駐留の若い米兵が味わっている恐怖は十分想像できる。彼らは戦闘で多数のイラク人を殺している。殺さなければ生き延びられなかったが、その場面がよみがえり、悪夢にうなされている。そして今は、イラクの人々の憎しみに囲まれ、襲撃に備えた緊張を強いられ続けている。
米USAトゥデーが10月の時点で伝えた数でも、精神のバランスを崩し、本国送還された者も既に五百人近くに上っているという。
米国では、脱走兵は軍法会議にかけられ、刑罰を受ける可能性が大きいが、その点は日本の自衛隊は法的位置付けがあいまいなことが幸いしている。自衛隊内に独立した司法機関ななく、脱走しても自衛隊をクビになるだけだ。
さまざまな法解釈から政府が処罰をしたとしても、せいぜい書類送検だが、おそらくそうもならないだろう。命よりははるかに安い。
さまざまな顔を持ち、さまざまな生き方をしてきたイラクに行く自衛隊員よ。
危なくなったら逃げろ。
米占領下のイラクに武装した日本人いることがイラクの人々にマイナスの意味を持つと確信したときも、ぜひ逃げてほしい。
そのまま日本に帰って来ればいいのだ。
▽サマワからの脱走方法
逃げ出す方法も教えておこう。まず、必ずパスポートを持っていけ。
自衛隊員はクウェート経由でも入国手続きが不要とされ、パスポートはいらないといわれるかもしれないが、それでもこっそり持っていくように。
それとドルキャッシュで2000ドルほどは持っていた方がいい。
念のためクレジットカードも。
逃げ出すときは、制服を脱いでサマワの町を歩けるチャンスをうかがえ。
クウェート国境、イラン国境などへ抜け出すのは査証の問題があり、まず無理だ。
ヨルダンへの脱出を狙え。
サマワにはタクシーがあり、昼間であれば、バグダッドまで50ドルもあれば走ってくれる。
バグダッドでは、報道陣の多いパレスチナホテルを目指すように。
英語が不自由だったら、パレスチナホテルには日本の報道陣がいるから、ロビーで待って通訳を頼んでもいい。
そして、ヨルダンのアンマンに行ってくれる車を探すのだ。簡単に見つかるはずだ。
バグダッドに着いてアンマン行きの車も見つかったら、日本であなたが行方不明と大騒ぎにならないように、イラク人の持っている「スラヤ」と呼ばれる国際電話もかけられる携帯電話を借り、家族を通じて自衛隊に知らせておく方がいいかもしれない。
自衛隊はそれを聞けば、そっと情報を伏せておくだろう。
バグダッドーアンマンの間は200ドルー500ドルほど。イラクやヨルダンの庶民が使うバスならもっと安い。
イラクーヨルダン国境は、イラク側の入国管理体制はまだできていないはずだから、イラクへの入国スタンプがなくてもヨルダンに入れる。
もし、問題があったときも「日本の自衛隊員だが緊急に帰国する用事ができた」といえばいい。
その程度の英語は丸暗記しておくこと。
アンマンについたら、インターコンチネンタルホテルなどの大きなホテルにチェックインし、ホテル内の旅行代理店で日本行きのチケットを買う。高くても1500ドルくらいだろう。
あとは、飛行機に乗って日本に帰るだけだ。
自衛隊員が集団で脱出してくれれば、各国の軍隊に動揺が広がり、たぶん、イラクが平和を取り戻す日が、少し近づくはずだ。
恥じる必要などない。
帰国後、自衛隊や政府から嫌がらせを受けそうであれば、日本のマスコミと接触するのがいいだろう。
ことがおおげさになれば、さまざまな世論が出るとは思うが、あなたが心情を率直かつ真摯に吐露すれば、日本のマスコミが味方になってくれる可能性は大きい。
くれぐれも、米軍占領下のイラクで、あなたの家族の悲しむ死を迎えることだけは避けてほしい。
自衛隊員の死は重い教訓を小泉政権に与えるからまったく無意味な死とは思わないが、確信を持った脱走の方が、もっと深い教訓を与えるだろう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
▼イラクに派遣される自衛隊員のなかに映画「バトルロワイアル」を観た人がいれば、その内容を思い出している人がいるかも知れない。
敗北のペンと名づけられたこの文章の行間からぼくは、「あきらめ」を感じない。むしろ「書きに書いてやる」という「力」を感じる。ぼくはこのメールが、なぜか心に沁みた。ぼくが書きたくて書けず、また、気づかなかった心の中が書かれているからだろうか。
もしもこのメールのとおりイラクから逃げ帰ってきた自衛隊員がいたとしたら、その隊員の子どもは学校で地域でいじめられるかもしれない。大人からもいじめられるかも知れない。
いじめる奴らに、災いあれ。くそくらえである。
いじめる方が弱い。いじめられる方が強い。
弱いからいじめるのである。強いからいじめられるのである。
この「鉄則」を添えて、転送する。
朝6時半すぎ、空は暗雲低迷。陸自海自の派遣は公明党の主張を入れて派遣時期は決めていないのだが、空自は下旬に決めている。
自衛隊は憲法違反であるのだが、われわれは長年の自衛隊存在になれてしまって黙認しているような意識になっている。
日本人の「寄らば大樹」「長いものには巻かれろ」「どうっていうことはないさ」あるいは新しい言葉「赤信号みんなで渡ればこわくない」という漠然とした生き様が、今回の戦争への参加、武力による国際紛争介入へ猪突猛進の事態を招いてしまった。単独思考を実践しなかった。
このことは私自身の大失敗であり、大責任です。相互殺人を否定するバックボーンが崩れ去ってしまった。
第二次世界大戦に参加したものとして、憲法を堅持すべきであったし、その責任は非常に大きい。
柿で忙しかったのは事実だが、武力行使への一路を猛進している。
次の周辺事態法を載せたが、戦争を想定しての法律であることは誰の目にも明らかです。有事立法・ガイドライン資料集
http://www2.odn.ne.jp/btree/syuhen/の中から調べることができます。
戦争否定の旗を振りかざして、日本国中の人々が戦争拒否の大合唱をしなければなりません。
周辺事態法
周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律
一九九九年五月二十八日
法律第六十号
(目的)
第一条 この法律は、そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至る
おそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影
響を与える事態(以下「周辺事態」という。)に対応して我が国が実施する措
置、その実施の手続その他の必要な事項を定め、日本国とアメリカ合衆国との間
の相互協力及び安全保障条約(以下「日米安保条約」という。)の効果的な運用
に寄与し、我が国の平和及び安全の確保に資することを目的とする。
(武器の使用)
第十一条 第六条第二項(第七条第七項において準用する場合を含む。)の規定
により後方地域支援としての自衛隊の役務の提供の実施を命ぜられた自衛隊の部
隊等の自衛官は、その職務を行うに際し、自己又は自己と共に当該職務に従事す
る者の生命又は身体の防護のためやむを得ない必要があると認める相当の理由が
ある場合には、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で武器を使用する
ことができる。
2 第七条第一項の規定により後方地域捜索救助活動の実施を命ぜられた自衛隊
の部隊等の自衛官は、遭難者の救助の職務を行うに際し、自己又は自己と共に当
該職務に従事する者の生命又は身体の防護のためやむを得ない必要があると認め
る相当の理由がある場合には、その事態に応じ合理的に必要と判断される限度で
武器を使用することができる。
3 前二項の規定による武器の使用に際しては、刑法(明治四十年法律第四十五
号)第三十六条又は第三十七条に該当する場合のほか、人に危害を与えてはなら
ない。
いろいろ調べているうちに次のようなURLをみつけた。岡崎久彦氏は1930年生まれ外務省畑の出身で日米同盟を国家の安定基本と考えている人である。
特定非営利活動法人 岡崎研究所 The Okazaki Institute --鷹ハ群レズ。--
http://www.glocomnet.or.jp/okazaki-inst/oifront.html
「鷹は群れず」……いい言葉だ。「単数思考」→「鷹は群れず」
岡崎氏の考え方が現在の安定をもたらしていることは事実であろう。それにしても、岡崎氏の視点は大事な論拠にもとずいているのだから、これからは大いに調べていく必要がある。
だが、戦争肯定の立場はとるべきではないとしたとき、それが問題なのである。
岡崎久彦氏は 岡崎研究所
http://www.glocomnet.or.jp/okazaki-inst/oifront.html
を開設している人である。
小泉首相も中曽根康弘氏もアメリカ傘下での安定…外務省の考え方に準じたもののようである。このことは20日のテレビを聞いていて、岡崎研究所のホームページの論理そのものであったことから推論できる。
とすると、このURLのそれぞれの論調を調べていれば、小泉首相の考えていく方向が推論できるということとなる。
防衛庁ホームページ
http://www.jda.go.jp/
を調べてみると、防衛庁、陸自、海自、空自へジャンプでき、それぞれのデータは驚くほど提示されている。前掲の岡崎研究所の論調の通り、日本政府は最先端の武器を具備する方向で進んでいるから、アメリカ流儀の武力を持つこととなる。
アメリカの力による平和維持の考え方は国際連盟の多数意見による平和維持の考え方を一歩先んじているのだという。アメリカはそのように考えており、日本政府はそのような意味合いで日米同盟という言葉を使い始めている。
テロや北朝鮮に対する日本の考え方は既に次のように決められている。
テロ対策特別措置法等の根拠と
周辺事態法をみると具体的なことはうっすら判る。
【折々の記 2003 Bへ】