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折々の記 2005 B

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】08/27〜        【 02 】09/10〜
【 03 】09/18〜        【 04 】11/06〜
【 05 】12/01〜        【 06 】02/08〜
【 07 】02/25〜        【 08 】00/00〜


【 02 】09/10〜

  09 10 家のまわりの花たち
  09 10 柳沢桂子の「生きて死ぬ智慧」
  09 15 二宮金次郎 天保の大飢饉を救う

09 10(土) 家のまわりの花たち

『ウメモドキ』

 ウメモドキ(梅擬)モチノキ科

 赤い実がきれいなので,庭木として植えら
 れます。葉が落ちた後はひときわ目立ちま
 す。

 このウメモドキは丸八の鼎さんがずっと前
 くれて植えたもの。 花言葉・明朗。

 「うめ」によく似た葉をもつので、梅擬と
 名づけられました。落霜紅と書くこともあ
りますが、これは霜が降りるころに実が色づくからです。実生で増やします。

植え付けは極寒期を除く11〜3月、日当たりと排水のよい肥沃な所であれば土質は選びません。開花期は6月、白色の小花であまり目立ちませんが、10月ごろに赤い小果が無数に色づき、冬の間長く楽しめます。

花は4月以降に新しく伸びた枝に開花しますので、整枝、剪定は3月までに行います。

『ムラサキシキブ』

 ムラサキシキブ(紫式部)クマツヅラ科
 山野に生える落葉低木です。庭などに植こ
 えられて「ムラサキシキブ」と呼ばれるの
 はコムラサキ(小紫)のことが多いと思い
 ます。コムラサキに比べて実のつき方がま
 ばらで,素朴な感じです。
 このムラサキシキブは在所の父桐生長一が
 家の前のヤツデと一緒にくれたもの。

 花言葉・聡明  初夏に花を咲かせますが、
 秋につく深い紫の実は、思わず人の歩みを
止めるほど魅力的です。別名を「実紫」といい、実の色ずばりの命名です。

挿し木で増やします。植え付けは極寒期を除く11〜3月。日当たりがよくて腐植質に富み、肥沃で保水性のある所を好みます。花は初夏に開花しますが余り目立たず、秋10〜11月に葉腋につける果実を観賞します。剪定や刈り込みは特に必要ありませんが、枝が混みすぎれば2〜3月ごろ、地際近くで刈り込みます。

『イチイ』

 イチイ(一位)イチイ科

 山地に自生する常緑高木です。イチイの変
 種であるキャラボク(伽羅木)は寺院など
 の庭木に植えられます。

 和名は,この木で「笏(しゃく;束帯のと
 き右手に持つ薄い板。神主なども使う)」
 を作ったことから,階位一位にちなむとの
 こと。

 このイチイは父下平真広が分家して家を建
 てたとき、馬場の高見から頂いたもの。

針葉樹。寒さに強く、北海道でも育つ。 葉っぱはとがるが先端は柔らかい。 材は良質で建築材、鉛筆、細工物等に使われる。

昔、貴族の持つ「笏(しゃく)」を飛騨の位山(くらいやま)にあるこの木で作り、朝廷から官位の「一位」を賜ったことから「一位」の名になった。

また上記から、「笏の木(しゃくのき)」の別名もある。

実は10月頃に赤くなる。赤い皮と身のところは甘いらしいけど黒い種子は有毒とのこと。

岐阜県の県の木(一位)
別名 「笏の木(しゃくのき)」上記より。
「おんこ」アイヌ語の onko より。
「蘭(あららぎ)」 明治時代、伊藤左千夫、斎藤茂吉らは短歌の機関紙「アララギ」
             を編集し、のちに「アララギ派」と呼ばれるようになった。

『鳥の糞から芽がでた木』

 数年前に知らぬまに生えたものでなんとい
 木だかわからない。
 珍しいことであったので、そのまま育つに
 任せていた。
 名前くらいは調べたい。
 
 




『ハギ』

 ヤマハギ(山萩)マメ科

 秋の七草に数えられますが,7 月頃から咲
 き始めます。山で普通に見かける萩です。
 この花が咲き始めると、秋になったことを
 実感するようになります。

 日本の秋を代表する花のひとつです。

 秋の代表的な草という意味を込めて、漢字
 で書くと「萩」という字になったようです。
そういえば、何年か前に初めて知ったのですが、この花の咲く時期(秋)の彼岸に食べることから、名づけられた「おはぎ」は、春の彼岸のときには「ぼたもち」と呼ばれます。

おはぎとぼたもちはまったく同じものを別の呼び方をしているだけなのだそうです。「ぼたもち」は漢字で書くと「牡丹餅」で、その漢字が表すとおり、ボタンの花の咲く頃に食べるからそう呼ばれるようになったそうです。

ご存知の方にとっては常識かもしれませんが、このことを知らない方は多いようで、疑問に思っていた方はこれで謎が解けましたでしょうか。

・豆(まめ)科。
・学名 Lespedeza thunbergii(宮城の萩)
Lespedeza bicolor var. japonica (山萩)
Lespedeza : ハギ属
thunbergii : スウェーデンの
植物学者「ツンベルク」さんの
bicolor : 二色の
japonica : 日本の
Lespedeza(レスペデーザ)は、18世紀後半の、アメリカのフロリダ州知事の
スペイン人「Cespedes さん」の名前にちなむ。 誤植のため Cespedes が Lespedez になった。

萩といえば山萩を指す。東京近辺で見られるものは「宮城の萩」と「山萩」がほとんど。
 枝や葉は家畜の飼料や屋根ふきの材料に、葉を落とした枝を束ねて箒(ほうき)に、
根を煎じて、めまいやのぼせの薬にするなど、人々の生活にも溶け込んでいた。

・秋の十五夜に、薄(すすき)、おだんごと一緒に縁側などに置いて供える習慣がある。
・地上部は一部を残して枯死するため、毎年新しい芽を出すことから「はえぎ(生え芽)」となり、
しだいに「はぎ」に変化した。

・「一家(ひとつや)に 遊女も寝たり 萩と月」  松尾芭蕉
「白露を こぼさぬ萩の うねりかな」   松尾芭蕉
「行き行きて たふれ伏すとも 萩の原」   河合曽良
「わけている 庭しもやがて 野辺なれば 萩の盛りを わがものに見る」    西行法師
「秋風は 涼しくなりぬ 馬並(な)めて いざ野に行かな 萩の花見に」    万葉集
「人皆は 萩を秋といふ よし我は 尾花が末(うれ)を 秋とは言はむ」    万葉集
「わが岳(おか)に さを鹿来鳴く 初萩の 花妻問ひに 来鳴くさを鹿」    万葉集
「高円の 野べの秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに」      万葉集
「高円の 野べの秋萩 この頃の 暁露に 咲きにけるかも」    大伴家持 万葉集
「宮人の 袖つけ衣 秋萩に 匂ひよろしき 高円(たかまど)の宮」大伴家持 万葉集
「指進(さしずみ)の 栗栖(くるす)の小野の 萩の花 花散らむ時にし 行きて手向けむ」 万葉集
「かくのみに ありけるものを 萩の花 咲きてありやと 問いし君はも」   万葉集
「萩の風 何か急(せ)かるゝ 何ならむ」   水原秋櫻子

『キバナコスモス』

 コスモス キク科

 熱帯アメリカ原産で,菊科に属します。日
 本名の「秋桜」というのも趣のある名前で
 す。

 cosmos とは(秩序のある調和のとれた体
 系と考えられた)宇宙のこと。
 cosmos に対応するのは chaos、
 宇宙を表す言葉はspace,universe があり
 ます。space は、(地球の)大気圏外、宇宙
であり、universe は the を冠して使われる、というように若干ニュアンスが違うようです。黄色い花のつくのはキバナコスモス(黄花コスモス)です。

・菊(きく)科。
・学名 Cosmos sulphureus
Cosmos : コスモス属
sulphureus : 硫黄色の,黄色の
Cosmos は、ギリシャ語で「飾り」の意味。

・メキシコ原産。6〜10月頃開花。コスモスの仲間で、花色が黄色かオレンジ色なので
この名前になった(黄色の方が多いかな)。
・葉っぱはコスモスより太くギザギザ。(コスモスの葉は線状)

『秀の好きな小さい白い花』

 この花はなんという花なのだろうか。名前
 くらいは調べたい。

 ● 分かったこと
 孔雀草(くじゃくそう)(Perennial aster)
 菊科。学名 Aster hybridus
Aster : シオン属 hybridus : 雑種の
Aster(アスター)は、ギリシャ語の
「aster(星)」から。


・北アメリカ原産。
・ピンクと白がある。白い花は「白孔雀(しろくじゃく)」と呼ぶ。
・長い茎がたくさん枝分かれして多数の花を咲かせるところから、孔雀の尾っぽの羽根に見立てた。
・花言葉は 「いつも愉快、ひとめぼれ」

『坪庭フェンス完成』

 初代別家の下平真広が家を建てたとき坪
 庭の生垣として植えたヒノキが外側へよた
 ってしまい、真広没後六年経ってから垣根
 と棕櫚を撤去した。

 板塀にしようかと思案したが、見たとおり
 の簡単なアルミフェンスにした。経費はな
 んと五万円もかからなかった。ほかの塀に
 したければ簡単に改修できる。


09 10(土) 柳沢桂子の「生きて死ぬ智慧」

平安堂で三冊の本を購入した。

 「生きて死ぬ智慧」 柳沢桂子著
 「いのちの日記」  柳沢桂子著
 「もったいない」  ワンガリ・マータイ

柳沢桂子、それはNHKのテレビを見ていて頭に焼きついた名前であった。


「生きて死ぬ智慧」の6頁

   お聞きなさい
   私たちは 広大な宇宙のなかに
   存在します
   宇宙では
   形という固定したものはありません
   実体がないのです
   宇宙は粒子に満ちています
   粒子は自由に動き回って 形を変えて
   おたがいの関係の
   安定したところで静止します

「生きて死ぬ智慧」の10頁

   お聞きなさい
   あなたも 宇宙のなかで
   粒子でできています
   宇宙のなかの
   ほかの粒子と一つづきです
   ですから宇宙も「空」です
   あなたという実体はないのです
   あなたと宇宙は一つです


0歳教育に関係する本を読んでいて出会った、ピアスの「 hologram(ホログラム)」の理論に成り立っている生命論理も同じものであった。

私が昭和25年「性格を論ず」という小論を書いたことがある。

それはそのまま、柳沢女史の粒子論そっくりの思考基盤に立っていたものでした。

因みに転載してみます。


 それは、現代西欧の知識人は性格の秘密を嗅ぎつけているということであります。ローレンスが1914年6月5日にエドワード・ガーネットに当てた手紙に次のような言葉があるのです。

 「私の小説に性格という古臭い安定したエゴを求めてはなりません。そこには別のエゴがあります。その活動によって個人は見分け難いものとなり、いわば同質異体の状態を通過します。この状態を見出すためには、我々は普通以上に深い感覚を必要とします。それは根本的に不遍な同一元素の状態なのです。ちょうど、ダイヤモンドも石炭も、炭素という純粋の同一元素なのと同じようなものです。普通の小説は、ダイヤモンドの歴史をたどるのです。でも私はこういいます。「なにダイヤモンドだって? これは炭素じやないか」私のダイヤモンドも、石炭か煤かもしれません。しかも私の主題は炭素なのです」

 私たちの感覚にとらえられる机とか椅子とか水とかは、私たちの常識の世界を構成しているのですが、科学はこれを分析して炭素とか水素とか酸素とかいった元素にしてしまいました。いやそればかりではなく、最近の科学は分析を重ねていって、結局、電子とか陽子とか、まるで常識の世界では想像もつかないまで分析してしまったのです。私の眼の前にいる美しい女性も、傍らにある洗面器と変わりのない電気を帯びた粒子という同質のものから出来ているわけになります。ところが帯電粒子が諸々に結合して、ご覧のとうりの別の物質と肉体とがここに現れるわけです。ローレンスは、これと同じようなことを人間心理にまで立ち入ってやったわけであります。

 ところで、常識の世界には所謂「性格」を持った人間がいるわけですが、これを分解して非常識の世界にまで到ると、結局のところ「心理的原子」の集合があるだけになります。このように常識を越えて探究をすすめることが、現代の科学や思想界(殊に精神生活を素材にする文学上)の動向となっていると考えることができます。科学の発達は、精神科学を駆使して、かくまで人間心理を掘りだして我々の眼の前にさらけだしてくれました。個性を否定し、性格を否定し去ったあとには、ただ心理的原子が現れてくるのみと思います。極端にいえば「個性は我々の個人的所有物ではない」とも言いうるのであります。そこで、帯電粒子の電子であり陽子でもある心理的原子は如何なる構成により人間を形成していくのでしょうか。また個性とか性格とかは、人間形成と如何なる関係があるのでしょうか。原子は生まれおちる以前、否、陽と陰の結合せるやいなや、その活動は始まるものと考えられます。しかし、人間という一つの存在は、独立して生活しうるようになると、急速にところ嫌わずいろいろの原子を吸収してしまうと思います。そして吸着し成長してきますと、新しい意味での個性ができるとも言えます。それは削除をうけず選択のされていない、別の言葉でいえば、世界観とか人生観とかいった何か特別の排水溝に流しこまれていない、全人の個性というものであります。そこで、無意識や潜在意識の一切を含む人間の意識の流れを考えて、個性とは、人間のあらゆる体験によって絶えず流動変化するものですが、そこに内面的な判断の作用があって、自らひとつの統一をなしているものと言えましょう。そして、この流動変化する個性にたいして、何らかの規範、主義、原則により抑制を加えて変化をいくつかのジャンルに凝結せしめた結果として「性格」が現れてくるものと考えてよいと私は思います。しかしここでは、年齢の上で問題になる点は課題としておきたいと思い、控えておきます。

 批評家を迷路に立たせ、一体如何なる性格を有せるものかと論議され、何も結果を見出しえずにいるハムレットなどは、あの英国の文豪シェクスピアの知恵の実のなかに、人間の性格の本質がきらめいていたのではあるまいか。文学上の問題に、恋愛問題をはじめ、身分、財産のごたごた問題が多くその素材にとられているのは何故であろうか。人間心理の、利害に基ずくエゴの微妙な変化が、その描かれる人間の中に、影のごとくつき纒っているからだと思います。なぜ道徳的品性を固持しつつも、しかも醜い想念を捨てさり得ないのか。原子的心理は、ある個性とか性格とかが許さざるところまで、人の内面に吸着されているのであって、個性とか性格に、厚い壁があると仮定する人のほうが、むしろおかしいと言えましょう。野心あるものが偉くなり、転ずれば悪人となるのも、またこれに帰一するでしょう。現今の我々は、個性とか性格への解剖のメスを許されているのであると思います。

 主観の篩が、性格及びその他(このことについては、又いろいろと探究すべき課題が私には課せられている)により構成され、形を保持していると考えられるので、その一面である性格が朧げながら明らかになってきても、決して主観の篩の意昧内容が解明されたとは言えません。

 二重人格、経験派、観念派、楽天家、厭世家、喜怒哀楽等々は、もはや人生のべールとして見えるのみで、本体はメスにより明らかにされ得るのです。我々は、世界の科学の進展に盲目でなく、この精神科学を進展せねばならないと思います。


●「もったいない」

この本の6頁に、


「もったい」とは、物の本体を意味する「勿体=物体」のこと。「ない」はそれを否定したもので、本来は物の本体を失うことをさす言葉でした。また「もったい」には重々しく尊大なさまという意味もあり、それを「無し」にすることから、畏れ多い、かたじけない、むやみに費やすのが惜しいという意味で使われるようになりました。

しかし、なによりも「もったいない」という言葉の奥には努力や苦労、時間や歴史など、せっかく積み重ねてきたことを「失ってしまう」「無にしてしまう」ことへの無念と哀しみがあるのです。


ワンガリ・マータイ(ケニア環境副大臣)は1940年生まれ。彼女は2004年ノーベル平和賞を受賞。2005年2月の来日時に、日本語の「もったいない」に出会い、地球環境を守る世界共通語として「MOTTAINAI」を世界各地で訴えている。

日常この言葉に無感覚になっている私たちに、「もったいない」という素晴らしい言葉を再認識させてくれた立派な人である。

「もったいない」に秘められたもっとも大切な心は、物を惜しむこと以上に、そのものを得るまでのさまざまな労苦に対する感謝と敬愛の念なのです。

09 15(木) 二宮金次郎 天保の大飢饉を救う

昨夜、TV番組「そのとき歴史は動いた」<二宮金次郎 天保の大飢饉を救う>をみた。二宮金次郎といえば次にあげた歌がうかぶ。

  二宮金次郎   作詞作曲不詳/文部省唱歌

一 柴刈り縄ない草鞋(わらじ)をつくり
  親の手を助(す)け弟(おとと)を世話し
  兄弟仲よく孝行つくす
  手本は二宮金次郎

二 骨身を惜まず仕事をはげみ
  夜なべ済まして手習読書
  せわしい中にも撓(たゆ)まず学ぶ
  手本は二宮金次郎

三 家業大事に費(ついえ)をはぶき
  少しの物をも粗末にせずに
  遂には身を立て人をもすくう
  手本は二宮金次郎

テレビを見るまで二宮金次郎についての細かいことは知らなかった。話は聞くものである。温故知新という言葉は知っていても、温故の故の情報量がふんだんに無いかぎり知らずに済んでしまうことが多い。

何らかの方法で故人を調べることはできるのだから、それぞれの地域のデータから調べたり、いろいろのジャンルから捜す工夫もしたいものである。

NHKTV番組「そのとき歴史は動いた」のデータをみると次のサイトの基本事項がのっていた。

 moto.319.html<二宮金次郎 天保の大飢饉を救う>

さらに、二宮金次郎を検索してみるといろいろのサイトが出ている。

  @http://www.terumori.jp/ninomiya.html <二宮金次郎>

ごく一般的な解説としてみればよい。

  Ahttp://www.geocities.jp/journey4web/Trv/TRVNinob.html <実在しない二宮金次郎と銅像の検証 / 考証 紅蜻蛉団>

このサイトはとても参考になる。紅蜻蛉団というのはかなりエネルギッシュな活動をしており、ここからのジャンプサイトも気がきいている。

  Bhttp://homepage2.nifty.com/osiete/s665.htm <二宮金次郎ってなんで小学校に銅像でいたの?>

幾つかの関連サイトがあり、参考になる。

  Chttp://www.yasukiya.com/kinjiro.htm <二宮金次郎 物語>

沖縄県のサイトで珍しい。

家内が興味をもってみていたので、旅行して実際に見てみようと思う。そのときの栞として上のデータをプリントしていく予定である。

【折々の記 2005 Bへ】