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折々の記 2006 A

【心に浮かぶよしなしごと】

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【 03 】07/07〜

  07 07 北朝鮮 ミサイル発射…朝日新聞社説:毎日新聞社説
  07 08 北朝鮮外務省報道官発言全文
  07 09 行政職員の熱心なブログ意見
  07 11 木曽義仲と開田高原@
  07 13 教育勅語の「教育の淵源

07 07(金) 北朝鮮 ミサイル発射…朝日新聞社説

今日は七夕である。

北朝鮮 ミサイル発射に関連して、朝日新聞社説を載せて参考とする。

    2006年(平成18年)7月6日木曜日 43191号(日刊)

  北朝鮮ミサイル発射 無謀な行動に抗議する

 北朝鮮がミサイルの発射実験を強行した。きのう未明から朝方にかけて6発、さらに夕方1発という異様さである。日本などと交わした発射凍結の約束を破り、国際社会の制止も無視した。

 無謀で無責任な行動に強く抗議する。

 実験では3種類のミサイルが発射された。短距離の「スカッド」、中距離の「ノドン」、長距離の「テポドン2」である。北朝鮮が保有する弾道ミサイルのそろい踏みといった有り様だ。

 いずれもロシアに近い日本海に落下した。外国を攻撃できる兵器をこれだけ持っているのだと見せつけ、威嚇するのが目的なのだろう。

威嚇は許されぬ

 米国のアラスカにも届くといわれるテポドン2に注目が集まっていた。だが、打ち上げ直後に失敗したと米政府などは見ている。

 日本にとってより深刻なのはノドンだ。日本列島がすっぽり射程内に収まる。北朝鮮はこれを200基配備しているという。核弾頭が積まれていたらと、ぞっとした人は少なくないだろう。

 北朝鮮は93年にノドンの、98年にはテポドンの発射実験をした。その後、99年に発射凍結を米国に約束した。02年の日朝平壌宣言でもそれを確認した。今回の発射はこれをすべてほごにするものだ。

 北朝鮮は核兵器を保有していると宣言した。核不拡散のための国際的な約束に背を向け、監視の目をかいくぐって開発したものだ。そんな国が弾道ミサイルを持ち、発射実験で周辺国を威嚇するのは許しがたい。

 北朝鮮はミサイル本体や技術を中東などに輸出してきた。ただでさえ不安定な地域にミサイルの火種を持ち込むのは無責任きわまりない。

 核保有宣言といい、ミサイルといい、一連の行動は「ならずもの国家」と呼ばれても仕方あるまい。

対応は厳しく冷静に

 北朝鮮はミサイルの開発、実験は主権に属することであり、他国の干渉は受けないと主張している。だが、国際社会の秩序を乱し、近隣国を威嚇するような国がいくら「自主権」を言っても、そのまま認めるわけにはいかない。

 北朝鮮は国際社会からの猛反発は承知のうえなのだろう。それでもなおミサイルを発射したところに、北朝鮮の外交的な行き詰まりが見て取れる。

 核放棄をめぐる6者協議が停滞するなかで、米国などは金融や人権で締め付けを強めている。だが、米国と直接協議したくても応じてくれない。日本も拉致問題などで圧力を強める。頼みの中国もさほど味方してくれない。

 こんな局面を転換するにはミサイルという脅しのカードを使うしかないと見たのだろう。いつもの「瀬戸際作戦」だ。

 ミサイルは、米国の独立記念日に合わせて発射された。北朝鮮問題に多くの時間を費やした日米首脳会談の直後、ロシアでの主要国首脳会議の直前でもある。挑発の狙いは明らかだ。

 一方で、今回の発射をめぐっては、北朝鮮内部の統制の乱れを指摘する見方もある。独裁国家の、外からはうかがい知れない危うさである。

 日本政府は北朝鮮の貨客船、万景峰号の入港を半年間認めないなど9項目の措置に踏み切った。強い抗議の意思を示すには当然だ。さらに送金や貿易の停止などの制裁措置も検討していくという。

 国連の安全保障理事会は緊急会合を招集した。北朝鮮に強いメッセージを送る必要がある。いたずらに危機をあおっても逆効果であること、6者協議に誠実に向かい合ってこそ生きる道が開けてくることをはっきりと伝えるべきだ。

 米国も「あらゆる必要な措置をとる」としつつ、外交的な解決を目指すという。冷静に、しかし厳しい態度で臨むという方針で足並みをそろえたい。

日中韓連携を強めよ

 重要なのは国際社会の一致した行動だ。日本政府は国際協調を率先して追求してもらいたい。北朝鮮の出方を見つつ、段階的に対応する構えが大事だ。

 北朝鮮の問題を解決するにはやはり米国の存在が大きい。だが、イラクやイランへの対応に追われ、危機感をもって向き合ってこなかった面は否めない。

 ミサイルの脅威を肌で感ずるのは日本と韓国だ。緊張の高まりには中国も安閑としてはいられまい。なのにこの3カ国の協調が何とも心もとない。

 ミサイル発射と時を同じくして、韓国の海洋調査船が竹島周辺の、日本が主張する排他的経済水域(EEZ)に入った。日本の抗議は無視された。この問題では双方が突っ張り合い、感情的なもつれを増幅させるばかりだ。

 底流には、盧武鉉大統領の民族感情をあおる強硬姿勢とともに、小泉首相の靖国神社参拝も大きく響いている。靖国問題は、日中でも首脳の相互訪問をもう5年も閉ざしている。

 だが、平穏な環境をつくることこそが3カ国の利益が共通する最重要の課題ではないのか。日中韓の政治指導者は優先順位を間違ってきたとしか思えない。

 米国の関与を促すと同時に、北朝鮮の暴発を防ぎ、危機の水準を下げるために3カ国の協調を早急に立て直すべきだ。


続いて毎日新聞社説を挙げておく。

社説に続いて「今日の社説」と「バックナンバー」も見ておきたい。

    毎日新聞 2006年7月7日 0時21分

  「金英男さん会見」「北の情報戦に惑わされるな」

 横田めぐみさんの夫とされる金英男(キムヨンナム)さんが6日、訪朝した日本人記者団と平壌市内で会見した。日本のメディアとの初の会見である。

 金英男さんは、先に母や姉と感激の再会を果たした後、韓国メディアを対象に記者会見した。

 二つの会見が北朝鮮にとって日韓両国向けのメディア戦略の重要な舞台であることは想像に難くない。拉致問題で日韓を離反させ、幕引きムードを作るのが狙いだ。

 北朝鮮当局は記者団をめぐみさんが一時住んだといわれる招待所やめぐみさんの「遺骨」を焼いたとされる火葬場に案内した。日朝実務者協議での北朝鮮側主張を3時間にわたって詳細に説明したのは「拉致は解決済み」と強調したかったからだろう。

 会見で金英男さんはめぐみさんとの出会いやプロポーズ、そして「幸せだった」結婚生活について事細かに述べた。夫婦とキム・ヘギョンさんの家族の写真も公表した。そこには温かな家庭の営みがあったのだろう。

 めぐみさんの拉致については、特殊機関に勤めている人の過去は問わない、だから夫婦でも聞かなかったという。本当にそうなのか。にわかには信じ難い話だ。

 会見に加わった娘のキム・ヘギョンさんは祖父母の横田滋さん、早紀江さん夫妻に対し「孫娘に会いたければ、こちら(平壌)に来てください」と語った。これはまさに北朝鮮当局のメッセージだ。

 金英男さんと再会した姉金英子(キムヨンジャ)さんを通じて明らかにされた発言についても質問に答えた。金英男さんはめぐみさんの「遺骨」に「他人の遺骨が混じっていたかもしれない」と語ったとされることについて「そういう意図で発言したことはない」と否定した。めぐみさんが幼いころに交通事故にあったとの話については「めぐみは小さい時、頭を打ったと言った。それが交通事故だったかどうかは記憶にない」と言葉を濁した。

 韓国メディアとの会見で金英男さんは、めぐみさんの死亡した状況について「これについてはいろいろの説があるが、別の機会があれば話す」と語った。これは今回の日本人記者との会見を念頭に置いた発言だろう。

 にもかかわらず、めぐみさんの「遺骨」に関しても新たな事実は聞けなかった。ちぐはぐな答えもあった。日本の国民が抱く疑問にきちんと答えたとは言い難い。

 拉致問題に関してほとんど沈黙していた北朝鮮だが、めぐみさんの夫としての金英男さんが注目を集めてからは彼を通じてメッセージを積極的に発信している。

 金英男さんは金英子さんにこんなことも言った。

 「(日本側はめぐみさんの拉致について)すべて真実を知っているのに勝手な対応をしている。もう放っておいてくれと、(日本側に)伝えてほしい」

 北朝鮮は拉致被害者を特殊機関に勤務させ、今度はスポークスマンに仕立て上げようというのか。

 北朝鮮の情報戦に惑わされてはならない。


 きょうの社説

  「金英男さん会見」「北の情報戦に惑わされるな」 0:21
  北朝鮮決議案 中露は責任の重さ自覚せよ 0:19



 バックナンバー 一覧

  7月6日 ミサイル発射 国際社会は北の挑発許すな
   小沢氏訪中 久々に冷静な対話ができた
  7月5日 骨太の方針06 ポスト小泉も課題は山積だ
   女児殺害判決 卑劣な事件を直視しよう



元凶、北朝鮮の指導者! 北朝鮮に暗雲低迷! 北朝鮮の一般国民よ、目を覚まして手を取り合ってくれ !!

07 08(土) 北朝鮮外務省報道官発言全文

けさヤフーニュースに「北朝鮮外務省報道官発言全文」が載っていた。

日本も北朝鮮も自分の国の国益ばかり考えている。

国と国との話し合いの中味は、自分の国に都合のいいものだけを伝えているような気がする。そんな感じ方をするのはわたしだけなんだろうか。

日本と北朝鮮のやり取りを読んだり聞いたりしていると、両方とも勝手すぎるようだ。

   日朝平壌宣言(2002年9月17日)
   <http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/s_koi/n_korea_02/sengen.html>
   北朝鮮外務省報道官発言全文(2006年7月6日)
   <http://park19.wakwak.com/~yoshimo/moto.5553.html>

勝手な解釈とともに感情的になりすぎて、第三者としての客観的な考え方にかけている。日本は世界の先にたってやるほどの意志を持っているのならば、北朝鮮に対してもっと積極的に仲良くできる環境を日本側から提供していくことが常道のように思う。

日本はそういう立場から見れば、あまりにも無策であったから、その責を負わなければなるまい。あまりにもアメリカに対して従属的であり、国家としての品格が見られなくなっていた。

商取引に関しては自然の赴くまま、韓国と中国との関連は年々歳々深まってきており、貿易総額は伸びてきて東アジア圏が作られつつあるのに……政治の面ではアメリカ一辺倒なのである。

北朝鮮は国民の生活をよくみつめて、安定した生活の向上を第一に考えなくてはならない。一党独裁はいまはもう古びた政治意識の人たちの象徴であり、世界の潮流にはなじまない。個人を大事にする政治に早く転換していってほしい。

07 09(日) 行政職員の熱心なブログ意見

ブログを見ているうちに

  “勝手に作った飯田下伊那のブログポータル”という副題がついている『Fruit Cocktail』
   <http://fruit.kareido.com/>

  “考える地方自治の瞬間、絶叫するゴール前の瞬間”という副題がついている『Governance Archives』
   <http://blog.goo.ne.jp/katacha67>

この二つのブログに出あった。初めのは飯田下伊那のブログをまとめたもので、その意図は素晴らしいし、大変ご苦労様のことでした。次のものは喬木にまつわるものをまとめてあったものです。

『Governance Archives』通称 katacha67さんは行政職員とのことで、行政の一員としての課題を真摯に受けとめて、整理しながら自分の思うところを披瀝してある。極めてまじめさを感ずる表現と中味でした。

katacha67さんの「議員は‘常勤職’と‘無償ボランティア’のどちらを志向すべきか」というブログと「少子対策の真の地方政策とは」というブログへ、それぞれコメントを書き添えた。

07 11(火) 木曽義仲と開田高原

権兵衛トンネル開通で予定していた開田高原へ行ってきた。旅の記録に様子を記録する。

調べたことは実際にいってみると目にすることができることや具体的な細かい事実があって、もっとゆっくりしたいと思う。 もう一度いってみたいとも思う。

木曽馬ののどかな景色は心を癒してくれる。

開田高原は以前にも行ったことがあるのだが、風景は忘れてしまっていた。 集落は末川に沿った地域と西野川に沿った地域の二つが主としたものであった。

山下家隣接の考古博物館で見ると、木曽御嶽山東側に流れる冷川沿いは火山灰の広がる山麓で、ここは縄文式土器が出土した地域であるという。すこしなだらかな耕地としては唯一の広がりがあるように思う。

これら三つの地域以外は凹凸の激しい山間地である。高原ときけば富士見高原のように、御岳山麓にひろがるなだらかな高原をイメージするのだが、実際には雲泥の違いがある。住んでいる人たちは、夏は避暑地のようでいいのだが冬の暮しはたいへんだろう。

細かい様子は「旅の記録」を開くこと。

07 14(金) 教育勅語の「教育の淵源」

「淵源」という言葉は戦前の教育勅語に出てきた言葉であって、戦後この言葉を聞いたことはない。「いちばんもと」の語感を受けているのだが、辞書を調べてみると次のようだ。

  字通…………………「淵」回(めぐ)る水なり  「淵源」みなもと
  デジタル大辞泉……物事の起こり基づくところ。根源。みなもと。

教育ニ関スル勅語にあらわれる部分

  我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ
  此レ我ガ國軆ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス

「克ク忠ニ」を別にすれば「克ク孝ニ」の部分は

  爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ
  博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進
  テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ

と出ている。人の絆、仁の部分は

  民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛
  衆ニ及ホシ

であり、人の行、業の部分は

  學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世
  務ヲ開キ

そして、次の言葉で結んでいる。

  斯ノ道ハ遺訓ニシテ子孫ノ倶ニ遵守スヘキ所

教育の根源、淵源として中核に‘仁’…‘(絆)’を据え、さらに平易に説き示している。これが教育勅語であった。

教育勅語は戦前の軍国主義の指導理念にもなっていたものだから、それを今更持ち出すことはない、という意識の人たちが多いと思う。

良いものは受け伝えなければならない、伝統とはそういうものだ。

東洋の儒教の真髄になっていたものをあっさり捨てて省みないような了見は、腹の小さい人のことではあるまいか。どう考えても現状の理性の在り方が望ましい方向へ立ち向かうとは容認できない。

先人が努力に努力を重ねて磨き上げてきた儒教の考え方を捧持することが緊急の課題である。

戦後の教育基本法は(GHQの原案のようだが)形容詞の羅列に終わっているのではないだろうか

  第一条(教育の目的)
   教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理
  と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充
  ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

人格の完成、それは何によって達成できるのだろうか。戦後の文部省の「学習指導要領」によって目的に近づくことができたのだろうか。人格の完成、すばらしい言葉であるが、茫漠としてなにもわからない。一歩一歩努力して、百歩で目的に到達できるとすれば、第一歩から第十歩まで何を努力して近づけばいいのだろうか。見えてこないのである。中身の具体案が出てこないのである。

形容詞の羅列は、あらゆる解釈の方法が生まれ、進むべき道筋をはっきり示すことができなくなる。戦後わたしたちが進んできた道を振り返って見直さなくてはならないんです。



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