07 17(月) 対北朝鮮 三大新聞の社説 |
2006/07/17 朝日新聞 社説 【安保理決議 北朝鮮への重い警告】 弾道ミサイルの発射実験を強行した北朝鮮に対し、国連の安全保障理事会が強く非難する決議を採択した。 それも全会一致である。北朝鮮はその重みを真正面から受け止めなければならない。 今回の発射は地域の平和と安定を脅かす。北朝鮮はミサイルに関するあらゆる活動を停止せよ。すべての国連加盟国に対し、北朝鮮のミサイルや大量破壊兵器の計画にかかわらないよう求める。北朝鮮に6者協議に戻るよう強く促す。決議の内容は当然のことばかりだ。 98年の最初のテポドン発射では、安保理議長が報道機関あての声明で、北朝鮮に自制を促すのがやっとだった。93年に核不拡散条約からの脱退を表明した際に採択された安保理決議は、単に再考を求めるものだった。 それらに比べると、今回ははるかに強い調子で北朝鮮を非難した。核開発をはじめ国際ルールを無視する北朝鮮の行動がいっそう深刻になっている。各国がそう考えたからだ。 日本と米国は軍事や非軍事の制裁につながる文言を入れようとこだわった。これに対し、中国とロシアは拒否権を使うことも辞さないという構えをとった。 いま最も避けるべきことは安保理の亀裂だった。国際社会の結束を示すためには、非難決議に落ち着いたのも仕方がないだろう。 制裁決議でなく非難決議になっても、その意味は大きい。中ロを含めて国際社会がそろって北朝鮮の外堀をひとつ埋めたからだ。北朝鮮がミサイルで挑発し続けたり、核開発をさらに進めたりすれば、国連はもっと強い態度をとる。そういう警告を突きつけたことになる。 ロシアで始まった主要国首脳会議でも、北朝鮮問題を深く討議し、強いメッセージを発してほしい。 国連で北朝鮮代表は決議を受け入れないと述べた。本国の外務省も自衛のための抑止力を強めるとの声明を出した。 しかし、中国やロシアも非難決議に加わった以上、北朝鮮の選べる道は狭まった。みずから活路を見いだそうとするならば、6者協議に戻るしかあるまい。 ミサイル発射を受けて、日本は独自の制裁にすでに入っている。北朝鮮に同情的な韓国も、コメ50万トンと肥料10万トンの支援の凍結を決めた。南北の閣僚級会談は決裂という結果に終わった。 北朝鮮が世界に背を向ければ向けるほど、自らを苦しめる状況になっている。 北朝鮮を6者協議に引き戻すには、議長役の中国の役割が大きい。制裁決議に反対したのは、北朝鮮をかたくなにさせては解決につながらないと思ったからだろう。非難決議にとどまった分、北朝鮮への説得の責任が増したといえる。 北朝鮮の態度が肝心なのはもちろんだが、日本も米国も話し合いの門戸をいつも広く開けておくことが必要だ。 北朝鮮の問題を解決する基本は対話と圧力であることを忘れてはいけない。 2006/07/17 毎日新聞 社説 【社説:対北朝鮮決議 全会一致を重く受け止めたい】 国連安全保障理事会が北朝鮮にミサイル計画の中止を求め、各国にミサイル・大量破壊兵器関連物資などの移転阻止を要求する決議を全会一致で採択した。北朝鮮に関する安保理決議の採択は核拡散防止条約(NPT)脱退宣言の再考を求めた1993年以来で、全会一致は初めてだ。 北朝鮮は、中国とロシアも含めた安保理の総意としての採択を国際社会からの強い警告と受け止め、かたくなな態度を直ちに改めるべきである。 決議はミサイル発射を非難し、北朝鮮に弾道ミサイル計画の中止、発射凍結の再確認や6カ国協議への即時復帰を要求。各国にはミサイルや大量破壊兵器開発につながる物資、技術の国際取引や資金移転の阻止を求めている。 ミサイル発射から決議採択までにはかなりの日時を要した。採択にこぎつけたのはロシアでの主要国首脳会議(サミット)での実質討議が始まる直前だった。これだけ時間がかかったのは日米と中露が制裁をめぐって激しく対立したからだ。 ポイントは国連憲章第7章に言及するかどうかだった。第7章は「平和に対する脅威、平和の破壊、侵略行為」などがあったと認定した場合、経済制裁や軍事行動を取ることが出来ると規定したものである。 日米が最初にまとめた案は「第7章に基づいて行動する」としていたが中露が反発。最終的には英仏両国の調停案を基に、第7章への言及を削除した決議で日米と中露が歩み寄った。 第7章への言及が削除されたことで強制力が弱まったことは否めない。しかし、拘束力がなくなったから効果がない、と考えることもない。加盟国は安保理決定に従う義務がある。 全会一致の決議だから、安保理で北朝鮮問題を協議する土台が出来た。北朝鮮が今後、決議違反をすれば安保理でただちに協議を始めることが出来るだろう。必要により、さらに厳しい決議を採択することも可能だ。 問題は北朝鮮である。国連大使はさっそく決議の全面拒否を宣言し、ミサイル発射を今後も継続する考えを表明した。苦しまぎれの発言だろう。 今回の決議に中露も加わったことで北朝鮮は逃げ道がなくなった。一層態度を硬化させる可能性がある。米国が金融制裁措置を解除しなければ6カ国協議に戻らない、という姿勢を強めるだろう。より挑戦的な態度に出てくるかもしれない。 その意味で中国の役割は一層重要になった。中国は日米など8カ国が共同提案した憲章第7章を明記した決議案に拒否権行使を明言して反対した。ならば、今後は今まで以上の力を注いで北朝鮮説得に当たる責任がある。 北朝鮮対応で中露と他の安保理メンバーとの溝が深いことも証明された。国際社会は北朝鮮のこれ以上の暴走を食い止めるには結束維持が不可欠であることを改めて認識する必要がある。 2006/07/17 読売新聞 社説 【[対「北」決議]「単なる非難に終わらせるな」】 国際社会の平和と安全を脅かす行為は許さないという意思表示にはなっただろう。問題はどう具体的な行動を取るかだ。 国連安全保障理事会は、北朝鮮のミサイル発射を非難する決議を全会一致で採択した。 決議は、ミサイル発射を「地域とその周辺の平和、安定、安全を危うくする」とし、北朝鮮に発射再凍結を要求した。国連加盟国には、北朝鮮との間でミサイル関連物資・技術を移転することも、ミサイル購入もやめるよう求めた。 日米など8か国共同提案の当初案が、将来の制裁発動を視野に言及していた国連憲章7章は、削除された。ミサイル調達阻止の部分も、当初の加盟国への「義務」から「要求」に後退した。 国連安保理は、各国の利害がぶつかり合う場だ。特定の国の主張がそのまま通るものではない。 中露両国は北朝鮮と特別な利害関係にある。7章への言及に拒否権行使をかざして反対したのも、自国の利益を優先させたからだ。それでも、最終的に決議を受け入れたのは、北朝鮮に対する国際社会の強い批判を前に、このままでは孤立すると懸念したからだろう。 8か国案を主導した日本は、中露との厳しい駆け引きの中で、国益に立って一定の役割を果たせたと言えよう。 だが、北朝鮮はただちに「決議にいささかも拘束されない」とし、「自衛的戦争抑止力」の強化のため、今後もミサイル発射を継続すると明言した。 決議の採択で、北朝鮮の6か国協議復帰やミサイル発射再凍結に道筋がつくわけではない。重要なのは、日本にとって深刻な脅威である核・ミサイル問題の解決につなげていくことだ。今回の決議はその一歩に過ぎない。 対「北」包囲網を狭めるため、国際的な連携を強化しなければならない。 ミサイルは、北朝鮮にとって重要な外貨獲得手段だ。決議が加盟国に求めたミサイル調達阻止は、経済制裁的な効果も期待できる。日米が主導し、実効あるミサイル不拡散体制を築くべきだ。 米豪などと連携した大量破壊兵器拡散阻止構想(PSI)を一層推進し、北朝鮮の核・ミサイル関連機器材の出入りを監視する体制も強化する必要がある。 安倍官房長官は、追加制裁措置や各国との協力強化策を検討するよう各省に指示した。資金洗浄に関与した疑いのある海外の銀行口座との金融取引を制限できるよう、自民党が検討している「金融制裁法案」も立法化を急ぐべきだ。 今回の決議を、単なる非難に終わらせてはならない。 |
07 19(水) 今年の梅雨はツユツユツユ ●白州次郎(サンマ) |
07 21(金) 昭和天皇…やはり立派な紳士 |
【A級戦犯合祀 昭和天皇の重い言葉】 東条英機元首相ら14人のA級戦犯が靖国神社に合祀(ごうし)されたのは、78年のことである。戦後も8回にわたって靖国神社に参拝していた昭和天皇は、合祀を境に参拝を取りやめた。 その心境を語った昭和天皇の言葉が、元宮内庁長官の故富田朝彦氏の手で記録されていた。A級戦犯の合祀に不快感を示し、「だから私あれ以来、参拝していない、それが私の心だ」とある。 昭和天皇が靖国神社への参拝をやめたのは、A級戦犯の合祀が原因だったことがはっきりした。 合祀に踏み切った靖国神社宮司の父親は松平慶民元宮内大臣だった。メモには、その名を挙げ、「松平は 平和に強い考(え)があったと思うのに 親の心子知らず」という言葉がある。 A級戦犯が合祀されているところに参拝すれば、平和国家として生まれ変わった戦後の歩みを否定することになる。昭和天皇はそう考えたのだろう。 天皇個人としてという以上に、新憲法に基づく「国民統合の象徴」として、賢明な判断だったと思う。しかも、中国などが合祀を問題にする前の主体的な判断だったことを重く受け止めたい。 戦前、天皇は陸海軍の統帥者だった。自らの名の下に、多くの兵士を戦場に送った。亡くなった兵士の天皇に対する気持ちは様々だろうが、昭和天皇が靖国神社に赴き、戦没者の魂をなぐさめたいと思うのは自然な気持ちだろう。 しかし、戦争を計画、指導した軍幹部や政治家らを一緒に弔うとなると話は別だ。そう考えていたのではないか。 メモには「A級が合祀され その上 松岡、白取までもが」と記されている。日独伊三国同盟を推進した松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐イタリア大使への怒りもうかがえる。 A級戦犯の合祀に対し、昭和天皇がかねて不快感を示していたことは側近らの証言でわかっていた。 それなのに、昭和天皇が靖国参拝をやめたのは合祀が原因ではないとする主張が最近、合祀を支持する立場から相次いでいた。 75年に三木武夫首相が私人として靖国参拝をしたことを機に、天皇の参拝が公的か私的かが問題になったとして、「天皇の参拝が途絶えたのは、これらが関係しているとみるべきだろう」(昨年8月の産経新聞の社説)という考えだ。 こうした主張にはもともと無理があったが、今回わかった昭和天皇の発言は、議論に決着をつけるものだ。 現在の天皇陛下も、靖国神社には足を運んでいない。戦没者に哀悼の意を示そうにも、いまの靖国神社ではそれはかなわない。 だれもがこぞって戦争の犠牲になった人たちを悼むことができる場所が必要だろう。それは中国や韓国に言われるまでもなく、日本人自身が答えを出す問題である。そのことを今回の昭和天皇の発言が示している。 |