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折々の記 2003 A

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】04/19〜       【 02 】05/01〜
【 03 】05/11〜       【 04 】05/19〜
【 05 】05/28〜       【 06 】06/01〜
【 07 】06/06〜        【 08 】06/09〜


【 01 】04/19〜

  04 19(土) 堀越:笹見平の桜
  04 20(日) 長野マラソン
  04 22(火) 小諸夫妻の結婚記念日
  04 27(日) 馬篭宿
  04 28(月) 蘭ミュージアムと俊成誕生日 ●フクシア
  04 29(火) みどりの日 ●氏神様の桜

 04 19(土) 堀越:笹見平の桜

 春を訪ねるに先ず近くをみよ、フキノトウがそうであり、フクジュソウがそうである。

 桜を訪ねんとして名木を求めず。

 今日の南信州に「笹見平のシダレザクラ」(16日撮影)として、…別名「観音堂の桜」樹齢300年以上と見られ、整った樹形として知られる…と紹介していた。

 早速出かけていって見ると、すでに4人撮影を狙って人がきていた。この映像は私がカメラに収めたものである。


標札には次のように記されている。

〔笹見平の観音桜〕

鎌倉末期の武将で、信濃の人とされる村上義光とその子の義隆の一族郎党は、護良親王に仕えていた。義光は一三三一年〜一三三三年(元弘元年〜元弘三年)元弘の変で吉野陥落に際し親王の身替りとなって自刃し、義隆は護良親王を逃がした後に同じく自刃したと言われている。

その後、その一族郎党の一部が、闘いを避けて、もともと縁のあった北信濃へ落ち延びる途中に、伊那谷の奥地へ入り、そこに定住したということである。
この桜は、この一族が墓を作った際に植えたとされている。

●ちなみに南信州新聞には南信州観光公社調べによる「桜守の旅ガイド」が掲載されており、開花の様子を報知している。次のようなリストになっている。

No 市町村   一般名        開花状況(4月16日現在)
01 大鹿村   大西公園の桜     咲き始め
02 松川町   原田の桜       満開
03 松川町   生田円満坊の桜    満開
04 高森町   瑠璃寺の桜      満開
05 高森町   高森南小学校の桜   満開
06 喬木村   氏乗の桜       5分咲き
07 豊丘村   笹見平の桜      満開近し
08 清内路村  黒船桜        つぼみ
09 清内路村  清南寺の夫婦桜    つぼみ
10 清内路村  説教所の大桜     つぼみ
11 阿智村   駒つなぎの桜     4/20〜4/26
12 浪合村   御所桜        4/25〜5/01
13 根羽村   取手の枝垂桜     つぼみ
14 下条村   手塚原家の桜     満開
15 阿南町   林松寺の桜      つぼみ
16 阿南町   愛宕神社の桜     つぼみ
17 売木村   観音堂の桜      4/20〜4/26
18 天龍村   伊那小沢の寒桜    散り始め
19 天龍村   平岡の桜       満開
20 泰阜村   桜基の桜       咲き始め
21 南信濃村  遠山桜        散り始め
22 飯田市   正永寺の枝垂桜    落花盛ん
23 飯田市   黄梅院の枝垂桜    満開
24 飯田市   専照寺の枝垂桜    満開
25 飯田市   安富桜        満開
26 飯田市   清秀桜        満開
27 飯田市   阿弥陀寺の枝垂桜   散り始め
28 飯田市   麻績神社の枝垂桜   散り始め
29 飯田市   桜丸の夫婦桜     満開
30 飯田市   三石の枝垂桜     散り始め
31 飯田市   川路の糸桜      落花盛ん
32 飯田市   野底山森林公園の山桜 4/25〜5/02
33 飯田市   天竜峡の桜      満開
34 飯田市   元善光寺の紅枝垂桜  散り始め
35 飯田市   大宮の桜並木     満開

●同様に南信州新聞には「銘桜めぐり」が掲載されており、画像に添えて寸評を付し紹介している。次のようなリストになっている。

01 飯田市  黄梅院のシダレザクラ(9日撮影)
         飯田市江戸町・山門脇に植えられたベニヒガン系の銘木で、
         紅梅を思わせる赤みの濃い花・目通り周囲約5.5m、高さ約
         18m、推定樹齢400年・同寺が島田村(現松尾)から現在地
         に移った天正10(1582)年以降に植えられたと推測される
02 天龍村  平岡の桜(9日撮影)
         天龍村平岡・平岡発電所構内に植えられている約100本の桜
         群・樹齢は50年前後・ソメイヨシノ
03 飯田市  天竜峡の桜(9日撮影)
         飯田市川路・天竜峡公園に植えられている・桜のあとは飯
         田市花ミツバツツジが藤色の花をつける・シダレザクラ
04 南信濃村 遠山桜(9日撮影)
         南信濃村和田・「かぐらの湯」向かいの遠山川沿道に植え
         られている桜群・神々の里、遠山谷を彩る・ソメイヨシノ
05 飯田市  くよとのシダレザクラ(10日撮影)
         飯田市毛賀・遠州街道沿いの「くよと」と呼ばれる供養塔
         群の脇に位置・推定樹齢は350年、胸高周囲4.0m、高さ20
         m、市天然記念物指定・15mを超える枝が街道を覆う
06 飯田市  川路の糸桜(9日撮影)
         飯田市川路・国道151号沿いにある推定樹齢350年のシダレ
         ザクラ・胸高周囲3.0m、樹高10m・長年の風雪に耐え、先
         端は枯れ朽ちている
07 飯田市  麻績のヤエシダレベニヒガン(11日撮影)
         飯田市座光寺・旧麻績学校校庭に植えられている・シダレ
         ザクラだが八重咲きで、優れた樹形と濃い紅色が特徴・胸
         高周囲2.2m、樹高12m、明治28年に植樹
08 飯田市  愛宕神社の清秀桜(10日撮影)
         飯田市愛宕町・愛宕神社境内にある市天然記念物指定のエ
         ドヒガン・桜では市内最古の樹齢約750年で、濃いヒンク色
         の花が特徴・胸高周囲6.0m、高さ11.0m
09 飯田市  長姫の安富桜(10日撮影)
         飯田市追手町・飯田市美術博物館前にある県指定天然記念
         物のエドヒガンで、県内でも誉れ高い銘木・推定樹齢400年、
         胸高周囲5.5m、樹高20m
10 飯田市  阿弥陀寺のシダレザクラ(10日撮影)
         飯田市丸山町・鐘楼南側にある推定樹齢400年の古木で、飯
         田城主脇坂氏お手植えとされる・樹勢がよく、シダレザク
         ラ特有の樹形に整っている・市天然記念物指定
11 飯田市  正永寺のシダレザクラ(10日撮影)
         飯田市江戸町・本堂脇の推定樹齢400年以上の古木・胸高周
         囲3.8m、高さ15m・片側だけに張り出した枝に咲く花は、
         大瀑布を思わせる
12 飯田市  三石のシダレザクラ(13日撮影)
         飯田市下久堅知久平・旧秋葉街道沿いの三石脇に植えられ
         ている・推定樹齢300年、樹高約15m・巨石との調和が美し
         い
13 飯田市  専照寺のシダレザクラ(10日撮影)
         飯田市伝馬町・本堂正面に釈迦牟尼佛を覆うようにしだれ
         る、推定樹齢400年の古木・胸高周囲4.5m、樹高10m
14 飯田市  龍門寺のシダレザクラ(10日撮影)
         飯田市松尾上溝・同寺が現在地に移築された貞享3(1684)
         年以降の植樹を想定すると、300年余経つ・周囲の植え込
         みも目を引く
15 飯田市  大願寺のエドヒガン(13日撮影)
         飯田市龍江・芦の口区の同寺北西に枝を大きく伸ばした桜
         胸高周囲3.5m、樹高20m、推定樹齢250年
16 飯田市  飯沼諏訪神社の桜群(13日撮影)
         飯田市上郷飯沼・200段を越える石段両脇のソメイヨシノ・
         石段が作られた明治時代の植樹とされる・高さ15mのシダ
         レザクラもある
17 飯田市  飯田合庁のシダレザクラ(16日撮影)
         飯田市追手町・県飯田合同庁舎東側の旧飯田城桜丸跡地に
         植えられている・高さ10m、胸高周囲5.0m、推定樹齢は
         400年
18 飯田市  小林のエドヒガン(16日撮影)
         飯田市下久堅小林・小林区の農業生活改善センター庭の土
         手にある・胸高周囲3.5m、樹高7.0m、推定樹齢250年
19 飯田市  大御堂(御見堂)の桜(16日撮影)
         飯田市山本・美濃地方に通じる旧道沿いにたたずむ樹齢300
         年を超える古木・奇岩のような幹の貫禄は一見の価値あり
20 高森町  瑠璃寺のシダレザクラ(13日撮影)
         高森町大島山・鎌倉幕府初代将軍源頼朝の手植えという伝
         説が残っている・現在は五代目・推定樹齢250年
21 下条村  手塚原家のエドヒガン(16日撮影)
         下条村陽皐・入登山神社参道沿いにある、推定樹齢350年
         の古木・樹高20m、周囲4.0m・京都から持ち帰ったとい
         う伝説もある
22 豊丘村  笹見平のシダレザクラ(16日撮影)
         豊丘村堀越・別名「観音堂の桜」・樹齢300年以上と見ら
         れ、整った樹形で知られる
23 泰阜村  桜基公園のエドヒガン(16日撮影)
         泰阜村万場・近くの塚とともに村史跡指定・初代は鎌倉時
         代に植えられたとされ、現在は二代目・高さ11m、周囲
         3m、推定樹齢250年
24 喬木村  氏乗のシダレザクラ(18日撮影)
         喬木村氏乗・旧氏乗分校の校庭脇に植えられている・青空
         に浮き立つ紅色の花は絶品
25 大鹿村  大西公園ソメイヨシノ(18日撮影)
         大鹿村大河原・昭和36年の水禍による犠牲者を慰霊して植
         えられた桜・かぶき桜の異名も
26 阿南町  林松寺のシダレザクラ(17日撮影)
         阿南町和合・伝統行事「念仏踊り」の山里、和合地区の林
         松寺に植えられている古木・樹勢は衰えている
27 飯田市  越久保のシダレザクラ(19日撮影)
         飯田市上久堅越久保・小川路街道脇の推定樹齢350年の古木
         隣に咲く白モクレン(同300年)とのコントラストはみごと
28 清内路村 下清内路の黒船桜(20日撮影)
         清内路村・黒船来航にちなんで植えられたといわれる樹齢
         約160年のシダレザクラ・美しい樹形
29 阿南町  矢野のエドヒガン(23日撮影)
         阿南町新野・新野矢野の愛宕神社に植えられている・推定
         樹齢350年・素朴で優美な味わいがある
30 根羽村  取手のシダレザクラ(22日撮影)
         根羽村取手・国道153号沿い取手神社の古木・近くに国内
         有数の巨木「月瀬の大杉」もある
31 売木村  観音堂のエドヒガン(23日撮影)
         売木村南二・観音堂境内に植えられている古木・近くの宝
         蔵寺の桜もみごと

●桜のどの木も、光や温度を感じ取って花を咲かせる。
 草木の命は、感覚器官が優れておって、春を感じて花を開く。

 04 20(日) 長野マラソン

今日はあいにくの天気になった。竹の子や蕗、茗荷の子など、旬のものをいつも頂いているので、夕方から私製ギョーザを作って奥山さんをお招きするようにした。

 04 22(火) 小諸夫妻の結婚記念日

桜の幹に時の流れを見ることができると同じように、人の生涯もまた時の流れが脳裏に刻まれてゆく。歴史に足跡を残すという言葉が使われたり、風雪に耐えて云々といわれたり、ゆく川の水は絶えずしてと言われたりするが、桜の年輪とかわらない。

一本の桜の木には記録とてないが、年輪が残っている。生涯も記録していけばその姿は残らないが記録が残ってゆく。

昔の人の多くは記録とてないが、一部の事象や人の生涯は和紙に筆墨で書いたものに限って記録として残っている。

一般には流れに浮かぶうたかたの如く、生涯というものはかつ消えかつ生まれてとどまることなしと言われるに、その形跡を留めることはない。

人の文化は記録の面において、革命的といえるほど進み、大きな歴史事象にかかわることは勿論であるが、個人の生涯にしても文字や映像として残ることができるようになった。

人間の活動は大脳活動であるから、自己理解の上から先祖の事を知ることも大事になってくる。人が何を考えて生きてきたのか、数百年経ても記録があれば知ることができる。

カール・ビッテの教育に対する考え方は、記録があったればこそ人の役に立っている。
だれでもビッテのようにというのではない。記録は大脳活動の上からは基本的にだいじなのである。自分を支えている大脳は直接の宿業伝承と共に「活字」が源泉となっていることをみれば、記録の意味がよくよく判ってくる。

自分の記録と共に孫の記録も気をつけて書いていってほしい。

●朝日新聞の「シリーズ転機の教育」が、教育力の題名で連載し始めた。
一連の関係資料をプリントアウトする予定でいる。

 04 27(日) 馬篭宿

愛子と私達夫妻三人で「馬篭宿」を訪れた。
中津川市と合併するかもしれないので、長野県の地域のうちにという気持ちも手伝ったが、第一には愛子にも知っておいてほしかったからである。

藤村記念館のサイトで調べて行くとよい。
 http://www.cnet-kiso.ne.jp/t/toson/〈藤村記念館〉
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〈藤村のプロフィール〉
明治5年、長野県西筑摩郡馬籠村(現・木曽郡山口村神坂馬籠)に生まれる。
本名島崎春樹。生家は江戸時代、本陣、庄屋、問屋をかねた旧家。 父正樹、母ぬいの間の末子。
9歳で学問のため上京、同郷の吉村家に寄宿しながら日本橋の泰明小学校に通う。明治学院普通科卒業。
明治女学校、東北学院、小諸義塾の英語、国語教師として教鞭をとるかたわら「文学界」で北村透谷らとともに浪漫派詩人として活躍、明治30年には詩集『若菜集』を刊行。随想集『千曲川のスケッチ』をへて小説『破戒』を自費出版した。
『春』『家』などの自伝的作品を発表して自然主義を代表する作家となった。
大正2年フランスへ渡り、 第一次世界大戦に遭遇し帰国。 童話集『幼きものに』、紀行文集『海へ』『エトランゼエ』『佛蘭西だより』、小説『新生』などを刊行した。昭和4年、長編『夜明け前』を発表し、歴史小説として高い評価を受ける。
昭和18年『東方の門』執筆中に脳溢血で倒れ永眠。 神奈川県大磯町、地福寺に埋葬される。馬籠の菩提寺永昌寺には分骨として、 遺髪・遺爪が埋葬される。

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記念館入口の正面の白壁に、

  血につながるふるさと
  心につながるふるさと
  言葉につながるふるさと

という藤村の言葉を記した朱塗りの扁額がある。

木曽川沿いの上松小学校には、

  山は静かにして
  性をやしない
  水は動いて
  情をなぐさむ

という色紙大の石碑があった。

こちらは、学校長にお願いすれば、拓本をとらしてもらえると思う。
馬篭宿の石畳の道は長灰石がはいった石が敷詰められていた。この石は馬篭の近くの折坂川から皆が運んできて敷いたと記念館入り口のお姉さんに教えてもらった。珍しいのである。

 04 28(月) 蘭ミュージアムと俊成誕生日

●フクシア……「蘭ミュージアム」の一品〔逸品〕

※ 写真を誤って消去してしまいました。
  いずれ、復帰させる予定です。

午前中は客人と孫たちを連れて「蘭ミュージアム」ヘ行ってきた。何回にもなるので年間入場券をもらうことにした。
この映像は、画像処理をしていたとき目を引いた一枚だった。普通見ただけではこれほど綺麗だとは気がつかない花だった。ヤァー驚きだった。

蘭の知識のない私にとっては名前はもちろん判らなかった。判ったときでいいと思っていたら、計らずも5月27日山中湖の「花の都公園」のパンフレットに載っているのを見つけた。その名前は「フクシア」であった。

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フクシア Fuchsia hybrida Voss.…… 日本大百科全書

アカバナ科の落葉低木。ホクシャともいう。熱帯アメリカ、南アメリカ、ニュージーランドなどに多くの種が分布するが、そのうちの数種を親として改良された園芸植物。普通は温室内で栽培し、鉢植えにして観賞される。葉は対生し、卵状披針(ひしん)形で縁(へり)に鋸歯(きよし)がある。花は径3〜6センチで美しく、枝先の葉腋(ようえき)に細長い柄を出して垂下する。萼(がく)の下部は筒状、上部は四片に分かれて赤色、花弁は四枚で紫紅色である。ほかに、萼が白色や桃色のもの、花弁が紫、紅、桃、白色のものなどがある。雄しべは8本で雌しべとともに長く突き出ている。花期は普通は4〜6月を中心に3〜11月。八重咲き品種もある。
粘質壌土に腐葉と川砂を混ぜた土で鉢植えにし、適時、芯(しん)を摘んで育てる。高温と乾燥に弱く、夏は涼しい場所に置く。繁殖は挿芽により、秋から春先に温室内で行う。[松岡清久]

フクシア【(ラテン)Fuchsia】……大辞泉
アカバナ科フクシア属の落葉中低木の総称。葉は楕円形。春から夏、基部が筒状で上部が四裂する萼(がく)をもつ四弁花が垂れ下がって咲き、雄しべ・雌しべとも長く、突き出る。園芸植物とし、花期は春から夏で、花色は紫・紅・白色などがある。中南米などに分布。ホクシャ。《季 夏》

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南アルプスが一望できるのも地の利を得ている。

今日は俊成の誕生日であった。孫たちはバースデーケーキを楽しみに待っていたようである。
いつもママが手作りしていたが、時間がなくて市販のもので代用した。
誕生日を待たれることはいいことだ。
いろいろと考えようがあるけれど、ほかのご馳走があるからバースデーケーキを省略するというその時になっての大人の発想は間違っている。
孫たちの気持ちを大事にしてあげることがいい。

 04 29(火) みどりの日

今日は氏神様の日で、みどりの日でもある。

きょうは何の日」を見ると、次のように説明がある。

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みどりの日(Greenery Day)

自然に親しむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ国民の祝日。
1989(昭和64)年1月7日の昭和天皇崩御の後、それまでの天皇誕生日を「生物学者であり自然を愛した昭和天皇をしのぶ日」として「緑の日」とすることとなりました。しかし、実際に制定された法律では、昭和天皇を偲ぶという趣旨は盛り込まれませんでした。このため、「昭和の日」に改称する法律案が超党派の国会議員により提出されましたが、廃案になりました。

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詳しい説明はつぎのサイト

   http://nannohi.jp/04/29.html

●氏神様の桜はみごとになってきた。

※ 写真を誤って消去してしまいました。
  いずれ、復帰させる予定です。

氏神様の祭は4月29日に決めてきた。今年は忠平神官の長男が10時にきてくれた。この画面は4人残っていたときのもので、ほめた撮影ではなかった。



【折々の記 2003 Aへ】