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折々の記 2006 A

【心に浮かぶよしなしごと】

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【 05 】07/23〜

  07 23 セントレア……名古屋高速道路
  07 31 梅雨明け ●北朝鮮のニュース
  08 01 面白いサイト‘世界の古典つまみ食い’●真介一家北海道旅行

07 23(日) セントレア……名古屋高速道路

中部国際空港の3Fから4Fへ

07 22 午前 10:15、畑の土が柔らかくて畑仕事ができないので、突然ながら中部国際空港 centrair へ行ってきた。

2時間半あればと予定していたが、名古屋高速道路で一度道をまちがえたのでそのため時間がかかってしまった。

首都高速は慣れているからいいのだが、名古屋高速は案内表示が明確でないこともあって一度まちがうと大変なことになる。

今度の失敗を考えると、主な交差点などコピーをとって事前に頭の中でルートを描いておくことが大事になる。

名古屋へ車で乗り入れるときは、マップファンの地図コピーをクリヤーホルダーに入れていかなくてはならない。

中部国際空港のスカイデッキから右側方向を望む

今度の旅はETC装着後初めての旅であったので、その便利さには好感をもてた。道に迷ったために空港へ着いたのは 1:30 だったから、ちょっと遅くなってお昼になった。

お風呂のある店‘くつろぎ処’では和食だけでもいいというので、「味噌かつ定食」900円で腹をこしらえた。

ネットで調べるとすれば、

   <centrair>(http://www.centrair.jp/index.html)

から調べたらいいと思う。秋にはこの部落の公民館の旅行があるが、セントレアか木曽開田高原の希望が多いほうへ行くことになりそうだ。

もしセントレアを選ぶようなら、南下して子供たちが喜ぶ「南知多ビーチランド」と「野間大坊(大御堂寺)」を含めたいものである。

   <南知多ビーチランド>(http://www.beachland.jp/)
   <野間大坊>(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E9%96%93%E5%A4%A7%E5%9D%8A)
   <野間大坊 前編>(http://nats12.cool.ne.jp/SHINREI/AICHI.1/NOMA/noma1.html)
   <非業の里 野間>(http://www.byakuran.co.jp/furusato/noma/noma.htm)
   <大御堂寺>(http://www.asahi-net.or.jp/~gi4k-iws/sub3-8.html)

これらのサイトが参考になる。


一般道を通って野間へゆく道

  自宅 
  → 153号線  (三州街道) 
  → 豊田市  (<挙母(コロモ)町1>右折)(九つ目信号<東新町2>左折、155号線へ入る)
    (三つ目信号<土橋(ツチハシ)5>右折) 
  → 豊田IC  (三つ目信号<豊田IC>左折) 
  → 豊田南バイパス  (途中、155号線から419号線<衣浦(キヌウラ)豊田道路(\200)>となり、
    しばらくして一般道路となる) 
  → 衣浦(キヌウラ)大橋  (信号<衣浦大橋西>左折、247号線に入る) 
  → 半田(ハンダ)  (<出口町>交差点を左折、南下) 
  → 成岩(ナラワ)  (<東郷町>交差点左折、200mで<成岩橋>交差点右折) 
  → 布土(フット)  (<布土>交差点を右折、地方横断道路へ入り布土川沿いに進む) 
  → 上野間  (<上野間>交差点左折、247号線を南下) 
  → 野間  (野間小の交差点から約150m、┫字路を左折) 
  → 野間大坊・大御堂寺


通行料を調べてみると、中央自動車道(3050)と名古屋高速道路(750)と知多半島道路(1050)、合せて 4850 往復 \.9700 であり、一般道の場合、衣浦豊田道路(200)だけだから往復 \.400 である。

時間を考えると、自動車道の場合二時間半であるが、一般道の場合は五時間はみなくてはならない。お金をかけずにドライブを楽しみながら行くとすれば、一般道を選び、朝早く出かけて早めに帰途につけばいいだろう。

豊田までの道は慣れているから、距離感覚からみれば三分の二は慣れていて苦にはならない。後三分の一は、マップ案内とカーナビ案内によればいい。


07 31(月) 梅雨明け ●北朝鮮のニュース

今年の梅雨は長かった。以前と比べると、梅雨前線がここ数年ずっと北上してきたようだ。前線は同緯度に並んで偏西風の影響だろうか、裏日本の降水量が多くなっている。ただ単に多くなっただけであればいいのだが、このための水害がひどい。

岡谷の土石流も南信地区の降水量からみれば想像だにできなかった。集中豪雨という言葉では当たらない、長期豪雨による災害といえばいいのだろうか。

気候変動による梅雨どきの災害変化と言えそうである。災害地の北上ということでは朝鮮半島の災害、ことに北朝鮮の今年の被害は大変であったようだ。

●北朝鮮のニュース

ヤフーニュースで北朝鮮にしぼったニュースを見ると、次のような見出しが出てくる。

  <http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/north_korea/>

海外トピックス - 7月29日(土)0時 56分 更新
北朝鮮
ニュース
- 拉致問題切り離すべき ロ外相、6カ国協議で(共同通信) (29日0時56分)
- <ARF>議長声明を発表 北朝鮮への懸念盛り込む(毎日新聞) (28日22時39分)
- 6か国協議復帰へARF議長声明、北朝鮮は脱退示唆(読売新聞) (28日22時21分)
- <10カ国外相会合>中国の仲介限界 米朝間の不信深まる(毎日新聞) (28日19時51分)
- 金正日政権の抑圧非難=米副大統領(時事通信) (28日9時0分)
- 北「6カ国」復帰へ連携 麻生外相、中国と一致(産経新聞) (27日16時8分)
- <麻生外相>ミサイル当日の韓国竹島調査「残念」韓国外相に(毎日新聞) (27日11時31分)
- 麻生外相 北朝鮮問題連携訴え ASEANプラス3 安保理決議実施を(西日本新聞) (27日11時6分)
- 中国が「米朝外相会談」へ調整=北の6カ国会合参加条件に(時事通信) (27日7時1分)
- ASEAN+3議長声明、北朝鮮のミサイル発射を懸念(読売新聞) (27日1時48分)
- 豪雨で3000人死亡・不明か 北朝鮮で、韓国のNGO(共同通信) (26日19時46分)
- <豪雨被害>北朝鮮で死者不明3千人説も 韓国メディア(毎日新聞) (26日19時45分)
- 豪雨で3000人以上死亡か=北朝鮮、被害は深刻−韓国人権団体(時事通信) (26日19時1分)
- 8〜9カ国会合の実現を示唆、政府当局者(YONHAP NEWS) (26日17時16分)
- 【集中豪雨】北朝鮮で約700人が死亡・行方不明 - 朝鮮日報 (26日14時0分)
- 北朝鮮住民の「自我批判」ファイルが初公開される - 中央日報 (26日13時44分)
- 日本の制裁措置 連日激しく非難 北朝鮮メディア(西日本新聞) (26日10時7分)
- 拉致問題で働き掛け要請 日本、国連作業部会に(共同通信) (26日9時23分)
- ヒル国務次官補「米朝外相会談排除しない」(YONHAP NEWS) (26日9時19分)
- 北朝鮮の白外相がARFに向け出発、朝鮮中央通信(YONHAP NEWS) (26日9時16分)
                                     もっと見る
社説
- 「北朝鮮政権の形態変形」まで言及する米国 - 中央日報 (2006年7月23日)
- 急速な「北中で密着」対応策あるか - 中央日報 (2006年4月3日)
- 総書記訪中/隠密外交では理解されぬ - 神戸新聞 (2006年1月20日)
- 北朝鮮、改革・開放の前に「非正常国家」の汚名をそそぐべき - 朝鮮日報 (2006年1月20日)
- 金正日の訪中、北の開放につながることを望む - 中央日報 (2006年1月19日)
- 金正日総書記の「非正常」首脳外交 - 朝鮮日報 (2006年1月12日)
- 金正日総書記の訪中、紙幣偽造の件で焦ったのか - 中央日報 (2006年1月11日)
- 偽ドル札問題でも北朝鮮を弁護する韓国政府 - 朝鮮日報 (2005年12月15日)
- 韓国棄権のなか採択された国連対北人権決議案 - 中央日報 (2005年11月18日)
- 食糧支援の国際機関を追い出す北朝鮮の事情 - 朝鮮日報 (2005年9月10日)
                                     もっと見る
関連サイト
- 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) - 政治、外交、経済などの概要、歴史。外務省
- 朝鮮新報 - ニュースなど
- North Korea TODAY - ニュース、工作員、エシュロン、ミサイル関連記事の邦訳
- チュチェ思想研究 - 思想に関するQ&A、金日成主席、金正日総書記の著作
- 救う会全国協議会 - 各支部の活動報告やリンクなど
- 現代コリア研究所 - 論文、コラム、資料など
- 日朝国交正常化交渉 - 交渉経過、大臣の会見記録など。外務省
- 北朝鮮の核開発問題 - 1994年米朝枠組み合意、軽水炉供給取り決めの概要
- KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)について - 協定、年次報告などへのリンク
- 能登半島沖不審船 - 第九管区海上保安本部
- 朝鮮国家観光総局 - 観光案内など
- 北朝鮮WEB六法 - 主要な法令などの邦訳
- 救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク RENK
- 北朝鮮難民救援基金
- 私設 朝鮮民主主義人民共和国研究室
- 北朝鮮のIT事情 - All About Japan
- 人民武力省改編の意味 - 人民武力省の解説など。対北情報調査部
- ネナラ - 北朝鮮のポータルサイト。試験運営中
- 金正男 - ウィキペディア
- 最高人民会議 - ウィキペディア


また暫くぶりに次のサイトを開いてみた。

 <http://www.kamiura.com/library.html>〔情報保管庫(神浦)〕

神浦さんという個人のサイトだから、それなりに面白い角度でニュースを扱っている。あらゆる情報の中から自分の解説、コメントを載せているからだ。

ヤフーでは飛び交うニュースそのものを載せているから情報としては大切なものに違いない。たとえば関連サイトの中の

  <救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク RENK>

を開いてみると、同じ民族の人であれば誰にとっても民衆の立場からすれば、同胞を救いたいというのは基本的な感情である。こういう立場からのニュースとしては説得力はある。

金日成政権の動揺として一連の北朝鮮の動きをみていくことがいいのか、それはわからない。

だが、専制政治としての金政権は早く崩壊してほしい。それは北朝鮮の民衆のためにである。北朝鮮の変化については気をつけてみていきたいと思う。

08 01(月) 面白いサイト‘世界の古典つまみ食い’

  http://www.geocities.jp/hgonzaemon/<世界の古典つまみ食い>
先ず開いてみるとよい。よくもまあ、これだけのホームページをまとめ上げたものかと驚く。名前は「花房友一」

いろいろある中に「人生の無常を楽しんだ吉田兼好」が目についた。 副題として‘新訳 もの狂おしくない『徒然草』’とあるから興味に駆られて開いてみると次のような文面が出てくる。


 吉田兼好(1283年頃〜1352年頃)の『徒然草』(1330年)は作品名だけ見ると何やら悠長な、世捨て人の繰り言を集めたように思うが、実はそんなものではない。

 これは、単に「心に浮かんだ」ことを書き留めたものではなく、人生の中の様々な謎に対して自分なりの答えを見つけたと思ったときにそれを文章にしたもので、いわば兼好にとっての「発見の手帳」のようなものである。

 もちろん『徒然草』の魅力は、何より文章が抜群にうまいことである。たとえば、第19段には、何度読み返しても飽きないリズムがある。これは美文であって、四季の「あわれ」を様々な言葉で表現していき、最後にまた「あわれ」という言葉で締めくくっている。兼好の語彙と表現力の豊かさをこれほど如実に見せている文章はない。

 しかし、ここでも初めに


 「秋ほど素敵な季節はない」という人は多い。確かにそうかもしれないが、春の景色を見るときの感動はそれ以上だとわたしは思う。


 と、秋を最高とする世の中の一般的な意見に対して、自分なりの発見を伝えようとしている。

 このように、兼好は『徒然草』の中でいつも自分なりの答えを示す。

 そして、物事に対する一般的な物の見方、よくありがちな見方に対して、それとは逆の見方、それとはまったく違った見方をつねに提示して、物事には常に複数の見方があることを提示してやまない。

 たとえば、第215段では最明寺入道(北条時頼)の質素さを示すエピソードを紹介したかと思うと、次の第216段ではその同じ時頼が家臣の家を訪ねて、アワビに海老におはぎにとまるで祭りのような豪華な接待を受け、毎年六十反分の着物の贈り物まで要求していたことを描いて、その贅沢ぶりを伝えている(何と、これを質素だとする解釈がある!)。

 だから、この時代の人間としても、日本人としても珍しいことだが、兼好は「確かに〜であるが、しかし〜」という言い方、英語でいうindeed- butの構文を多用している。

 兼好は『エセー』を書いたフランスのモンテーニュに似ているという人がいる。両者の類似点は、第142段の法律に対する批判にも見ることが出来る。人が守れないような法律を作っておきながら、それを破ったといって罪人にするのが政治の仕事かという批判である。

 また、常に死を眼前に意識してこそ人生は楽しめるという意見はモンテーニュそのものだ。

 兼好は僧侶であるから、仏教的な無常観に支配されている。しかし、彼はその無常を楽しんだ。兼好の『徒然草』にはどこにも悲壮感がない。彼は人生をエンジョイしているのだ。先に挙げた第19段も季節の無常を讃えたものだった。

 いっぽう、第107段の女についての兼好の観察もずばり正鵠を射ている。


 「女というものは、こちらから尋ねるともったいぶって何も言わないくせに、聞かれもしないうちから、とんでもないことをぺらぺらとしゃべり出したりする。女なんて底が知れているのだ。そんな女に男がよく思われようとして緊張するなんて馬鹿げたことだ」


 これに対しては、「その通り」と膝を叩いた男性方は多いのではないか。

 わたしが一番好きなのは偉人の痴呆を描いた第195段だ。人生の無常をこれほど端的に描いた文章はない。しかし、兼好はそれを哀れむのではなく、淡々と描いている。

 その他に兼好の結婚否定論(第190段)や敗北主義宣言(第130段)なども面白い。

 最後から二つめの第242段は、兼好の人生についての考えの総まとめとでも言うべきものである。そこで兼好は、「人間の欲望で最も強いのは名誉欲、その次が性欲で、その次が食欲だ」と喝破している。有名になりたいという名誉欲は子供にさえ一番強い。日本の高校野球などはその典型だ。

 『徒然草』には薄田泣菫の『茶話』の中に見られるような偉人の失敗話もたくさんある。例えば背中合わせに置かれた狛犬に感涙した高僧の愚を描いた第236段は笑わせる。

 また、一番最後の話は、兼好が子供の頃、父親を質問責めにする利発な少年で、それを父親が他人に自慢するというほほえましい話で、読者はきっと兼好に親しみを覚えるだろう。

 そのほかに面白いのは、平家物語の作者が信濃前司行長であると書いていたり(第226段)、白拍子(しらびょうし)の起源として、義経の恋人である静御前とその母親の磯の禅師に言及していること(第225段)などがある。

 このように『徒然草』には面白い話がつきないが、特に後の方に面白い話が多いようだ。だから、わたしは『徒然草』を後ろから読むことをすすめる。

 もちろん『徒然草』を読むのに原文で読むのに越したことはない。今の岩波文庫の『徒然草』は注釈が充実しているので、辞書なしでほとんど読めるようになっている。こんなものがわたしの高校時代にあったら『徒然草』を全部読んでこいという夏休みの宿題も怠けずにすんだろう。

 現代語訳は講談社文庫『徒然草』(絶版)の川瀬一馬のものが最も優れている。角川文庫の今泉忠義の訳もよい。両方とも、原文をなぞったようなもどかしい文章ではなく、意味をそのままズバリと表現した小気味よい文章で訳されている。

 一方、本屋の学参コーナーにある橋本武の訳(日栄社)は学校の先生の訳らしく、原文から読みとれる要素を訳の中に全部詰め込んでいて長くなっている。しかし、正確でしかも文章がいいので単独で読むことが出来る(ただし、143頁の8行目で「たゞ物をのみ見んとするなるべし」を、206頁の7行目で「次に、万事の用を叶ふべからず」を、訳し落としている)。ちなみに、この人は有名な桃尻語訳の橋本治と間違いやすいが全然別人である。

 岩波文庫と旺文社の全訳古典撰集『徒然草』は共に安良岡康作の注釈が詳しくて参考になる。岩波の新古典文学大系39「方丈記 徒然草」は正徹本という最古の写本を底本にした珍しいもので、久保田淳の注釈も優れている。

 わたしも好きなのを選んで、なるべく普通の日本語になるように翻訳してみた。題して新訳 もの狂おしくない 『徒然草』 。上に挙げたものはすべて含めてある。上記の本を大いに参考したことは言うまでもない。

 吉田兼好は鎌倉時代末期の人だが、『徒然草』は意識的に平安時代風に書いていると言われている。とすれば、彼の文章をいまの日本語の感覚で読んでも正しくは理解できないはずだ。たとえば、序文の「あやしうこそものぐるほしけれ」をそのまま「妙にもの狂おしい気持ちになる」という意味だと考えることは大いに疑問である。例えば『更級日記』や『源氏物語』には「ものぐるほし」を自己の過去の行為の愚かさを反省する意味で使っているからである。実際、岩波文庫「徒然草」の注も三省堂「例解古語辞典」も「ばかばかしい」を採用している。

 この訳はそういうことを意識して、単語の意味を片っ端から辞書で引き直して作ったものである。そのため、既存の訳とは大きく異なる点があることをご承知願いたい。その上で、「もの狂おしくない徒然草」をお楽しみあれ。


第二百十七段の訳では、「欲を成じて楽しびとせんよりは、如かじ、財なからんには」の意味が出にくい。事実、上記の橋本武も困り切ってすごい意訳をしている。

ここは正徹本の読みである「欲を成じて楽しびとせんよりは、如かじ、欲なからんには」(講談社文庫もこうなっている)の方が、次の文章の「癰・疽を病む者、水に洗ひて楽しびとせんよりは、病まざらんには如かじ」とよく対応して意味も出やすい。しかし、この読みでは主題が金の話から遠ざかってしまうのが難点である。欲の話ならほかの段で言い尽くしており、新味がない。

そこで、わたしは「財を成じて楽しびとせんよりは、如かじ、財なからんには」と両方「財」にして読んでみた。これなら「金持ちは金を貯めることを楽しみとする」という前半の論旨とも一致するし、金持ち批判で全体の趣旨が一貫する。橋本武がここにあるはずと思って訳した意味も、この読みに合致する。

これが兼好が書いたテキストである可能性はないわいわけではない。両方「財」だったものが、筆写の過程で、最初の「財」を「欲」に読み間違えた人がいて、そのテキストを見た正徹が、意味が通じるように両方「欲」に変えて写したと考えられないことはないからだ。


引用したものすべてを読まなくても、おおよその考え方がわかる。

実際には上記の「解説文」をみていくと、「第00段」というジャンプ信号があるから、両方を開きながら解説を読み進めると、徒然草というのはなかなか面白いものと感ずる。

私は‘新訳「徒然草」’をプリントアウトし書き込みをしながら読んでいる。

「第242段」に人間の欲望について書かれている。漱石は、金と名誉と女としたが、兼好は、名誉欲と性欲と食欲の三欲にしぼっている。

● 真介一家は8日まで北海道旅行に出かけた。

札幌、旭川、帯広、釧路、阿寒湖、摩周湖、網走、知床海岸、知床五湖、羅臼、根室という行程。 旅にはできる限り出ることがいい。

【折々の記 2006 Aへ】