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折々の記 2002 @

折々の記:…2002…【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】08/30〜       【 02 】09/10〜
【 03 】09/24〜       【 04 】10/06〜
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【 07 】11/12〜       【 08 】12/01〜


【 03 】09/24〜

  09 24(火) 与党の非難だけでは魅力がマイナス
  09 25(水) 赤い花なら曼珠沙華 ●曼珠沙華
  09 27(金) 静かな花と「夢の箱」 ●水引草
  09 28(土) 名水猿庫の泉 ●湧泉池
  10 01(火) 小諸の孫と中棚荘
  10 02(水) 自然のエネルギー

 09 24(火)与党の非難だけでは魅力がマイナス

きのう大平宿日帰り旅行から帰ってみると、民主党代表選挙の結果が報道されていた。野党第一党としての在り方として、こんなふうに考えてみるのだが、どんなものだろうか。

代表の今までの報道を聞いていると、『総理や自民党に任せておけない』『現状はますます悪化してしまう』『政権交代が必要である』、という主張ばかりが耳に残るのである。

与党に対抗する野党としては、対抗する政策が国民一人一人に目に見えるように発言すべきであって、与党の非難で終始するような発言だけでは、魅力も何も感じ取れない。

対抗する政策の構造が基本的にはっきり判らないのである。

これは、野党の民主党代表が目指す方向としては、国民の一人として聞いていると、駄々っ子の発言と大差ない。私はそう感ずる。(ちょっと大げさな言い方かな)

そうではなくて、

相手の非難は殆どなしにしてもいいから、わが党は 国政を基本的にはこのように考える とか この問題はこのような順序でこのような活動を通して実施していく とか 要するに、自分たちが政権を担当したとき具体的にこのようにする、ということを、しょっちゅう発言すべきだろう。
もし、それについては いつも主張しているんで皆さんが理解なかったか 理解しても理解の仕方が浅かったからだ というのなら、それは国民の意識或は受け止め方を判っていないと言わざるを得ない。主張しないから、主張の内容が私たちに判らないのです。(報道をすべて聞いているわけではない)
みやましい、健全な野党がつくられないと、一党支配の政治を卒業できないことは、誰しもわかっているのです。

一党支配の惨めさは、日本だけでなくとも沢山あります。民主主義という言葉はだれでも都合よく使う言葉であって、私たちはこんな立派な言葉は棚の上へあげておき、使わないようにしたい。この言葉のためにいろいろの災いがあちらこちらで起こっています。もっと誰でも理解できる嘘隠しのない言葉を使い、ほんとのことを理解しあうことが極めて大事なことだと思います。

ほんとの言葉で、ほんとのことを、………。
長野県知事田中康夫の発言の中核になっていると県民が感じていたことは、@県民ひとりひとりの利益を考えて云々… A首長と議会の馴れ合い政治云々… の中から、車座集会(悪く言う人があるが、その人は情報収集とか相互理解の代案があるとは言わない)とか、脱ダム宣言を始めとする県政改革が目に見えてきたこと、などである。それで私たちは、田中康夫を応援してきたんです。
民主主義を奉ずる議会人がいかに脆いものか、知事不信任案の可決と出直し選挙の結果が、それを証明しているとみてもよい。

民主党に望みたい。過ちては改むるに憚ることなかれ、とは昔からの教えですから、気づいたら直せばいいんです。精密に造り上げた人工衛星だって、軌道修正は欠くことができない大事なことなんです。

私の考え方はおかしいかなあ。

 09 25(水)赤い花なら曼珠沙華

     〔曼珠沙華〕
 【曼珠沙華】〔仏〕天上に咲くという花の名。四華の一つで、見る者の心を柔軟にするという。

 【四華・四花】(シケ、シカとも)〔仏〕法華六瑞(法華経が説かれる時に現れる六つの瑞相)の一として空から降るという四種(白・青・紅・黄)の蓮華(レンゲ)。

   白蓮華すなわち曼荼羅華(マンダラゲ)、
   大白蓮華すなわち摩訶(マカ)曼荼羅華、
   紅蓮華すなわち曼珠沙華(マンジユシヤゲ)、
   大紅蓮華すなわち摩訶曼珠沙華。

 お彼岸になると土手に咲き乱れる。色が赤すぎるので、この花が好きだという人はほとんどない。葉が出てくる前に花軸がのびてきて花だけが咲くが、よく見るとすてきな形をしている。

   赤い花なら曼珠沙華  阿蘭陀屋敷に雨が降る
   濡れて泣いてるじゃがたらお春  未練な出船の
   あゝ鐘が鳴る ララ鐘が鳴る

   うつす月影彩玻璃(いろガラス)  父は異国の人ゆえに
   金の十字架心に抱けど  乙女盛りを
   あゝ曇り勝ち ララ曇り勝ち

   坂の長崎石畳  南京煙火(はなび)に日が暮れて
   そぞろ恋しい出島の沖に  母の精霊(しょうろ)が
   あゝ流れ行く ララ流れ行く

   平戸離れて幾百里  つづる文さえつくものを
   なぜに帰らぬじゃがたらお春  サンタクルスの
   あゝ鐘が鳴る ララ鐘が鳴る

この歌も懐かしいものになってしまった。
カメラを片手に、秋の草花に目を向けると、おどろく程にいろいろのが咲き誇っている。もともと花の名前は知らないほうだが、見たこともないような花が小さい花びらを広げて、その存在をアピールしているような気がする。

 09 27(金)静かな花と「夢の箱」

     D〔水引草〕
 みずひきぐさ【水引草】

 静かな杉木立の、木漏れ日のさす場所に静かに咲くのが水引草。

 場所は風越山の麓「猿庫(さるくら)の泉」付近一帯である。

 この花と月見草が好きだ。すきぶすきは無いほうがいいのだが…。野の草花は人の手を加えていないだけに、風雨寒暖によく耐えて自分の花を咲かせている。そのことも一つの理由かもしれない。

 実はこの「猿庫の泉」は日本百名水に選ばれている風越山の水で、明日これについて書き残したいと思っている。

昨日はブロックの人権擁護委員の研修会があって、法務局から借用した「夢の箱」というビデオを見た。啓発用につくられたものに違いないが、こどもから老人にいたる誰が見ても感銘を受けるにちがいない、そういう作品だった。「堤の水も蟻の一穴から」と言われるように、人間関係は優しい心根が失われるとき崩壊し、悲惨な結末となる。このビデオの中では、たとえ小さくてもいいから心の中に「夢の箱」をもち、いつかはその箱のふたを開けたいと願っている、と帰化した若婦人はわが子に伝えていた。

「籠に乗る人、かつぐ人、そのまた草鞋をつくる人」という。だが職業に貴賎はないし、それにとらわれる事もない。あるいは、財産や地位身分や肩書きなどそのまま認めていいではないか。心の平穏または幸せを求める核になるもの……それは職業や財産や肩書きには関係はなく、やっぱり優しさだろう。何かの機会に「夢の箱」をお借りして皆で見てみたい。


 09 28(土)名水猿庫の泉

     〔湧泉池〕
 猿庫の水の水源池だがあまりはっきりとは判らない。岩の間から絶えることなく湧水量の変化もなく、風越山の伏流水として流れ出ている。

 私は折々その水を汲みに行く。

 いつも何人かの人が水汲みや散策にきている。飯田市街から大平街道をいくと、人家がなくなって山間の道にさしかかる。それから直ぐ発電所の流水鉄管をまたぐ橋があり、背丈くらいの道標「大平街道」と案内板があり、そこを右折して400mほどど坂道を登れば、そこが猿庫である。

 杉木立の清閑の地だ。

「さるくらの泉」の8尺位の石碑と「名水百選猿庫の泉」と刻んだ小さい石碑が建てられている。また、飯田市観光課の次のような解説案内板が立てられている。

          名水 猿庫の泉
  昔茶に適した水を求めて諸国遍歴した不蔵庵竜渓宗匠(宗偏派)は、
  天竜川下流の水のうまさに心を引かれ、その源を尋ねて天竜川をさ
  かのぼること約30里(120q)、遂に飯田の名山風越山麓の南
  を流れて天竜に注ぐ松川の渓谷に入り、更にその支流を分け入り、
  名水「さるくらの泉」をさがしあてたという。
  近時にこの水を求めて来峡する茶人も多く、各地の各流宗匠が相つ
  いで風流を楽しんでいる。
  昭和60年1月に環境庁の名水百選に選定されました。
                          飯田市観光課

二つの石碑の左側には、山梨の人岩崎長世の「煎茶」の碑が建っている。

    煎茶      長世
  床のへにかま〇きすえて真清水を
  〇に盛いれて湧す湯の
  あわたつ時にたぎるゆの
  粒たつときにか〇る茶の
  そことく時に〇振の
  花の下ゆく真清水と
  〇のよ〇〇きをのま〇〇〇しも

【判らないところがありますから、調査して訂正していきます。】

 10 01(火)小諸の孫と中棚荘

29日と30日は小諸の孫にあいに行ってきた。すくすく育っていて嬉しい。孫についてはいつか記録しておきたい機会があったら、ここへも掲載するつもりである。

帰宅後、義理の従兄弟の急逝について連絡を受けた。悲しいことだ。きょう4時から通夜で、あす午後2時から告別式である。葬儀場は晃和だという。

小諸へ行って判ったのだが、ホームページへのせた映像が正常に出ない。判ったからいいが、このままでは大変な一人よがりのものだった。
どうのようにして修正するか、羽場さんか久保田さんに教わらないとできないかもしれない。2〜3日は孤軍奮闘してみようと思っている。

もう一つ、パソコンで困ったことはメモリー不足が出始めたら、このごろは頻りに画面に登場することである。このパソコンのメモリーは128MBだから増設する方法がベターのようで、この処理もしなくてはならない。

小諸懐古園の横道を下っていくと、中棚荘という藤村が泊まったという温泉がある。温泉につかりながら、ほの暗く夕闇がせまる千曲川の風情を眺めていると、もろもろの感覚が澄まされてくるように思われる。この浴室へゆく渡り廊下の壁に名も知らぬ文人墨客の筆の跡が掲示されている。その中に「千曲川旅情の歌」の終わりの四行が書かれていた。

  千曲川いざよう波の
  岸近き宿にのぼりつ
  濁り酒にごれる飲みて
  草枕しばし慰む

わだかまりのない筆跡で色紙に書くよりちょっと小ぶりに書かれていた。気持ちのいい文字であった。

 10 02(水)自然のエネルギー

12号台風は夕べ川崎市から上陸し、関東一円を風雨が襲った。地方測候所観測以来の風速だったところがいくつか報道されていた。風が速いとなると秒速50メートルにもなるのである。自然はまさに生きていて、折々に私たちにそのエネルギーを見せつけている。

今日は従兄弟の葬儀。夕べの通夜は雨だったが、台風一過。天気は回復した。

パソコンの画像はまだ修復できない。どうすればいいんだろう。

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