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折々の記 2007 @

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】01/04〜        【 02 】01/25〜
【 03 】02/16〜        【 04 】02/26〜
【 05 】02/27〜        【 06 】03/21〜
【 07 】03/31〜        【 08 】04/09〜


【 05 】02/27〜

  02 27 人に伝わる文章の書き方(その四)
  02 28 国歌伴奏判決
  03 01 <旅行記>寺泊の海産物
  03 06 寺泊・小諸・望岳荘
  03 17 金婚式の日

02 27(火) 人に伝わる文章の書き方(その四)

          <推敲しよう>

    @ 推敲とは?
    A 推敲の方法
    B 究極の推敲法


@■ 推敲とは?

 推敲って、聞いたことあります?
 おそらく、文章を書き慣れてない方には耳慣れない言葉だと思います。
 しかし、これが、文章を書く上で、
 ひじょ〜〜〜〜〜〜〜に重要なモノなのですね。
 これをやるのとやらないのとでは、文章のデキに雲泥の差がつきます。
 推敲とは、詩文の字句や文章を十分に吟味して練りなおすこと。
 簡単に言うと、

 一度作った文章を悪いところがないか読み返して、修正することです。

 文章を書き上げたときは誰でも、
 書いたという達成感に酔って自分の文章が輝いて見えます。

 苦労して生み出した作品は、
 誰しも客観的視点を欠いた色眼鏡で見てしまうのです。


 でも、数日して読み返してみると、
 様々な荒に気づいて愕然とすることがあります。
 それこそ、一昔前の文豪のように「うがー!」と叫んでびりびり引き裂いた上に、
 足で何度も踏みつけたくなるような心境です(笑)。
 どうして、このようなことが起きるのでしょうか?

 それは、文章を書いているときは、誰でも夢中になっているからです。
 夢中になっている状態では、
 自分の生み出したモノを客観的に見ることができません。
 それこそ、最高傑作に思えてしまいます。
 しかし、時間が経ってから読み直すと、冷静になっているため、
 粗に気づくことができるというわけです。
 作者の視点ではなく、読者の視点で文章を読めるようになるということですね。
 これは非常に大切なことです。

 書き上げた文章は、後で必ず読みかえして推敲してみてください。

 日をおいて読み返したとき、恐るべきほどに自分の弱点が見えてきます。
 これから目を反らさず、きちんと向き合って1つずつ潰していきましょう。

A■ 推敲の方法

 推敲の基本は、時間をおいて文章を読み直すことです。

 だいたい、1日ほど時間を置いて自分の作った文章を読んでみましょう。
 すると、最初に書いたときには気づかなかった粗に気づきます。
 そしたら、その都度、不自然な点やおかしな点を修正しましょう。

 これを、最低3回以上繰り返せば、自然と作品が洗練されます。

 具体的に注意すべき点を上げてみましょう。

 ・基本的な誤字・脱字を潰す。
 ・物語の流れ的に違和感が無いかを調べる。
 ・何度も同じ比喩、おなじ語彙を使い回していないか注意する。
 ・体言止は効果的に使えているかチェックする。
 ・1つのセンテンスが無駄に長くなっていないか調べる。
  長くなっていたら、2つに分けられないか考える。
 ・代名詞が効果的に機能しているか調べる。
 ・句読点の打つ場所は適切かチェックする。
 ・『の』が連続をして続いていないか注意する
 ・専門用語を使用している場合、うまく読者に説明できているか考える。

 などなど、これらのチェックポイントは、
 すべて当サイト内であげらていることです。

   また推敲の方法としては、黙読して読み返す他に、
 声に出して読む、『音読推敲法』があります。

 声に出して読むことによって、
 黙読では気づかなかった文章のリズムの悪さに気づきやすくなるのです。


 ただ、1人でブツブツ言っていると、
 怪しい人に見られるかも知れないので、
 行う場合は自分1人の時をオススメします(笑)。
 また、パソコンで文章を書く人が最近では圧倒的に多いです。
 この際、注意して欲しいのは、パソコンのディスプレイに映った文章を読むのと、
 紙面に載った文章を読むのとでは、印象がぜんぜん変わってくるということです。

 パソコン画面上では見落としていた文章の粗に気づくこともあるので、
 清書の段階になったら、印刷して読んでみるのも良いでしょう。


B■ 究極の推敲法

 上で紹介した方法だけは、完全な読者視点を得ることはできません。
 やはり、己の産みだした文章に接するときは、どうしても自分の思い入れ、
 情熱といった不純物が紛れ込んでしまいます。
 曇りガラスを透したように作品を見てしまうのです。

 親は子を正確に評価することができません。

 これでは、数々の欠点を見過ごしたまま作品を発表してしまうことになってしまいます。
 躾の成っていない我が子を社会に放り出すようなものです。
 では、どうしたらよいでしょうか?

 究極の推敲法は、他人に読んでもらって意見を聞くことです。

 そうすれば自分では気づかなかったことに、気づかせてもらえます。
 ときには批判という言葉のボディーブローで、
 めった打ちにされることがあるかもしれませんか、
 自分の欠点を知ることは上達には欠かせない要素です。

 家族や友人、恋人といった人に書いた文章の批評をお願いしましょう。

   例をひとつ上げます。
 第17回サントリーミステリー大賞に受賞して作家デビューした垣根涼介さんは、
 受賞作『午前三時のルースター』の執筆にあたったとき、

 友人3人に作品を読んでもらって、感想をもらったそうです。

 「ここはこういう表現じゃないだろう」
 「普通、ここはこういう言い方はしないだろう」と、
 原稿が真っ赤に埋まるくらいの大量の批評をもらい、
 それをすべて修正して精度を高めていったそうです。

 3人のうち1人でも、おかしい、ダメ、といったら手直しする。
 他人がダメと言ったら、自分がどんなに良いと思っても、それは思いこみでしかない。


 という妥協しない姿勢が受賞に結びついたと語っています。
 文章とは他人に読ませるために書くモノですから、
 他人に読んでもらうことを恥ずかしがってはいけません。

 でも、その際の人選はくれぐれも慎重に。


02 28(火) 国歌伴奏判決

一昨日<公共の福祉…その名は‘モンスター’>を書いた。

教育関係の法律案が急いで上程されようとしています。 NHKテレビは今朝、どうしてこの法案が急がれるかというと、その根っこの部分には「いじめや自殺」への対応があるのだという。

「いじめや自殺」を制度上で直そうとしても、それは本末転倒のことであり、教育そのものを歪める以外のなにものでもない。

「いじめや自殺」の基本的解決の中心は、「子育て」以外にはない。

今日の朝日新聞社説には、次の記事が載っている。

国歌の「君が代斉唱」にしても「国旗掲揚」にしても、現実社会の中で大人が「君が代斉唱」をしたり、「国旗掲揚」をしているだろうか。

一般社会ではほとんどの会合や儀式の中で、「国旗掲揚」はしないし「君が代斉唱」をしていない。

大人がしないのに、どうして子供たちだけに行政の力まで借り出して「国旗掲揚」をさせ、「君が代斉唱」をさせなければならないのだろうか。

そして、法律の志向するように「国旗掲揚」、「君が代斉唱」が学校で実行されていけば「いじめや自殺」が減ると言えるのだろうか。

まさに噴飯ものである。

朝日新聞社説(2月28日)


国歌伴奏判決 強制の追認にならないか

 入学式の君が代斉唱で、ピアノの伴奏を校長から命じられた小学校の音楽教師が、「君が代は過去の侵略と結びついているので弾けない」と断った。教師はのちに職務命令違反で東京都教育委員会から戒告処分を受けた。

 教師は「処分は、憲法で保障された思想、良心の自由を侵害するもので違法だ」として、取り消しを求めた。

 最高裁はこの訴えを認めず、処分は妥当だとの判断を示した。「公務員は全体の奉仕者。学習指導要領で入学式などでの国歌斉唱を定め、ピアノ伴奏はこの趣旨にかなうから、職務命令は合憲だ」

 君が代のピアノ伴奏は、音楽教師に通常想定されている。ピアノ伴奏を命じることは、特定の思想を持つことを強制したり、禁止したりするものではない。そんなことも最高裁は指摘した。

 たしかに、入学式に出席する子どもや保護者には、君が代を歌いたいという人もいるだろう。音楽教師が自らの信念だといってピアノを弾くのを拒むことには、批判があるかもしれない。

 しかし、だからといって、懲戒処分までする必要があるのだろうか。音楽教師の言い分をあらかじめ聞かされていた校長は伴奏のテープを用意し、式は混乱なく進んだのだから、なおさらだ。

 5人の裁判官のうち、1人は反対に回り、「公的儀式で君が代斉唱への協力を強制することは、当人の信念・信条に対する直接的抑圧となる」と述べた。この意見に賛同する人も少なくあるまい。

 今回の判決で心配なのは、文部科学省や教委が日の丸や君が代の強制にお墨付きを得たと思ってしまうことだ。

 しかし、判決はピアノ伴奏に限ってのものだ。強制的に教師や子どもを日の丸に向かって立たせ、君が代を歌わせることの是非まで判断したのではない。

 89年、卒業式や入学式で日の丸を掲げ、君が代を斉唱することが学習指導要領に明記された。99年には国旗・国歌法が施行された。

 君が代斉唱のときに起立しなかったなどの理由で、多くの教師が処分されている。特に東京都教委の姿勢が際立つ。日の丸を掲げる場所からピアノ伴奏をすることまで細かに指示した。従わなければ責任を問うと通達した03年以後、処分された教職員は延べ300人を超える。

 生徒が歌った君が代の声の大きさを調査する教委まで出てきた。

 これに対し、処分の取り消しなどを求める訴訟が各地で起きている。

 私たちは社説で、処分を振りかざして国旗や国歌を強制するのは行き過ぎだ、と繰り返し主張してきた。

 昨年12月、教育基本法が改正された。法律や学習指導要領で定めれば、行政がなんでもできると読み取られかねない条文が加えられた。

 行政の行き過ぎに歯止めをかけるという司法の役割がますます重要になる。そのことを最高裁は改めて思い起こしてもらいたい。


03 01(木) 寺泊の海産物 写真43枚

明日、寺泊へ行く。 カニを食べたくなったからです。

朝三時発。

松川ICから西山ICまで自動車道、 316km、 4時間51分、 6000円(深夜料金4200円)。

西山ICを出てすぐ「田中角栄記念館」があるから、ちょっと寄ってみてきます。 一世を風靡した男でした。 私の年代では、誰もよく「列島改造論」を知っています。 中国との仲直りも彼の業績でした。

寺泊へついたら、先ず「太古の湯」につかるつもり。 その後「寺泊中央水産」の二階にある「まるなか」でカニの昼食。

食後、買い物を物色、購入、発送など。

その後、「寺泊史跡めぐり」と「港」「水族館」などを見学、五時までには宿泊「寺泊観光センター」へ行く予定。

翌日は小諸への土産を買って帰途に着く予定。 コシヒカリを手に入れたい。 途中下車して高山村へよってきたい。

三日の土曜日は真介宅に泊まる。

四日には軽井沢の「軽井沢彫り」を物色したいと思っている。

真介が運転疲れを心配してだと思うが、日曜も泊まっていくように言っているので泊まらせてもらうつもり。

五日、帰ってくると午後辰巳会があって「望岳荘」へ泊まる。

03 06(火) 寺泊・小諸・望岳荘

「寺泊の旅」の栞69ページ。この栞を参考に寺泊一泊旅行。

朝三時半出発。松川ICから西山ICまで自動車道。

  

  近づいてみるとこんな風に見えるのだが、遠くの平野部からならもっと素敵に見える妙高の雄姿。

角栄の家を見て角栄記念館へ行ったが時間が早く開館していなくて通過。

寺泊中央水産で魚を買って俊成宛に宅急便送付。そのあと、太古の湯で足湯につかり 11:00 過ぎに戻ってきて二階の食堂にて昼食。

宿の寺泊観光センターへ車を置いて寺泊史跡を訪ねた。観光案内所で小冊子をいただいて出発した。 A4四つ切大のサイズの小冊子で、

 http://www.niigata-inet.or.jp/teradomari/shiseki/shiseki/html

これは、事前データー収集の「詩情豊かな寺泊の史跡」の元になったものとわかった。

それを持って聚感園から探訪を始める。

  

聚感園、順徳帝遺蹟碑、弁慶の手掘井戸、越之浦神社、五十嵐伊織の墓、白山媛神社、二面神社、船絵馬、蜜蔵院、本間精一郎誕生の地、硯水の霊井、遊女初君の歌碑。

11の史跡は半径100メートルの円内に点在していたので、わかりやすくて好都合であった。最後の初君の歌碑はちょっと北寄りに離れていた。

見学中に白山媛神社の前宮司に出会ったことは「船絵馬」を見学することにつながり、幸運であった。

寺泊観光センターは民宿で、海水浴客を泊めるようになっていた。 夕食も朝食も十分な内容であり一泊二日二人の代金が一万四千五百円。

翌日、史跡群から外れていた遊女初君の歌碑を見てから海産物店へ行き、土産を勝って小諸へ行くことにした。

帰りは昨日の逆順で落水116号線へ出て、柏崎市から8号線と合流して直江津の下源入交差点左折、18号線を南下新井PAに立ちよる。

ここには新井スマートICがあって、自動車道に乗り入れた。(信濃町ICまで18号線を南下してもよかった……気楽に運転することができる)

豊田飯山ICをでて、木島平村へ行く。 米パンのテレビ宣伝を見たからである。常時あるのではなく月曜日にボランティアの人たちが作るという。ブロックパン一斤、郵送してくれるように頼んで信州中野ICから自動車道に入り、小諸ICから真介宅へ行く。

  

涼羽は一月十九日、満五才になった。

本の音読から黙読もできるようになったという。 鉛筆で簡単な手紙を書くこともできるという。 うれしい話であった。

一泊して軽井沢で軽井沢彫を金婚記念に買って真介に渡した。同じものを頼んで俊成に渡すつもりでいる。

金婚式は本人がみんなを招くものと聞いているから、これは自分たちが十分なことをしてあげれなかったことのへの償い、と解釈していいと思う。

五日の午前中に家に帰ってきて、三時半にAコープに集まって同級会に行く。

中央アルプス、南駒ケ岳連峰を眼前にできる望岳荘が今年の会場だった。思いもかけぬ奥山照一さんが宴会に出席してくれた。義理堅い男に感心する。 私は十分に礼を尽くしたつもりでいる。 ありがとうございました。

03 17(土) 金婚式の日

もう五十年になった。前にも触れたが、金婚式は当人たちが、来し方の親としての不適切な部分を許してもらうという意味で、子供や孫を招待するものと理解している。

もちろん私たちの両親はすでに亡くなっていて、両親から受けてきた恩愛の数々を思い浮かべるとともに、親孝行は十分ではなかったことを折に触れて回想します。

金婚式といえば七十台から八十台の年齢になっている。ようやく世代交番の全体の姿が見えてくる。人生の意味もおよそわかってくる。


    

  愛とはオムツを替えること。
  母親が子供を抱きかかえる姿、
  水火を辞せない愛は
  オムツの取替えを厭わない。

  無償の愛という。
  慈悲といい、恕という。
  そんな論理はなくとも
  母親はオムツを取替えてきた。




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