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折々の記 2007 @

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】01/04〜        【 02 】01/25〜
【 03 】02/16〜        【 04 】02/26〜
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【 06 】03/21〜

  03 21 冬来たりなば春遠からじ
  03 23 関島文三郎の葬儀
  03 28 <旅行記>武田信玄探訪 - 1<旅行>
  03 29 <靖国神社>A級戦犯合祀について
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03 21(水) 冬来たりなば春遠からじ

ちょっと調べてみる。


Percy Bysshe Shelley (1792〜1822) 十九世紀英国ロマン派を代表する詩人。

社会の不正と圧制を敵とし、愛と自由を謳い続けた。

裕福な家に生まれ、無神論を唱えてビラを配ってオックスフォードを追い出され、最初の妻 Harriet Westbrookと駆け落ちする。長男が生まれると当時16才のMary Wollstonecraft Godwinと駆け落ち、二年後に最初の妻が服毒自殺すると正式に結婚する。スイス、イタリア各地を放浪し、ヨットの遭難で水死する。29歳という若さだった。

日本では「フランケンシュタイン」の作者メアリー・シェリーである二番目の奥さんの方が有名かもしれないが、「冬きたりなば、春遠からじ」のフレーズは聞いたことのある人が多いのではないだろうか。これはシェリーの詩「西風に寄せる歌」の最後の一節である。

The trumpet of a prophecy! O, Wind,

If Winter comes, can Spring be far behind?




  フランケンシュタイン

1818年にメアリー・シェリー?によって書かれた小説の主人公。

罪人の死体のパーツを寄せ集め、そこに精神異常者の脳を移植し高圧電流を流し蘇生された人造人間。

フランケンシュタインはまれに怪物の名と誤解されるが、本来は怪物を造り出したマッドサイエンティストの名前である。

映画や小説に登場してくる怪物に名は付いておらず、便宜的に「フランケンシュタインの怪物」などされていたが、のちにフランケンシュタインの名前が一人歩きをしはじめた。

■内容

生まれてきた怪物は決して邪悪なものではなかったが、
そのゴツい外見のせいでひとから避けられ、
孤独のうちに性格がねじ曲がっていった。

そのため

創造者フランケンシュタイン博士
を恨むようになった。

世の中、顔が全て!



  If Winter comes, can Spring be far behind?

シェリーの詩「西風に寄せる歌」の最後の一節から、「冬きたりなば、春遠からじ」のフレーズが日本で一般化されている。

「苦あらば、楽あり」の俚諺の範疇にある。

●彼岸にて墓参り

今年は父の十年祭をします。下平家の先祖代々の墓石を建てる予定です。旧墓地の記録としてカメラに収めた。

  

●昨日、山中文雄さん来宅、干柿のつてにて

  253-0003 茅ヶ崎市鶴が台 9-7-103
   山  中  文  雄
    0467-52-5156

おととい、勝沼でブドウ搾り、瓶詰め、など体験して、きょうは干柿作りの現場を見たいということで来宅した。

  

一人の立派な技術者です。人は歳をとつてくると優れた人になるか、亡者に近づくか、だんだんはっきり分かれてきます。

多様性とエネルギーを持ち合わせた行動的な方でした。

飯田駅から豊橋周りで帰宅しました。

●関島文三郎死亡連絡あり。

昨日、午前二時過ぎ病院でなくなった。満94才で数え96才。母が大事にしていた弟でした。通夜と葬儀についての里原からの連絡でした。

03 23(金) 関島文三郎の葬儀

きのう葬儀がすんだ。

飯田の火葬場で荼毘にふした。2時間もたたずに叔父はきれいな骨になってしまった。

叔父の生命はどこへ行ってしまったのか。 呼吸しなくなったときに生きるエネルギーはストップしてしまった。 命は柳沢桂子さんのいう通り、二つの粒子から一つの生命がはじまり、不思議なコントロールのもとで人という個体になってきた。 世代交番を終わって生から死へ転換されていく。

 明治45年4月29日生まれ
 満94才
 数え96才
 神道による葬儀
 川路平安葬祭場
 子供四人 伸憙・文久・女・篤

03 28(水) 武田信玄探訪 - 1 写真61枚

三時半出発、一般道を走って要害山につく。30分ほどかと思ったが、頂上までがきつかった。

      

       要害山城山頂の郭               躑躅ヶ崎館(武田神社)

要害山城、躑躅ヶ崎館については次のデータをコピーし持参した。

  http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Nikki/Nikki_20021103.htm<信濃城攻め紀行:1日目>
  http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/TokaiKoshin/Yamanashi/Yougaisan/index.htm<要害山城>
  http:// www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/TokaiKoshin/Yamanashi/Tsutsujigasaki/index.htm<躑躅ヶ崎館>

甲斐守護職の武田信虎は1519年、躑躅ヶ崎館を造営し居館を石和から移し、その翌年1520年に躑躅ヶ崎館の詰めの要害として要害山城は築城された。

今年2007年からみれば、487年前だから約500年も前のことになる。頂上の主郭に佇み往時をしのぶ。

写真は東郷平八郎書「武田信玄公誕生之地」の石碑である。

武田神社の外堀は桜が咲きはじめ、境内は朝の掃除がいきとどいており落着いた甲州の拠点というにふさわしい。

      

        新府城見取図                    獅子吼城搦め手の崩れた積み石

新府城、獅子吼城については次のデータをコピーし持参した。

  http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Nikki/Nikki_20021103.htm<信濃城攻め紀行:1日目>
  http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/TokaiKoshin/Yamanashi/Shinpu/index.htm<新府城>
   http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/TokaiKoshin/Yamanashi/Shishiku/index.htm<獅子吼城>

新府城の標識を読んでみると、信玄なき後の武田家の衰退が哀れに感じられる。この城は穴山信君の進言で信君の領地にある「七里岩」と呼ばれる断崖絶壁がその城地に選ばれたが、実はこのとき、すでに信君は徳川に通じていたといいます。一門衆のなかでもとくに信玄との繋がりが濃い信君は、若年でしかも諏訪氏の血を引く勝頼をいつも見下していたといいます。

普請奉行の真田昌幸であったという。

そして、徳川に通じた信君は、武田家の経済基盤を破綻させるためにこの築城を進言したというのです。それは見事に当たってしまい、材木の調達を命ぜられた木曾義昌が真っ先に離反、また強引な遷都に快く思わない重臣、積もり積もる戦陣の軍費調達のために酷使される民衆の不満が頂点に達し、にっちもさっちも立ち行かなくなった、と。

標柱「国指定史跡 新府城本丸跡」の側面には

  築城起工 天正 九年 二月 十五日
  入  城 天正 九年十二月二十四日
  落  城 天正 十年 三月  三日  (勝頼の在城 六十八日間)

とありました。

入城したわずか三ヵ月後の天正十(1582)年二月、木曾義昌の離反から織田・徳川の甲斐侵攻が始まり、未完の城では大軍を支えきれないと判断した勝頼は城に火を放ち落ち延びた。

この時、岩櫃城に退くことを進言した真田昌幸の言を入れず、小山田信茂の岩殿城を目指したが、三月十一日、笹子峠で信茂の謀叛に遭い、岩櫃城を目指して天目山に分け入ったところを滝川一益の軍に遮られ、勝頼父子は自刃して果てた。

新羅三郎義光以来28代続いた名門、甲斐武田氏は滅亡し、新府城は最期の城となった。

こんな事情がわかってみますと、勝頼の最後が哀れである。

      

       若神子城のろし台               笹尾塁(笹尾砦)

若神子城、笹尾塁については次のデータをコピーし持参した。

  http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Nikki/Nikki_20021103.htm<信濃城攻め紀行:1日目>
  http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/TokaiKoshin/Yamanashi/Wakamiko/index.htm<若神子城>
  http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/TokaiKoshin/Yamanashi/Sasao/index.htm<笹尾塁(別名:笹尾砦)>
  http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Tokubetsuhen/Boumichi/index.htm<棒道>

<若神子城>を開けば概要を知ることができる。信州侵攻の中継地、狼煙台の役目をもっていたようだ。

笹尾塁は、「塁」とか、「笹尾砦」とか、ちょっと控えめな名前はついているものの、西側は七里岩の断崖絶壁、東側は「城沢」のこれまた深い溺れ谷に挟まれた半島状の地形で、要害としてはこの上ない立地とおもわれる。

この後、神田大糸桜を見てから「棒道」へ行く予定であったが、道がわからず、帰路についた。

03 29(木) <靖国神社>A級戦犯合祀について

朝五時半テレビニュースで、靖国神社へA級戦犯合祀のいきさつについて厚生省の積極的な働きかけがあったことが報じられた。国会図書館から資料公開されたから事情がはっきりわかってきたという。

Yahoo! JAPAN ニュース国内で、「靖国神社参拝問題」特集にはいろいろと出ている。


     靖国神社参拝問題

ヘッドライン
01 戦犯合祀は靖国神社の判断、政府は要求せず…安倍首相 - 読売新聞

戦犯合祀に厚生省が関与した資料が発覚
02 ・靖国神社 A級戦犯合祀に絡む内密資料 国会図書館公表 - 毎日新聞

資料発覚に対する反応
03 ・<靖国神社>「合祀判断、国は強制していない」塩崎官房長官 - 毎日新聞
04 ・外交通商部「日本は責任ある措置を」戦犯合祀問題で - YONHAP NEWS
05 ・A級戦犯 - 合祀された昭和殉難者14人の名前も。フレッシュアイウィキペディア
06 ・靖国の歴史、A級戦犯、首相参拝、中国からの批判…… 「靖国問題」基本的なQ&A1|2|3-All About
07 ・【基礎からわかる靖国神社問題】Q 「A級戦犯」合祀 経緯は? - 読売新聞(2005年6月9日)

バックナンバー
08  合祀に関与 首相「問題ない」(29日)

ニュース
09 - 首相動静(3月29日)(時事通信) (30日1時0分)
10 - 政教分離違反の疑念も=公明・斉藤政調会長−靖国神社(時事通信) (29日21時1分)
11 - 「関係発展の基礎拡大を」=戦犯の靖国合祀問題で中国(時事通信) (29日18時0分)
12 - 戦犯合祀への国関与「問題ない」=靖国問題で安倍首相見解(時事通信) (29日15時2分)
13 - 外交通商部「日本は責任ある措置を」戦犯合祀問題で(YONHAP NEWS) (29日14時59分)
14 - 戦犯合祀は靖国神社の判断、政府は要求せず…安倍首相(読売新聞) (29日13時49分)
15 - <靖国神社>旧厚生省の合祀関与「問題ない」安倍首相(毎日新聞) (29日13時27分)
16 - <靖国神社>「合祀判断、国は強制していない」塩崎官房長官(毎日新聞) (29日13時15分)
17 - 靖国合祀、旧厚生省が積極関与…国会図書館が資料公開(読売新聞) (29日10時56分)
18 - 靖国神社 A級戦犯合祀に絡む内密資料 国会図書館公表(毎日新聞) (29日9時58分)
19 - 靖国神社 A級戦犯合祀に絡む内密資料 国会図書館公表(毎日新聞) (29日9時58分)
20 - 靖国神社 合祀めぐり旧厚生省とのやり取り生々しく(毎日新聞) (29日9時58分)
21 - 靖国神社 合祀めぐり旧厚生省とのやり取り生々しく(毎日新聞) (29日9時58分)
22 - 柳明桓駐日大使「課題は懸案をいかにうまく扱うか」(YONHAP NEWS) (29日9時22分)
23 - 首相動静(3月29日)(時事通信) (29日9時1分)
24 - A級合祀、昭和44年提示 靖国神社、厚生省と綿密協議 国会図書館が資料(産経新聞) (29日8時0分)
25 - 戦犯合祀で国の関与示す資料=靖国問題で国会図書館が刊行(時事通信) (28日23時0分)
26 - 靖国戦犯合祀の資料―国会図書館(時事通信) (28日22時52分)
27 - <靖国神社>A級戦犯合祀に絡む内密資料 国会図書館公表(毎日新聞) (28日22時16分)
28 - 戦犯合祀、国の関与示す資料集=靖国問題で国会図書館が刊行−HPで公開へ(時事通信) (28日20時1分)
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社説
- 沖縄靖国控訴審・なぜ憲法判断避けるのか - 琉球新報 (2006年10月13日)
- [沖縄靖国訴訟]憲法の番人たる判断を - 沖縄タイムス (2006年10月13日)
- [「靖国」世論調査] 今こそきちんと論議を - 沖縄タイムス (2006年8月18日)
- 首相靖国参拝/これで「有終の美」が飾れるのか - 神戸新聞 (2006年8月16日)
- [首相の靖国参拝] 歴史認識が問われる - 沖縄タイムス (2006年8月16日)
- 8・15首相参拝 この説明は納得できぬ - 中国新聞 (2006年8月16日)
- 首相8.15靖国参拝/「負の遺産」さらに拡大 - 東奥日報 (2006年8月16日)
- 光復節の朝、戦犯の前で深々と一礼した小泉首相 - 朝鮮日報 (2006年8月16日)
- 日本は不義の歴史を踏襲するな - 中央日報 (2006年8月16日)
- 首相靖国参拝 国益度外視の姿勢は疑問 - 山陰中央新報 (2006年8月16日)
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関連サイト
29 - 靖国神社
30 - 靖国神社参拝について - 政府の基本的立場、総理大臣と外務大臣の発言。外務省
31 - 靖国神社参拝に関する所感 - 首相官邸「小泉総裁の演説・記者会見」(2002年4月21日)
32 - 昭和受難者として靖国神社が合祀している14人 - 田村のホームページ
33 - 小泉総理インタビュー (平成18年8月15日) - 靖国神社参拝について。首相官邸
34 - 日本会議 - 首相の靖国神社参拝を求める国民の会など
35 - 靖国参拝違憲訴訟の会 - 裁判の情報、Q&A
36 - 昭和天皇、A級戦犯合祀に不快感…宮内庁長官メモ (7月20日 13:01)
37 - 昭和天皇、A級戦犯合祀後に参拝中断を決心


枠内の【01】〜【37】は<靖国神社参拝問題>に記事が記録されています。

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