毎日新聞 2006年7月21日 東京朝刊

【社説】2006年07月21日(金曜日)
  【社説:昭和天皇メモ A級戦犯合祀は不適切だった】

 昭和天皇が、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に強い不快感を抱いていたことを示す富田朝彦元宮内庁長官のメモが明らかになった。「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」という簡潔な表現は真に迫っている。史料価値は高い。

 これまでも、1975年以降、昭和天皇が靖国神社へ参拝に行かなくなった理由については、A級戦犯の合祀に不満だからであると言われていた。そして、それがA級戦犯の分祀を求める意見のひとつの根拠になっていた。

 しかし、政界や靖国神社関係者などには、A級戦犯を裁いた東京裁判の不当性を主張すると同時に、天皇の靖国参拝中断はマスコミが騒ぐせいだという声高な反論があった。その論争は、富田メモではっきりと決着がついた。

 中曽根康弘氏は首相として1985年に靖国神社を公式参拝したが、中国の批判を受け翌年の参拝を断念した。この時、富田元長官は「靖国の問題などの処置はきわめて適切であった、よくやった、そういう気持ちを伝えなさい、と陛下から言われております」という電話を、首相官邸に入れた(岩見隆夫「陛下の御質問」)。昭和天皇は、首相の靖国神社公式参拝にも反対だった。

 富田メモから、昭和天皇の思考の一端がうかがえる。「松平(慶民元宮内大臣)の子の今の宮司がどう考えたのか。易々(やすやす)と。松平は平和に強い考えがあったと思うのに、親の心子知らずと思っている」というくだりである。

 先代の筑波藤麿宮司が棚上げにしてきたA級戦犯合祀を実行した松平永芳宮司に対して、親不孝だという強烈な批判をしている。「易々と」という苦々しい言葉は、A級戦犯を合祀しようとする人々に昭和天皇が反対していたことを示している。

 戦前の靖国神社は、国民が戦死者をとむらう宗教施設ではなかった。天皇が、天皇のために戦死した軍人たちの栄誉をたたえる顕彰施設だった。戦死者の遺族は「息子が天子様のお役に立てた」という論理で悲しみを癒やされる建前だった。だから天皇による親拝は靖国神社の本質だったのである。

 戦後、宗教法人になり、皇室から独立した。だが、天皇によって遺族が癒やされるという戦前の伝統は、天皇の私的参拝という形で続いていた。それが絶たれた原因は、A級戦犯合祀という神社側の選択にある。

 もちろん、宗教法人となった靖国神社が、天皇と歴史観、戦争観が違っていても自由である。メモにしても天皇個人の気持ちにすぎない。小泉純一郎首相のように「それぞれの心の問題」と考えるのも自由だろう。

 だが、そうだとしても戦没者に感謝と哀悼の誠をささげるための施設として議論の余地がないなら、なぜ内外で大きな論議を呼ぶのだろうか。その最大の原因は、A級戦犯合祀にある。その事実を冷静に考えるならば、いまの状態で首相が靖国神社に参拝するのは、やはり適切ではない。



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    7月21日付・読売社説(1)

【社説】2006年07月21日(金曜日)付
  【[A級戦犯合祀]「靖国参拝をやめた昭和天皇の『心』」】

 直截(ちょくせつ)的な表現に、驚いた人も多いのではないか。

 昭和天皇が、「A級戦犯」の靖国神社合祀(ごうし)をめぐって、「だから私はあれ以来参拝していない。それが私の心だ」と語っていた。宮内庁長官だった富田朝彦氏の手帳の1988年4月28日付メモに記されてあった。

 極東国際軍事裁判(東京裁判)で「A級戦犯」に問われた東条英機元首相ら14人が、78年10月、「昭和殉難者」として靖国神社に合祀された。

 昭和天皇は、戦後8回にわたり靖国神社を参拝されたが、75年11月の参拝が最後となった。今の陛下も、即位後は参拝されていない。

 一方、三木首相による75年の靖国神社参拝を契機に、公人としての参拝か私人としてかが、政治問題化した。

 昭和天皇が参拝されない理由は「A級戦犯合祀」なのか、「公人・私人」の政治問題を避けるためなのか。二説があったが、憶測の域を出なかった。メモの発見により、一つの区切りがついた。

 富田メモには「A級が合祀され その上 松岡、白取までもが」とある。松岡洋右元外相と白鳥敏夫元駐イタリア大使を指したものだろう。2人は、日独伊三国同盟の締結を推進し、そのことが日米開戦の大きな要因ともなった。

 90年に公表された「昭和天皇独白録」の中で、昭和天皇は松岡元外相について「『ヒトラー』に買収でもされたのではないか」と厳しく批判している。

 昭和天皇は、一貫して戦争を回避することを望みながら、立憲君主としての立場を踏まえて積極的な発言は控えたとされる。その立場から、戦争責任を問われるべき指導者の合祀に納得できなかったということだろうか。

 別の資料だと、同じ「A級戦犯」でも、木戸幸一元内大臣については、「米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者なり」と語ってもいる。

 富田メモは、「A級戦犯」分祀論議にも一石を投じることになろう。

 だが、靖国神社は教義上「分祀」は不可能としている。政治が宗教法人である靖国神社に分祀の圧力をかけることは、憲法の政教分離の原則に反する。麻生外相は、靖国神社を国の施設にすることを提案しているが、これも靖国側の意向を前提としない限り不可能だ。

 靖国神社には、宗教法人としての自由な宗教活動を認める。他方で、国立追悼施設の建立、あるいは千鳥ヶ淵戦没者墓苑の拡充などの方法を考えていく。

 「靖国問題」の解決には、そうした選択肢しかないのではないか。