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折々の記 2006 A

【心に浮かぶよしなしごと】

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【 08 】08/25〜

  08 25 保津川下り;嵯峨野を訪ねて
  08 26 安部氏の「改憲と教育」に注意
  09 01 田中知事きのう退任

08 25(金) 保津川下り;嵯峨野を訪ねて

お盆過ぎて保津川下りと嵯峨野訪問の計画立案を考えてきた。

下調べは
 <保津川下り>
 <嵯峨野>
 <嵯峨野・太秦の知ってるつもり>
 <二人の時頼>
 <高山樗牛「瀧口入道」>
 <民宿梅次郎(ブログまで総て)>
 <保津川下りの船頭さん>
 「世界大百科事典」CD版
 「京都府道路地図」昭文社
などが主になった。

下の概要計画はまだ未決定で、現地で状況によって決めていこうと思っている。今回の計画では保津川下りと嵯峨野探訪、それに嵯峨野一帯に根をおろした古代豪族秦氏を訪ねたいと考えていた。その意味ではすべてを盛り込むことはできない。

実際には「民宿梅次郎」へ一泊するとよい。


 概要計画

 出発
  家発    4:00
  飯田IC   4:30
  京都南IC  7:00
   (京都南ICより一号線北上)
   国道十条左折
   西大路九条直進
   西大路五条左折
   五条天神川直進
   (桂川)西大橋通過
  沓掛IC(京都丹波道路)  時間の按配により
   (新老ノ坂トンネル)
  篠IC
   (信号2つ目)9号線で左折
   (信号7つ目)矢田口で右折
   (左に亀岡城址、信号2つ過ぎ)丁字路右折
  川下り乗船場に到着  8:00

 保津川下り(亀山から嵐山)
  ※ 保津川下りの歴史 6〜10頁

      乗船時刻  9:00 (以後1時間毎)
   駐車場  無料(80台収容)
        売店あり 
        乗船券の購入 予約は10名以上、10名未満は現地にて受付順 
        乗船料金  3900円 
          (船下り切符、トロッコ切符、接続バス代を一緒に買えるか)
   途中見学写真撮影
     右岸・宮の下の渕(乗船場より約3km)
     左岸・烏帽子岩 鏡岩 不動明王 小鮎の滝
     国鉄鉄橋の下を通過するのは⇒ 五つ
     右岸・かえる岩 船の漁場 獅子ヶ口
     左岸・二股の渕 曲り渕 女渕
     右岸・孫六の岩(乗船場より約8km)
     左岸・朝日の瀬 竿の跡 (  )
     国鉄ほづきょう駅鉄橋手前の左岸⇒ 屏風岩
     右岸・かじか岩 蓮華岩
     そこから200m下流の左岸⇒ 壁岩
     清滝川合流点正面に⇒ 書物岩
   船下りの距離はは16km 所要時間 約120分
  着船時刻  11:00 頃
     時間の按配によってトロッコ嵐山(11:41)か、
     徒歩移動にするか、タクシーにするか、
     トロッコ嵯峨駅売店あり
 嵯峨野トロッコ
  ※ 嵯峨野トロッコ列車 11〜30頁
    時刻表と運転日 〜3月18日改正版〜
    普通運賃 各駅窓口 600円 連絡バス300円
    偶数番号乗車券は進行右側席
    5号車(ザ-リッチ号)はオープン車両
  トロッコ嵯峨発  11:38
  トロッコ亀岡着  12:01

 ※保津川下り;嵯峨野めぐり
     (梅=民宿梅次郎綴 梅ブ=同左ブログ綴 保=保津川下り;嵯峨野めぐり綴)  
項目所要時間移動時間料金資料
トロッコ嵐山--05--------
常寂光寺30030300梅30
落柿舎15030150梅28;梅ブ244;保125,201
二尊院30100500梅32;梅ブ241;保147
滝口寺25010300保090,141,148,162
祇王寺30050300梅34;梅ブ237;保087,138
さがの人形の家30101000梅--
化野念仏寺30100500梅38;梅ブ106
寂庵1015????梅--
清涼寺20250400梅36;梅ブ168;保121,198
大覚寺50200500梅53;保116,117
JR嵯峨嵐山駅------------

 ※このコースのほか、近いところを拾ってみると、  
項目所要時間移動時間料金資料
野宮神社--05無料梅26;保085
大河内山荘--051000梅42
亀山公園--05????梅44
時雨殿--050800梅08;118;梅ブ270
天竜寺--050600梅46;保122
渡月橋--05無料梅48;136;梅ブ166
法輪寺--05無料梅50
大悲閣----0400梅52;100;保095,103

 ※やや離れたところのもの
 秦氏関連のところ
  葛野(カドノ)大堰  蛇塚古墳  双ヶ丘(ナラビガオカ)一号古墳  嵯峨野の古墳群
  広隆寺  松尾大社  木島(コノシマ)神社(=蚕の社)  
 角倉了以関連
  大堰川の開削とその技法  大悲閣千光寺  保津川・嵯峨の今昔  
  嵯峨本と角倉与一  朱印船貿易  高瀬川とその開削  角倉了以(保103〜108)


08 26(土) 安部氏の「改憲と教育」に注意

23日の朝日によれば、横浜市での講演の様子を次のように報じている。

安部氏「改憲と教育」
自民総裁選 政権公約の重点に
 ………前略………。
 安部氏は22日、横浜市での講演で「日本の新しい国の形を示すため、私たちの手で新しい憲法を作っていく。次なるリーダーは新しい憲法を政治スケジュールに乗せていくリーダーシップを発揮しなければならない」と述べ、憲法改正を次期政権の最大の課題に位置づけた。憲法改正の発議は国会が行なうが、安部氏は党総裁として主導したい考えだ。ただ改正には「五年程度の時間が必要」としており、改正時期は明示しない。
 安部氏は、憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使を認めることに積極的だが、政権公約では明示しない。ただ、総裁選での政策論争を通じて問題提起する構えだ。
 講演では「私たちが取り組まなければならないのは教育の再生だ」とも語って教育改革の重要性を訴えた。先の通常国会で継続審議となった教育基本法改正案の早期成立を図り、「家庭や地域、国を愛する教育」を目指す。
 ………後略………。


また一方、朝日は三日間にわたる「愛国を行く(上中下)」特集を組んで、日中韓の愛国感情の分析をルポによって詳しく述べていた。‘中’では“ネットが反日を増幅”とし、‘韓’では“過激な反日と日本への興味が同居”とし、‘日’には靖国参拝を肯定する若者が目立つとしていた。

 批評家の羹尚中(カンサンジュン)は、社会が崩壊し、個人が「原子化」し、
 拠り所となるものが「ナショナリズム」にしかなくなってしまったという。
 しかしそれは、日本にかぎらず、中国にも韓国にも言えることだともいう。
 また、作家の雨宮処凛は、右翼バンドにいたころ、「英霊を戦争犯罪人呼ば
 わりするやからは即刻日本から出てゆけ!」 と叫ぶとき、日本という共同
 体に直接つながった思いがしたと語る。

 今年の終戦の日、靖国神社には、きっちりとスーツを着た、 あるいは軍服
 のようなコスチュームを着込んだ若者達が、 拝殿に向かって深々と頭を下
 げる姿をいたる所で見かけた。 そのような姿を見ていると、 「人間は一
 人では生きてゆけない」 「父親である国」 と言ってしまえる彼らにとっ
 ては、戦時中の─「史実」─には関心がなく、 ただただ、強く逞しい、あ
 こがれの 「英霊」 であってくれればよく、 例えば喫茶店で「愛国」を
 議論する若者達は、いかに美しい言葉で、 虚像の英霊達を褒め称えるかを
 競い、逆に、「史実」 に拘る者を、自虐性という単純な基準で批判すると
 いう、 バーチャル とも言える言説空間のなかで、癒されているかのよう
 にも感じられる。

なぜ若者が靖国参拝を肯定するのか、「外国から文句を言われたくない」という政治家と同じような極めて皮相的な一面的な理由しか出てはいない。所属集団に帰属する安堵感という低いレベルの感情によりかかっている。

私は安部氏の愛国教育の原点というものがどう見ても倫理的な論理をつくしての結論ではないと思う。極めて稚拙な、幼稚な、身勝手な愛国意識しか見えてこない。愛国という言葉は国益という言葉と殆んど同じ意味で使われていて、究極には排他思想につながっていく言葉に過ぎない。

総裁、総理を目指す人物ならば、人類の平和共存を目指した哲学がなくてはならないし、隣近所と仲良くしていく腹構えがなくてはならない。

朝日23日‘AAN世界の窓’には次の記事が載っている。


幕末の志士から何を学ぶか
 天児 慧
 早稲田大学教授
 現代中国論。早大アジア太平洋研究センター副所長。朝日新聞アジアネットワーク委員。59歳。

第2次世界大戦が終わって61年、東西両陣営の冷戦が終結して15年が過ぎた。現代とは若者たちにとって、第2次大戦はおろか冷戦の記憶さえも定かではない時代である。世界は疑いなく「新しい時代」に向かって胎動している。

どのような方向に向かって動いているのか、その中で日本をどう位置づけ、どんな指針を示していくのか。今まさに日本の政治指導者が問われているのはこの一点である。そうした折に、未来へのメッセージを示すことなく、国際社会からの孤立化と日本のプレゼンス低下をものともせず、ひたすら「靖国という過去」に固執し、自我を通し続けることがいかに愚かなことであるか。

こうした人たちの多くは吉田松陰や坂本竜馬ら幕末維新の志士たちを憧憬(しょうけい)している。小泉首相は執務室に松陰のブロンズ像を飾っているという。彼らの何にあこがれ、尊敬しているのだろう。新しい日本の国造りに命を賭したカッコ良さか。実は私も彼らを心から敬慕している。萩・松下村塾の松陰像、高知・桂浜の竜馬像に向かう時、心の高鳴りを抑えられなかった。

しかし、彼らの凄(すご)さは日本が「鎖国の平和」をむさぼっていた時代に、いち早く新しい変化の兆候を嗅(か)ぎ取り、それがとてつもなく重大なことだと受けとめたことにある。藩という狭い世界を打ち破り、世界を視野に入れて日本の行く道を指し示したことにある。そのために勇気と知恵をもって「西欧列強の侵略」をかわし、旧体制を打破して新体制を打ち立てることに全身を投じたことにある。

いま、その精神と姿勢を学ぶことなく、幕末の志士を仰ぎ奉るのは「虎の威を借る狐(きつね)」にも等しい。

では、新しい時代の胎動とは何であろうか。それは協力や相互依存が深化し、やがてうねりとなっていくであろうアジアの連帯・統合への胎動である。

05年の国内総生産(GDP)を見ても日本、中国、韓国と香港、台湾だけで8兆ドルを超え、これに東南アジア諸国連合(ASEAN)を加えるとほぼ9兆ドルになる。域内の貿易・投資・技術移転なども急速に増大している。これは欧州連合(EU)の13兆ドル強、米国の12兆ドル強に次ぐもので、緩やかながら、すでに世界第3の経済圏が生まれつつある。

なかでも日本と中国、韓国は長い歴史の往来を経て、文化的、民族的にもかなり近似した隣国関係にある。いがみ合い、けんかをし合うのではなく、信頼関係をつくり、協力し合ってこそ全体の繁栄が保証される。

近現代史の中で、この3国は厳しい対立・戦争を経験した。いかなる言い分はあれ、仕掛けたのは中国、韓国ではなく日本だった。そこを十分に認識したうえで両国の人々の気持ちに配慮し、信頼と協力の関係づくりに全力を尽くすのが我々の使命ではあるまいか。欧米との良好な関係を発展させるのは言うまでもない。それは日本のみならず中国、韓国などにとっても必須である。それを踏まえつつ、アジア統合のダイナミズムをつくっていかねばならない。

松陰はわずか29歳にして刑死するまで、世界を、そして日本の進むべき道を説き続けた。竜馬は、志を同じくする脱藩青年らを集めて海援隊を組織し幕末の時代を切り開いた。未来の視座から日本を見つめたからこそ、犬猿の仲だった薩摩と長州の連合は実現したのだ。未来のアジアの姿を見据えてこそ、日中韓の連携も可能となる。

この夏、東京では日中学生会議、日韓学生会議などアジアの若者たちが交流を目指す様々な活動が盛んである。私が勤める大学でもアジアの主要14大学の学生らを集めた「アジア統合を目指す第1回サマー・セミナー」が開かれている。

若者たちの交流のうねりは広がっている。政治家はもっと謙虚に、アジアの現実と新しい胎動を直視し、歴史の使命感を感じて欲しい。


新聞のこの記事は「世界の窓 ANN」で検索してみると全文が出てきた。これからもこのサイトで貴重な意見を読むようにしたい。
  <http://www.asahi.com/international/aan/index.html=朝日新聞アジアネットワーク(AAN)>

執筆者の天児慧さん、もう一つ“人間性育み「魅力ある国に」”という記事が載っていた。参考になるので保存した。
  <人間性育み「魅力ある国に」>
  <幕末の志士から何を学ぶか>……掲載したデータ……

09 01(金) 田中知事きのう退任

村井知事は今までの空気と違い、旧弊に戻りそうな感じがする。

石田治一郎がニヤッとして「6年かかった」と言った途端にそう感じたのである。この県議は‘俺の方が正しい;俺の方が知っておる’‘対立する人の意見には耳をかさない’そういう古いタイプの人で、嫌な匂いがふんぷんとしている。吉村知事から田中知事に代わったときから、その空気は変わっていない。

田中知事にはもう一期やってほしかった。新しい感覚、考え方について行けない人の意見に振り回された人が多かったのではないだろうか。「寄らば大樹」の通弊がしのびよってきたのか、なんとも哀れな感じがした。

なかなか大変でした。ご苦労様でした。知事さん、有難うございました。

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

■ 田中知事退任あいさつ  2006/08/31 (木)

 本日まで信州・長野県知事を務めさせていただきます田中康夫であります。(拍手)私たちが学び、働き、暮らすこの社会は、一部のあらかじめ守られた既得権益者のために存在するのではありません。私は、政治こそは生活そのものであり、その生活をともにする人々を結び付けるのは言葉であり、すなわち私は政治こそは言葉そのものであると。その思いを抱き、この6年間を過ごしてまいりました。(拍手)このことを理解いただき、ご支持いただき、そしてともに行動をしてくださった全ての皆様に改めて深く感謝を申し上げたいと思います。

 思い起こせば6年ほど前、今よりもちょっぴり、いやあるいはもう少し太っておりました私は、多くの皆様に迎えられながらいわば一人で落下傘降下してきたようなものであったかと思います。そして私は何ら後ろだてのない、けれどもその中において時には悩み傷つき、そして悲しみ、あるいは憤る、そうした私利私欲なき方々のために言葉を通じて、そして現場主義と直接対話を実践する中において、多くの方々とともに信州からより良き社会をつくり、そしてそのことが日本全体へと広がっていく、そのことを及ばずながらもともに目指さしていただきました。(拍手)

 私たちのこの信州・長野県、例えば法律を変え、条例を変え、あるいは規定を変え、大都会と同じような景色にすることは、お金があれば、あるいはなくてもとりあえずの借金をすればできるかもしれません。しかしながらこの日本海側と太平洋側に多くの清らかな水を水源県として発信をする、この信州の美しい緑や水や、あるいは山々、そしてふるさとの原風景というものは、たとえ大都会の方々がどんなにかお金を投じたとしてもそれは移らせることはできませんし、またそれを築くことも育むこともできません。私たちは正に未来の子どもたちに借金の山を残さない、そして未来の子どもたちに(拍手)福祉や教育、医療、環境、あるいは観光という人が人のために尽くして初めて成立し得る、そうした21世紀の確かな私たちの働きぶりによって恵みの山を残そうと、皆様のご協力を得て行ってまいりました。(拍手)

 恐らく明日からは幸いにして少し減量して体重も身軽になりましたので、同じ思いを抱かれる皆様とともに、今度は落下傘ではなく、素晴らしい夢を実現させるバルーンに乗り込んで、この信州から、信州をより良く、そしてまた日本をより良く、信じられる社会を取り戻すために皆様とともに歩めればと思っております。(拍手)

 先程、「信州を思う53万人の会」という新たな会の手続きを済ませ、関係の諸団体から認可をいただきました。(拍手)

 正に、中央、地方というような上下の関係ではなく、それぞれの人口や面積の多寡に係わらず、自律的に年齢や性別、経歴や肩書、さらには国籍や障害の有無を問わず、前を向いて生きていかれる、そうした克己心と向上心に富んだ人々とともに、この信州から私は、正にモットーであります「怯まず、屈せず、逃げず」、そしてさらにはいかなるときにおいてもぶれることなく、地域から日本を変える、そして地域から信州をより良く変える、このことを皆様とともに行える人々に引き続き奉仕をする、仕える者でありたいと考えております。(拍手)

 私の個人的な話は、通常あまりしないのですが、ある意味では、今この時も軽井沢の自宅におります両親は、母は今日もお弁当を作ってくれまして、最後のお弁当は、少しく忙しくて味わうことができませんでしたが、そして父は毎日、50にもなってお恥ずかしいと皆さんから、あるいはそしりを受けるかもしれませんが、私のスーツに、ズボンにアイロンをかけてくれ、7時31分の軽井沢駅発の電車に乗るために毎日車で送ってくれました。

 今日は澤田祐介、そして青山篤司、丸山あきらという多くの、正にこの社会をより良くするためにともに歩んでくれた方々と一緒にこの後皆様にごあいさつをして、そして車に乗り込んだ後は、できれば大変生意気ですが両親とともに食事をし、そして引き続き地域から信州を、日本を変えることに皆様とともに歩める、そうした人生でありたいと考えております。  本当にどうもありがとうございます。(拍手)

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

●今朝は4時前には秋雨が降り始めた。秋冷の候とはよく言ったものだ。昨日までのやりきれない暑さは一変して、秋冷を感ずる。

昨夜夕飯の折、蟲の鳴き声が気にかかって、やっと秋の虫が鳴き始めたなぁと話したところだった。まだ残暑はあるだろうが、この雨で大根や蕪の播種もできよう。

山葡萄も色がつきはじめた。


【折々の記 2006 Aへ】