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折々の記 2007 D

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】10/19〜        【 02 】10/24〜
【 03 】10/27〜        【 04 】10/31〜
【 05 】11/10〜        【 06 】11/18〜
【 07 】12/06〜        【 08 】12/18〜



【 06 】11/18〜

  11 18 「諦観」と「無常観」
  11 20 「有朋自遠方来 不亦楽乎」
  11 21 「故事成語で見る中国史」
  12 03 成長の原則が失われていく
  12 05 (OECD)学力調査

11 18(日) 「諦観」と「無常観」

自分の心の中の中核として自己存在の相をもう一度見つめておきたい。 沢柳桂子著「生きて死ぬ智慧」の基盤である「照見五蘊皆空」を身につけていたいからです。


    「諦観」

諦観の諦は印度の原語「サットヤ」で真理、明理ということです。 観はミルということですから諦観というのは「アキラカニ真理ヲミル」ということです。

大宇宙の真理である因果の道理をアキラカニミヨと教えているのですから、無限の進歩発展向上努力をうながすものです。

一切は、物事の因果関係をアキラカニミテ今日まで進歩発展してきたものです。

仏教は決して無気力なアキラメ主義ではなく、反対に、とても意欲的な向上努力主義であります。

    「無常観」― 臨終の覚悟やいかに?―

   「願わくは深く無常を念じて、徒に後悔を貽すこと勿れ」(親鸞聖人 『教行信証行巻』)
   「菩提心(本当の幸せを求める心)とは、無常を観ずる心、すなわち是れその一なり」(道元 『学道用心集』)

「宗教家が死を語らないのは自分で自分の首を絞めるようなもの。宗教家は真剣に取り組むべき」
「時間のない末期患者が求めているのは『癒し』ではなく『完全な救い』」

「人は棺を覆うて名定まる」というのは立身出世主義の儒教の教うるところです。 仏教では名前のことは問題にしませんが、臨終に於ける精神の安定感を喧しく教えています。

 他の宗教よりも特に無常観が強いのは、この為です。

 死に対して如何なる安定感を持つべきかは人類共通の悩みですが、近代人はそこに不安と絶望を見出すのみです。

 試みに有名近代人の臨終の様子を調べてみましても、明るいものは殆ど見あたりません。

   自然主義文学の闘将だった田山花袋氏が60歳で死んでゆく時、詩人島崎藤村が臨終の覚悟を尋ねた時、
   「独りで往くのかと思うと淋しい」と弱い声で答えています。

   夏目漱石氏は大正5年12月9日、胃かいようで50歳で死にましたが、最後に「ああ苦しい。今死ん
   では困る」と、つぶやいたのは有名な話です。

   「金色夜叉」の尾崎紅葉氏も、明治36年10月胃ガンで死にました。病院長から胃ガンと宣告された
   時の、彼の「断腸の記」は悲痛な記録です。彼の華やかな文学も死の淵に臨んだ時には微塵の明るさも
   ありません。

   徹底した無神論者だった筈の正宗白鳥氏は、臨終に「アーメン」と言って周囲の人々を驚かせました。

   熱心なクリスチャンだった国木田独歩氏は、「祈れません」と泣きながら死んで逝きました。

   平林たい子さんは、「一生懸命生きますから、何とか生かして下さい」と、最後に主治医に頼んで死ん
   でいます。

   唯物論者であった故大森義太郎氏は「もし自分がガンになったらハッキリ告げてほしい」と、頼んで医
   者に胃ガンを宣告されました。
   「まァいいさ。とつぶやいたものの帰宅して考えたら実にイヤな気がした。心の隅の何処かで、まだガ
   ンでない場合を考えている。ガンだとしても奇跡的に進行が止まる場合も考えている。この考えにつか
   まって死に面して平気なような顔をしているだけの話さ」
   と、親友の向坂逸郎氏に手紙を送っています。

   「お母さんへ。山の死を美しいとするのは一種の感傷でした。生還すればもう山をやめて心配はかけま
   せん」
   「再び母へ。ありきたりのことだが先に行くのを許して下さい。お父さん、心配かけて申し訳ありませ
   ん」
   これは冬山で遭難したある大学生の遺書です。

   いじめの重圧で命を絶っていく子供たちは、一人の例外もなく
   「お父さん、お母さん、ごめんなさい」の言葉を残しています。

 人間死に直面すれば演技する余裕も、意地も我慢もなく本音を吐くものです

 現代人の多くは死に方の話を避けますが、避けられるものではありません。

 人生の悲劇は、おそかれ早かれ死なねばならないところにあります。
 この死への不安があればこそ、真っ正面から死と取り組まねばならないのです。

 無常の本義を理解して、無常観を身につけていることが肝要なことであります。

    「照見五蘊皆空」― 臨終の覚悟やいかに?―

迷いもなく 迷いがなくなるということもありません

それは「空」の心をもつ人は

迷いがあっても

迷いがないときとおなじ心でいられるからです

こうしてついに 老いもなく 死もなく

老いと死がなくなるということもないという心に至るのです

老いと死が実際にあっても

それを恐れることがないのです

     ……  「生きて死ぬ智慧」18〜19頁より  ……


中学校の青風祭パンフレットの中に、友美が書いた「イメージポエム<>」が載っていた。

絆は生綱であり、まさに親子の生きた綱・臍帯です。 半々を両者がしっかりと握っているものです。 諦観といい、無常観といい、個々人の生き様が基本であるけれど、それを支えているものは絆なのです。

絆の基本的感覚が発展していって慈悲となり慈愛となり、友情となって社会を支えているのです。

老境の身となってからは諦観や無常観と絆の意味が絡みあってくるのです。 行く末に幸多かれと願うことになってくるのです。

11 20(火) 「有朋自遠方来 不亦楽乎」

子曰、「学而時習之。不亦説乎。有朋自遠方来。不亦楽乎。人不知而不慍。不亦君子乎。」(学而第一)

丸岡、来飯。 蘇東坡の『柳緑花紅』の色紙入りの額を贈呈。

他の人たちにも下手な字だけれども、何かを上げると約束。

11 21(水) 「故事成語で見る中国史」

漢文の素養というものは中等教育で養われました。 ただし素養とはいってもほんの入り口のことしか身についてはいない。

返り点、一二三、上中下、再読文字、漢詩文など僅かなことだけでありました。 漱石の作品を読んでいて『虞美人草』が一番漢字を縦横に使っていることを知りました。 蹲(ウズクマ)る、などは「蹲踞の姿勢」で使われていたんだなあと感心したものでした。

日本文化の基盤になっているものは、渡来人がもたらした文化の恩恵が深かった。 それは言語で表現できないほどの一大改革が連続していた。 言語を絶するという言い方があるが、将にその言葉とおりであったと思う。

「故事成語で見る中国史」<http://www23.tok2.com/home/rainy/chugokugaku-seigo.htm>を検索し、具体的には<http://blog.mag2.com/m/log/0000073501/>を開いて必要な語句の説明を知ることができるんですね。

12 03(月) 成長の原則が失われていく

中杉 弘のブログに次の意見が載っています。

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  悲しき教育  2007年12月03日

サンケイ新聞に石原慎太郎の「日本人よ」が連載されているが今日は子供の教育の問題が載っていた。それによると最近の教育は校長が、先生にまず子供を叱ってはいけないというらしい。叱るという行為がなくてどうして教育することができるのだろうか?僕らの子供のころ、小学校の先生は竹の鞭をもっており女の先生でもそれでビチビチと悪餓鬼をなぐっていたものです。廊下に立たされる。しかもバケツをもって立たされるのです。白墨が飛んでくる、”びんた”が飛ぶ。それも往復びんたですからたまりません。体操の先生は背負い投げで悪餓鬼を投げ飛ばす。場合によっては鉄拳制裁もありました。すべての先生は例外なく怖い存在であり子供の前で優しい顔などみせなかった。こういった教師のおかげで基礎的な人格がつくられ、嘘をつかない、責任転嫁をしない、裏切らない、弱者をかばう、泣かない、チクリをしない、などの人間になれるのです。責任転嫁するな!バチ、嘘ついたな!バチ、泣くな!バチ、裏切るな!バチとこんな具合なのです。
こういうことをしてはいけないのだと体で覚えるのです。こういうことからか考えると守屋(元防衛省事務次官)なんてのは多分成績優秀で叱られたことがなかったのであろう。甘やかすとああいう人間になるのです。人を傷づけて平気でいられる、横暴な警察、無慈悲な検察、人間性のかけらもない国税、静岡県立大学の人格破綻教授、ミドリ十字、院内感染、暴力団、こういった連中は人間としての基礎が作られていないのです。学問知識も大事ですがもっとも大事なのは人間教育です。人間教育には叱ることが不可欠で叱られることによって我がままなエゴイズムがなおり協調性が生まれ悪と戦う強い精神力が生まれるのです。体罰とまでいかなくとも”どなる”気合を入れる”こんなのは常識です。僕は毎日なぐられピンタされ時には鉄拳制裁されたのでこんな立派な性格になったのだろうと思います(w。教育の基本は評価・教授・指導・訓練・擁護であると僕は考えますが、なかんずく評価は大事です。誉めてあげること、認めてあげること、激励してあげること、これによって人は目的を得、勇気を得て頑張ることができるのです。しかし訓練の段階で叱ることは不可欠なのです。先生は自信をもとう。自信をもって子供を叱ろうではないか。子供たちを暴力団、横暴公務員にしないために!

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「鉄は熱いうちに打て」と聞いている。

吉田松陰の叔父・玉木文之進は、馬の調教について語っていた。 松下村塾の塾生は、見台に向かって正座していましたね。  成長の原形が見られました。

日本の教育はなし崩しにおかしくなっていきます。 学力はどんどん低下し、品性は見向きもされないような風潮になり、モラルの低下は歯止めもない状態になってきました。

12 05(水) (OECD)学力調査

読売新聞には「教育ルネサンス」というサイトがありますね。 教育についての情報をつかむのに、このサイトはとても都合がいいのです。

きのうNHKテレビに(OECD)学力調査の結果について概要が放送されました。 日本の教育力の低下は待ったなしで、転落の有様を如実に現しています。 この状況は一時的なものではなく基本的な状況の断面を現していると思います。

教育のモラルが崩壊しているのです。

三尺下がって師の影を踏まず………この言葉は既に固化し、日本人の心の中には見当たらなくなったのです。

子どもを大事にするという言葉に惑わされて、子どもをとことん甘やかしてきました。 甘やかされて育った子どもは自分の思うとおりの生活が出来るという価値観を持ってしまいました。 

簡単に言えば、わがままになり、自己中心になり、拝金主義に堕し、我慢がなく、政治家や企業経営者のようにウソをいい、モラルを失ってしまいました、そういう子どもに育ってきているのですね。

これは、子どもが間違ったわけではなく、一人ひとりの親がおかしくなってしまったからなのです。

子どもはこのことに気がつきません。

気がついた親は自分の過ちを修復できないのです。


困ったことですね。

青天の霹靂という言葉があります。

結果を見て分かったような気がしても、社会全体でとことんその改善には立ち向かってはいきません。

例えば、戦争は再び繰り返さないと誓っても、とことんの理解はないから再び鉄砲を持って他人を殺すことに命を懸けているのです。 それも、平和のためといいながらなんです。

あきれてものが言えませんね。

教育についても同じことがいえるのです。

人間としてのモラルのない土壌には、望ましい人間性や学力は育たないのです。

新聞や知識人といわれる人たちの教育の問題に対しては、枝葉のところの議論ばかりなんです。 

全体像が見えていないから、0歳教育への集団としての取り組みが取上げられてこないのですよ。 すべて、成長の原点は「鉄は熱いうちに打て」の原則と同じように、生命の誕生から四年間、言いかえますと妊娠してから満三歳までの幼児期の四年間の教育如何によって、その人の全体像の大部分が出来上がるのです。

先生方への圧力みたいなやり方で解決できる問題ではありません。 教育権というものを教師一人ひとりが確立しなければならないのです。 そして為政者は教育を真剣に考え、教育者を大切にして優遇しなくてはならないのです。 「三尺下がって師の影を踏まず」このことは、成長の原則と共に、望ましい人間性と学力を身につけるために、根底になる要件なのです。


人は感情が大切ですけれども、車の両輪のたとえと同様に理性が大事なのです。

枝葉末節の議論の展開を見ていきましょう。

読売新聞で「学力」に関係して OECD を調べてみました。

ウインドウには次のように表示されています。


  [ OECD ] の検索結果です。  ( 91件中 1〜10件を表示 )

  ▼サイト検索結果 ( 91件中 1〜10件を表示 ) 

  1  国際学力調査 結果を新指導要領に生かさねば

  ホーム >社説・コラム 
  理数系も、もはや世界のトップクラスとは言えない。改めて学力向上への取り組みを迫る結果である。経済
  協力開発機構(OECD)が昨年実施した国際学習到達度調査(PISA)の結果が公表された。世界の57の国・地域中、
  日本は、科学的応用...
  http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20071204ig90.htm - 2007年12月5日 01:20 - 別ウィンドウ表示

  2  日本「お家芸」理数系で順位転落、OECD学力調査で判明

  ホーム >社会 
  経済協力開発機構(OECD)は4日、加盟国を中心とする57の国・地域の15歳男女計約40万人を対象にした2006年
  国際学習到達度調査(略称PISA)の結果を世界同時発表した。 3回目の今回、日本は、すでに2位から6...
  http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071204it12.htm - 2007年12月5日 00:41 - 別ウィンドウ表示

  3  日本の豊かさ世界7位 「環境」「健康」を評価

  ホーム >ジョブサーチ >ニュース 
  社会経済生産性本部が3日発表した2007年版「国民の豊かさの国際比較」によると、日本は経済協力開発機構
  (OECD)に加盟する30か国のうち、総合順位で7位となった。昨年の6位からランクを一つ下げたものの、米国
  (12位)や...
  http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_07120407.cfm - 2007年12月4日  - 別ウィンドウ表示

  4  「国民の豊かさ」日本はOECD加盟30国中7位に後退

  ホーム >経済・マネー >経済ニュース 
  社会経済生産性本部が3日発表した2007年版「国民の豊かさの国際比較」によると、日本は経済協力開発機
  構(OECD)に加盟する30か国のうち、総合順位で7位となった。昨年の6位からランクを1つ下げたものの、米
  国(12位)...
  http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20071203i111.htm - 2007年12月3日 19:06 - 別ウィンドウ表示

  5  中にあるのは何ですか

  ホーム >マネー・経済 >トレンド >一筆経上 
  信じていいのか分からず、疑心暗鬼を募らせている。サブプライムの損失は時とともに拡大し、経済協力開
  発機構(OECD)は最大で33兆円に膨らむと推計する。100ドル札の肖像にもなっているフランクリン氏が残し
  た「時は金...
  http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/ippitsu/at_ip_07120301.htm - 2007年12月3日  - 別ウィンドウ表示

  6  教育予算5%増、独り歩きする数字

  ホーム >教育 >ニュース 
  持つ時間数が3割も少ない」 こんな数字が最近、財務省から示された。3割の根拠は、経済協力開発機構(O
  ECD)の集計した05年の数字だ。最も多い米国だと中学校で1080時間に対し、日本は505時間で、3...
  http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20071201ur01.htm - 2007年12月1日  - 別ウィンドウ表示

  7  日本の「科学的応用力」6位転落…OECD学習到達度調査

  ホーム >社会 
  経済協力開発機構(OECD)が昨年、世界の15歳を対象に実施した国際学習到達度調査(略称PISA)で、日本は
  2003年の前回調査で2位だった「科学的応用力」が、6位に転落したことがわかった。加盟国平均を500点に換
  算...
  http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071129i516.htm - 2007年11月30日 00:27 - 別ウィンドウ表示

  8  科学応用力 日本6位転落

  ホーム >ジョブサーチ >ニュース 
  経済協力開発機構(OECD)が昨年、世界の15歳を対象に実施した国際学習到達度調査(略称PISA)で、日本は
  2003年の前回調査で2位だった「科学的応用力」が、6位に転落したことがわかった。加盟国平均を500点に
  換算...
  http://job.yomiuri.co.jp/news/jo_ne_07113001.cfm - 2007年11月30日  - 別ウィンドウ表示

  9  自律反発も米国株次第

  ホーム >マネー・経済 >投資講座 >株価を読む 
  となったほか、赤字が急拡大した米連邦住宅貸付抵当公社(フレディマック)は急落した。また、経済協力
  開発機構(OECD)はサブプライムローン問題関連の損失額が最大3,000億ドルに膨らむとの見通しを公表し
  た。一時、テキサス産軽質油(WTI)先物...
  http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/kabuka/kab071126.htm - 2007年11月26日  - 別ウィンドウ表示

  10  ワーキングプア・ネットカフェ難民…貧困拡大 見えぬ実態

  ホーム >医療と介護 >共生 >社会保障 安心 
  局長は増殖する貧困に警鐘を鳴らす。こうした貧困の実態はすでに数字で裏付けられている。昨年7月に
  経済協力開発機構(OECD)が公表した「対日経済審査報告書」では、2000年の相対的貧困率は13・5%で、
  アメリカに次いで2位だった。「...
  http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kyousei/security/20071107-OYT8T00205.htm - 2007年11月7日  - 別
  ウィンドウ表示

この中で国際学力調査の記事は5件で、開いてみていると、学力についての根幹に関わる意見は見られず枝葉末節に関わる意見で埋められていました。

このニュースをこんな角度でとらえていると、日本の理科の先生方が突き上げを食らうのは目に見えています。

こんな程度では教育の問題が解決されません。

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