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折々の記 2003 A

折々の記:…2003…【心に浮かぶよしなしごと】

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【 06 】06/01〜

  06 01(日) The Blind Men and the Elephant
  06 02(月) 特設人権相談
  06 04(水) 戦前の糸姫の歌●習字の題材:雑学

 06 01(日)The Blind Men and the Elephant

「めくらとぞう」子供の頃学校で聞いた話である。それがジャパンノレッジ内をジャンプしていて出会った。

情報はすべて正しければ世話はないが、あらゆる分野から、あらゆる角度付けで、何らかの価値基準の判断によって編集され、情報として一人一人の(大脳という)データーバンクに取り込まれる。そしてそのデータの中から己自身の思考がすすめられ、外部へ言葉として或は文字として伝えられる。

事実は事実なんだろうけれど、それぞれの情報表現は異なる価値基準によって報道されているのである。正しいとか正しくないとかを問題にすることはナンセンスで、どういう価値基準によって事象をとらえ伝達しているかこそ問題なのである。

そんな意味では、誰もが消化不良に陥る。

参考までにジャパンノレッジのデータをあげておく。

  http://www.japanknowledge.com/cgi-bin/auth/common.cgi「インドの6人の盲人」

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●6人の盲人と象…The Blind Men and the Elephant

南インドの海遊漁民タミール族の「6人の盲人が象を触って、それぞれ触ったところによって異なった全体像を想像した」ということわざで、米国の詩人John Godfrey Saxe(1816-1887)が現代英語に翻訳して、実際に触っても、全体を見ることができなければ、それぞれが触った部分から勝手に全体を想像することになり、理解は10人10色であるという「ことわざ」として世界中に知られるようになった。

It was six men of Indostan to learning much inclined Who went to see the elephant though all of them were blind, That each by observation might satisfy his mind.

The First approached the elephant, and happening to fall Against his broad and sturdy side, at once began to bawl: 'God bless me! But the elephant is very like a wall!'

The Second, feeling of the tusk, cried, 'Ho! What have we here So very round and smooth and sharp? To me 'tis mighty clear This wonder of an elephant is very like a spear!'

The Third approached the animal, and happening to take The squirming trunk within his hands, thus blodly up and spake: 'I see,' quoth he, 'the Elephant is very like a snake!'

The Fourth reached out an eager hand, and felt about the knee, 'What most this wondrous beast is like is mighty plain,' quoth he; ' 'Tis clear enough the Elephant is very like a tree!'

The Fifth, who chanced to touch the ear, Said: 'E'en the blindest man can tell what this resembles most; deny the fact who can This marvel of an elephant is very like a fan!'

The Sixth no sooner had begun about the beast to grope, than, seizing on the swinging tail that fell within his scope, 'I see,' quoth he, 'the Elephant is very like a rope!'

And so these men of Indostan disputed loud and long, each in his own opinion exceeding stiff and strong, though each was partly in the right, and all were in the wrong!

Moral:

So oft in theologic wars, the disputants, I ween, rail on in utter ignorance of what each other mean, and prate about an elephant; not one of them has seen!

この話は各自が実際に観察して納得しようとして、盲人だったけれども像を見に行った学問好きな六人のインド人のお話です。

一番目の人は、象に近づくなりその幅広いどっしりした脇腹にもたれかかり、すぐ大声で言いました。
「何ということだ、象は壁のようなものだ」

二番目の人は、牙に触ってから大声で言いました。
「ホォー! 丸くて滑らかで先が尖っている、これは一体なんだろう? わかったぞ、象は槍のようなものなんだ!」と。

三番目の人は、象に近づいていって両手でブラブラしている鼻を手にして言いました。
「わかったぞ。象というのはまるで蛇に似ているよ。」と。

四番目の人は、静かに手を伸ばして象の膝を探しあて、
「この不思議な動物が似ているものと言えば、えらい判りやすいもので、象はまさに木のような動物だよ。」と言いました。

五番目の人は、偶然、耳に触って言いました。
「一番目の悪い人でさえ、象が何に似ているか言い当てれるともさ。象が団扇うちわのようなものだという驚くべき事実誰が否定できようか。」と。

最期の六番目の人は、象を手探しし始めると程なく手に触れたブラブラしている尻尾をつかんで、
「判ったぞ、象というのはちょうどロープのようなものさ」と言いました。

こんなふうにして六人の盲人は、それぞれ部分的には正しく相対的には正しくなかったけれども、自分の意見を理不尽にも限度を超えてまで主張し、大声で長い時間議論をしたのです。

教訓:

よく神学上の論争の中で、当の討論者は相手が何を言っているのかお構いなしにののしりあう様は、盲人と象についての話と同じだと思います。誰一人として象の全体を理解していないのにですよ!〔日本語はてまえ訳〕

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 06 02(月)特設人権相談

今日は特設人権相談日である。

      人権については、法令関係はどうなっているかという面と、
      望ましい人間関係のあり方はどうしたらいいのかという面の
      の二面から考え実践していけばいい。
      ここでは、中学生が自分でこの二面から人権意識を深めてい
      く場合の法令関係や社会事象のデータを拾い出してみた。ま
      だ多くの関連サイトがある。自分で求めていくことをお勧め
      したい。
      望ましい人間関係については、対人関係はどうあったらいい
      かという課題であり、自己内部のことと自分の相手のことと
      二つの課題に分かれる。
      自分を知るということは、昔からの課題であり、宗教の分野
      で理解を深める方法や、論理的に或は哲学的に理解を深める
      方法や、生体科学としての理解を深める方法など、いろいろ
      ある。
      更にまた、人の琴線にれるような対人関係の機微は、文学作
      品から得ることが多く、また直接相手から感化を得ることも
      多い。
      自分を知りたいならば、生まれ出でて今日までその歩みに目
      を向けなければならない。この分野の方法から言えば、まず
      は基本的な考え方といえましょう。

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  【参考データ】… 法令関係や社会事象のデータ

日本国憲法  http://www.houko.com/00/FS_ON.HTM
前文には・国民主権・平和主義・基本的人権が基本になることが表記されている。

人権擁護局  http://www.moj.go.jp/JINKEN/
・全国中学生人権作文コンテスト
・ 人権擁護に関する世論調査
   2. 主な人権課題に関する意識について

世界人権宣言 
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/udhr/
同宣言案は、1948年12月10日に第3回国連総会において「世界人権宣言」(Universal Declaration of Human Rights)として賛成48、反対0、棄権8(ソ連、ウクライナ、白ロシア、ポーランド、チェコスロバキア、ユーゴスラビア、サウジアラビア、南アフリカ)、欠席2(ホンジュラス、イエメン)で採択されました。同宣言は、人権及び自由を尊重し確保するために、すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準を定めたものです。なお、1950年の第5回国連総会において、毎年12月10日を「人権デー」(Human Rights Day)として、世界中で記念行事を行うことが決議されました。

☆世界人権宣言とは
第二次世界大戦は5,600万人を越える犠牲者を出した悲惨な戦争でした。
この厳粛な経験から、二度と戦争を起こさないためには、全世界で基本的人権が確立されなければならない、ということが理解されました。
そこで、世界各国の人々及び国が達成すべき基本的人権の基準を宣言したのが、「世界人権宣言」です。
世界人権宣言の基本にあるのは、すべての人間は生まれながらにして自由であり平等である、という理念です。
そして、基本的人権は、いかなる差別を受けることなく享有できなければならない、と宣言しています。

児童の権利に関する条約  http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jido/

日本ユネスコ国内委員会
  http://www.mext.go.jp/unesco/
  ユネスコ関係の法令
    ユネスコ憲章 
http://www.mext.go.jp/unesco/horei/kensyo.htm#top

   戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に
   平和のとりでを築かなければならない。

   相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世
   界の諸人民の間に疑惑と不信をおこした共通の原因であり、
   この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしば
   しば戦争となった。

   ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・
   相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の
   代りに、無知と偏見を通じて人間と人種の不平等という教義
   をひろめることによって可能にされた戦争であった。

英文 ユネスコ憲章前文
 
http://www.ai.wakwak.com/~yoshi-shimo/moto.136.html
 〔ヘルマータ(~)は【shift】+【へ・キー】で印字される〕

国際連合憲章
 
http://133.95.147.169/webtreaty/human%20rights/unchart.htm

「爆弾はいらない 子どもたちに明日を」
  イラクへの侵略および占領に反対するサイトです
 
http://homepage2.nifty.com/mekkie/peace/iraq/

アサヒコム「北朝鮮拉致事件」のサイト
 全体の経過を知っておく必要がある。
 
http://www.asahi.com/special/abductees/

北朝鮮による日本人拉致問題総合情報サイト
 
http://dprk.yellowbirds.org/

朝鮮日報 政治サイト
 
http://japanese.chosun.com/politic/

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 06 04(水)戦前の糸姫の歌

題名は何と言うのだろうか。
歌詞はわかるだろうか。

   信濃乙女は 糸繰るおとめ         これは三番のようです。
   モダン都は 思わず暮らす
   蚕休みに ちょいと出て会おうか
   山の桑畑 月明かり
   信濃よいとこ 糸のくに糸のくに

   信濃みずうみ 朧に暮れて
   末世衆生は 思わず暮らす         これは二番のようです。
   ………?

製糸工場で歌われていたと思われます。下伊那で知っている方もいると思われますが、どうも判らないようです。
判ったら申し訳ありませんが、ご連絡願います。

私の同級生からお聞きした話なのですが、あちこち当たってみましたが判りません。

●習字の練習題材に選んだもの

東照宮遺訓

人の一生は重荷を負うて遠き路をゆくが如し、急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし。心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。勝つことばかり知りて負くることを知らざれば害その身に至る、己を責めて人を責むるな、及ばざるは過ぎたるに勝れり。

つれづれ草

つれづれなるままに、日暮らし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

方丈記

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世中にある人と栖と、またかくのごとし。

祇園精舎

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表わす。奢れる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き者も遂には亡びぬ、偏に風の前の地利に同じ。

枕草紙

春はあけぼの。やうやうしろくなり行く、山ぎはすこしあかりて、むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる。
夏はよる。月の頃はさらなり、やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。また、ただひとつふたつなど、ほのかにうちひかりて行くもをかし。雨など降るもをかし。
秋は夕暮。夕日のさして山のはいとちかうなりたるに、からすのねどころへ行くとて、みつよつ、ふたつみつなどとびいそぐさへあはれなり。まいて雁などのつらねたるが、いとちひさくみゆるはいとをかし。日入りはてて、風の音むしのねなど、はたいふべきにあらず。
冬はつとめて。雪の降りたるは……

●雑学の一端として知っていても良いと思われたもの

貧窮問答歌……形式は長歌と反歌:五七調や七五調表現と和歌

風雑(マジ)へ 雨降る夜の 雨雑へ 雪降る夜は 術(スベ)もなく
寒くしあれば 堅塩(カタシオ)を 取りつづしろひ 糟湯酒(カスユザケ)
うち啜(スス)ろひて 咳(シワブ)かひ 鼻びしびしに しかとあらぬ
鬚(ヒゲ)かき撫でて 我(アレ)を除(オ)きて 人は在らじと 誇ろへど
寒くしあれば 麻衾(アサブスマ) 引き被(カガフ)り 布肩衣(ヌノカタギヌ)
有りのことごと 服襲(キソ)へども 寒き夜すらを 我(ワレ)よりも
貧しき人の 父母は 飢ゑ寒(コゴ)ゆらむ 妻子(メコ)どもは
吟(ニヨ)び泣くらむ 此の時は 如何(イカ)にしつつか 汝(ナ)が世は渡る

天地は 広しといへど 吾(ア)が為(タメ)は 狭(サ)くやなりぬる
日月(ヒツキ)は 明(アカ)しといへど 吾(ア)が為は 照りや給はぬ
人皆か 吾(アレ)のみや然る わくらばに 人とはあるを
人並(ヒトナミ)に 吾(アレ)も作るを 綿も無き 布肩衣の
海松(ミル)の如(ゴト) わわけさがれる 襤褸(カカフ)のみ
肩にうち懸け 伏廬(フセイオ)の 曲廬(マゲイオ)の内に 直土(ヒタツチ)に
藁解き敷きて 父母は 枕の方に 妻子(メコ)どもは 足(アト)の方に
囲み居て 憂え吟(サマヨ)ひ 竈(カマド)には 火気(ホケ)ふき立てず
甑(コシキ)には 蜘蛛(クモ)の巣懸(カ)きて 飯(イイ)炊(カシ)く
事も忘れて ぬえどりの 呻吟(ノドヨ)ひ居(オ)るに いとのきて
短き物を 端(ハシ)截(キ)ると 云へるが如く 楚(シモト)取る
里長(サトオサ)が声は 寝屋戸(ネヤド)まで 来立ち呼ばひぬ
斯くばかり 術(スベ)無きものか 世間(ヨノナカ)の道

 世間(ヨノナカ)を憂(ウ)しとやさしと思へども
   飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

十七条憲法……古代国家の成立にかかわった聖徳太子の願い

一に曰く、和なるを以て貴しとし、忤(サカ)ふることなきを宗とせよ。
二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝とは仏・法・僧なり。
三に曰く、詔を承りては必ず謹め。

女大学……家族制度のなかでの女性

一 夫(ソレ)、女子(ニヨシ)は成長して他人の家へ行、舅・姑に仕るものなれば、男子
  よりも、親の教ゆるがせにすべからず。父母寵愛して恣に育ぬれば、夫の家に
  行て必気随にて、夫に疎まれ、又は舅の誨正しければ、堪へ難く思ひ、舅を恨
  誹り、中悪くなりて、終には追出され、恥を曝す。
一 女は容(カタチ)よりも、心の勝(マサ)れるを善(ヨシ)とすべし。一 女子は稚(イトケナキ)
  時より、男女の別(ワカチ)を正しくして、仮初(カリソメ)にも戯(タワブレ)たることを見
  聞しむべからず。古しへの礼に男女は席を同じくせず。衣裳をも同じ処に置ず。
  をなじ所にて浴せず。物を請取わたすことも、手より手へ直にせず。
一 女子は、我家にありては、わが父母に専孝を行ふ理なり。されども夫の家に行
  ては、舅姑(シユウトシユウトメ)をわが親よりも重じて、厚く愛しみ敬ひ、孝行を尽す
  べし。親の方を重じ、舅の方を軽ずることなかれ。
一 婦人は別に主君なし。夫を主人と思ひ、敬ひ慎て事(ツカウ)べし。軽しめ侮るべ
  からず。惣じて婦人の道は、人に従ふにあり。
一 兄公(コジユウト)・女公(コジユウトメ)は、夫の兄弟なれば敬べし。
一 嫉妬の心、努(ユメ)〓〓発(オコ)すべからず。男淫乱ならば、諫べし。怒怨べから
  ず。若(モシ)夫不義過(アヤマチ)有ば、わが色を和らぎ、声を雅(ヤワラカ)にして、諫(イ
  サム)べし。
一 言語(コトバ)を慎(ツツシミ)て多くすべからず。仮にも人を誹り、偽を云べからず。
一 女は常に心遣して、其身を堅く謹み護るべし。朝は早く起、夜は遅く寝、昼は
  いねずして、いゑの内の事に心を用ひ、織・縫・績(ウミ)・緝(ツムギ)、怠るべか
  らず。亦茶・酒など多く呑べからず。歌舞妓・小歌・浄るりなどの淫(タワ)れた
  る事を、見聴べからず。宮・寺など、都(スベ)て人のおほくあつまる処へ、四
  十歳より内は、余りに行べからず。
一 巫(ミコ)・覡(カンナギ)などのことに迷ひて、神仏を汚し近付、猥(ミダリ)に祈るべ
  からず。只人間の勤をよくする時は、祷らずとても、神仏は守給ふべし。
一 人の妻と成ては、その家をよく保べし。
一 若き時は、夫の親類・友達・下部(シモベ)等の若き男には、打解たる物語、近付
  べからず。男女の隔(ヘダテ)を固(カタク)すべし。
一 身の荘(カザリ)も衣裳の染いろ模様なども、目にたゝぬやうにすべし。
一 我郷(ワガサト)の親の方に私(ワタクシ)し、夫の方の親類を次にすべからず。
一 下女をつかふに心を用ゆべし。(下略)

教育勅語……江戸初期の中江藤樹(陽明学派の儒学者)の影響も?

   勅語

朕(チン)惟(オモ)フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇(ハジ)ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹(タ)ツルコト深厚ナリ我カ臣民克(ヨ)ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥(ソ)ノ美ヲ済(ナ)セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス爾(ナンジ)臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵(シタガ)ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是(カク)ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン
斯(コ)ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通(ツウ)シテ謬(アヤマ)ラス之ヲ中外ニ施シテ悖(モト)ラス朕爾臣民ト倶に拳々服膺シテ咸(ミナ)其徳ヲ一(イツ)ニセンコトヲ庶幾(コイネガ)フ
  明治二十三年十月三十日    御名御璽

学問のすすめ……福沢諭吉

天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり。
されば天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、生れながら貴賎上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働を以て天地の間にあるよろづの物を資り、以て衣食住の用を達し、自由自在、互に人の妨をなさずして各安楽にこの世を渡らしめ給ふの趣意なり。
されども今広く此人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、其有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。其次第甚だ明なり。 実語教に、人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由て出来るものなり。又世の中にむづかしき仕事もあり、やすき仕事もあり。其むづかしき仕事をする者を身分重き人と名づけ、やすき仕事をする者を身分軽き人と云ふ。都て心を用ひ心配する仕事はむづかしくして、手足を用る力役はやすし。

「君死にたまふことなかれ」……与謝野晶子
 
http://www.biwa.ne.jp/~kamiya/study/log/5.html

   あゝをとうとよ、君を泣く、
   君死にたまふことなかれ、
   末に生れし君なれば
   親のなさけはまさりしも、
   親は刃をにぎらせて
   人を殺せとをしへしや、
   人を殺して死ねよとて
   二十四までをそだてしや。〔七五調新体詩〕

五箇条の御誓文……明治政府の基本方針

一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フベシ
一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ゲ人心ヲシテ倦マザラシメン事ヲ要ス
一 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ
一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ
我国未曾有ノ変革ヲ為ントシ、朕躬ヲ以テ衆ニ先ンジ、天地神明ニ誓ヒ、大ニ斯国是ヲ定メ、万民保全ノ道ヲ立ントス。衆亦此旨趣ニ基キ協心努力セヨ。




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