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折々の記 2004 B

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】09/11〜        【 02 】09/21〜
【 03 】09/28〜        【 04 】10/07〜
【 05 】10/12〜        【 06 】10/22〜
【 07 】10/27〜        【 08 】11/03〜
【 09 】11/13〜        【 10 】11/18〜


【 8 】11/03〜

  11 03 字句だけの文化の日
  11 05 初旬の天気上々
  11 06 日の出と日没
  11 07 ニュース・縄文人の由来は多様
  11 09 郡市音楽会「旅立ちの日に」友美の伴奏
  11 12 湖北の観音さま ●「北京週報」

 11 03(水) 字句だけの文化の日

日本国憲法は基本理念とし「国民主権」「戦争放棄」「基本的人権の尊重」を明記している。

今一番課題になっているのは「戦争放棄」の認識・解釈の問題である。


第2章 戦争の放棄
〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。(赤字は下平が変更したもの)


憲法認識・解釈は、憲法の基本理念に基づいて第2章の2つの項をそのまま受け入れることにある。

警察予備隊’‘保安隊’ができたいきさつでは、憲法認識や解釈についての議論はほとんどなかった。唯一の史実として残るのは、日本の行方を憂えた“安保闘争”であった。日米安全保障条約の改定に反対して展開された、日本の戦後史上、最大の国民運動であった。

もともとこの胎動は朝鮮戦争が誘引になっていた。マックアーサーの方針がそうさせたとも言われた。すでにレールは敷かれてしまったとも言える。朝鮮動乱によって疲弊した産業界は息を吹き返したといわれている。

日本の経済復興はアメリカへの輸出でにぎわうことになったのは事実であろう。だが、日本が憲法を歪曲して戦力を持つ国になったことも事実である。

文化の日’はその趣旨が薄れ、方手落ちの字句だけの「戦争放棄」と「文化の日」になりさがってしまった。


文化の日(National Culture Day)
1946(昭和21)年、平和と文化を重視した日本国憲法が公布されたことを記念して、1948(昭和23)年公布・制定の祝日法で「自由と平和を愛し、文化をすすめる」国民の祝日に定められた。


悲しいことではないか。

 11 05(金) 初旬の天気上々

季節はどんどん変わっていく。

柿剥きの季節といえば、10月下旬から11月上旬である。
11月上旬にはよく秋雨があって柿むきの農家を困らせる。

山茶花が10月末頃からチラホラ咲き始めた。
湖北の白髭神社から頂いたマンネンも朱色の実がついた。

坪庭のツワブキ、ムラサキシキブ、ウメモドキの時期はすぎた。
ザクロの実も終わりになる。

柿剥きは10月27日から始めた。

24〜25日が弥彦神社への旅行だったので、剥きはじめの時期がおそすぎた。
柿の剥き頃を毎日見ながらやりたいものだ。
小玉の柿は捨てることにした。

陽気が温暖化して、柿の葉は青くておるのに実は熟してくるのだ。

柿剥きは11月05日、きょう終わりそうである。
真介一家の手伝いと、家族の手伝いが二日あって、助かった。嬉しいことである。

あしたはまえでに応援に行き、済んだら、正木屋へ応援に行くつもりでいる。

 11 06(土) 日の出と日没

「日の出、日の入り」を見るとこんなことが解る。


 月日   日出   南中  日没    説明

 07 01  4 32   11 51   19 10   日没が一番遅い日

 11 06  6 16   11 31   16 46  今日の日没

 12 08  6 47   11 39   16 31  日没が一番早い日


7月1日の日没が7時10分だから、きょうの日没はそのときに比べると2時間24分も早くなっている。

天体運行についての知識は皆無に等しいから、自然のうけている影響も同様にして判らないことが多い。地球の温暖化となるとますます難解であって、識者の情報に耳を傾けるほかにすべがない。

昔はお爺さんやお婆さんが、朝、井戸の水や筧の水で顔を洗ったあと東に向かって手を合わせ拍手を打って「おてんとうさま」に頭を下げていた。子供の頃は真似をしていたが、生活が変わってきて水道の利用になってからはその尊い風習はうすれていってしまった。

午後も4時半頃になると、寒い洞風が吹いてくる。星をいただいて帰るどころではなくなってくる。コオロギも草も木も、寒さを迎えることとなる。

夜は長くなって、人間は‘読書の秋’と言わざるを得なくなる。

 11 07(日) ニュース・縄文人の由来は多様

「ヤフー」を調べていたら、次の記事が出ていた。

縄文人の由来は多様?歯の特徴、東海と関東で大違い

 均質一様な集団とみられがちな縄文人にも、固有な特徴を持つ集団が地域ごとに群居していた可能性が高いことが、京都大大学院の橋本裕子・研究員(自然人類学)の調査で浮かび上がった。

 縄文時代の9つの遺跡から発掘された482人分の歯の特徴を分析した結果、東海地方と関東地方では大きな違いがあったことが判明した。

 長崎市内で開かれている日本人類学会で6日発表された。

 橋本研究員が調査したのは、縄文晩期(紀元前1000年以降)の愛知県内の5遺跡と岡山県内の1遺跡、縄文後期(紀元前2000―1000年)の千葉県内の2遺跡と茨城県内の1遺跡の計9遺跡で見つかった人骨のうちの歯の部分。

 比較したのは、前歯の裏のくぼみの有無、奥歯の形など計15項目で、遺跡が異なっても同じ地域で出土した歯の形状は酷似していたが、地域が異なると、特徴の違いが大きくなる傾向が顕著だった。

 橋本研究員によると、調査対象の遺跡は摂取食物が異ならない、いずれも沿岸部地域で、歯の形状の違いは、食べ物の違いに由来するものではなく、遺伝的な違いを反映していると考えられるという。

 縄文時代の人骨を巡っては、これまでも頭骨の特徴から地域差の存在が指摘されてきたとはいえ、「縄文人骨」とひとくくりにされる傾向が強かった。

 橋本研究員は「各地の縄文人は、多様な由来を持つ可能性がある」と話している。
(読売新聞) - 11月7日3時9分更新


渡来人について調べていると、この日本列島に移り住んだ人たちの様子がだんだんはっきりしてくるような気がする。安田徳太郎の考え方を見直す必要がある。大陸文化が移入された時代よりずっと前の時代である。

京都大大学院の橋本裕子・研究員は日本人の構成をどのように推考しているのだろうか。

 11 09(火) 郡市音楽会「旅立ちの日に」友美の伴奏

きのう郡市の連合音楽会が飯田市の文化会館で行なわれた。

【第W部】開会式 15:30 演奏開始 15:35 演奏終了 16:35
9番 三合 旅立ちの日に 坂本浩美作曲 喬木第一小 3年 56人 森谷淳子指揮 下平友美伴奏

第W部は10番の東中 ‘Mr.ブルー「私の地球」’で終わったから、この日の最後から二番目に出演したことになる。

両親と優がこの音楽会を聴きに行った。案内書によると、二階席で録音・録画・写真などは遠慮してほしいとの連絡があり、この記録の希望者は後日学校を通じて申し込むことになっている。

一日大変なことであった。

友美の伴奏はよかったと言う。嬉しいことである。

記録のために「折々の記」に載せておく。

 11 12(金) 湖北の観音さま ●「北京週報」

‘片雲の風にさそわれて漂泊の思いやまず’とは芭蕉の言葉であるが、新しいものに出会いたいという思いは誰しももっている。

‘おーいッ、雲よ! お前はどこさいくんか?’東北の詩人の表現でしたが、原っぱに寝転がって雲を見ていると、夢は広がるに相違ない。

かんのんさま、観世音菩薩を調べているといろいろなことが書かれている。

湖北の観音さまは、伊香三十三所札所 http://www2u.biglobe.ne.jp/~m-510/reijyoh.htm を見るとわかる。

同様にして、各地の観音札所 http://www.kimura-product.co.jp/index/kensakuhuda.htm が150ヶ所もあったり、 伊那秩父観音札所 http://www.kimura-product.co.jp/kannon2/inatiti33/jnatiti33.htm もあることが解る。

不思議なことだが、調べていくうちにだんだんと観音さまが身近なものに感じられるようになる。それとともに、‘片雲の風’に誘われるのである。

湖北の観音さまについて調べたものが150頁ほどになった。

木の本町にある第一番札所観音寺のお堂正面前の雨落三尺前に、西国三十三箇所の土を持ち帰って埋め勝縁を結んだという「印し石」に想いを寄せたい。

観音さまは勿論だが、賤ヶ岳に登って戦跡‘兵どもが夢の跡’を回顧したいし、黒田官兵衛の祖先の墓も見てみたい。「水の五則」も味読したいものである。

秀吉と勝家の戦役で、焼け焦げたり傷ついた「ホトケサマ」を大事にしてきた村人たちの心にも頭を下げたい。このことが旅の中核になる。

くまなく回るのには半月くらいはかかると思う。

●「北京週報」重要文章で次のように報じている。中国の基本的スタンスとして載せておく。


日本の安保理常任理事国入りは可能か

――短期間に実現できるものではなく、最大の障害は日本自身にある――

丁志涛


国連安保理常任理事国になるのは日本が長年求めてきた目標である。日本はそのために力を尽くしているが、その努力は報いられるだろうか。

日本は世界の第二の経済大国で、国連への拠出金は米国に次いで二位であり、これを国連との駆け引きの資本としている。また国際社会でのイメージをよくして、その支持をとりつけようと、発展途上国への経済援助を増やしたりしている。

アメリカは日本の安保理常任理事国入りを支持しているが、アメリカにとって日本が国際紛争により多く介入することを必要としているからである。パウエル国務長官らは、日本が安保理でその役割を十分に果たすことのできる一員になるには、日本憲法第9条を修正する必要があるとしている。

日本の安保理常任理事国入りの夢はすでに34年になる。早くも1970年、日本の外相が国連に安保理常任理事国入りの希望をを提出した。1994年、当時の河野洋平外相は国連全体会議で、「日本は常任理事国としての責任を果たす用意がある」と正式に表明した。

小泉政府はこの既定の国策を推進するために力を入れ、一方で憲法第9条の修正を急ぎ、他方で海外派兵を通じて、イラクへの多国籍軍参加を表明している。

今年は国連改革の年で、来年は国連創設60周年を迎える。日本はこの機会をつかんで、盛んに外交攻勢をかけている。8月2日、川口外相は、国連強化対策本部を設け、8月25日、ウズベキスタン、カザフスタン、タジキスタン,キルギスを歴訪し、この4カ国に投資することを表明した。最近、逢沢外務次官はニューヨークで、アフリカ8カ国の国連大使を招宴し、これらの国の支持を得ようとした。9月13日、小泉首相は、首相就任以来最も長い外遊に出かけ、14日、ブラジル、16日、メキシコを訪れ、18日、ニューヨーク入りし、21日、新常任理事国候補国日本、ドイツ、インド、ブラジル4カ国首脳会議に出席した。この4カ国はともに常任理事国入りの意思を表明した。

世界で、日本常任理事国入りに反対の立場を示している国は非常に少なく、支持、理解を示している国が多く、一部の国は沈黙を保っている。

朝鮮中央通信社は10月3日、日本が安保理常任理事国入りを求めていることに質疑を提出し、日本はまだ罪深い侵略の歴史を清算していないので、安保理常任理事国になることを語る資格は全くないとしている。

9月24日、韓国の「朝鮮日報」は社説を発表し、日本が安保理常任理事国になれるかどうかをはかる基準は金銭ではなく、道徳であり、日本が安保理常任理事国になるうえで道徳上の障害が存在している、と強調している。

9月21日に行なわれた中国外交部の記者会見で、孔泉報道官は、「日本が国際問題においてさらなる役割を発揮するのを希望していることをわれわれも理解しているが、われわれは、一つの国が国際問題において責任ある役割を発揮するのを望むならば、自国に関わる歴史問題についてはっきりとした認識を持つ必要があると考える。国連安保理は企業の取締役会ではなく、出資金の多寡で構成を決めるわけにはいかない」と語った。9月27日、中国の李肇星外交部長は、第59回国連総会一般弁論での発言の中で、中国は安保理常任理事国の拡大に賛成しているが、発展途上国の代表性を優先的に高めることを主張すると表明した。

日本の期待は実現するだろうか

この問題について、中国の大多数の学者の見方は大体一致しており、短期的には可能性が小さいとみている。

日本の戦後の行為と影響からすると、日本はアジアの少なくない国から信任を得ていない。日本は歴史問題で、はっきりした反省をせず、小泉首相は毎年、A級戦犯が祀られている靖国神社に参拝している。

また日本は国際的に一貫してアメリカに追随しており、国際政治大国となるだけの重みにはるかに欠けている。

日本人自身が「日本はアメリカに追随するだけで、自己の外交がない」と言っている。日本はこうした政策を変えなければ、世界の大多数の国の真の信任を得ることは難しい。

国連の分担金の多寡で常任理事国の資格を得ようとするのも無理がある。国連の分担金は各国のGDPの比率によって割り当てられているからである。日本は世界の第二の経済大国であり、分担金が国連構成国で順位が二位であるのは合理的ではないとは言えない。

安保理の改革は国連憲章の改正にかかわり、その手続きがきわめて複雑であり、長い時間がかかる。

ドイツ、インド、ブラジルと一緒に常任理事国入りをめざす日本の戦術は簡単に成功するものではない。中国社会科学院日本研究所の研究員金煕徳氏は、「日本とドイツには共通性がなく、ドイツは自主外交をもち、しかも歴史問題をよく解決している。日本とインドが支持しあうのもおかしい。地域原則から言うと、インドは日本の最強の競争相手である」と指摘する。

このほかに、拒否権の問題がある。金煕徳氏は、「アメリカは日本が安保理で拒否権をもつことを望んでいない。それでも日本の安保理常任理事国入りを支持しているその主な原因はアメリカは各国が安保理の改革問題で意見の一致を見るのは不可能であるとみているからである。アメリカのこのような予測は道理がないわけでない」としている。



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