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折々の記 2007 @

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】01/04〜        【 02 】01/25〜
【 03 】02/16〜        【 04 】02/26〜
【 05 】02/27〜        【 06 】03/21〜
【 07 】03/31〜        【 08 】04/09〜


【 01 】01/04〜

  01 04 ‘頂きます’●「食べる」と「食う」
  01 08 地球温暖化による‘気象変化’
  01 10 生命の果て…死滅とは
  01 13 文化とは何か
  01 16 素晴らしい文化…「子育て」
  01 19 涼羽、5才の誕生日
  01 20 パソコンのリカバリー
  01 24 楊貴妃の最後

01 04(木)‘頂きます’

食事をとるとき私たちは‘頂きます’といいます。

この言葉は誰もいないときでも、食事のときに言ったりします。食習慣のうちの一つになっているのですね。諸外国では食事を始める前に何をするのでしょうか。知っている方に教えてもらいたい。

‘頂きます’は「食べます」の意味だけではありませんね。「頂戴します」から‘頂きます’になっています。

何を頂戴するかといえば、もちろん食べ物です。ただ人から食べ物を頂くだけの意味ではありませんね。どんな食べ物でもその源は大切な生命を本来持っていたものであり、それがかわって食べ物になっています。ですから、いのちを頂くというのがもとになっていることが理解できます。

「頂戴します」というのは、大切な生命を頂戴するという素晴らしい意味をもっている言葉なんです。私たちは自分以外の生命を頂いて生きているのです。自分以外の生命を口にしない限り生きていけないのですね。

「絶対矛盾の自己撞着」という言葉を聞いたことがあります。

どんなものでも貫くという矛と、どんなものでも通さないという盾を、ある商人が売っていました。
「その矛で、その盾を突きとおして見せてください。」
……これが、商人の矛盾なのです。絶対矛盾なのです。

撞着という言葉を広辞苑で調べてみますと、
  @つきあたること。ぶっかること。
  A前後が一致しないこと。つじつまが合わないこと。矛盾。「自家-」
と出ています。
私が教えられたのは‘自己撞着’だったと思いますが‘自家撞着’となっていました。

ある和尚さんが修行中のお小僧さんに、
「人は軒下の蜘蛛でも道端の草花でも、殺したり踏みにじって命を奪ったりしてはいけないんだよ」
と教えてやりました。お小僧さんは首をかしげて、
「雑炊にしたお米は、もとは生きていたのではありませんか」と聞きました。
……和尚さんは「アッ」と息をのみこんだのです。

人の道では「絶対矛盾の自己撞着」を認めざるを得ないのです

食事前の言葉「頂きます」には命に対する敬虔な姿を見ることができるのです。食事作法としての食前の言葉を疎かにしていてはいけないのです。

言葉は言霊(ことだま)といいます。言葉自身が自分の魂を現しているというのです。言葉をおろそかにしてはいけないのです。

●「食べる」と「食う」

孫は中学二年生と小学五年生の女の子です。

 「もうお昼ご飯食った?」
 「食ったよ。」

あまり聞かない言葉だし、第一女の子の話し方なので、わたしは一瞬驚いて目をみはった。


 広辞苑

 【食べる】  @飲食物をいただく。「食う」「飲む」の丁寧な言い方。
        A転じて、生計を立てる。「こんな安月給では-・べていけない」
 【食う・喰う】@食物を口に入れ、かんでのみこむ。食べる。
        A生活する。くらしをたてる。
        Bくわえる。ついばむ。
        Cくいつく。かみつく。かむ。また、蚊などが刺す。
        Dしっかりかみあわせる。くいついて離さない。
        E傷つける。
        F(好ましくないことを)身に受ける。こうむる。
        Gうっかり信じこむ。だまされる。
        H相手を飲みこむ意。こばかにして存在を認めない。
        I他の領分を侵す。くい入る。
        Jスポーツなどで強い相手を負かす。また、演技などで共演者などを圧倒する。
        K金、時間などを消費する。ついやす。
        L(「としを-・う」の形で)かなりの年齢になる。
        M(演劇用語)上演脚本の一部を省略する。カットする。


私は子供のときから「食べる」しか聞かなかったし、使わなかった。「ご飯を食う」とは余りにも粗野な言い方、野暮な言い方だ、そう感じています。

孫を取り巻く人たちの言葉づかいが変わってきたのでしょう。多くの子どもたちの言い方だと聞いております。

私の感覚の中では、今では自分の命を養ってくれる食べ物の本来の生命に対する敬虔な思いがあります。だから、「頂きます」と言うし「食べる」と言います。間違っても「食う」とは言いません。

辞書で調べてみても、「食う」という意味は動作そのものを意味する表現方法としか受け止めることができません。

【食べる】は食うの丁寧語としか SHRP の電卓辞書には出ていません。
【頂く】Cウ 食うの謙譲語としか出ていません。

辞書の解釈だけでは、本来使われてきた食事時の【頂きます】や【頂きました】の言葉の意味が十分表わされてはいない。文化の伝承が途切れてしまう、そんな心配は私一人のものなのでしょうか。

01 08(木) 地球温暖化による‘気象変化’

地球の温暖化が叫ばれてから何年にもなります。氷河は溶けるし、海洋の温度変化を意味するエルニーニョ現象も解説されるようになりました。

日本では裏日本での豪雨がここ二三年顕著になっていますし、秋の寒冷化が遅くなってきて干柿生産の対処法が難しくなってきています。去年の裏日本の降雪は異常なほどの量であり、反対に今年の雪はまことに少ないのです。

西高東低の気圧配置では、低気圧が北よりになったためか日本列島南部の低気圧との合流があり、そのため猛烈な低気圧に成長して強風と高波、裏日本の降雪となっているようです。

京都議定書のCO数値には近づかず、寧ろ多くなりそうだと言います。ますます地球の温暖化は進むことになりそうです。

イソップ物語に「蟻とキリギリス」の話があります。
   http://hukumusume.com/douwa/pc/aesop/index.html <きょうのイソップ童話>


 福娘童話集 > きょうのイソップ童話 > 3月のイソップ童話 > アリとキリギリス

  3月31日のイソップ童話  アリとキリギリス

  夏のある日、キリギリスが野原で歌を歌っていると、アリたちがぞろぞろ歩いてきました。
「おい、アリくんたち。そんなに汗をびっしょりかいて、なにをしてるんだい」
「これはキリギリスさん、わたしたちは食べ物を運んでいるんですよ」
「ふーん。だけど、ここには食べ物がいっぱいあるじゃないか、どうして、いちいち家に食べ物をはこぶんだい。おれみたいにおなかがすいたらその辺にある食べ物を食べて、あとは楽しく歌を歌ったり、あそんだりしていればいいじゃないか」
「でもね。キリギリスさん。いまは夏だから食べ物がたくさんあるけど、冬が来たらここも、食べ物はなくなってしまいますよ。いまのうちにたくさんの食べ物をあつめておかないと、あとでこまりますよ」
  アリたちがそういうと、キリギリスはバカにしたようにハハハハハハッと笑って。
「まだ夏が始まったばかり。冬のことは冬が来てから考えればいいのさ」
  そう答えると、また歌を歌い始めました。
  さて、それからも毎日キリギリスは陽気に歌ってくらし、アリたちはせっせと家に食べ物を運びました。
  やがて夏がおわり、秋が来ました。
  キリギリスは、ますます陽気に歌を歌っています。
  そしてとうとう、さむい、さむい冬がやってきました。
  野原の草はすっかり枯れ果て、キリギリスの食べ物は1つもなくなってしまいました。
「ああ、おなかがすいたな。こまったな。どこかに食べ物はないかなあ。あ、そうだ。アリくんたちが食べ物をたくさんあつめていたっけ、よし、アリくんたちに何か食べさせてもらおう」
  キリギリスは急いでアリの家にやってきましたが、アリは家の中から。
「だから、食べ物がたくさんある夏のあいだに食べ物をあつめておきなさいといったでしょう。家にはかぞく分の食べ物しかないから、悪いけど、キリギリスさんにはあげることができません」
  といって、げんかんをあけてくれませんでした。
  キリギリスは雪の降る野原のまん中で、寒さにふるえながらしょんぼりしていました。

  いま楽をしているなまけ者は、そのうち痛い目にあうというお話です。

おしまい


目先の生活を享楽して後になってシッペガエシを受けなければいいが……。いやもう、シッペガエシは眼の前に展開し始めています。

01 10(水) 生命の果て…死滅とは

生命の始まり…命を持っているものはみな、植物にしても動物にしても、その生命が始まる瞬間は想像を絶する原理によって開始されているようです。それは瞬間のことであり、日常なんの知らせもなく起こっている現象です。

植物はふつう雄蕊雌蕊の受粉により、動物は雌雄の受精によって新しい生命が発生しています。

植物も動物も種子や子孫を残し世代交番の役目を終え、生命エネルギーを使い果たして老化し死を迎えています。

死後の世界はどうなんだろうかと憶測するときはあるにしても、結論としては死は生命の終焉であり無意識・無存在となります。

仏教でいう存在論では、すべては色即是空であり、五薀皆空が合理的な認識であると主張していると思います。

それは本当のことだと思っています。亡くなった人からは、息を引き取った瞬間から、その声を聞くことはできませんし、考え方を聞くこともできません。寒いとか暑いとか聞くこともできません。

息を引き取った瞬間から何もしゃべらないし微動だにしないのです。すべてのエネルギーは一瞬にして停止し、その心身は永劫に変転してゆき、元に戻ることはありません。

存在から見かけ上は無存在となるのです。生命ある粒子の総合存在は、生命のない粒子に分解されてその形を失ってしまいます。それが死であります。

存在の証はなにかといえば、生存中の見たこと聞いたことが脳裡に記憶されて活動していることが一つ。もう一つは、本人が書き残したり写真などに記録されたものしかありません。

私たちが生存中に役立ったものは、その人が得た学問や見聞、体験による処世感覚とエネルギーだろうと思います。

役立ったものはいろいろありましょうが、基本になったものは第一に親が子に対して持ち続けてくれた愛情でしょう。一口に親の恩というし、親への尽きせぬ感謝の気持ちを考えれば、一人の人間として誰もが一番役にたった人として挙げるのは、自分の母親と父親でありましょう。

北キツネや鳥の子育て、皇帝ペンギンなどに見られる親子の絆も、その根源は同じでしょう。

兄弟、家族、親戚、友人や、教えを受けた人、行きずりの人など、自分を取り巻くその周囲の人たちから受取った大事な心の持ち方も自分の意識から見落していてはいけません。

いろいろの本、宗教、歴史を始めとして、平家物語から徒然草方丈記などから現代文学の本、また、一茶、芭蕉、良寛和尚から現代にいたるまでの故人の見識も私たちを培ってくれました。

だが、一人の人の文化はその人の終焉でもって消滅します。

もし残るとすれば、石や木などを材料とした製作品や、文字や絵画、或いは書かれた図面や楽曲などしかありません。

学者にしても素封家にしても貧乏人にしても、人はその一代で終わります。環境によって多少の違いがあるにせよ、10代も経てば「栄枯盛衰は世のならい」が現前することとなります。(家訓が堅く守られていれば何代かは続くかも知れません)

世代間の生成発展についてはピアスの「Magical Child」の考え方が正しいと思います。

01 13(土) 文化とは何か

国宝や世界文化遺産など文化遺産とは言うものの、あくまで遺産であって、文化そのものではありません。

文化というのは、もっと生臭い息吹を感ずる生きている人の体の中に築き上げてきたもののことをさしていると思うのです。

国宝級の文化遺産そのものを所有していても、それは文化の形骸であって文化そのものを所有していることではありませんね。所有者は単なる所有者に過ぎません。

例えば文化遺産が三尺に満たない仏像であったとします。誰が見てもハッとする出来栄えの素晴らしい作品であったとします。文化とは出来上がって残っている作品ではなく、それを創りあげた人の感覚や技術、見識や生き様そのものです。

東洋文化といえば、東洋的な感覚や技術、見識や生き様そのものであり、日本文化といえば、日本に伝承されてきている日本的な感覚や技術、見識や生き様そのものであります。

わびの世界も日本的文化が求めたものです。粋な気質も日本的文化が求めたものです。「ヤセ蛙 負けるな一茶 ここにあり」の気概も日本的文化が求めたものです。引き水で顔を洗い東の空に向かって合掌するのも日本的文化が求めたものでありますね。

神仏への合掌は己自身への約束事がその内容であって、始めはただ単に願い事だけが内容であっても、やがては自分への厳しい約束事であることに気づくものであります。そこからはイスラムのようなジハードは決して生じてくることはなかったと思います。

慈悲も文化ですし、恕も文化です。座禅も文化ですし、東天合掌も文化です。

謙譲も文化ですし、忍耐も文化です。正直も文化ですし、親切も文化です。

子どもをいたわるのも文化ですし、親をいたわるのも文化です。

真実の探求も文化ですし、放浪も文化です。

カンバスに向かっての美意識の修行も文化ですし、五線符に向かっての楽譜の創作も文化です。

汗を流しての野菜作りも文化ですし、仕事に熱中するのも文化です。

文化にはいろいろの形がありますが、金儲けを目標にしたものは文化ではありません。

権力や見栄を目標にしたものも文化ではありません。

文化とは人が見ても聞いても触っても心豊かになれるものが本質なのです。

一人の人の文化は死をもって消滅します。 生体エネルギーの生滅とともに文化も生滅するのです。



   諸 行 無 常

   是 生 滅 法

   生 滅 滅 己

   寂 滅 為 楽

 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。おごれる人も久しからず、只春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。

 散るさくら 残るさくらも 散るさくら


01 16(月) 素晴らしい文化…「子育て」

親にしかできない素晴らしい文化……それは「子育て」なのです。

  「北キツネを読んだこと、ある?」

  「インネ、読んだこたぁねえ」

  「いちど読んでごらんな。それまで大事に可愛がって育てた子どもを、噛みついて
  追い払うんだに……。 あのキツネが、子どもの巣立ちを、噛みついて、追い払っ
  て教えるんだに……。」

  「フゥ〜ン……?」

やがてそれを読んでみると、切なくとも毅然とした北キツネの心の一端が理解できるのです。

言葉を知らないキツネは、やがて自立しないと生きていけない自然環境のために、容赦もなく噛みつき、腹をすかして淋しがって泣いて擦り寄ってきても、容赦もなく噛みつき、噛みつき、子どもを追い払ってしまうのです。

可愛い我が子の一生の幸せを願って、可愛がって乳をやり、餌をとってきては与え、甘えのジャレツキに応えて遊び、餌のとり方を教えてきてきたものを、自分の縄張りを作って厳しい生活に立ち向かっていくために、ある日突然噛みついて、噛みついて、追い払い、追い払い、巣立ちをさせているのです。

子キツネの悲しさの何倍の悲しみに耐えて、北キツネの親は我が子に噛みつくのでしょう。

やがて、立派に育った子ギツネに出会うことがあったとすれば、どれほど親ギツネは喜ぶことでしょうか。

動物の世界で、子育てをしている親が自分の子どもを死ぬまで折檻することは聞いたことも見たこともありません。

瓜の木に茄子はならない。

愛情のあり方を心得ず、自分中心の考えで人をなじり、勝手な考えをしてきた親には、親に似た子どもが育つのは当たり前のことなのです。

「いじめ」を社会制度や組織・機構でなくしていこうとしている限り、それは不合理のことであって「いじめ」が改善されることはありません。

「栴檀は双葉より香し」といいます。これは植物の遺伝資質のことであり、人は「氏より育ち」という諺のほうが当てはまります。育て方如何によってどのようにも育つものなのであります。理論的に理解しようとするならば、ピアス(「ジョセフ・チルトン・ピアス」か「マジカル・チャイルド」で検索…日本教文社出版『マジカル・チャイルド』)の考え方を学ぶことが近道であります。

「いじめ」のない社会を願うとすれば、「0歳教育」にみんなして取り組むことが至上の命題でありましょう。そしてこれこそ、それぞれの人が文化を身につけていく素晴らしい課題に違いありません。

「子育て」ほど素敵な仕事はこの世にはない。


 …「0歳教育」(私製本)の序文

 有線本部から「0歳教育シリーズ」の放送を受持ってほしいと話があったのは、62年の10月でした。個人的には、0歳教育に身も心も投入するつもりでいたので、非才を顧みずお引受けしました。

 教育の荒廃が、家庭の親子関係に端を発しており、且つまた、教育が行なわるべき時期というものは、実は0歳に近いほどよいという科学的研究の結果もあり、そうしたことから私はおこがましくも、喬木村有線放送引受けを「可」とする判断をしたわけであります。

 引受けた限り責任があり、話の内容は充分な根拠に基ずく必要もあったので、それから急ピッチで資料としての書籍の収集と読解が私の課題となりました。

 驚いたことに、調べれば調べるほど人間の<mind-brain,mind-brain-body>「心脳」或いは「心脳体」の恐ろしいほどの能力にぶちあたり、吾を忘れて没頭することとなりました。

 受胎から6歳まで、誰でもが持っているという、その不可思議な超能力<ESP=Extra Sensory Perception>を活動させ、一人一人の幼児に、素晴らしい能力や、素敵な人格や、逞ましい心身を、どう身につけてもらったらいいか、それこそが「0歳教育」が取組む課題にちがいないと思いました。

 じっと考えていると、なにか頭の中がぞくぞくしてくるような、未来へ電気がほとばしるような、次々に新しいことが生まれでるような、そんな感じがしました。

 さて、一つの幼い生命体がそんな素晴らしい能力・エネルギーを持っていることとは別に、どんな親でも、生まれながら幼い子供に対して、命を賭ける一途な本能を持っていることを自覚しなければなりません。

 親というものは、水火も辞せぬ激しい愛情と、静かなそれとはわからない温かい愛情を持っています。

 ここに0歳教育が完全に成功する基盤があります。

 私は、この放送原稿を書いているうちに、親の愛情とは何か、という課題の答えに気がつきました。それはこういう言葉でよいと思います。

 「親の愛情とは、わが子のしあわせを願って、何かを、してやることである」

 この冊子は、放送原稿をまとめたものであります。ですからこの内容をよく読みとって、具体的な仕事にとりかかって頂きたいと思います。この素晴らしい子育ての仕事に命をかけてください。

   昭和63(1988)年10月19日


01 19(金) 涼羽、5才の誕生日

ここしばらくは涼羽が5才になる、という話を老妻としてきた。

小さいころの話をして楽しむのであり、それは結構苦もなく楽しいものです。 三人の孫の話には、何はともあれ年寄りとしては嬉しいものなのです。

小諸の孫も皇室の愛子さまとは学齢でいえば5才の同級生です。 二月の紀元節、今の建国記念日は三連休になるから、そのころ5才のお祝いに行ってきたい。

その折には軽井沢によって、軽井沢彫りを見てきたい。

この三月は老夫妻の金婚式になる。子供たちへ十分なことができなかったという償いの気持ちが50年もたつとだんだん深まってくる。

それで金婚式という機会に子供たちを招いて償いの気持ちを表したいというのが、金婚式本来の意味合いだと思う。自分たちで子供を招くというのは、そこらあたりに根拠があるのだろう。

01 20(土) パソコンのリカバリー

パソコンの動きが極端に遅くなって、そのために困ることが多くなっていた。そのため、自分でリカバリーをしてみた。

あとで雑誌を見ていると、CドライブをそっくりDドライブへコピーしておき、Cドライブのリカバリーが済んでから戻せばいいという。

その際にはいろいろとフォルダーやソフトの整理をしておけばいいというのだ。まったくその通りであった。

そんなことも知らずに、必要だと思うものをすべてコピーして、あとでインプットしたから大変でした。

●懐かしい歌

    旅の夜風   作詞:西条八十 作曲:万城目正

  (男)花も嵐も 踏み越えて
  (男)行くが男の 生きる道
  (男)泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
  (男)月の比叡を 独り行く

  (女)優しかの君 ただ独り
  (女)発たせまつりし 旅の空
  (女)可愛い子供は 女の生命
  (女)なぜに淋しい 子守唄

  (男)加茂の河原に 秋長けて
  (男)肌に夜風が 沁みわたる
  (男)男 柳が なに泣くものか
  (男)風に揺れるは 影ばかり

  (女)愛の山河 雲幾重
  (女)心ごころは 隔てても
  (女)待てば来る来る 愛染かつら
  (女)やがて芽を吹く 春がくる

01 24(水) 楊貴妃の最後

今日は習字の新年会です。習字を習っている人たちへ新年の贈り物として色紙へ何を書いたらいいか考えていたが、百楽天の長恨歌に出てくる楊貴妃の最後四句に決めた。その中身は次のようです。

  漁陽鞁鼓動地来

  驚破霓裳羽衣曲

  六軍不發無奈何

  宛轉蛾眉馬前死

岩波新書出版吉川幸次郎氏の「新唐詩選」より


  長恨歌(ちょうこんか)---白居易

 白居易は中唐の詩人、字(あざな)は白楽天で、日本ではこの名前でよく知られている。菅原道真は白居易の忠実な祖述者であり、紫式部や清少納言は彼の詩の愛読者であったとも聞く。

 彼の詩の中でも「長恨歌」は、古来多くの日本人に最も愛されてきた。この詩は叙事詩の体裁で、物語詩とでも言うべきであろうか。それは、8世紀の偉大な唐の玄宗皇帝とその愛人楊貴妃の悲劇的な恋物語で、漢詩の中でもストーリーを持った珍らしい全編120行の長編作品である。

【皇帝の馬前で38歳でこの世を去った楊貴妃(宛轉蛾眉)】

  漁陽鞁鼓動地来     漁陽の鞁鼓(へいこ) 地を動かして来たり

  驚破霓裳羽衣曲     驚かし破る 霓裳(げいしょう)羽衣(うい)の曲

 皇帝と楊貴妃が、政治を忘れるほどの愛の生活を楽しんでいる間に、漁陽に陣を構えていた安禄山が、兵を挙げて皇帝の住む長安めがけて謀反を起こし、陣太鼓を響かせながら皇帝の住む長安に攻め上がる。皇帝が作曲したむせび泣くような「霓裳羽衣」の曲は、反乱軍の陣太鼓に驚かされて吹き飛んでしまった。

  六軍不發無奈何     六軍発せず 奈何(いかん)ともするなく

  宛轉蛾眉馬前死     宛轉(えんてん)たる蛾眉(がび) 馬前に死す

 宮殿に反乱軍が突入し、皇帝は楊貴妃を始めとする身内と僅かばかりの側近を連れ、成都へ向けて脱出したが、百里ばかり進んだ馬嵬驛で部下の兵士が反乱を起こし、楊貴妃の命を求めた。
 かくて美しい楊貴妃(宛轉蛾眉)は皇帝の馬前に練り絹で自ら首をくくり、38歳でこの世を去った。

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<参考資料>宛轉蛾眉・霓裳羽衣

    代悲白頭翁(白頭を悲しむ翁に代る)    唐 ・ 劉希夷

  一朝臥病無相識     一朝、病に臥して、相ひ識るもの無し

  三春行樂在誰邉     三春の行樂、誰が邊にか在る

  宛轉蛾眉能幾時     宛轉たる娥眉、能く幾時ぞ

  須臾鶴髪亂如絲     須臾にして鶴髮、亂れて絲の如し

【宛転】 えん(ゑん)てん ゆるやかにめぐる。女の眉の美しいさま。唐・劉希夷〔白頭を悲しむ翁に代る〕詩 宛轉たる娥眉、能く幾時ぞ 須臾(しゆゆ)にして鶴髮、亂れて絲の如し。 〔字通による〕

   【須臾】 しゆゆ しばらく。〔中庸、一〕道なる者は、須臾も離るべからざるなり。
   離るべきは道に非ざるなり。〔字通による〕

【娥眉】 がび 美しいまゆ。美しい女。唐・劉希夷〔白頭を悲しむ翁に代る〕詩 一朝、病に臥して、相ひ識るもの無し 三春の行樂、誰が邊(ほとり)にか在る 宛轉たる娥眉、能く幾時ぞ 須臾(しゆゆ)にして鶴髮亂れて絲の如し。 〔字通による〕

【霓】(げい) 声符は兒(げい)。〔説文〕十一下に「屈虹なり。赤或いは白色、陰の气なり」とあって、虹をいう。虹に雌雄の別があり、色の鮮やかなものは雄、色の暗いものは雌霓(しげい)。虹の首尾に竜形の頭があり、兒はその象形。卜文の虹にその形がみえる。卜辞に「昃(ゆふぐれ)にまた出ありて北よりし、河に飮(みづの)めり」とあって、虹があらわれるのは河水を飲みに下るとされた。仙人の衣裳を霓裳羽衣という。 〔字通による〕

【裳】(しょう) 声符は(尚)(しよう)。〔説文〕七下に「常は下(かくん)なり。常、或いは衣に從ふ」とあり、常・裳を一字とするが、区別して用いる。〔詩、風、緑衣〕「衣裳」の〔伝〕に、上を衣、下を裳とする。下とは、はかまをいう。 〔字通による〕

【霓裳】(げいしよう) 虹を裳にたとえる。唐の玄宗がもと波羅門の曲をえて、潤色して霓裳羽衣の曲を作ったという。〔字通による〕 (岩波新書では(ぎょうしょう)としてあったが、字通で調べても【霓】は(げい)とあり、それに準じた。)

 《霓裳羽衣の曲》この言葉は「お気に入りの歌@の3羽衣」の歌詞に出てきます。


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