02 27(火) 人に伝わる文章の書き方(その四) |
@■ 推敲とは? 推敲って、聞いたことあります? おそらく、文章を書き慣れてない方には耳慣れない言葉だと思います。 しかし、これが、文章を書く上で、 ひじょ〜〜〜〜〜〜〜に重要なモノなのですね。 これをやるのとやらないのとでは、文章のデキに雲泥の差がつきます。 推敲とは、詩文の字句や文章を十分に吟味して練りなおすこと。 簡単に言うと、 一度作った文章を悪いところがないか読み返して、修正することです。 文章を書き上げたときは誰でも、 書いたという達成感に酔って自分の文章が輝いて見えます。 苦労して生み出した作品は、 誰しも客観的視点を欠いた色眼鏡で見てしまうのです。 でも、数日して読み返してみると、 様々な荒に気づいて愕然とすることがあります。 それこそ、一昔前の文豪のように「うがー!」と叫んでびりびり引き裂いた上に、 足で何度も踏みつけたくなるような心境です(笑)。 どうして、このようなことが起きるのでしょうか? それは、文章を書いているときは、誰でも夢中になっているからです。 夢中になっている状態では、 自分の生み出したモノを客観的に見ることができません。 それこそ、最高傑作に思えてしまいます。 しかし、時間が経ってから読み直すと、冷静になっているため、 粗に気づくことができるというわけです。 作者の視点ではなく、読者の視点で文章を読めるようになるということですね。 これは非常に大切なことです。 書き上げた文章は、後で必ず読みかえして推敲してみてください。 日をおいて読み返したとき、恐るべきほどに自分の弱点が見えてきます。 これから目を反らさず、きちんと向き合って1つずつ潰していきましょう。 A■ 推敲の方法 推敲の基本は、時間をおいて文章を読み直すことです。 だいたい、1日ほど時間を置いて自分の作った文章を読んでみましょう。 すると、最初に書いたときには気づかなかった粗に気づきます。 そしたら、その都度、不自然な点やおかしな点を修正しましょう。 これを、最低3回以上繰り返せば、自然と作品が洗練されます。 具体的に注意すべき点を上げてみましょう。 ・基本的な誤字・脱字を潰す。 ・物語の流れ的に違和感が無いかを調べる。 ・何度も同じ比喩、おなじ語彙を使い回していないか注意する。 ・体言止は効果的に使えているかチェックする。 ・1つのセンテンスが無駄に長くなっていないか調べる。 長くなっていたら、2つに分けられないか考える。 ・代名詞が効果的に機能しているか調べる。 ・句読点の打つ場所は適切かチェックする。 ・『の』が連続をして続いていないか注意する ・専門用語を使用している場合、うまく読者に説明できているか考える。 などなど、これらのチェックポイントは、 すべて当サイト内であげらていることです。 また推敲の方法としては、黙読して読み返す他に、 声に出して読む、『音読推敲法』があります。 声に出して読むことによって、 黙読では気づかなかった文章のリズムの悪さに気づきやすくなるのです。 ただ、1人でブツブツ言っていると、 怪しい人に見られるかも知れないので、 行う場合は自分1人の時をオススメします(笑)。 また、パソコンで文章を書く人が最近では圧倒的に多いです。 この際、注意して欲しいのは、パソコンのディスプレイに映った文章を読むのと、 紙面に載った文章を読むのとでは、印象がぜんぜん変わってくるということです。 パソコン画面上では見落としていた文章の粗に気づくこともあるので、 清書の段階になったら、印刷して読んでみるのも良いでしょう。 B■ 究極の推敲法 上で紹介した方法だけは、完全な読者視点を得ることはできません。 やはり、己の産みだした文章に接するときは、どうしても自分の思い入れ、 情熱といった不純物が紛れ込んでしまいます。 曇りガラスを透したように作品を見てしまうのです。 親は子を正確に評価することができません。 これでは、数々の欠点を見過ごしたまま作品を発表してしまうことになってしまいます。 躾の成っていない我が子を社会に放り出すようなものです。 では、どうしたらよいでしょうか? 究極の推敲法は、他人に読んでもらって意見を聞くことです。 そうすれば自分では気づかなかったことに、気づかせてもらえます。 ときには批判という言葉のボディーブローで、 めった打ちにされることがあるかもしれませんか、 自分の欠点を知ることは上達には欠かせない要素です。 家族や友人、恋人といった人に書いた文章の批評をお願いしましょう。 例をひとつ上げます。 第17回サントリーミステリー大賞に受賞して作家デビューした垣根涼介さんは、 受賞作『午前三時のルースター』の執筆にあたったとき、 友人3人に作品を読んでもらって、感想をもらったそうです。 「ここはこういう表現じゃないだろう」 「普通、ここはこういう言い方はしないだろう」と、 原稿が真っ赤に埋まるくらいの大量の批評をもらい、 それをすべて修正して精度を高めていったそうです。 3人のうち1人でも、おかしい、ダメ、といったら手直しする。 他人がダメと言ったら、自分がどんなに良いと思っても、それは思いこみでしかない。 という妥協しない姿勢が受賞に結びついたと語っています。 文章とは他人に読ませるために書くモノですから、 他人に読んでもらうことを恥ずかしがってはいけません。 でも、その際の人選はくれぐれも慎重に。 |
02 28(火) 国歌伴奏判決 |
国歌伴奏判決 強制の追認にならないか 入学式の君が代斉唱で、ピアノの伴奏を校長から命じられた小学校の音楽教師が、「君が代は過去の侵略と結びついているので弾けない」と断った。教師はのちに職務命令違反で東京都教育委員会から戒告処分を受けた。 教師は「処分は、憲法で保障された思想、良心の自由を侵害するもので違法だ」として、取り消しを求めた。 最高裁はこの訴えを認めず、処分は妥当だとの判断を示した。「公務員は全体の奉仕者。学習指導要領で入学式などでの国歌斉唱を定め、ピアノ伴奏はこの趣旨にかなうから、職務命令は合憲だ」 君が代のピアノ伴奏は、音楽教師に通常想定されている。ピアノ伴奏を命じることは、特定の思想を持つことを強制したり、禁止したりするものではない。そんなことも最高裁は指摘した。 たしかに、入学式に出席する子どもや保護者には、君が代を歌いたいという人もいるだろう。音楽教師が自らの信念だといってピアノを弾くのを拒むことには、批判があるかもしれない。 しかし、だからといって、懲戒処分までする必要があるのだろうか。音楽教師の言い分をあらかじめ聞かされていた校長は伴奏のテープを用意し、式は混乱なく進んだのだから、なおさらだ。 5人の裁判官のうち、1人は反対に回り、「公的儀式で君が代斉唱への協力を強制することは、当人の信念・信条に対する直接的抑圧となる」と述べた。この意見に賛同する人も少なくあるまい。 今回の判決で心配なのは、文部科学省や教委が日の丸や君が代の強制にお墨付きを得たと思ってしまうことだ。 しかし、判決はピアノ伴奏に限ってのものだ。強制的に教師や子どもを日の丸に向かって立たせ、君が代を歌わせることの是非まで判断したのではない。 89年、卒業式や入学式で日の丸を掲げ、君が代を斉唱することが学習指導要領に明記された。99年には国旗・国歌法が施行された。 君が代斉唱のときに起立しなかったなどの理由で、多くの教師が処分されている。特に東京都教委の姿勢が際立つ。日の丸を掲げる場所からピアノ伴奏をすることまで細かに指示した。従わなければ責任を問うと通達した03年以後、処分された教職員は延べ300人を超える。 生徒が歌った君が代の声の大きさを調査する教委まで出てきた。 これに対し、処分の取り消しなどを求める訴訟が各地で起きている。 私たちは社説で、処分を振りかざして国旗や国歌を強制するのは行き過ぎだ、と繰り返し主張してきた。 昨年12月、教育基本法が改正された。法律や学習指導要領で定めれば、行政がなんでもできると読み取られかねない条文が加えられた。 行政の行き過ぎに歯止めをかけるという司法の役割がますます重要になる。そのことを最高裁は改めて思い起こしてもらいたい。 |
03 01(木) 寺泊の海産物 写真43枚 |
03 06(火) 寺泊・小諸・望岳荘 |
03 17(土) 金婚式の日 |
愛 愛とはオムツを替えること。 母親が子供を抱きかかえる姿、 水火を辞せない愛は オムツの取替えを厭わない。 無償の愛という。 慈悲といい、恕という。 そんな論理はなくとも 母親はオムツを取替えてきた。 |