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朝日新聞アジアネットワーク(AAN)

人間性育み「魅力ある国」に
 天児 慧
  早稲田大学教授
  現代中国論。早大アジア太平洋研究センター副所長。朝日新聞アジアネットワーク委員。58歳。

10年前、当時もギクシャクしていた日中関係の打開策について、ある大先達に尋ねたことがある。「それははっきりしている。魅力ある日本を創(つく)ることだよ」と、彼は明快に答えた。はっとする思いだった。しかし、戦後続いてきた右肩上がり経済は行き詰まり、「失われた10年」の真っただ中にあった。何が「魅力ある日本」なのか、一歩踏み込んで考えると暗中模索の状態だった。

そして今日、もっとも仲良く付き合わねばならない隣国との政治的閉塞(へいそく)は深刻化の一途である。アジア各国のみならず米国からも、靖国問題で小泉総理の「毅然(きぜん)とした態度」に喝采の声は聞こえない。

こうした中で、外からも敬意を持って「魅力ある国だ」と素直に思われるような日本創りを真剣に志向することは、目先の打開策を講ずる以上に重要な課題と言えるかも知れない。

「魅力ある日本」を考えるとき、三つのポイントがあるように思う。一つ目は、長きにわたって日本人自身が培ってきた「日本の良さ」を再確認し、より確かなものにすることである。世界に秀でた豊かな自然と調和した社会、人々が法と制度を順守し秩序が維持された安定した社会、充実した社会保障制度、不条理な格差の少ない社会などが挙げられよう。

二つ目は、急激なグローバル化、情報化、市場化の波に適切に対応し、「安心、安全、充実」した社会のシステムを構築していくことだ。急激な波は社会を合理的で利便性の高いものに変えた。ITを使えばたいていの情報は即座に入手でき、地道な苦労をすることなく欲しいものを手に入れるチャンスが増大した。しかし、他方ではむき出しの成果主義、拝金主義、競争社会、格差社会を生み出した。合理性や利便性を保ちつつ、1点目に挙げたような社会をどう再構築するか、これからの課題だと思う。

そのためにこそ、三つ目に「魅力ある日本人」をどう育て、日本に住む外国籍の人々とともに「魅力ある地域社会」をどう創っていくのかという点が課題となる。

そこで最も大切にしたいのは「人間性」の育成だ。金があれば何でもできるといった風潮の「ホリエモン現象」、欲望むき出しの「メル友ネット」の広がり、電車の優先席さえ老人に譲ろうとしない思いやりのなさ。人間の「品格」が改めて問われる時代である。「国や郷土を愛する心」を育てることはもちろん大切だが、それはまず「人を愛する心」があって初めて成り立つ。そうした心を持っていれば、戦争被害の傷を今も感じている相手国への「配慮」も自(おの)ずとなされていくだろう。

いろいろなところで教育の重要性が説かれている。だが、それは偏差値を上げたり、国の指導者が思い描く愛国心を吹き込んだりすることではない。百年の大計をもって教育を考えるなら、その核心は「豊かな心」を育てる教育であり、「ネット・コミュニケーション」も大切だが、鍵は「触れ合いコミュニケーション」の再生なのである。

幸い日本にはまだ輝きがある。最近の来日留学生数の推移を見てもそれは言える。05年には12万人を超え、90年代に比べると倍増した。その約8割が中国と韓国からだ。しかも反日デモが相次いだ昨年でさえ、両国からの留学生は前の年より増加した。03年以降は在日の中国人留学生の年間総数は在米国のそれを超えるまでになった。文句を言いながらも、どこか日本には「惹(ひ)かれるもの」があるからなのだろう。

少子化が進み、経済成長が鈍化し、外国の人々との共生が程度の差こそあれ不可避なこれからのわが国にとって、「魅力ある日本の創造」は戦略的にも極めて重要な課題だ。仮に将来、世界NO2の「経済大国」の地位を失ったとしても、「魅力ある日本」の創造が実現していれば、何も不安がることなどないのである。 (2006年5月17日)