08 30(木) 破滅の一途 - 3 |
鎌 倉 作詞者:芳賀矢一/作曲者:不詳 尋常小学読本唱歌(明治43年) 一 七里ガ浜の磯伝い 「七里ガ浜の磯伝い」と詠われていますが、今では国道134号線を間断なく走る車…とても 稲村ケ崎、名将の 往時の風景は想像できません。 元弘3年(1333)5月、新田義貞鎌倉攻めの時の古戦場で 剣投ぜし古戦場 義貞は太刀を海に投じ、干潟に乗じて兵がいっきに鎌倉中へ乱れ行ったと伝えられる。 二 極楽寺坂越え行けば この歌が作られた明治の頃の極楽寺坂界隈は鬱蒼とした山の中を歩くような感じだったこと 長谷観音の堂近く でしょう。 そんな坂を下った先の開けたところに長谷観音と大仏…とっても大きい仏像を 露坐の大仏おわします 目にした人々の驚きの顔が浮かびます。 三 由比の浜べを右に見て これは現在の由比ガ浜商店街(海岸通り)から右に当時は海岸が見えていたのでしょう。 そ 雪の下村過行けば の海岸通りから六地蔵を経て下馬四つ角へ出て左折し、若宮大路を真直ぐ八幡宮へと行った 八幡宮の御社 のでしょう。 当時、このあたり一帯も農村地帯であったようだ。 四 上るや石のきざはしの 本宮前の大石段横にあるのが県天然記念物指定の樹齢1000年を超えているといわれる大銀杏 左に高き大銀杏 です。 問わばや遠き世々の跡 承久元年(1219)1月3大将軍源実朝を暗殺した公暁が隠れた木と伝えられる。 五 若宮堂の舞の袖 鎌倉時代の伽藍配置は現在とは全く異なっていたようで、義経の愛妾静御前が舞を披露した 静のおだまき繰返し ところは現在の舞殿(下拝殿)ではなく、回廊の一部で舞ったとの考察もある。 返せし人をしのびつつ 毎年4月第2日曜日に「静の舞」が奉納される。 六 鎌倉宮にもうでては 鎌倉宮は大塔宮とも呼ばれる。護良親王は足利尊氏と対立し幽閉された。 本殿の背後に幽 尽きせぬ親王のみ怨みに 閉されたと言われる土牢がある。 悲憤の涙わきぬべし 毎年10月8〜9日に「鎌倉薪能」が行われる。 七 歴史は長き七百年 この唱歌が世に出て100年が経過し、700年を800年と歌わなければいけないのかもしれません 興亡すべてゆめに似て 鎌倉幕府(大蔵幕府)は治承4年(1180)でしたから、2000年の今年でちょうど820年なんですね。 英雄墓はこけ蒸しぬ ちなみに源頼朝は正治元年(1199)に58歳で亡くなった。 八 建長円覚古寺の 円覚寺は臨済宗円覚寺派の総本山で鎌倉五山第2位。 建長寺は臨済宗建長寺派の総本山で 山門高き松風に あり鎌倉五山第1位である。ともに禅寺であり、何か静寂な中にも逞しさを感じる。 早朝 昔の音やこもるらん 人のいない朝靄に煙る境内が好きです。 |
故郷の廃家--- 中等教育唱歌 作曲:W.S. Hays 作詞:犬童球渓 この歌も、私の家の近くに住んでいた従姉妹が歌うのを聞いて覚えた曲である。このよ うな軟弱な歌を、太平洋戦争中の中学校が教える筈もない。 この曲を聴くと、空襲で焼け落ちた昔の我が家を想い出す。 幾年(いくとせ)ふるさと、来てみれば 咲く花、鳴く鳥、そよぐ風、 門辺(かどべ)の小川の、ささやきも、 なれにし昔に、変わらねど、 荒れたる我家に、 住む人、絶えてなく。 私は、祖父と祖母と三人で岐阜の郊外に住んでいた。家の庭に松の木が植えられていた。 秋の夜中、ふと眼をさますと、月に照らされた松の影が障子に映っていたことをかすかに覚 えている。その障子紙には、蜂が巣を作るために咬んで行った跡が残っていた。 昔を語るか、そよぐ風、 昔をうつすか、澄める水、 朝夕かたみに、手をとりて、 遊びし友人、いまいずこ、 さびしき故郷や、 さびしき我が家や。 私の住んでいた家は、昭和20年7月、米軍機の焼夷弾空襲で焼け落ちた。年老いた祖父 母には家を建て直す力もなく、その土地は人手に渡った。 昨年11月、40年ぶりに昔の家の跡を尋ねた。そこに建っていた家にはあと継ぎがないとか で、まさに廃屋であった。家の近くにあった小川もうめられて、道路になっていた。 この歌を最後に習い歌った世代の女学生は、今は何歳ぐらいになられるのであろうか。 知りたいものである。 |
煩悩 日本大百科全書 仏教で説く、衆生(しゅじょう)の身心を煩わし悩ます精神作用の総称。クレーシャkleaというサンスクリット語が中国で「煩悩」「惑」と翻訳されたのであるが、この語は「汚(けが)す」という意味合いももっており、そのために「染(ぜん)」「染汚(ぜんま)」などとも訳された。 またこのことばは元来、不善・不浄(ふじょう)の精神状態を表す数多くの仏教術語のうちの一つであったが、やがてそれらの心理作用や精神状態を総称し、代表することばとして使われるようになった。 このような広い意味での煩悩には、もっとも基本的なものとして、「三毒」「三垢(さんく)」「三不善根」などといわれる貪(とん)(執着)・瞋(じん)(憎悪)・痴(ち)(無知)がある。 これに慢(まん)(慢心)・疑〔(ぎ)、仏教の教えに対する疑い〕・見〔(けん)、誤った見解〕を加えて六煩悩といい、根本的な煩悩とされる。 このほか、潜在的な煩悩である随眠(ずいめん)、現に作用している煩悩である纏(てん)、あるいは結(けつ)・縛(ばく)・漏(ろ)など、人間の不善の心理状態を詳細に分析して、きわめて多種多様の煩悩が説かれ、「百八の煩悩」「八万四千の煩悩」などといわれた。 これらの煩悩を滅ぼし尽くすことによって解脱(げだつ)することができるのであり、したがって煩悩はあくまで断じられるべき対象として説かれたのである。 しかし後世の大乗仏教のなかには、煩悩と悟(さと)りの本質はなんら異なるものではないという、「煩悩即菩提(ぼだい)」を主張するものも現れるに至った。 このように煩悩の問題は、悟りの境地と深くかかわるため、重要なテーマとして仏教においてさまざまな形で論じられている。 [池田練太郎] 【慣用句・ことわざ】 煩悩(ぼんのう)あれば菩提(ぼだい)あり 迷いがあるからこそ悟りを開くこともある。 煩悩(ぼんのう)即(そく)菩提(ぼたい) 仏語。煩悩にとらわれている姿も、その本体は真実不変の真如(しんにょ)すなわち菩提(悟り)であって、煩悩と菩提は別のものではないということ。 煩悩(ぼんのう)の犬は追えども去らず 煩悩は人につきまとって、飼い犬がまといつくように離れない。 |