靖国神社参拝問題

01 戦犯合祀は靖国神社の判断、政府は要求せず…安倍首相  3月29日13時49分配信 読売新聞

 安倍首相は29日昼、靖国神社の戦犯合祀(ごうし)に対する旧厚生省の積極的な関与が国立国会図書館の資料で明らかになったことについて、「問題ないと思う。合祀を行ったのは神社で、旧厚生省は情報を求められて提供した」と述べ、政府が合祀を要求したわけではないとする見解を示した。

 首相官邸で記者団の質問に答えた。

 塩崎官房長官も記者会見で、「旧厚生省は旧軍の人事資料を持っていたので、靖国神社を含めた調査依頼に対し、一般的な調査回答業務の一環として回答していた。(戦犯の)合祀は神社側の判断で行われるので、強制しているようなことではない」と強調した。

02  靖国神社 A級戦犯合祀に絡む内密資料 国会図書館公表  3月29日9時58分配信 毎日新聞

 靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)が決まるまでの神社側と旧厚生省との詳細なやり取りが28日、国立国会図書館の公表資料で明らかになった。両者が昭和30年代から内密に検討を重ねていたことを示し「合祀決定とするが外部発表は避ける」(69年)など生々しい記述が残されていた。戦後史の貴重な資料として注目されそうだ。
 一連の資料は、神社が非公表の形で保管していたものを国会図書館に提供。小泉純一郎前首相の靖国参拝問題を契機に、国会議員らから過去の経緯に関する問い合わせが集中したため、同館が「新編靖国神社問題資料集」にまとめた。
 資料集には808点掲載されており、このうち靖国神社提供は179点。戦前は旧陸海軍が管轄しており、当時の合祀の資格審査や手続きに関する初公開文書も含まれている。
 公表資料によると、BC級を含む戦犯の合祀の話し合いは、少なくとも1958(昭和33)年4月から始まった。同年9月に神社社務所であった打ち合わせで、厚生省側は「全部同時に合祀することは種々困難」と指摘し「先(ま)づ外地刑死者(BC級)を目立たない範囲で(合祀するよう)諒承(りょうしょう)して欲しい」と要請していた。
 66年に同省は合祀の前提となる祭神名票(さいじんめいひょう)にA級戦犯も記載して神社に送付。その後は78年の合祀まで神社内で保留状態とされていたが、この間の69年には、双方が参加した検討会で「合祀可」の取り扱い決定をしたことが資料に記されていた。この検討会で外部発表を避けることも決められていた。ただ、合祀に慎重だったとされる当時の筑波藤麿宮司は、この検討会の参加者名簿にはなかった。
 旧厚生省の担当部局は旧軍出身者が主導し、合祀に積極的だったとされ、一連の経緯はこれまでも関係者証言などで知られていたが、具体的資料で裏付けられた。靖国神社幹部は「靖国が勝手に合祀したのではないことが、はっきりするはず」としている。
 「資料集」はA4判、約1200ページ。国保管資料や米側収集文書、中曽根康弘内閣時代の閣僚参拝に関する懇談会議事資料なども含まれている。国会図書館はホームページhttp://www.ndl.go.jp/で5月ごろまでに公開する予定。【竹中拓実、竹島一登】
 ▽84年に岩波書店から「靖国神社」を出版した大江志乃夫・茨城大名誉教授(日本近現代史)の話 旧厚生省がA級戦犯合祀の主導権を握っていた実態が明らかになった。靖国神社の事実上の「国営化」が行われていたということで、政教分離を定めた憲法に反すると言える。靖国神社が資料の公開に応じたのは、国主導の合祀の実態を明らかにして合祀の正当性を主張するとともに、遺族の高齢化で財政的、人的に運営が難しくなっており、国からの支援を引き出す論拠にするねらいがあると言える。
 【ことば】A級戦犯合祀 侵略戦争を計画・遂行したなどとして極東国際軍事裁判(東京裁判)に起訴された政府と陸海軍の指導者28人が「A級戦犯」。病死や免訴の3人を除き有罪となり、東条英機元首相ら7人が絞首刑になった。靖国神社は78年、受刑中などに死亡した7人を含む計14人を合祀した。中曽根康弘首相(当時)の初の公式参拝(85年)以降国際問題化。昨年、昭和天皇が合祀に不快感を示したことが富田朝彦元宮内庁長官のメモで判明し、分祀論などが再び活発化した。

03 <靖国神社>「合祀判断、国は強制していない」塩崎官房長官  3月29日13時15分配信 毎日新聞

 塩崎官房長官は29日午前の記者会見で、靖国神社への戦犯合祀に旧厚生省が関与していたことが国立国会図書館の公表資料で明らかになったことについて、「合祀の判断はそれぞれの神社が行い、(合祀を)強制しているわけではない」と述べ、憲法の政教分離の原則からも問題はないとの認識を示した。

04 外交通商部「日本は責任ある措置を」戦犯合祀問題で  3月29日14時59分配信 YONHAP NEWS

【ソウル29日聯合】政府は29日、日本の旧厚生省が戦犯の靖国神社合祀に関与していた事実が明らかになったことを受け、日本政府に対し責任ある措置を求めた。
 外交通商部は報道官論評を通じ、「韓国政府は日本政府がこれ以上真実を取り繕うことなく、正しい歴史認識のしたで責任ある措置を取ることを望む」と述べた。

05 A級戦犯  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (jawiki dump)
    【 http://wkp.fresheye.com/wikipedia/A%e7%b4%9a%e6%88%a6%e7%8a%af 】

中立的な観点:この記事は、中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、あるいは議論中です。そのため、偏った観点によって記事が構成されている可能性があります。詳しくは、この記事のノートを参照してください。

A級戦犯(えいきゅうせんぱん)とは、第二次世界大戦の敗戦国日本を戦勝国が裁いた極東国際軍事裁判において「平和に対する罪」について有罪判決を受けた戦争犯罪人をさす。起訴された被疑者や名乗り出たものを含む場合もある。刑の重さによってアルファベットによってランク付けされたものではない。近年はA項目戦犯という呼称もされている。

06 靖国の歴史、A級戦犯、首相参拝、中国からの批判…… 「靖国問題」基本的なQ&A

今、議論を呼んでいる「靖国問題」。およそ4年前にも、「首相と靖国神社の関係って?」という記事を書きましたが、もっとよく知りたい、ということで、靖国神社、A級戦犯、中国との関係について一問一答形式でお答えします。

1ページ目 【靖国神社ってどんな神社?/首相参拝はいつから?】
2ページ目 【公的・私的参拝の区別は?/中国はなぜ参拝に反対?】
3ページ目 【A級戦犯ってどういう人たち?/無宗教施設は作れない?】
  【 http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20050613A/index.htm 】

07 【基礎からわかる靖国神社問題】Q 「A級戦犯」合祀 経緯は?

 いわゆるA級戦犯とは、戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)で、侵略戦争を計画・実行したとして「平和に対する罪」などで有罪判決を受けた政治・外交・軍事の指導者たちだ。A級戦犯として起訴されたのは東条英機元首相ら28人。

 1948年11月、7人が死刑、16人が終身刑、2人が禁固刑の有罪判決を受けた。判決前に2人が死亡し、1人は精神障害で免訴された。

 同年12月23日、7人の絞首刑が執行された。このうち東条は、盧溝橋事件当時の関東軍参謀長であり、近衛内閣の陸相時代は日独伊三国同盟と対米英開戦を主張、41年の太平洋戦争開戦時は首相だった。板垣征四郎は満州事変にかかわり、関東軍参謀長などを務めた。土肥原賢二も満州事変当時の特務機関長だった。

 一方、国内外の法廷によるいわゆるBC級戦犯裁判では、5700人が捕虜虐待や民間人殺戮(さつりく)などの戦争法規違反に問われ、920人が処刑された。

 52年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が独立を回復すると、戦犯の釈放運動が全国で起こった。嘆願署名は4000万人を超えた。国会は53年、衆参両院で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」を採択した。同年、戦傷病者戦没者遺族等援護法が改正され、戦犯の遺族にも遺族年金、弔慰金が支給されることになった。

 翌54年には恩給法も改正され、戦犯への援護措置が拡充された。政府は戦犯も「公務死」と位置付け、国内法上、A級戦犯の公務復帰を妨げるような欠格事由規定なども設けなかった。

 日本が批准したサンフランシスコ講和条約11条は、戦犯の扱いについて、「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、かつ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする」とし、日本の独立回復後も刑の執行継続を求めた。

 そのうえで、戦犯の赦免・減刑・仮出獄について、A級戦犯の場合は、東京裁判に政府代表を出した国の過半数の決定と、日本の勧告に基づく手続きが必要とした。政府は52年の同条約発効を受け、関係国に対し、ABC級全戦犯の赦免・減刑を順次勧告した。

 結局、A級戦犯(容疑者を含む)は56年、BC級戦犯(同)は58年までに釈放された。A級戦犯のうち、重光葵は鳩山内閣で副総理兼外相に就き、賀屋興宣は池田内閣で法相になった。岸元首相はA級戦犯容疑者だ。

 靖国神社は59年、厚生省から届く祭神名票を基に「昭和殉難者」としてBC級戦犯の合祀を始めた。A級戦犯の祭神名票は66年に届いた。崇敬者総代会は70年にA級戦犯合祀の方針を決めたが、時期は宮司に一任となった。78年に就任した松平永芳宮司が改めて総代会で確認のうえ、東京裁判で絞首刑に処せられたり、獄死したA級戦犯14人の合祀に踏み切った。

 昭和天皇の侍従長を務めた徳川義寛の「徳川義寛終戦日記」によると、合祀を確認した78年総代会では、戦時中に大東亜相を務めた青木一男がA級戦犯合祀について「合祀しないと東京裁判の結果を認めることになる」と強く主張したという。
(2005年6月9日 読売新聞)

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10 政教分離違反の疑念も=公明・斉藤政調会長−靖国神社  3月29日21時1分配信 時事通信

 公明党の斉藤鉄夫政調会長は29日午後、戦犯の靖国神社合祀(ごうし)への旧厚生省の関与が明らかになったことに関し「今、正確にこうだとは言えない」とした上で、「ある意図を持って厚生省が情報提供をしたなら、憲法20条違反になるのではないか」との疑念を示した。  その上で、斉藤氏は「そういうことが今後起こらないように、無宗教の国立の戦没者追悼施設を建設すべきではないかという、わが党の主張がより一層説得力を持ってくる」と語った。衆院議員会館で記者団の質問に答えた。 

11 「関係発展の基礎拡大を」=戦犯の靖国合祀問題で中国  3月29日18時0分配信 時事通信

 【北京29日時事】中国外務省の秦剛副報道局長は29日の定例記者会見で、戦犯の靖国神社合祀(ごうし)への旧厚生省の関与が国立国会図書館の資料で判明したことについて「われわれは双方が共に努力して敏感な問題を適切に処理し、両国関係の改善と発展の基礎を絶え間なく拡大するよう希望する」と述べ、4月の温家宝首相の訪日を控え、対日関係の改善に強い意欲を示した。
 中国は小泉純一郎前首相がA級戦犯の合祀された靖国神社に参拝を続けたことを強く批判してきた。合祀そのものにも批判的見解を持っていると思われるが、日本の首相らが参拝しなければ、強硬に取り上げる考えはないとみられる。特に温首相訪日を前に靖国問題に関する議論が内外で再燃することを避けたい意向だ。 

12 戦犯合祀への国関与「問題ない」=靖国問題で安倍首相見解  3月29日15時2分配信 時事通信

 安倍晋三首相は29日昼、戦犯の靖国神社合祀(ごうし)への旧厚生省の関与が、国立国会図書館の資料から明らかになったことについて「合祀を行ったのは神社で、(旧厚生省は)情報提供を求められて提供した」と指摘した。さらに政教分離の観点からも「問題ない」との見解を示した。首相官邸で記者団の質問に答えた。 

13 外交通商部「日本は責任ある措置を」戦犯合祀問題で  3月29日14時59分配信 YONHAP NEWS

【ソウル29日聯合】政府は29日、日本の旧厚生省が戦犯の靖国神社合祀に関与していた事実が明らかになったことを受け、日本政府に対し責任ある措置を求めた。
 外交通商部は報道官論評を通じ、「韓国政府は日本政府がこれ以上真実を取り繕うことなく、正しい歴史認識のしたで責任ある措置を取ることを望む」と述べた。

昭和天皇、A級戦犯合祀後に参拝中断を決心

14 戦犯合祀は靖国神社の判断、政府は要求せず…安倍首相  3月29日13時49分配信 読売新聞

 安倍首相は29日昼、靖国神社の戦犯合祀(ごうし)に対する旧厚生省の積極的な関与が国立国会図書館の資料で明らかになったことについて、「問題ないと思う。合祀を行ったのは神社で、旧厚生省は情報を求められて提供した」と述べ、政府が合祀を要求したわけではないとする見解を示した。

 首相官邸で記者団の質問に答えた。

 塩崎官房長官も記者会見で、「旧厚生省は旧軍の人事資料を持っていたので、靖国神社を含めた調査依頼に対し、一般的な調査回答業務の一環として回答していた。(戦犯の)合祀は神社側の判断で行われるので、強制しているようなことではない」と強調した。

15 <靖国神社>旧厚生省の合祀関与「問題ない」安倍首相  3月29日13時27分配信 毎日新聞

 安倍晋三首相は29日、靖国神社への戦犯合祀(ごうし)に旧厚生省が関与していたことが国立国会図書館の公表資料で明らかになったことについて「(政教分離の原則からも)問題ないと思います。合祀を行ったのは神社でしょうし、厚生省は(戦死者の)情報を求められて提供したということじゃないですか」と記者団に述べた。塩崎恭久官房長官も同日午前の記者会見で「合祀の判断はそれぞれの神社が行い、(合祀を)強制しているわけではない」と語った。【西田進一郎】

16 <靖国神社>「合祀判断、国は強制していない」塩崎官房長官  3月29日13時15分配信 毎日新聞

 塩崎官房長官は29日午前の記者会見で、靖国神社への戦犯合祀に旧厚生省が関与していたことが国立国会図書館の公表資料で明らかになったことについて、「合祀の判断はそれぞれの神社が行い、(合祀を)強制しているわけではない」と述べ、憲法の政教分離の原則からも問題はないとの認識を示した。

17 靖国合祀、旧厚生省が積極関与…国会図書館が資料公開  3月29日10時56分配信 読売新聞

 靖国神社への戦没者合祀(ごうし)を巡り、当時の厚生省が合祀対象者の決定に、積極的に関与していたことが、28日、国立国会図書館が公表した「新編 靖国神社問題資料集」で明らかになった。

 同省は戦犯などの合祀について、神社側と頻繁に協議を重ね、見解を述べていた。同省が合祀対象者の決定に果たした役割がわかる資料は初めて。

 A級戦犯が合祀された9年前の1969年に、同省が神社側の合祀の意向を把握していたことを示す資料もあった。研究者は「国と神社側が協力しながら合祀者を決めたことが分かる貴重な資料」と話している。

 同図書館では、靖国神社参拝問題に関連し、調査や資料提供の依頼が増えたため、昨年から関連資料の収集を行っていた。資料集には、靖国神社が所蔵する非公開資料や、厚生省と神社側との協議内容など、計808資料、約1200ページにわたり収録されている。

18 靖国神社 A級戦犯合祀に絡む内密資料 国会図書館公表  3月29日9時58分配信 毎日新聞

「新編靖国神社問題資料集」の刊行を発表する国立国会図書館の春山明哲専門調査員(中央)ら=同館で28日午後5時9分、山本晋撮影(毎日新聞)

19 靖国神社 A級戦犯合祀に絡む内密資料 国会図書館公表  3月29日9時58分配信 毎日新聞

 靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)が決まるまでの神社側と旧厚生省との詳細なやり取りが28日、国立国会図書館の公表資料で明らかになった。両者が昭和30年代から内密に検討を重ねていたことを示し「合祀決定とするが外部発表は避ける」(69年)など生々しい記述が残されていた。戦後史の貴重な資料として注目されそうだ。
 一連の資料は、神社が非公表の形で保管していたものを国会図書館に提供。小泉純一郎前首相の靖国参拝問題を契機に、国会議員らから過去の経緯に関する問い合わせが集中したため、同館が「新編靖国神社問題資料集」にまとめた。
 資料集には808点掲載されており、このうち靖国神社提供は179点。戦前は旧陸海軍が管轄しており、当時の合祀の資格審査や手続きに関する初公開文書も含まれている。
 公表資料によると、BC級を含む戦犯の合祀の話し合いは、少なくとも1958(昭和33)年4月から始まった。同年9月に神社社務所であった打ち合わせで、厚生省側は「全部同時に合祀することは種々困難」と指摘し「先(ま)づ外地刑死者(BC級)を目立たない範囲で(合祀するよう)諒承(りょうしょう)して欲しい」と要請していた。
 66年に同省は合祀の前提となる祭神名票(さいじんめいひょう)にA級戦犯も記載して神社に送付。その後は78年の合祀まで神社内で保留状態とされていたが、この間の69年には、双方が参加した検討会で「合祀可」の取り扱い決定をしたことが資料に記されていた。この検討会で外部発表を避けることも決められていた。ただ、合祀に慎重だったとされる当時の筑波藤麿宮司は、この検討会の参加者名簿にはなかった。
 旧厚生省の担当部局は旧軍出身者が主導し、合祀に積極的だったとされ、一連の経緯はこれまでも関係者証言などで知られていたが、具体的資料で裏付けられた。靖国神社幹部は「靖国が勝手に合祀したのではないことが、はっきりするはず」としている。
 「資料集」はA4判、約1200ページ。国保管資料や米側収集文書、中曽根康弘内閣時代の閣僚参拝に関する懇談会議事資料なども含まれている。国会図書館はホームページ
http://www.ndl.go.jp/で5月ごろまでに公開する予定。【竹中拓実、竹島一登】
 ▽84年に岩波書店から「靖国神社」を出版した大江志乃夫・茨城大名誉教授(日本近現代史)の話 旧厚生省がA級戦犯合祀の主導権を握っていた実態が明らかになった。靖国神社の事実上の「国営化」が行われていたということで、政教分離を定めた憲法に反すると言える。靖国神社が資料の公開に応じたのは、国主導の合祀の実態を明らかにして合祀の正当性を主張するとともに、遺族の高齢化で財政的、人的に運営が難しくなっており、国からの支援を引き出す論拠にするねらいがあると言える。
 【ことば】A級戦犯合祀 侵略戦争を計画・遂行したなどとして極東国際軍事裁判(東京裁判)に起訴された政府と陸海軍の指導者28人が「A級戦犯」。病死や免訴の3人を除き有罪となり、東条英機元首相ら7人が絞首刑になった。靖国神社は78年、受刑中などに死亡した7人を含む計14人を合祀した。中曽根康弘首相(当時)の初の公式参拝(85年)以降国際問題化。昨年、昭和天皇が合祀に不快感を示したことが富田朝彦元宮内庁長官のメモで判明し、分祀論などが再び活発化した。

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21 靖国神社 合祀めぐり旧厚生省とのやり取り生々しく  3月29日9時58分配信 毎日新聞

拡大写真  刊行された「新編靖国神社問題資料集」(右奥)に収録されている、「閣僚の靖国神社参拝問題に関する懇談会」関係資料など=国立国会図書館で28日午後4時28分、山本晋撮影

 国立国会図書館が28日明らかにした資料には、A級戦犯合祀(ごうし)について、靖国神社と厚生省(当時)の頻繁なやり取りが生々しく記されていた。資料からは、両者とも根強い旧軍への反感を前に、合祀へのためらいがうかがえる。皇族出身の筑波藤麿宮司(当時)が合祀に慎重だっただけに、後任の松平永芳宮司が78年10月にひそかに合祀した経過の不透明さが改めて浮き彫りになった形だ。【野口武則、青島顕】
 69年1月31日の会議で示された「合祀に関する検討資料」では、A級戦犯の合祀を「可」としながらも、翌70年6月25日の会議では「諸状勢を勘案保留する」と一転。合祀をすぐに決断できずに揺れ動いた。
 「A級は一復(旧陸軍)関係でない」
 両者打ち合わせ会で、初めて「A級」の文言が出てきた58年4月9日(第4回)。旧陸海軍省から合祀事務を引き継いだ厚生省援護局側は、B級戦犯以下の合祀を「目立たないよう入れては如何」と提案しながら、戦争指導者のA級合祀には二の足を踏んでいた。
 同年9月12日(第7回)には「新聞報道関係の取扱ひ方如何でその国民的反響は甚だ重要な問題」とあり、世論の反発を恐れていた事情がうかがえる。靖国は、59年からBC級の合祀に踏み切ったが、同年4月4日の同局復員課の「内連絡」には「取扱注意」の印が押され「将来の合祀にも支障を起こす恐れもあるという実情にありますので……標記戦没者が含まれていることを公表せず、世論と共に極めて自然に推移するよう希望」と、将来のA級合祀を視野に、ひそかに事務を行うよう指示していた。
 58年12月4日、総代会に援護局の美山要蔵次長らを招き、合祀について説明を受けた。総代の小泉信三・元慶応義塾塾長が「ここで決定するのではないのですね(ほつとした面持ちでうなづく)」とある。A級戦犯合祀を決めることは重荷だったようだ。小泉氏は現天皇の皇太子時代の教育係。筑波元宮司も含め、皇室周辺は合祀に慎重だった様子が裏付けられた。
 現代史家の秦郁彦さんは「A級戦犯合祀は78年だが、公開資料は70年までのもので尻切れとんぼだ」と指摘し、総代会の議事録公表を求めた。

22 柳明桓駐日大使「課題は懸案をいかにうまく扱うか」  3月29日9時22分配信 YONHAP NEWS
【東京28日聯合】駐日大使として赴任したばかりの柳明桓(ユ・ミョンファン)大使は28日、「現在、韓日間には敏感な問題が多い。争う時には争っても、器が割れない方法を探す」と述べた。東京で開いた韓国特派員との懇談会で柳大使は、両国の間には教科書問題や従軍慰安婦、歴史わい曲、靖国神社参拝、独島など懸案が山積していると指摘し、「これらをいかに賢く、うまく扱うかが課題」だとした。
 韓日間には不幸な歴史があるため、慎重に、さらにもう一度考えるようにしながら問題を扱っていくつもりだという。夫婦関係になぞらえ、「けんかする時にはけんかしても、一方では関係を強化しなければならない二律背反の側面がある」と語った。現在の関係はまるで地雷畑を歩く感覚だが、韓国にとって日本は大きな友邦で、経済開発や安保面で切ろうにも切り離せず、関係の改善と強化が駐日大使の任務だとした。

 また、政治的には緊張関係が続くが、民間関係は進展していると見ている。双方の訪問者数が今年は逆転し、日本を訪れる韓国人訪問者数のほうが多くなるとの見通しを示し、これは両国が日ごとに近づいていることを表すもので、政治的関係もこれに影響を受けるだろうと期待した。

 日本の安倍晋三首相の対北朝鮮政策に関しては、拉致問題の解決が北朝鮮核問題解決に重要との認識を明らかにしながら、拉致問題の解決策を模索する上で韓日が協力していくべきだと述べた。

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24 A級合祀、昭和44年提示 靖国神社、厚生省と綿密協議 国会図書館が資料  3月29日8時0分配信 産経新聞

 国立国会図書館は28日、靖国神社が提供した内部資料や、これまで非公開だった中曽根内閣当時の「閣僚の靖国神社参拝に関する懇談会」(靖国懇)の議事録など、靖国神社に関する資料集を公表した。靖国神社が昭和44年、「A級戦犯」を「合祀(ごうし)可」とする見解を示す文書を厚生省に提示するなど、戦後、両者が一体となり合祀を進めてきた過程が明らかになった。

 旧陸、海軍両省の業務を引き継いだ厚生省援護局と靖国神社は、「合祀基準に関する打合会」などを頻繁に開き協議。この過程で厚生省は41年2月8日、A級戦犯を含む合祀の名簿である「戦争裁判関係死没者に関する祭神名票」を靖国神社に送付した。

 これを受け44年1月31日、靖国神社社務所で開かれた会合で神社側は、厚生省との「再確認事項」として「法務死没者」の「A級(12名)」と「内地未決死没者(10名)」を「合祀可」とすることを提示した。ただ「総代会の意向もあるので合祀決定とするが外部発表は避ける」とし、世論の動向を気遣っていたことをうかがわせた。

 その後、靖国神社は45年、総代会でA級戦犯の合祀を決定する。実際に合祀したのは53年10月で、その9年前に一定の結論に達していたことになる。合祀されたA級戦犯が14人となったのは、東京裁判の未決勾留中に死亡した松岡洋右元外相と海軍の永野修身元軍令部総長が「内地未決死没者」に含まれているためとみられる。

 BC級戦犯の合祀についても慎重に検討が進められたことも分かった。33年4月9日の打合会(第4回)で厚生省は「個別審議して、差し支えない程度で、しかも目立たないよう合祀に入れてはいかが」と提案。同年9月12日の打合会(第7回)でも「全部同時に合祀することは種々困難もあることであるから、まず外地刑死者を目立たない範囲で了承してほしい」と、BC級戦犯の合祀を先に決定するよう打診した。

 36年8月15日、靖国神社は「終戦後における合祀審議の状況」の中で、A級戦犯は「保留」とし、BC級戦犯のうち外地処刑者は「合祀」、内地処刑者は「合祀予定」とした。

 資料集は「新編靖国神社問題資料集」で、A4判1200ページ。資料集は非売品で、5月の連休をめどに国会図書館のホームページ(HP)に公開される予定。

■合祀判断 慎重さ裏付け 

 国立国会図書館が公表した「新編靖国神社問題資料集」は、戦後、国(厚生省)と靖国神社が一体となって「A級戦犯」を含む戦没者、戦犯刑死者の合祀に努力してきたことを裏付けるものだ。

 靖国神社が全面的ともいえる協力で提供した内部資料は、合祀基準の形成の過程、とりわけこれまで判明していなかった戦前の合祀基準も含まれており、日本の戦没者追悼の歴史を検証する上で一級の資料といえる。

 敗戦に伴い陸、海軍両省は廃止され、靖国神社は宗教法人化された。陸海軍両省の業務を継承した厚生省援護局が、靖国神社と協力して戦没者の合祀作業を進めたのは、戦没者を認定する能力が厚生省にしかない以上、当然のことだ。厚生省が戦没者の「祭神名票」を靖国神社へ送付してはじめて、合祀が行われていた。これを知りながら「政教分離に反する」と批判する向きがあるが、戦没者合祀をやめよと言うに等しい。

 厚生省と靖国神社が戦後、綿密な協議を重ね合祀を進めた事実は、戦没者や連合国の戦争裁判によって処刑された人々への慰霊をまっとうする責任を、当時の政府が果たしていたことを意味する。

 靖国神社が「新聞報道関係の取り扱いいかんで、その国民的反響ははなはだ重要な問題として考えなければならない」(昭和33年9月12日)としたように、協議は時間をかけ慎重に進められたことがうかがわれる。ただ、今回の資料集では、なぜ53年の時点でA級戦犯の合祀に踏み切ったかその理由までは示されていない。(榊原智)

25 戦犯合祀で国の関与示す資料=靖国問題で国会図書館が刊行  3月28日23時0分配信 時事通信

 国立国会図書館は28日、靖国神社に関する非公開資料などを「新編靖国神社問題資料集」にまとめ、国会に提出した。この中で、戦犯合祀(ごうし)の決定過程における旧厚生省の積極的なかかわりが浮かび上がり、神社側がA級戦犯について、実際の合祀の9年前には「合祀可」との見解を文書に残していたことも分かった。
 国会図書館は昨年1月から、国会議員らから資料要求が相次いだことを受け、靖国神社などからの収集に着手。資料集は約1200ページに及び、1800部を作成したが、一般販売はせず、5月の連休をめどに閲覧を始め、同図書館のホームページ(HP)にも公開する。
 靖国神社は戦犯のうち、まずB、C級戦犯について59年から合祀している。
 非公開だった資料のうち、同神社作成の「合祀基準に関する打合会」によると、58年4月9日、旧厚生省引揚援護局復員課職員と神社関係者が出席した打ち合わせの際、同課の事務官は「B級以下で個別審議して差し支へない程度でしかも目立たないように合祀しては如何」と発言。これに対し、神社側は「総代会に相談してみる」と回答しており、旧厚生省が積極的にリードしていた。
 A級戦犯については、同省は66年に合祀を前提に同神社に名簿を送付。70年ごろに神社の総代会でいったん合祀の方針を決めたとされるが、実際の合祀は宮司交代後の78年だった。 

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27 <靖国神社>A級戦犯合祀に絡む内密資料 国会図書館公表  3月28日22時16分配信 毎日新聞

 靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)が決まるまでの神社側と旧厚生省との詳細なやり取りが28日、国立国会図書館の公表資料で明らかになった。両者が昭和30年代から内密に検討を重ねていたことを示し「合祀決定とするが外部発表は避ける」(69年)など生々しい記述が残されていた。戦後史の貴重な資料として注目されそうだ。  一連の資料は、神社が非公表の形で保管していたものを国会図書館に提供。小泉純一郎前首相の靖国参拝問題を契機に、国会議員らから過去の経緯に関する問い合わせが集中したため、同館が「新編靖国神社問題資料集」にまとめた。
 資料集には808点掲載されており、このうち靖国神社提供は179点。戦前は旧陸海軍が管轄しており、当時の合祀の資格審査や手続きに関する初公開文書も含まれている。  公表資料によると、BC級を含む戦犯の合祀の話し合いは、少なくとも1958(昭和33)年4月から始まった。同年9月に神社社務所であった打ち合わせで、厚生省側は「全部同時に合祀することは種々困難」と指摘し「先(ま)づ外地刑死者(BC級)を目立たない範囲で(合祀するよう)諒承(りょうしょう)して欲しい」と要請していた。
 66年に同省は合祀の前提となる祭神名票(さいじんめいひょう)にA級戦犯も記載して神社に送付。その後は78年の合祀まで神社内で保留状態とされていたが、この間の69年には、双方が参加した検討会で「合祀可」の取り扱い決定をしたことが資料に記されていた。この検討会で外部発表を避けることも決められていた。ただ、合祀に慎重だったとされる当時の筑波藤麿宮司は、この検討会の参加者名簿にはなかった。
 旧厚生省の担当部局は旧軍出身者が主導し、合祀に積極的だったとされ、一連の経緯はこれまでも関係者証言などで知られていたが、具体的資料で裏付けられた。靖国神社幹部は「靖国が勝手に合祀したのではないことが、はっきりするはず」としている。
 「資料集」はA4判、約1200ページ。国保管資料や米側収集文書、中曽根康弘内閣時代の閣僚参拝に関する懇談会議事資料なども含まれている。国会図書館はホームページhttp://www.ndl.go.jp/で5月ごろまでに公開する予定。【竹中拓実、竹島一登】
 ▽84年に岩波書店から「靖国神社」を出版した大江志乃夫・茨城大名誉教授(日本近現代史)の話 旧厚生省がA級戦犯合祀の主導権を握っていた実態が明らかになった。靖国神社の事実上の「国営化」が行われていたということで、政教分離を定めた憲法に反すると言える。靖国神社が資料の公開に応じたのは、国主導の合祀の実態を明らかにして合祀の正当性を主張するとともに、遺族の高齢化で財政的、人的に運営が難しくなっており、国からの支援を引き出す論拠にするねらいがあると言える。
 【ことば】A級戦犯合祀 侵略戦争を計画・遂行したなどとして極東国際軍事裁判(東京裁判)に起訴された政府と陸海軍の指導者28人が「A級戦犯」。病死や免訴の3人を除き有罪となり、東条英機元首相ら7人が絞首刑になった。靖国神社は78年、受刑中などに死亡した7人を含む計14人を合祀した。中曽根康弘首相(当時)の初の公式参拝(85年)以降国際問題化。昨年、昭和天皇が合祀に不快感を示したことが富田朝彦元宮内庁長官のメモで判明し、分祀論などが再び活発化した。

28 戦犯合祀、国の関与示す資料集=靖国問題で国会図書館が刊行−HPで公開へ  3月28日20時1分配信 時事通信

 国立国会図書館は28日、靖国神社に関する非公開資料などを「新編靖国神社問題資料集」にまとめ、国会に提出した。戦犯合祀(ごうし)の決定過程に、旧厚生省が積極的にかかわったことを示す資料なども含まれており、同神社をめぐり、これまで明確でなかった部分を浮き彫りしている。
 国会図書館は昨年1月から、国会議員などから資料要求が相次いだことなどを受け、資料収集に着手。1976年に刊行された旧資料集に、新たな資料を加える形で、江戸時代から昨年までを5期に区切り年代順に資料を配列している。
 約1200ページに及び、1800部を作成したが、一般販売はせず、5月の連休をめどに国会図書館のホームページ(HP)に公開されるという。

29 靖国神社
   【http://www.yasukuni.or.jp/

30 靖国神社参拝について
   【http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/yasukuni/index.html

31 靖国神社参拝に関する所感  平成14年4月21日

 本日、私は靖国神社に参拝いたしました。

 私の参拝の目的は、明治維新以来の我が国の歴史において、心ならずも、家族を残し、国のために、命を捧げられた方々全体に対して、衷心から追悼を行うことであります。今日の日本の平和と繁栄は多くの戦没者の尊い犠牲の上にあると思います。将来にわたって、平和を守り、二度と悲惨な戦争を起こしてはならないとの不戦の誓いを堅持することが大切であります。

 国のために尊い犠牲となった方々に対する追悼の対象として、長きにわたって多くの国民の間で中心的な施設となっている靖国神社に参拝して、追悼の誠を捧げることは自然なことであると考えます。

 終戦記念日やその前後の参拝にこだわり、再び内外に不安や警戒を抱かせることは私の意に反するところであります。今回、熟慮の上本日を選んで参拝したのは、例大祭に合わせて参拝することによって、私の真情を素直に表すことができると考えたからです。このことについては、国民各位にも十分御理解いただけるものと考えます。

32 昭和受難者として靖国神社が合祀している14人
   【http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/syouwajyunannsha.htm

33 小泉総理インタビュー  平成18年8月15日

【質疑応答】

【質問】 総理、今回はどのような気持ちで参拝されましたでしょうか。

【小泉総理】 これは毎回申し上げているのですが、日本は過去の戦争を踏まえ反省しつつ、二度と戦争を起こしてはならない。そして今日の日本の平和と繁栄というのは、現在生きている人だけで成り立っているのではないと。戦争で尊い命を犠牲にされた、そういう方々の上に今の日本というのは今日があると。戦争に行って、祖国の為、また家族の為、命を投げ出さなければならなかった犠牲者に対して、心からなる敬意と感謝の念を持って靖国神社に参拝しております。今年もこの気持ちに変わりはありません。

 今までの過去5年間の私の靖国神社参拝に対する批判をね、よく考えて見ますと、大方、3点に要約されるんじゃないかと思います。まず一つはね、中国・韓国は不愉快であると反発しているからやめろという意見。これはどうですかね、私は日中・日韓友好論者なんです。就任以来、現に中国や韓国との友好交流、様々な分野で拡大を続けております。そういう中で、どの国ともね、一つや二つ意見の違い、対立あります。それで、一つの意見の違いがある、不愉快なことあると、それによって首脳会談を行なわないことが良いのかどうかと、私はいつでも首脳会談を行う用意があると言っているんですよ。しかも、靖国神社参拝を条件にしてね、この参拝をしなければ首脳会談を行うと、するならば首脳会談行わないというのが、果たして良いのかどうか。私は、これはよろしくないと思っています。

 日本の首相というのは、民主的な手続によって選ばれた首相であります。日中間、日韓の間には様々な課題もある。私は今までの日中首脳会談、日韓首脳会談においても、未来志向で友好を図っていこうと、お互い、相互互恵、相互依存関係、これを深めていこうと、中国の発展、韓国の発展というのは日本に脅威というよりも、むしろ日本にとってもチャンスなんだという事をはっきり表明して、未来志向で友好、交流を進めていこうということを申し上げているんです。それに対して、私を批判する方、これは、しかし中国が嫌がっていることはやるなと、突き詰めて言うと、中国・韓国が不快に思うことはやるなということでしょ、これについて批判する方をどう思うか。

 もし私が一つの問題で私が不愉快に思う、仮にね、中国・韓国が日本の安保理常任理事国入りに反対しています。これは日本にとっては不愉快だと、だから私は中国・韓国と首脳会談行わないといったらどちらを批判するでしょう。私は中国が反対しても、韓国が反対しても、首脳会談いつでも行いましょうと言っているんですよ。今回もそうですね、私が拒否しているんじゃないんです。という事は、中国の嫌がることは止めなさいというのが靖国参拝批判の一つですね。中国に不快な思いをさせちゃいけません。中国のいうことを聞きなさい、韓国のいうことを聞きなさい、そうすればアジア外交が上手くいきます。私は必ずしもそうじゃないと思いますね。一つや二つ、どの国も意見の違いや対立あります、そういうのを乗越えて未来志向で友好関係を進展させていくのが、日本としても他国にしても大事じゃないでしょうか。

 中にはね、小泉はアメリカと親しいと、アメリカのブッシュ大統領が靖国参拝するなと言えばしないだろうと。そんなことはありません、ブッシュ大統領が靖国参拝するなと私に言ったとしても、私は行きます。もっともね、ブッシュ大統領はそんな大人気ないことは言いませんけどね。

 もう一つはね、A級戦犯が合祀されているから行っちゃいかんという議論。これはね、私は、特定の人に対して参拝しているんじゃないんです。この戦争でね、苦しい思いをされ、できれば避けたかった、戦場に行きたくなかった多くの兵士がいるんです。そういう方々の気持ちを思ってね、何という苦しいつらい体験をせざるを得ない時代に生まれたのだろうかと、そういう犠牲者に対してね、心からやっぱり哀悼の念を表すべきだなと、これ日本の文化じゃないでしょうか。特定の人がいるから後の人のことは考えなくていいと、一部の、自分では許せない人がいるから、それより圧倒的多数の戦没者の方々に対して哀悼の念をもって参拝するのが何故いけないのか、私はA級戦犯の為に行っているんじゃないですよ。多くの戦没者の方々に哀悼の念を表す。二度とこのような苦しい戦争をさせてはいけない、そういう気持ちで参拝しているんです。

 それと第3点、憲法違反だから靖国神社参拝しちゃいかんという人がいます。これもね、憲法第19条、第20条、これを良く読んで頂きたい。私は神道奨励するために靖国神社行っているんじゃありません、今説明したように。また過去の戦争を美化したり、正当化したりするために行っているんじゃありません。また軍国主義を称揚する、そういうような気持ちで行っているのではありません。今申し上げたように、二度と戦争を起こしてはいけないと、戦没者に戦争に行って斃れた方々、こういう方々の犠牲を片時も忘れてはいけないと、そういう気持ちでお参りしているんです。そして、第19条の思想及び良心の自由はこれを侵してはならない。これどう考えますか、正に心の問題でしょ。これを日本の首相が日本の施設にお参りする、お祈りする、それを、外国の政府もっともだといって、小泉はいかん、小泉を批判する。これが本当に良い事なのかどうか、今の日本の誰にでも許されている自由という問題をどう考えるのか。

 私は伊勢神宮にも毎年参拝しています。その時には何名かの閣僚も随行しています。別に私は強制していません。そして、皆さんの前で神道形式に則って伊勢神宮に参拝しています。その時に憲法違反という声起こりませんね。何故なんでしょうか。私はこういうことから、賛否両論あっていいんです、日本は言論の自由認められていますから、今までもこういう事を私は答弁なり、普段の話でしているんです。今回も全くその同じ気持ちで参拝しているんです。

【質問】 何故、今回、終戦の日の8月15日を選ばれたのでしょうか。

【小泉総理】 これはね、最初、多くの方々が8月15日だけはやめてくれと、様々な方から言ってまいりましたね。そういう方々の意見も聞かなきゃいかんなということでね、敢えて15日を避けて参拝してきました。8月13日、或いは4月、10月、1月と、しかし、8月15日を避けても、いつも批判や反発、そして何とかこの問題を大きく取り上げようとする勢力、変わらないですね。いつ行っても同じです。ならば、今日は適切な日ではないかなと。これから戦没者の追悼記念式典もおこなわれます。私はこれから千鳥が淵の戦没者墓苑にお参りをします。戦没者の追悼式典にも出席します。適切な日だなと判断いたしました。

【質問】 去年、参拝した際は、昇殿をせずに、記帳もしませんでした。今回の参拝では、モーニング姿で、内閣総理大臣と記帳して、昇殿もしたということなんですけれども、その理由についてお聞かせください。

【小泉総理】 今、お話したようにね、今日は戦没者の追悼式もありますし、千鳥ヶ淵の戦没者の墓苑にもお参りしますし、その時にはこの服装で行きますしね、私は、きっちりと昇殿、本殿に参拝した方が、今日は皆騒いでいますから、あのような、去年みたいな形でいくと警備の方も大変でしょ。皆さん、大勢の方々が見えてるしね、そういうことも考えて本殿に参拝するのが適切じゃないかなと思いました。

【質問】 2回目の参拝の時の所感の中では、総理は、終戦記念日やその前後の参拝にこだわって、再び内外に不安や警戒を抱かせることは、私の意に反するとしていました。今日の参拝は、その所感と矛盾するのではありませんか。

【小泉総理】 矛盾しません。それは過去5年を踏まえて、いつ行っても問題にして、混乱にしようとする勢力があるんです。それは仕方ないんです。そういうことを踏まえて、過去の経験が生きてきたんですね。いつ行っても参拝に、なんとか争点にしようとか、混乱させようとか、騒ぎにしようとか、国際問題にしようとかいう勢力があるんです。これに対してね、いけないと言ったって、それは、日本は言論の自由が認められてるんですから、どうにもなりません。ですから、いつ行ってもこういう騒ぎにしようという勢力があるんですから、8月15日に行っても、適切じゃないかなと。

 また、むしろこだわっているのは、毎回、こだわろうという勢力がいるんですよ、私が、今まで靖国神社の問題も、質問された時以外は答えたことがないんですよ。自ら、靖国問題をこうだああだと言ったことはなくて、いつも皆さんの質問に答えて言っているわけです。いろいろな説明や他のことも言いたいんですけれども、一番マスコミが取り上げるのは靖国参拝のことでしょ。そういうのは、やめた方がいいと言っても聞かないですから、マスコミは。いつでもこだわっているのはマスコミじゃないでしょうか、或いは、私に反対する方々じゃないでしょうか。そういうのも踏まえてね、これはいつ行っても同じだなと思いました。

【質問】 来月のご退陣の前に、直接、不戦の誓いと戦没者追悼の意で参拝なさっているんだということを、中国、韓国の首脳と会って、理解を求めるためにご説明する意向はないのですか。

【小泉総理】 今までの日中首脳会談、日韓首脳会談においても、その考えを伝えてあります、何回でも。いつでも会えば、中国側が、韓国側が、靖国参拝するなと言えば、いつも、中国側、韓国側の考えと私は違うということを説明している、今、お話したような考えを説明しております。これは平行線です、外交カードにはしないと、一つの条件をつけられて、これに従うか、従わないか、それで首脳会談をする、しないを判断するというのは、私はよろしくないと思っております。私は、これからも中国、韓国と友好的に発展しようと、未来志向でね、考えた方が良いんじゃないかということを、再三、申し上げております。この考えに変わりはありません。

【質問】 今回は記帳されていますが、総理大臣の立場としての参拝ということでしょうか。

【小泉総理】 総理大臣である、人間、小泉純一郎が参拝しているんです。

【質問】 公式な参拝と受け取ってよろしいのですか。

【小泉総理】 職務として参拝しているものではありません。

【質問】 今回の参拝が、総裁選に与える影響についてはどのようにお考えですか。

【小泉総理】 それは総裁候補自体の考え方と、マスコミの皆さんが争点にしたがっている面が強いですから、それいかんでしょうね。

【質問】 改めて、靖国神社に合祀されているA級戦犯の戦争責任については、どうお考えになるか、お願いいたします。

【小泉総理】 それは戦争の責任をとって、戦犯として刑を受けているわけでしょう。それは本人達も認めているし、それはあると思いますが、それとこれとは別です。何回も申し上げているように、特定の人のために参拝しているんじゃないです。戦没者全体に対して、哀悼の念を表するために参拝しているんです。今、言った、主な3点、靖国参拝批判する人、よく考えていただきたい。考えは自由です。

34 日本会議
   【http://www.nipponkaigi.org/

35 靖国参拝違憲訴訟の会・東京 
   【http://homepage3.nifty.com/seikyobunri/

36 昭和天皇、A級戦犯合祀に不快感…宮内庁長官メモ (7月20日 13:01)

今日のトップニュースは、何と言ってもこれ:

昭和天皇、A級戦犯合祀に不快感…宮内庁長官メモ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞): "昭和天皇が靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に関し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと語ったとするメモを、当時の富田朝彦宮内庁長官(故人)が残していたことが20日、明らかになった。" ウヨども、お前らは、時代が時代なら、不敬罪じゃ。

これは、今さらという「常識のたぐい」のお話し。誰もがこれを知っていた(強引に昭和天皇の気持ちを曲解する輩はいたが)。

これで、決定的な証拠が出てきたわけで、事実関係がハッキリした。靖国靖国と騒ぐウヨども、お前ら、昭和天皇の御心を踏みにじっているのである! 非国民だな。

参照:

http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/Shiten2003/shiten20030118.html

http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C1922962667/E490488979/index.html

http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C1922962667/E490488979/index.html

http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C111252006/E20060401092309/index.html

Posted: Thu - July 20, 2006 at 07:16 PM Letter from Yochomachi 新聞・雑誌(日米) Previous Next Comments (2) | Trackback (0)

37 昭和天皇、A級戦犯合祀後に参拝中断を決心

日本の昭和天皇は、第2次世界大戦のA級戦犯が靖国神社に合祀されたことに不快感を示し、合祀をきっかけに参拝中断を決心したことが明らかになった。

これは88年、当時の富田朝彦宮内庁長官(故人)が昭和天皇の発言を記録したメモから確認された。 昭和天皇の靖国参拝中断の理由が文書で明らかになったのは初めて。

これを受け、小泉純一郎首相をはじめ、戦没者追慕を前面に出しながら参拝を正当化している日本政治家らの靖国参拝に大きな影響を与える見通しだと、日本のメディアが20日、一斉に報じた。

第2次世界大戦を遂行した天皇が自らA級戦犯の合祀に反対し、合祀によって参拝を中断したという事実が確認されただけに、小泉首相の参拝が名分が弱まったからだ。 またA級戦犯分祀論にも追い風となる見通しだ。

◇参拝中止、「それが私の心だ」=富田元長官は昭和天皇との対話を日記と手帳に詳細に記録していた。 富田元長官は宮内庁次長当時を含めて75−86年の日記1冊、86−97年分の手帳20冊余を残した。

日本経済新聞が入手して20日報じた富田元長官の88年4月28日分のメモによると、昭和天皇はA級戦犯合祀に強い不快感を示し、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と述べた。

昭和天皇は戦後、靖国を8度参拝したが、A級戦犯が合祀(78年10月)されてからは1度も参拝しなかった。 昭和天皇の息子である今の明仁天皇も89年の即位以来、一度も参拝していない。

その間、昭和天皇の参拝中断理由には、A級戦犯の合祀、三木武夫元首相の参拝が公人資格か私人資格かをめぐり政治問題化したため、という2つの分析が提起されてきたが、どちらも確証はなかった。

同じ日のメモには昭和天皇が自身の誕生日(4月29日)を控えて行った記者会見で、戦争に対する感慨について質問を受けて「最も嫌な記憶」と話した背景についても書かれている。 このメモでは、昭和天皇が「戦争に対する感傷を質問されて悪い気分を表現したかった」と話したとなっている。

◇日本政界を強打=20日朝刊に報道された昭和天皇のメモは日本の政界に大きな波紋を呼んだ。 日本のメディアは「靖国参拝問題が北朝鮮ミサイルなど安保問題に比べても、9月20日の自民党総裁選の最大争点として浮上することが予想される」と報じた。 来月15日の終戦記念日に小泉首相が靖国を参拝するかどうかに関心が集中している。

安倍晋三官房長官はこの日の記者会見で「宮内庁からは『個人のメモに基づくもので、詳細を承知していない』と報告を受けている」とし、小泉首相の参拝については「首相自身が判断するものだ」と答えた。

一方、日本のメディアは「今回のメモ公開をきっかけにA級戦分祀論を強く主張している福田康夫元官房長官が安倍官房長官に挑戦状を投じる可能性が高まった」と分析した。

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2006/07/21 9:43:40 入力

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