06 08(金) かわいい子には旅をさせよ |
月日は百代(ハクタイ)の過客(カカク)にして、行かふ年も又旅人也。舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして、旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜(カイヒン)にさすらへ、去年の秋江上(コウショウ)の破屋(ハオク)に蜘の古巣をはらひて、やゝ年も暮、春立る霞の空に、白川の関こえんと、そヾろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず、もゝ引の破をつヾり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、住る方は人に譲り、杉風(サンプウ)が別墅(ベッショ)に移るに、 草の戸も住替る代ぞひなの家 (くさのとも すみかわるよぞ ひなのいえ) 面八句(オモテハチク)を庵(イオリ)の柱に懸置(カケオク)。 |
原 文 | 解 説 |
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。 | 月日というのは、永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。 |
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。 | 船頭として船の上に生涯を浮かべ、馬子として馬の轡(くつわ)を引いて老いを迎える者は、毎日旅をして旅を住処(すみか)としているようなものである。 |
古人も多く旅に死せるあり。 | 古人の中には、旅の途中で命を無くした人が多くいる。 |
予もいづれの年よりか、片雲の風にさそはれて、漂泊の思ひやまず、海浜にさすらへ、 | わたしもいくつになったころからか、ちぎれ雲が風に身をまかせ漂っているのを見ると、漂泊の思いを止めることができず、海ぎわの地をさすらい、 |
去年の秋江上の破屋に蜘の古巣をはらひて、 | 去年の秋は、隅田川のほとりのあばら屋に帰ってクモの古巣を払い、しばらく落ち着いていたが、 |
やゝ年も暮、春立る霞の空に白川の関こえんと、 | しだいに年も暮れて、春になり、霞がかる空をながめながら、ふと白河の関を越えてみようかなどと思うと、 |
そゞろ神の物につきて心をくるはせ、道祖神のまねきにあひて、取もの手につかず。 | さっそく「そぞろ神」がのりうつって心を乱し、おまけに道祖神の手招きにあっては、取るものも手につかない有様である。 |
もゝ引の破をつゞり、笠の緒付かえて、三里に灸すゆるより、松島の月先心にかゝりて、 | そうしたわけで、ももひきの破れをつくろい、笠の緒を付けかえ、三里のつぼに灸をすえて旅支度をはじめると、さっそくながら、松島の名月がまず気にかかって、 |
住る方は人に譲り、杉風が別墅に移るに、 | 住まいの方は人に譲り、旅立つまで杉風の別宅に移ることにして、その折に、 |
草の戸も住替る代ぞひなの家 | 人の世の移ろいにならい、草葺きのこの家も、新たな住人を迎えることになる。これまで縁のないことではあったが、節句の頃には、にぎやかに雛をかざる光景がこの家にも見られるのであろう。 |
面八句を庵の柱に懸置。 | と発句を詠んで、面八句を庵の柱にかけておいた。 |
06 10(月) 土浦空爆の日…62年前 |
平和のときに人一人殺せば殺人罪で起訴され裁判所でその罪を裁かれなければならないというのに……………。 戦争であれば人を何人殺しても殺人罪にならない。 国家間で認めた無法地帯がそこに生まれるからだ……………。 |
「若い血潮の予科練の〜」と、若鷲の歌で知られている土浦海軍航空隊(現陸上自衛隊武器学校)。終戦を迎える昭和20年まで、日本海軍少年航空兵養成の中核的施設でした。予科練卒業生は、全国で約24,000人で、18,564人が、太平洋戦争で戦死しました。 昭和41年、予科練の碑「予科練二人象」が、昭和43年には予科練記念館「雄翔館」が予科練出身者により建てられました。記念館には、約1,700点の遺品がおさめられており、日本の昭和史を伝える貴重な記念館です。年間7万人余りが全国から訪れます。 |
06 17(日) 第一回お遍路報告と父の日・累代の墓石建立 |
06 21(木) 源氏物語絵巻・特別企画展 |