09 29(土) もてなしの心(=hospitality) |
09 29(土) 喬木中学の青風祭 |
【青雲】 デジタル大辞泉 1 青みがかった雲。また、よく晴れた高い空。青空。 2 地位や学徳の高いことのたとえ。 「之を要するに如何(どう)しても―の雲の上には向きの悪い男であるから」〈福沢・福翁自伝〉 3 俗世間を離れ、超然としていることのたとえ。 |
これっくらいの、おべんとう箱に (両手の人差し指で、胸の前にお弁当箱を書く) おにぎり、おにぎり (おにぎりを握るまねをする) チョイとつめて (お弁当箱に並べて入れるまねをする) きざーみショウガに (左手を出し、右手できざむまねをする) ゴマ塩、パッパッ (両手で塩を振るまねをする) ニンジンさん (両手の指を二本出し、三本に変える) サクランボさん (指三本出し、もう一度出しなおす) シイタケさん (指四本出し、三本にする) ゴボウさん (指五本出し、三本にする) 穴のあいた、レンコンさん (人差し指と親指で、わっかを作り、顔の横で振る) すじの通ったフ〜キ! (左手を前に出し、右手で手のひらから肩まで撫ぜていき、握って口の前に持ってくる) (最後の「キ!」で握った右手をパッと開く) |
09 30(月) 軍歌‘空の神兵’ |
昭和17年1月11日に海軍の落下傘部隊が蘭領印度(現在のインドネシア)のセレベス(現在のスラウェシ)島メナドに、続いて2月14日に陸軍の落下傘部隊がスマトラ島のパレンバンに降下しました。この歌はその時の模様を歌ったもので、青空に純白の落下傘が次々に開いてゆく様子が絵のように歌はれています。普通軍歌は勇ましいか、暗いかのどちらかが多いのですが、この曲は珍しく明るく美しい軍歌になっています。高木東六さんは雑誌「諸君」の平成13年9月号で作家・演出家の久世光彦さんと対談し、次のように語っています。「二,三年前自衛隊に招かれて習志野の第一空挺団の演習を見に行ったんですよ。この日は新米の隊員がはじめて実際に飛行機から降下訓練をする日だったそうです。ちょうど僕らの真上に輸送機がきた時、そこから新兵さんがどんどん降下してくる。落下傘がパッと開くのにあわせて、地上に控えていた楽隊が空の神兵の演奏をはじめたんですよ。驚きましたねえ。感動しました。まわりにいる自衛隊の人たちもみんなで歌いだして。この歌は部隊のテーマ曲みたいになっていて、ことあるごとに演奏しているそうですよ。ただいまの落下傘というのは白くないんですね。なんだか緑色みたいではっきりしないですから真白き薔薇のというわけにはいかなかった。」更に、「(軍歌はいやいやながら作っていたという話をした後で)ただ空の神兵は、レコード会社の人が梅木三郎さんの歌詞を持ってきて、それを読んだ瞬間僕の頭にさわやかなイメージが広がったんです。簡明、直裁、且つ美しいイメージはこれまでの軍歌にはなかったものです。これなら作れると瞬間的に思いました。・・・中略・・・あの曲は僕の曲作り、曲想そのもので書く事ができたから、確か十五分くらいで出来上がったと思います。」この対談の時高木東六さんはおん年九七歳でした。現在日本の唯一の落下傘部隊である陸上自衛隊第一空挺団(千葉県習志野)が年の初めに初降下訓練をする時はこの曲(メロディーのみ)が流されます。 ここに載せたのは岩城拓也・橘かおるという無名の歌手によるものです。この二人の声はこの歌のもつ明るい爽やかなイメージにぴったりで、たくさんあるこの歌のレコード、CDの中の最高傑作と思います。特に橘かおるという婦人歌手の爽やかでどこか温かみのある歌声は絶品です。 |