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折々の記 2007 A

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】04/29〜        【 02 】05/05〜
【 03 】05/21〜        【 04 】06/04〜
【 05 】06/08〜        【 06 】06/23〜
【 07 】07/12〜        【 08 】07/17〜


【 01 】04/29〜

  04 29 <旅行記>恵信尼を訪ねて
  04 30 八重桜の下、氏神さま
  05 01 新潟の親鸞上人
  05 03 憲法改正問題 1
  05 04 憲法改正問題 2

04 29(日) 恵信尼を訪ねて 写真68枚

●恵信尼を訪ねて(4/27)

お遍路を調べていたとき「なぜお寺には山号があるの?」を開いてみた。三頁にわたっていろいろと書かれていた。


……そしてそれらの寺院には、山号と言うものがある。比叡山延暦寺。高野山金剛峰寺。東京の浅草寺は金龍山。真宗では、東西両本願寺ともに、大谷山・龍谷山と山号がある。比叡山、高野山と言えば、それは山の名前ではなくて寺院名を言っているのである。不思議に、飛鳥・天平時代に建立された法隆寺とか唐招提寺などの南都七大寺には、山号がない。寺院の山号に付いては、中国の禅宗などの寺院制度にその由来があると言う説。禅宗寺院では、中国の五山の真似をしてそうした山号を付けた事も、想像できるが、小さな村の村落寺院にまで山号が付けられた理由の説明にはならない。寺院の山号を語るには、日本人の宗教や霊魂観の問題を語る必要があり。いわば庶民信仰を抜きにしては、山号一つとっても、語れないのである。


として、「山国の日本」「日本人の先祖崇拝」「仏教伝来と山の概念の変化」「仏教に求めるもの」「日本仏教は葬式仏教か」「結論」などの項目にしたがって縷々説明していた。<http://www.jiin.or.jp/turezure/sangou.htm>

この「山号」のほかの項目に「恵信尼と親鸞」の項目があり、歴史の中で女性の働きが大事だと思い始めていたので、「恵信尼」を調べ始めた。 調べていて次のサイトが役に立った。

  <http://www.jiin.or.jp/turezure1/esinni.htm>(恵信尼と親鸞)

  <http://www.city.joetsu.niigata.jp/itakura/home/index.php>(ゑしんの里いたくら)

この【ゑしんの里いたくら】には「板倉区の観光情報」があって、十一の情報を載せている。

なかでも「ゑしんの里記念館」の<恵信尼資料室>には(恵信尼について)(恵信尼伝絵)(恵信尼・親鸞年表)(恵信尼文書)(恵信尼に関する諸説)の五つの項目にジャンプでき、その概要を見ることができる。

殊に(恵信尼伝絵)と(恵信尼文書)は恵信尼を知る手がかりになった。文書は現代文の箇所を拡大してコピーできるので、このあとの「ゑしんの里記念館」へ行って、解説画面と説明を見ながら聞いていたときにとても役に立った。

■細かい記録は「旅の記録」へ載せるので、ここでは三枚の写真と感想を書きとめる。

下の写真は「ゑしんの里記念館」の左から裏庭へ出て撮った写真。

  

            上越の人々の故郷の山(妙高連山)  オリンパス u1000 による
             左の高峰が2454mの妙高山 : 中央三角錐が2461.8mの火打山という

上越地方の人々にとっては、故郷の山といえばおそらくこの妙高の雄姿に違いない

上越のどこにいてもこの山は絶えず目に映る。積雪に閉じ込められたときでも、どんなに暑い夏の日中でも、どんなに悲しいことがあったときでも、人々はこの山を見て育てられてきたに違いない。

異郷の私ですら、この山なみに言い尽くせない尊さを感ずる。

   ふるさとの 山にむかいて いうことなし

              ふるさとの山は ありがたきかな


啄木は岩手山を仰いで、自分の感慨を歌にうたった。

啄木と同じように(上越の人々と同じように)、恵信尼はこの山に向かい合って生きぬいてきたものと思う。 上越の人々がうらやましいではないか。

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      上越平野 箕冠山にて

海抜 236m のこの山には、越後の守護大名上杉氏の家臣、大熊氏により築城された箕冠城ミカブリジョウがあった。戦国時代の要害だったこの城は上越平野を一望できる場所にある。車で頂上近くまで行けるというので登ってみた。遥かかなたに上越市や日本海がかすんで見え、すばらしい眺めである。

<http://www.city.joetsu.niigata.jp/itakura/ss/ss_11.php>を開くと「箕冠城跡」の説明が見れる。

近くの川も大熊川の名がついている。

………………………………………………………………………………………………………………………

「ゑしんの里記念館」は箕冠城址と指呼の間にある。

  

       恵信尼の墓  五輪の塔(方・円・三角・半月・宝珠)のうち半月形が別彫りされている。

妙高連山を写真に撮ろうとして左横から裏手に行こうとしたら、館員らしい娘さんに出会った。恵信尼の「五輪の塔」はどこかと尋ねると教えてくれた。あとで記念館のフロント嬢だとわかった。

石の塀で200坪ほどを囲い込んで、その奥まったところに「恵信尼の五輪の塔」はあった。

恵信尼寿塔 <http://www.city.joetsu.niigata.jp/itakura/ca/ca_16.php>を開いてみると


浄土真宗の開祖親鸞聖人の妻、恵信尼によって建てられた寿塔(五輪の塔)であると言われている。

 大正10年に京都西本願寺から恵信の手紙が10通発見され、恵信が70才を過ぎてから、越後の地で子どもや孫と暮らしていたことが確認された。

 昭和32年に富山大学の梅原教授により、米増に鎌倉時代の中期作と思われる五尺六寸の古い五輪の塔があり、樹齢600年と推定されるこぶしの古株や「五りん田、とよ田、びくやしき、びくに墓」などの地名等が残っていることから、恵信尼由来の寿塔と比定した。

 昭和38年に西本願寺がこの五輪の塔を恵信尼の寿塔と認め、墓所として整備をしている。平成19年の親鸞配流800年にあわせ、平成17年に改修された。


とある。 「五輪の塔」の地面には名もなきような小さい可憐な花が人知れず咲いていた。時の流れにかかわりなきかのように……。(世代交番は着実に行われてきた)

哀れとはいえ、人の情愛のむなしさを思いつつ五輪の塔に手を合わせた。

04 30(月) 八重桜の下、氏神さま

氏神さまを現在地へ移転したのは何時のことだったのだろう。擁護壁ができて狭苦しくなったので、下平諒(通称・まこちゃ)と相談し、俊成の友達からバックホーを借りて工事をした。そしてそこへ祠を建てることを提案したのは下平守(通称・守さ)で、石屋さんから始まって設計から工事まですべて世話になった。

ここに植えてある桜はみな守さが手配してくれたものである。

もう何年経ったのだろうか。今年は原田(美穂子)夫妻が二人の子を連れてきてくれた。それに八重桜も綺麗に咲いたというのに。 諒(通称・まこちゃ)は知るすべもない。

   散るさくら 残るさくらも 散るさくら

すべていのちは人の如何ともなしがたいもの。

  

八重桜の下で氏神様祭りは終わった。

美穂子のご主人、原田さんは優しい人柄で美穂子はしあわせだ。 美穂子の明るい性格はお母さんから受けたもので、二人の子供は上手に育てられていた。 桜を撮りたかったので之が先になった。

左下隅は隆子さんでしが、うっかりしていて御免。原田さんはよく手伝ってくれた。

  

美穂子はすらっとした若いお母さんになっている。 右下は河原のとみ子さんだが、歳をひろってから何の苦もない子どもたちとお母さんを見たり、話をしたりすることは、心和むものなのである。

きのうはいい天気だった。

05 01(火) 新潟の親鸞上人

ゑしんの里記念館のロビーで「上越市観光ガイドマップ」「ゑしんの里いたくら」「新潟日報」<親鸞 居多ヶ浜上陸800年特集>という二つのパンフレットと新聞をゲットした。

考えてみれば恵心尼を訪ねて親鸞を訪ねないというのはおかしな話である。「新潟日報」はこんな内容である。

   @  親鸞を育んだ越後の風土
   AB 座談会「越後の親鸞と恵心尼」 (大場厚順 市川信夫 上原みゆき)
   CD 木原四郎イラスト紀行「親鸞上人ゆかりの地を訪ねて」
   E  寄稿「親鸞と謙信と上越」:親鸞を全国へ-観光ボランティアの取組 :50年前のにぎわい :観光バスルート
   F  私と親鸞


   親鸞を育んだ越後の風土

人の思想や信仰は、その人が生きた土地の風土と歴史に育まれるところが多い。

親鸞上人の七年間の越後生活は、その生涯に深い影響をおよぼしたと私は思う。

親鸞はそれほど身分が高いというわけではなかったようだが、一応、当時の貴族の家に生まれた。そして最高学府であった比叡山に二十年余りを学んだ。

比叡山をおりて、在野の念仏者になるが、それでも時代の寵児、法然の一門につらなっていた。その法然からも高く評価されていたようだ。

それはつまり、親鸞という人が、彼自身の意識はどうあれ、エリートの一人であったことを示していた。

格式ある奈良や京都の大寺からみれば、専修念仏の衆徒は、新興の大衆勢力にすぎなかったとしても、彼らは時代の先端をゆく新宗教の旗手であった。朝廷や貴族たちの間にも、熱烈な支持者が少なくなかった。

そんな時代の波の中でイメージされる親鸞の姿は、内面にいかに深い悩みを抱いていたとしても、やはり颯爽と見える。まだ十分に若くもあった。

そんな親鸞に一大転機が訪れたのが、建永二年の念仏弾圧である。仲間の僧四名が死罪にされ、師の法然も流罪となる。親鸞の人生にとって初めてにして最大のショックであったに違いない。

越後に送られた親鸞が第一歩をふみだしたとされる居多ヶ浜を、私がはじめて訪れたのは、去年のことだった。おりから真紅の落日が水平線のかなたに、まさに沈んでゆく瞬間を眺めることができた。

京の都から越後へ、そして一介の流刑者としての生活。そのなかで親鸞は、はじめて庶民大衆の真の暮しを眺め、その心に触れることができたのではあるまいか。

親鸞の文章にたびたび現われる「海」のイメージも、民衆への深い共感も、すべてこの越後での七年間がもたらしたものだと私は思う。

五木寛之(いつきひろゆき・作家)

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【渺茫たる日本海の居多ヶ浜(コタガハマ)に建つ石碑】(写真説明)

居多ヶ浜を見下ろして立つ「親鸞上陸の地」の石碑。孫の覚如(カクニョ)が親鸞の心情を代弁したとされる

   「もしわれ配所におもむかずは何によりてか辺鄙の群類を化せん

   これ猶師教の恩致なり」


という言葉が刻まれている。親鸞の生涯を絵巻物にした「御伝抄(ゴデンショウ)」から取り、浄土真宗東本願寺門首、大谷暢顕(チョウケン)師の書。1999年4月、直江津ロータリークラブ40周年記念事業で建立された。=2007年2月28日、上越市五智6


「上越市観光ガイドマップ」これは新聞二頁分の大きいマップつきガイドで、参考になる。

「ゑしんの里いたくら」は板倉地区の案内と地図があり有難い。

Web で調べるとすれば次データから、気に入った部分をコピーすればいい。

   http://www.kokufu.jorne.ed.jp/area/shinran.html<親鸞聖人>

   http://www.gobosama.net/shinran/sinran.html<越後の親鸞>

   http://www2u.biglobe.ne.jp/~yamy1265/kyoto-21.html<松虫・鈴虫>

   http://www.tonotv.com/members/bisyamon/newpage6.htm<松虫・鈴虫伝説>

   http://www7a.biglobe.ne.jp/~anrakuji/index.htm<ANRAKU-JI WORLD>

   http://www-h.yamagata-u.ac.jp/~kmatsuo/joukei.html<貞慶 (専修念仏批判、越後流罪)>

   http://www.geocities.jp/web_kodama/hishiki.html<浄土真宗の戦争責任>

   http://park16.wakwak.com/~komyo-ji/html/hounen.html<法然上人について>


05 03(木) 憲法改正問題 1

信濃毎日新聞の社説は、誰が起案したのだろうか。 溜飲が下がる思いがする。 雲霧離散の思いがする。 この意見が普通の人の意見であろう。

こうした意見は当たり前のものとしてよい。 溜飲が下がるとか、雲霧離散の思いというのは、それだけにそれほどに、日本人の人々の意識がおかしくなっている証拠であろう。 

ことに政治家たちや公務員の人たちの中には、戦前の日本の轍を再び踏むものが多い。 マスコミも政治家よりである。

人は人を殺してはならない。 鉄砲を持って訓練するという轍を踏んではならない。

人の品性はもっと崇高なものであり、それを堅持しなければならない。

人としての品性を欠く人は、自分の子供や孫を戦場へ送る人である。 人の死を苦にしない人である。

……ものしりの人たちがどんな理屈で迫ろうとも、人を殺(アヤ)めることを認めてはならない。……
……たとえテロ支持者であろうと、誰であろうとも……
……親があり子があり孫があるからだ。……


   憲法60年(上) 論議を国民の手に戻せ  信濃毎日新聞社説 5月3日(木)

 憲法をめぐる動きが急である。

 防衛庁を「省」に昇格させる法律は昨年の臨時国会で成立、新・防衛省が発足した。安倍晋三首相は集団的自衛権について論議する研究会を先日、発足させている。平和主義のかなめである九条の足元は、大きく揺らいでいる。

 憲法とセットで定められた教育基本法は、昨年12月に改正された。憲法改正の手続きを定める国民投票法案は、早ければ6月中にも成立する可能性がある。

 任期中に憲法を改正する−。安倍首相は就任以来、繰り返してきた。改正の是非を夏の参院選の争点にする考えも示している。

   <自民党案の乱暴さ

 安倍政権が発足してからの流れを見ると、首相が主導する改憲プログラムが、自民党内慎重派とのあつれきなど各面に摩擦を生じながら、動き始めたようにも受け取れる。

 それでは、自民党内で交わされている改憲論議の中身はどうだろう。国民の広い理解が得られる方向に進んでいるのだろうか。

 困ったことに、これがいかにも乱暴なのだ。

 自民党は2年前、新憲法草案をまとめている。特徴は二つある。

 一つは現行憲法の九条二項、戦力不保持の条項を削って「自衛軍」を持つことを明記したことだ。

 「軍」が新たに日本の社会に登場する。内外の各面わたり、大きな変化が訪れるだろう。

 第二は「国民の責務」を強調し国民の権利に制限を加えたことだ。国民は「国や社会を…支え守る責務を共有」すると定めている。

 「すべて国民は、個人として尊重される」との文言はいまの憲法から引き継ぐものの、「公益および公の秩序に反しない限り」という条件が付く。

 国民は国家、社会の構成員としての側面が強調される。社会の在り方はここでも変容を迫られる。

 安倍首相は著書「美しい国へ」で憲法が米軍の占領時代につくられた経過に触れつつ「国の骨格は、日本国民自らの手で、白地からつくりださなければならない」と述べている。「日本の国柄をあらわす根幹が天皇制である」とも述べる。

   <安倍首相の情念

 〈この憲法ある限り 無条件降伏続くなり〉。中曽根康弘元首相は1956年、こんな詞を盛り込んだ「憲法改正の歌」を作った。

 安倍首相がよく使う言葉の一つに「戦後レジームからの脱却」がある。首相の言う「戦後レジーム」は憲法を基礎とする戦後の政治体制を指している。元首相ら自民党保守派と共通する情念が、安倍首相にも脈打っている。

 防衛力はなるべく小さくとどめ、力を経済建設に注いで暮らしをよくしていく。世界の安定に尽くす。

 そうした路線が見直されれば、国民生活は大きく変わる。ブッシュ米政権からは歓迎されても、周辺アジア諸国が日本を見る目は変わり、対日警戒心が頭をもたげるだろう。

 憲法は何のためにあるのか、あらためて確認しておきたい。

 憲法は、人々が生まれながらにして持っている権利の行使を妨げられることのないよう、権力を縛るためにある。憲法学の常識だ。「立憲主義」と呼ばれる。

 九九条が掲げる憲法尊重義務の対象に国民は挙げられていない。この憲法を守れ、と憲法が命じている相手は国会議員や公務員だ。

   <人類の歩みを踏まえ

 この憲法はそもそも「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」て定められた。前文はそんなふうにも述べている。

 憲法は国民の権利だけが前面に出ている、義務規定がないのはおかしい−。自民党内に根強いこうした議論は、立憲主義を踏まえれば、筋違いであることが分かる。

 今の政治は憲法の問題を任せるには危なっかし過ぎる。見直し論議を国民の手に取り戻したい。

 施行から60年。世界が激動に見舞われる中で、日本の憲法が一度も手を加えられずに元の姿を保ってきたのはなぜか。そこを考えるのが出発点になる。

 理由は一つには、戦争のない世界を求め、戦争の非合法化を進めてきた世界の努力を、日本の憲法はしっかり踏まえていることだ。1929年の不戦条約をはじめ、さまざまな国の憲法や条約が戦争放棄をうたっている。日本は戦争に負けたために、何か突拍子もない憲法を持つに至ったと考えるのは間違いだ。

 憲法が占領軍から押しつけられたものと考えるのも、一面的な見方でしかない。戦争の惨禍が骨身に染みた日本人は、平和憲法を心から歓迎し、60年の間、支えてきた。無理やり押しつけられたものならば、こうはいくはずがない。

 安倍首相が掲げる改憲路線を無批判に受け入れ、身を沿わせるようでは、日本の将来が危うくなる。

    ×    ×

 施行60年の節目に、改正の是非を考える上で踏まえるべきポイントを3回続きで考える。



05 04(金) 憲法改正問題 2

きょうも信濃毎日新聞の社説には「軍事力を強めて、『美しい国』になんかできっこありません」という関口さんの言葉がのせてあった。それで思い出すんです。


………「帽フレ〜ッ!」………

みんなで『ゼロ戦』で出陣していった特攻隊員に

むごんで力いっぱい 帽子をふった。(土浦で)

あんな惨(ムゴ)いことはあってはならない。

今日までわたしを支えてきたものは

「人を殺してはならない」

その一事だった。




   憲法60年 日米一体化が九条を壊す  信濃毎日新聞社説 5月4日(金)

 本望として散る桜まだ紅し

 長野市の関口一男さん(84)は戦争末期の自作の句を見ながら、こう言った。「憲法九条を変えてしまえば、またあの時の二の舞いです」。

 1944年11月。関口さんは人間魚雷「回天」の基地があった山口県大津島に、整備兵として配属された。人間魚雷は人が魚雷に乗り込んで操縦し、敵の戦艦に体当たりする決死の兵器である。

 笑顔をつくって死地へと赴いた同世代の若者たち…。その時の彼らの表情が、いまも脳裏を離れない。

 「軍事力を強めて、『美しい国』になんかできっこありません

   <戦争体験を踏まえ

 九条は、憲法の根幹をなすものである。

 一項で、通常の戦争だけでなく、武力による威嚇や行使を永久に放棄すると宣言している。さらに二項で、戦力を持たず、国の交戦権を認めないと厳しい足かせを課した。

 侵略戦争の禁止は、何も日本の専売特許ではない。多くの国が戦争否定の規定を憲法に盛り込んでいる。その中にあって、日本の平和主義は群を抜く。「比類のない徹底した戦争否定の態度を打ち出している」と、憲法学者の芦部信喜さんは「憲法」に書いている。

 制定過程に関しては、さまざまな見方があるだろう。“押しつけ論”も根強い。だが、この条文が先の大戦の惨禍を踏まえてできたことを、あらためて確認しておきたい。

 旧日本軍による戦争はアジア・太平洋諸国におよんだ。犠牲者は国内だけで軍人や民間人が300万人以上。中国、フィリピン、オーストラリアなどの死者は合わせて2000万人以上とも言われている。

   <せめぎ合う両論

 国民の平和への強い願い、近隣諸国からの厳しい目…。その渦中にあって、日本が国際社会で信頼を取り戻し、天皇制を維持しつつ、戦後の再出発を期すためには、九条は不可欠の旗印だった。

 戦後の歴史を振り返ると、九条をめぐる動きは二つに分かれていく。一つは、日米軍事協力の強化と、それに伴う自衛隊の任務の拡大。もう一つは、九条の原則を貫くべきだ、という世論である。

 二つの極は、さまざまな中間的な層を含みながら、拮抗(きっこう)して戦後史を織りなしてきた。

 最初の分岐点は54年の防衛庁・自衛隊の創設である。実質的な軍隊と言えるが、時の政府は自衛隊を「軍」とせずに「隊」とし、防衛庁も「省」ではなく「庁」とした。九条に配慮しての結果だ。

 政府はなぜ改憲に踏み切らなかったのか。世論が許さなかったからにほかならない。

 例えば、56年の参院選は改憲問題が事実上の争点となった。結果は、社会党など護憲勢力が憲法改正の発議を阻止できる3分の1以上の議席を確保し、歯止めをかけた。

 憲法史の古関彰一独協大教授によると、「護憲派」「改憲派」という言葉が定着したのも、この時期である。労働組合など民間団体が改正に反対したことなどで「憲法の平和主義は国民の中に定着した」という。

 二つの極のバランスが崩れ始めたのは、91年の湾岸戦争である。日本の軍事協力を迫る米国に対し、政府は掃海艇のペルシャ湾派遣へと踏み切った。これを皮切りに、政府は海外派遣への道を開いていく。

 重要なポイントは、湾岸戦争以来、「国際貢献」が改憲理由の主流となったことだ。当時、外相を務めた自民党の中山太郎衆院議員は「憲法を変えないとどうしようもないと痛感した」と述べている。

 この後の96年、当時の橋本龍太郎首相はクリントン米大統領と日米安保共同宣言に署名した。「アジア太平洋地域の平和と安定」に向けて、同盟の強化を打ち出したのが特徴だ。国際貢献と言いながら、中身はむしろ自衛隊が米軍と行動をともにする方向が強まったと言える。

   <国際貢献論の危うさ

 陸上自衛隊のイラク派遣は、そのさきがけだった。自衛隊が戦闘が行われている場所へ行くのは、初めてのことだ。

 それでも無事に帰国できたのは、九条があればこそだ。九条はまだ、かろうじて機能している。

 ここにきて、安倍首相は集団的自衛権の研究をする有識者会議を発足させた。米軍が攻撃された場合は自衛隊も阻止できる−。それを検討しようという狙いである。

 極端な場合には、自衛隊が米軍と一体となり日本から遠く離れた場所で武力行使という事態にもなりかねない。国会を経ずに、一部の有識者が論議するテーマではない。

 九条が禁じている課題を、首相は解釈の変更と改憲の両にらみで突破しようとしている。戦後日本の基本政策の変更である。言い換えれば、日本をいままでとは異質の国にするということだ。

 九条の普遍性に目を向け、その理念を世界で実現することを目指すのか。米国の求めに応じ、再び戦争ができる国に進めるのか。

 いま国民に問われているのは、この一点である。



憲法第九条については、まったく変える必要はありません。

パソコンでも「google アラート- 憲法改正」でも、膨大なデータが提示されている。今試みに五月三日の「アラート」を転載してみよう。


   憲法改正 に関する Google ニュース アラート

@憲法改正めぐり各党が議論  NHK

3日放送されたNHKの憲法記念日特集の番組で、安倍総理大臣が在任中の憲法改正に意欲を示していることについて、自民党は安倍総理大臣の方針に基づいて 憲法改正を目指す考えを強調したのに対し、公明党や野党側からは注文や反発が出されました。
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A改正に強い意欲=異例の首相談話 憲法きょう施行60周年  時事通信

これに当たり安倍晋三首相は同日付で、憲法改正 への強い意欲を示す異例の談話を発表した。首相は「憲法を頂点とした(国の)基本的枠組みは見直しが迫られている」と指摘した上で、「憲法の在り方について、今後国民的な議論がさらに広く展開され、方向性がしっかりと出て ...
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B安倍首相と違う日本国民の憲法改正の“本音”  中央日報 - South Korea

朝日新聞が2日に報道した世論調査の結果によれば憲法改正を賛成する国民は58%だが反対する回答は27%だった。賛成の割合は2005年4月(56%)、昨年4月(55%)に比べて小幅増加した。しかし 憲法改正を賛成する理由は大部分が環境権などの時代の流れに ...
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C憲法改正の問題点講演 札幌で市民講座(05/03 00:21)  北海道新聞

憲法施行六十周年を記念した市民講座「日本国憲法とアジアの平和」が二日、札幌市中央区のかでる2・7で開かれ、市民七百人が憲法改正の問題点などについて考えた。札幌弁護士会が昨年十一月から全六回で開催してきた連続講座の最終回。元防衛庁幹部で新潟県加茂市長の ...
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D憲法60年(上) 論議を国民の手に戻せ  信濃毎日新聞

憲法改正の手続きを定める国民投票法案は、早ければ6月中にも成立する可能性がある。任期中に憲法を改正する 。安倍首相は就任以来、繰り返してきた。改正の是非を夏の参院選の争点にする考えも示している。安倍政権が発足してからの流れを見ると、首相が主導する改憲 ...
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E忘勿石の碑で反戦平和訴え 憲法改正を問題視  八重山毎日オンライン

【西表】太平洋戦争末期、波照間島から強制疎開させられた人たちがマラリアで死亡した「戦争マラリア」の犠牲者を慰霊する南風見田の「忘勿(わするな)石の碑」で2日午前、波照間中学校(國吉長秀校長)の全校生徒22 人が平和集会を行った。生徒たちは同碑保存会の平田 ...
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F対北朝鮮、追加制裁も検討 安倍首相が記者会見  中国新聞

憲法改正に関連し、改正手続きを定めた国民投票法案の今国会成立にあらためて強い意欲を示すとともに「米国だけではなく、今後は近隣諸国、アジアも含め、 憲法改正の意味と意義を説明していかなければならない」と指摘した。また首相は「自民党の新憲法草案を基本に ...
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G改憲、現実の政治課題に 3日で施行60年  東京新聞

憲法改正が現実の政治課題となり、国民一人一人が真剣に向き合わなければならない時代に入りつつある。今後の憲法論議は、国民投票法成立を受け参院選後の臨時国会で両院に設置される憲法審査会に主舞台が移る。3年間は改憲案の提出、審査は凍結され、現行憲法の問題点 ...
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H与党採決強行に賛否  日本新聞協会 Pressnet

憲法改正の手続きを定める国民投票法案が四月十三日、衆院本会議で自民、公明両党の賛成多数で可決された。参院で審議の上、今国会での成立は確実な情勢だ。与党と民主党が共同提案をめざして修正協議を進めてきたが国民投票の対象などで合意できず、それぞれ修正案を提出 ...
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I自民「新憲法」へ決意、民主は首相批判…憲法記念日で談話  読売新聞

自民党は、憲法改正の手続きを定める国民投票法案を「必ず今国会で成立させる決意だ」とし、「新憲法制定を政治日程に入れるという安倍総裁の方針のもと、普遍的価値と日本の文化・伝統を取り入れた『美しい国』づくりのための憲法草案を考える国民運動を展開していく」と ...
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J施行60周年、加速する改憲の流れ  八重山毎日オンライン

この集団的自衛権の行使は憲法九条で禁じられ、これまでの政府見解でも否定されてきたものだが、これが解釈見直しで認められると事実上憲法改正の前倒しともなるものだ。しかし思うになぜに安倍首相はこうも自らが唱える「美しい国づくり」とは逆の、わが国を再び破滅と ...
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Kトルコ、早期総選挙へ 大統領選を憲法裁が無効と判断  朝日新聞

また、ロイター通信は2日、AKP議員の話として、大統領を直接選挙で選ぶための憲法改正案をAKPが準備しており、同日議会に提出する予定と伝えた。大統領の任期も現在の7年から5年に短縮するという。 憲法改正には議会の3分の2の賛成が必要。 ...
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L憲法施行60年 改憲の是非真剣に考えよう  山陽新聞

「私の内閣で憲法改正を目指したいということは当然、参院選でも訴える」。一月四日の年頭会見で、安倍晋三首相は持論で自民党結党以来の党是である自主憲法制定実現に強い意欲を示した。突然の参院選の争点化発言に、改正手続きを定める国民投票法案の共同修正を与党と ...
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M憲法9条の全面改正を提言=超党派の保守系議員  時事通信

自民、民主、国民新の3党など超党派の保守系の有志議員による「新憲法制定促進委員会準備会」(座長・古屋圭司衆院議員)は2日、憲法改正に関する提言をまとめた。集団的自衛権の行使容認など9条を全面改正することが柱。同準備会は、改憲を支持する民間団体が3日に ...
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この Google アラートはその都度の頻度で送信されます.


五月三日に受信したメールは 14通。その中で赤字の信濃毎日新聞は 05 03 の記事に取り上げたものである。
海外の情報としてBの「中央日報 - South Korea」なども読んでいくとよい。

もちろん全てのアラートに目を通すことなど不可能である。このところ‘Googleアラート’の配信は連日となっている。



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