2000年7月〜9月
9/27 更新が少なくてごめんなさい。
災害関係のメーリングリストに入ったり、三宅島の火山災害支援の活動に参加したり、仕事もいろいろあったりで、なかなか更新が進んでいません。「もう一つの多摩の食い物屋」に参加している方は、カレンダー見てくれれば、食べ歩きが続いていることは、わかってくれると思うのですが、レポート書き断念したお店が多数出てます。特にラ博のお店は、とりあえず書くのやめました。情報多いし。私として書こうと思えばいつでも書けるから。
先週火曜日。三宅島の避難者向けの多摩の情報誌を作る編集会議に参加した。
久々に、学生さん達と接する時間が出来ました。みんな実直でいい人達だった。楽しかった。
最近、三宅島の関係のメーリングリストに参加した。入ってくるメールは、多い日は一日200件以上。会社から帰ってきて、これを読み終わる頃には11時を過ぎている。それか、掲示板のレスとかを書くだけで、もう12時。レポートが進まないのは、このあたりが原因です。
しばらくは、レポート少なくなりそうです。ごめんなさい。現在、新企画を考案中。こちらにご期待下さい。
9/18 リフレッシュルームでの会話
会社のリフレッシュルーム(喫煙&雑談出来る場所)で、タバコを吸っていた。
近くで30代になるか、ならないかと言う連中が話をしている。20代の終わりに近い女性が、私は二十歳に戻りたいと言っている。タバコ吸っているだけなので、何とはなしに聞こえた話なのだが、考えさせられてしまった。
私は、39歳。二十歳に戻りたいかと聞かれたら、NOと答える。二十歳からの19年の道。間違っていたとは思わないし、二十歳の時から今までの苦労をもう一度やりたいとは思わない。
会社に入り、結婚し、子ども達が出来て、ある程度の社会的な地位も出来た。収入もそれなりにある。自分の望まない道を進んで来たとは思わない。19年を無駄に使ったと思っていない。
では、これから先はどうなのか?私は、今敷かれているレールをそのまま進みたいとは思っていない。会社に定年までいるつもりはない。二十歳に戻る必要なない。この歳から、これから先、やりたいことはいっぱいあるのである。戻る必要はない。これから、新しい道を進みたい。
9/13 勤務地がかわった
何度も言っていると、狼少年になってしまうが、勤務地が新横浜に変わった。
当分は、ここが私の活動拠点になりそうである。ラ博から、徒歩3分。ラ博番にでもなろうかしら。
通勤方法を検討中。安い駐車場が借りられれば、多摩の食い物屋巡りも続けられるだろう。
今は、東急東横線、JR横浜線、東急田園都市線、小田急線、市営地下鉄の沿線にあるラーメン屋を一通り、攻めようかと思っています。これだけでもずいぶん数はある。でも、多摩ではなくなってしまうかも。
今のところは電車で通っているのだが、車と違って本を読める。今は、「創竜伝」の12巻。やっと出た本。明日で読み終わる。その後は食い物関係の本を読みあさろうと思っているが、本代が心配である。
9/10 三宅島
たまには、多少でもHPを更新しないと、忘れ去られてしまう。
三宅島からの避難者支援の具体的な行動に入った。何か出来ることはないかと思っていたら、避難者が入居している都営住宅毎にその周辺の地図を必要としているとの事。
お得意の分野である。稲城市の向陽台周辺に入居されている人の為の情報。今日は、京王の稲城駅周辺のお店調査をしてきた。
行く前から想像はしてたいのだが、何にもないところである。お店情報として成り立つのかどうか、疑問なくらい。
なんで稲城ってあんなに店が少ないのだろう。
週末は家族と一緒に過ごすと言う、私の自分の決まりを破った。 稲城の調査の為。でも、子どもは元気である。親の不在なんてどうでもいいようである。
しかし、この娘。こんなで、大丈夫なんだろうか?カメラを向けると、すぐにこんな顔をする。将来、結婚出来るか不安。
まあ、人にはいろいろな不安がある。こんな程度なら、大した事はないだろう。しかしなあ〜〜〜(^_^;)
地図が出来たら、また、マンボウプロダクションの方に戻りますから、みなさんよろしく。
9/2 8月のアクセス
私のページを見てくれる人の半数以上は、昼休みと夕方に集中しています。会社の休み時間と退社前の時間に見てくれている。
長期休みのある8月は、アクセスが減ると予想していましたが、この分のアクセス数の減少があったのに、今月は、今まで最大のアクセス数となりました。3ヶ月連続の記録更新となりました。
8月のアクセス数は、7030。8月第2週の一週間のアクセスは1821でこれも過去最高。8月8日、314でこれも一日のアクセスで最高の記録となりました。
フロントページのアクセスカウンタも後ちょっとで、6万を越えます。5万を突破したのが6月29日でしたから、2ヶ月で1万と言うハイペースになりそうです。
最近は、雑誌に等に紹介されていないし、自分で他のホームページの作者の方にリンクをお願いするような事もほとんどやっていない。2ヶ月でアクセス数が40%も増えたと言う理由が謎のままです。
8月は、食い物屋のレポートも少なかったんですけどね。
こんなページを見ててくれるみなさんに、感謝します。
9/1 三宅島
本来なら、8月のアクセスについて書く日なのだが、三宅島である。
とりあえずは全島避難が決まった。安全な場所にすべての人が早く避難してくれることを祈る。
避難した後も、島民の方々には、苦難の道が待っていると思うが、心のケアや、避難した人たちの生活の問題などは、専門家に任せる。私が書いて思いつき程度の事にしかならないだろう。
関東の異臭騒ぎ。原因は三宅島の噴火の影響であった。
これは、非常にやばい状況を示している。ガスと言うのマグマの他の成分に比べれば非常に軽い物であって、地表に近いところにマグマが上がってくると、マグマにかかる圧力がへって、マグマ内のガス成分が表に出てくるのある。炭酸水の入った瓶の蓋を開けた様に。
だから、昔から地表に近いところにある古いマグマにはガス成分が少ない。すでに気の抜けた炭酸水なのである。
三宅で、ガス成分が増えていると言うことは、新鮮で高温な新しいマグマが活動に影響を与えていることになる。このマグマに大量の地下水がふれると、マグマ水蒸気爆発というのを起こす。大島の大噴火の様に溶岩が直接流れ出すより、ずっと恐ろしい事になる。
マグマ水蒸気爆発の時に、一緒に起こる可能性が高いのが、火砕流。数十度から数百度になる、高温の気体と火山灰が混じり合ったものが、地表を走り抜ける。速度は100キロをゆうに超す場合もある。
高温の火砕流はその通過点のすべての物を焼き尽くす。生物も、家もなにもかも。火砕流の被害と言うと、長崎の普賢岳を思い出す人も多いだろう。あのとき、遺体の回収にあたった人の話だと、屋外にあった遺体の多くは、体中の穴から体内の水分がすべて蒸発してしまった様で、非常の軽かったと言う。
現在、三宅が噴火するときの前兆は、捕まえられなくなっている。噴火が火砕流を伴うものであれば、噴火を確認してから、逃げても間に合わない。ライフラインの確保などどうでもいいから、全員が、早く島の外に避難することを願う。
終わりは来る。三宅島の収縮が止まり、大きなカルデラを形成して今回の噴火活動は、終わるはずである。1年か2年後かもしれないけど。
8/27 郷土の森 子ども達の夏休み最後の日曜日。本当は、キャンプにでも行こうと思ったのだが、一泊のキャンプで、行き帰り2回の渋滞はつらい。
結局近場で済ませることにした。
行ったのは、東京府中市の郷土の森。市の施設である。
園内には、プラネタリュームと博物館。そして、大きな公園とその中に、親水公園がある。
親水公園は、地下水を汲み上げて循環させて使っているものである。規模はかなり大きい。プールとは違うので、顔を水につけることをしてはいけない。
水温は結構高く、塩素の臭いがする。循環濾過と消毒は行われているようである。
下の娘は大喜びであったが、6年生の息子には、もうつまらないらしい。親も足を水につけてきたが、やっぱり自然の川の方が気分がいい。
でも、入場料大人100円で遊べるのだから、文句は言わない事にしよう。
8/25 オフ
今日はミニオフ。
一度私がドタキャンしてしまったオフのリベンジーであった。
参加して頂いたのは、西東京拉麺探検隊のやまさんと長さん。勤め先が、私の会社の近所なのである。あまりに近所にいることに気づいた時はビックリ。そのうちオフをと言う話をしていたのですが、私の勤務地が変わる話があったので、それを機会にオフさせて頂きました。
集合場所は、堀之内のにんにくや。行列を待つ時間を、話をしながら潰そうと言う算段である。
集合時間にちょっと遅れて到着。お二方は、車の窓越しに、すでに私を発見していた。
にんにくやは相変わらずの行列。でも、あっと言う間だった。久々に味噌を食べたが、やっぱりここは醤油の方がいいかな?
お互い車だったので、後はファミレスで2時間ほど話をした。ドリンクバー180円で、2時間。効率の悪い客であった(^_^;)
ラーメンにキャンプ、インターネットと話と話題はつきなかった。2時間も、ホントにあっと言う間だった。
今度はどこかで飲みましょうと、再会を約束して別れた。なんだが、非常にすがすがしい気分であった。
ホームページを作っていて、よかったと思う瞬間であった。
8/24 三宅島
夏の旅行で食べたレポートが、まだ書ききれていないのだが、今日はその作業を続ける気分になれない。
今週は、ずっと三宅島の動向に注目している。仕事の間も、常に気になっている。
三宅島の活動が始まったのは、6月の末。マグマの本体は、地球の深いところから沸き上がってきて、薄皮一枚を残して、地上に出ることを拒んだ。ほんのちょっとだけ、地下水にふれて、三宅島がこの水蒸気を吐き出した。
残りのマグマは、火傷の水膨れの様に、周りの地表を押し上げたが中身は表に出なかった。そのまま神津島の方に横に移動して、地表の割れ目の中に吸収されていった。地表に割り込む度に地震を起こしながら。
三宅島の真下は、マグマがいなくなってしまったために隙間が出来て、砂時計の様に三宅島の火口から地面を飲み込んで行った。三宅島は縮みだしたのである。山頂近くのすべてのものを飲み込みながら。山頂の駐車場のトイレも、テレビの中継基地の鉄塔も、地下に出来た大きな穴に飲み込まれていった。
地下からわき出てくるものがなくなって、専門家を含めてだれもが、火山の活動は収束する方向に進んでいると思った。国や東京都は、避難の為に準備した船を引き上げ、災害救助法の適用も取り下げた。
そんな中で、8月10日に3回目の大きな噴火が起きた。一部の火山学者と、島内の住人は不安を覚えた。火山学者は、今までの三宅島の噴火パターンと違うことが起こりつつあることに不安を感じた。島内の住民は、自分たちが直面する危機に対して、正確な情報と行政の活動が行われない事に不安を感じた。
それでも、活動は収束するだろうと言う大多数の考えに流され、何も具体的なアクションが取られないまま、8月18日の噴火が起こった。今回の活動で最大の噴火、そして一番危険な噴火であった。
この噴火を起こしたエネルギーの元がなんであったにしろ、この噴火は、住民を生命の危機にさらすものであった。住民の生活道路には、直径50cmの大きな岩が落ちて、アスファルトをぶち抜いた。
島の多くの地域に、直径5cmにもなる石が降り注いだ。これらの石は、噴火と共に1万m以上まで吹き上げられてその後自由落下してきた。地表付近では200km/h以上の速度になって、落ちてきた。石は、車のガラスを割り、農作物にも被害を与えた。人的な被害が出なかったのは奇跡だった。5cmの石が時速200kmでぶつかれば、頭蓋骨は陥没する。本日の火山予知連絡会の会合の結果では、18日の噴火以上の規模の噴火が、今後も起こる可能性をつたえたのみで、緊急火山情報(これが出れば、都は、全島民の避難を決める可能性がある)を出さなかった。
島民の避難を決めるのは、市町村の長である。気象庁にはその権限もないし、責任もない。都は、気象庁の情報を元に、全島民の避難必要なしと考えている。
島民は、行政への期待をあきらめて、自主的に島の外への避難を始めている。多くの島民の要望により、昨日まで、9月1日に始業式行う予定だった三宅島の教育委員会は、児童の島外への避難をやっと決めた。
村長は、全島民の島外への避難の意志を持っているが、都に押しとどめられている。
噴火により、火山灰が降る可能性の在る場所に、人が留まることは異常な事態です。鹿児島の桜島は異例な火山。その他の日本の火山において、降灰の在る場所に、人が留まると言うことは、これまで無かったはずです。ましてや三宅島は島。個人の力で島外に脱出することはできないのです。18日と同程度か、それ以上の噴火が起これば、人の命が失われます。噴火が起こるかどうかはわかりませんが、その可能性があるのなら、早期に行政の力で、避難を行う必要があると思っています。
最後の噴火から、1週間。火山は、またエネルギーを貯めているかもしれません。出来るだけ早期に、島外への避難をおこなってもらいたいと私は願っています。
8/19 花火
東京に戻っても、忙しい。今日は、義祖父の法事であった。キャンプの荷物も片づかないまま、喪服に着替えて家を出る。寺は近いが、喪服は暑い。寺に着く頃には、すでにズボンは湿っていた。
痺れをこらえて30分のお経も終わり、食事をして、本日の1つ目のイベントは終了。
2つ目のイベントは、二子玉川の花火大会。妻の実家は、河原から徒歩0分。2日前から、場所は取ってある。みんなで宴会の準備をして、河原にテーブルを持ち出し、宴会が始まる頃には、周囲は写真の様な状態。
八畳ほどの広さをベストポジションに取ってある我々は、恨みを含んだような眼差しで見られるが、地元の人間に言わせてもらえば、20年前から続く1年に1度のイベントなのだ。酒飲みながら、寝転がって花火を見るくらい勘弁してやってくれ。
お腹の大きな奥さんのいる家族とかには、場所貸し出してあげたし。
人は集まるが花火はいっこうに始まらない。二子の花火は、10年ほど前は、2時間近くやっていたけど、最近は、1時間。6時45分から7時45分までの意外と短い時間なのだ。世田谷区と、川崎市の2つの花火大会が同時進行する。
世田谷区の打ち上げ場所は、二子の駅の上流。川崎は第三京浜に近い、駅の下流。我々はこのちょうど中間の世田谷側の河原にいる。
2つの打ち上げ場所はちょうど180度の位置にある。娘は、花火が始まる前から、首の運動をしている。どっちを見るのにも、いい場所なのだが、同時に視界に入らないのが、弱点。
毎年、世田谷と川崎の花火の華やかさを比べているのだが、最近は、世田谷が優勢だった。今年は川崎が頑張った。
写真は、川崎のファイナル。ナイアガラが流れる中、大スターマインが夜空に咲いた。
夕立でまともに鑑賞できない事が多いのだが、今年は完璧。適度な風もあって、花火が煙に隠れることも少なかった。
今年は、すばらしい花火だった。翌日の新聞を見ると、世田谷6000発、川崎6000発で計1万2千発が上がったそうな。
花火のサイズは小さいが、数では多摩川沿いで最大でしょう。
花火は、8時前に終わるのだが、この後河原は宴会場と化す。年々これがひどくなる。花火禁止の河原に、打ち上げ花火の音が響き、嬌声があがる。
実家の中にいても、周りがうるさい。さっさと消えてもらいと言うのが、地元の者の希望。
いつまでたっても、人が溢れているので、周囲の交通規制も解除されない。10時過ぎになって、やっと車が通れるようになった。
でも周囲はゴミの山。道の電信柱を中心に、いたるところにゴミがあり、車が通れないくらい。
それぞれのゴミは、コンビニの袋1つ程度。近くに捨てずに家まで持って帰ってもらいたい。
マナーを守らないと、そのうち、花火大会がなくなっちゃうぞ。みんな、ちょっとは、考えようね。
8/18 東京へ
眠れない暑さの東京と違って、白馬の夜は涼しかった。久々に熟睡。起きた時には、9時を過ぎていた。
下の居間で遊ぶ子ども達の声が聞こえる。起き出してみると、他のお客さんはすでに出発したあと(^_^;)
我々だけで、遅い朝食を取る。
今日は、東京へ帰る日。特に予定はない。のんびりと過ごして、11時近くになって、やっと出発。ホントはもっといたいのだ。ズーとこのまま白馬にいたい気分。生計を立てる手段があれば、私は白馬に住みたい。
オーナのご家族の見送りを受けながら、白馬を後にする。後ろ髪を引かれる思い。
オリンピックの為に整備された道はまっすぐで快適。でも、昔の道がどうなっているかが気になるため、わざわざ旧道を行く。旧道を走る車はほとんどない。昔のドライブインや喫茶店は閑古鳥が鳴いている。
大町の商店街を通り抜けて、池田町に向かう。目的は池田町のハーブセンタ。ここでは、ハーブの苗木の販売や、ここで乾燥させたハーブ類の販売を行っている。白馬に行った帰りに時間があれば、必ずここに寄る。乾燥バジルとハーブの入浴剤を仕入れる。
続いて穂高町へ。
最初の目的地は、高橋ワサビ店。20年以上通うワサビ漬けのお店である。結婚する前から、私と私の家族を見ているおばあちゃん。お店の扉を開けての第一声は、「いらっしゃいませ」ではなく、「良く来てくれたわね」なのである。家族で行くのは4年ぶり。子ども達の成長を見てもらいたくて、よったのである。と言うより、今回の旅行の場所を安曇野にした、1つの理由はこのお店に行くことだった。
5年ほど前に、ご主人を亡くしてからは、おばあちゃん一人で切り盛りしている。と言うより一人暮らし。私の様な常連が行くと、なかなか返してくれない。世間話に花が咲く。うちの子ども達を目を細めて見る。「大きくなったね〜〜〜」って言いながら。
いつも聞かれるのは、「この辺の最近美味しいお蕎麦屋はどこ?」って事。
お店がある上に、車を運転しないおばあちゃんに取っては、私の様に穂高界隈のそば屋を食べ歩いている人間は、いい情報源なのである。しばらくそば談義。
店は土間。冷房はない。冬の暖房も火鉢だけ。ワサビ漬けの保存にはこれが大切なんだそうだ。ワサビ漬けはパックされていない。注文してから、折りに積めてくれる。ここのワサビ漬けはすぐに馬鹿になる。ワサビの辛味は揮発成分。少量にしてしまうとすぐそうなるのだ。他のお店のは添加物がいろいろ入っているのでいつまでも辛い。
ここで少量を買って、早めに食べないと、本物のワサビ漬けは堪能できない。
お店を出ようとすると、子ども達におばあちゃんが声をかける「うちの子どもにならないかい、おばあちゃん一人で寂しいんだ」。いつもこう言われる。このお店に後継者はいない。おばあちゃんの子ども達は、遠くに住んでいる。いつまでも、ここのワサビ漬けが食べたい。心からそう願っている。
このお店の行くことがあったら、デブで眼鏡かけた髭面のオヤジと、親そっくりの息子と、うるさい娘の家族の話をしてみてください。もしかするとサービスしてくれるかもしれない。
店を出て、さて、昼飯だ。新店の開発をせねば。と言うことで、そば勝と言う店に行く。
そばも食いたいが、ソースカツ丼も食べたかった。大町の昭和軒のソースカツ丼を食べようかとも思っていたのだが、あそこにはそばがない。
カツとそばの両方が売り物と言う、そば勝と言う店に行くことにした。
穂高カントリーへの入口の近くにあるこのお店は、地元向けのお店だと思っていた。店の前は何度も通っていたが、食べたのは初めて。番外編にレポート書きます。
そばとソースカツ丼のセットを食べてまたもや大満足。もう一つの寄り道の場所に向けて、豊科から、長野道の高速道路に乗る。岡谷の前での渋滞もなく、今日はスムースに東京まで帰れるかななどと思っている。私以外の家族は、お腹一杯で眠りについている。一人運転は気楽である。
次の目的地は、小淵沢の香庵。自家焙煎珈琲豆のお店。3月以来2度目になる。珈琲好きのかみさんを連れていきたかった店。
お店の位置はわかりづらいが、カーナビにメモりーされているので、何ら問題なく到着。子どもは爆睡中。起きそうにない。仕方なく車に置いたまま、かみさんと二人でお店へ行く。車を出たところで、お店の外にいたご主人から声をかけられる。
珈琲でも入れてもらって、のんびり話をしたかったのだが、子どもが車で寝たままなので、そんなにのんびり出来ない。かみさん好みの豆を選んで、また来ることを約束してお店を後にした。
高速に乗った時点では、渋滞はほとんどない。このまま行けるかと思ったが、4時の時報と同時に勝沼から大月の先まで渋滞が発生。のろのろと進むしかなかった。
調布のインターを降りた時には7時ちょっと前になっていた。これから夕食を作るのは大変なので、たけちゃんでラーメン食べた。ほぼ一週間ぶりのラーメン。うまかった。
自宅に帰り着いて、大量の荷物を下ろして我が家の夏の旅行は終わった。
懐かしの白馬と安曇野。20世紀最後の、そして、30代最後の夏の旅行は、20代の自分を振り返る旅であった。
8/17 撤収
今回のキャンプは、我が家としては、非常に短い2泊3日。週末に東京で用事があるのが、1つの理由。もう一つはたまには、普通の宿に泊まりたいと言う家族の希望。
一泊は私が昔バイトをやっていたペンションに泊まることにする。そんな訳で、本日が撤収の日。
7時前に起きて、早々に朝食を済ませる。物量に物を言わせている我が家のキャンプは撤収が大変。後から撤収を始めたグループが出かけて行くのに、我が家は終わらない。
天気のいい日の撤収に時間がかかるのは、荷物を整理して自宅に戻ってからの手間を減らすのもあるのだか(^_^;)
子ども達には、皿洗いをさせて、その間に夫婦で撤収。寝袋やテントを干したりしてしていたので、撤収が完了したのは、11時。情けないほど遅い。
管理人の方々に一声かけて、キャンプ場を後にする。白馬まではそんなにかからない。12時前には、本日の宿のギャロップに到着。
荷物満載の車を見て、オーナーの森山さんに笑われる。一休みして、遊びに出かける。まずは昼飯。
白馬と長野を結ぶオリンピック道路沿いにある、樵と言うお店に行く。この場所に20年以上前からあるお店。わっぱ飯の定食が売り物。店は新しくなったが、山小屋を感じさせるような内装は素敵である。また、このお店の最大の特徴は、窓の外に、白馬の山々を見渡せること。残念ながら今日は雲がかかって山が見えなかった。
昼食の後は、川遊び。一番暑い時間帯になってしまったのは、ちょっと失敗であったが、国道沿いの松川の河原で水遊びをする。今年の夏は後半雨が少ないそうで、水の量は少ない。子どもは、ダムを造って遊び出す。大人も一緒に、足を水につけていたのだが、何しろ日差しがきつい。大人の方はとても持たない。30分ほどで引き上げ。
白馬村一周のドライブへ出かける。まずはみそら野。八方のメインストリートではあるが、人は少ない。20年前のこのあたりは、車が通りづらいほど人でごった返していた。それなりに人はいるが、静かな観光地の雰囲気。消え去ったペンションやお店も多い。数年前は、芸能人がスポンサーのお店も多かったが、今はそれもない。
続いて、ジャンプ台へ。 長野オリンピックのあの興奮の場。ジャンプ台は、八方最大の観光スポットとなっている。週末にサマージャンプの大会があるため、選手が練習で飛んでいるのが見られた。
練習の為のジャンプであり、その飛距離は短いが、目の当たりに見ると、やはり迫力がある。帰ろうと言っても、子ども達はなかなかジャンプ台の前を離れない。
しばらく眺めて、写真を撮って、やっと次の場所へ。
和田野の森から、黒菱を目指す。
咲花から、北尾根、黒菱に向かうあたりのゲレンデは、夏は放牧地となっている。
キャンプの荷物を積んだままの車は、急傾斜の道に悲鳴をあげていた。急傾斜のゲレンデに散らばる牛は、ちょっと間違えば、転がり落ちて来そうである。「落石注意」ならぬ、「落牛注意」の看板が必要そうだった。
黒菱は、風が涼しく、すでに秋を感じさせた。水蒸気が多いので眼下に広がる白馬の街は霞んでいた。下りは快適なはずだが、車の下を打ちそうで安全運転。のろのろと帰ってきた。いったんギャロップに戻る。
夕食までには時間がある。しばらくぼんやりと過ごしてから、温泉に行く。
ギャロップとは、白馬の駅を挟んで反対側にはある、白馬ハイランドホテルの天神の湯へ。
昔はグリーンクラブのスキー場だったここ。バブルが弾けてグリーンクラブも潰れたが、昨年温泉を作って、人気も上々。この温泉の売りも露天風呂から見られる白馬三山の景色である。残念ながら、ここでも今日は山を見られなかった。開放感があっていい風呂だが、今日は人が多すぎた。
ギャロップに戻って、オーナの奥様とオーナのお母さんの料理を堪能。素朴ではあるが、美味しい料理。おひつのご飯はスッカラカン。お代わりをもらってしまった。
食事の後は、花火。手持ちの花火だけだったが、存分にやりました。締めは、やっぱり線香花火。
子どもへのサービスも終わって、後は他のお客さんと酒盛り。
お客さんの一人は、私の乗っている車の開発者だった。話は盛り上がりました。設計者のコンセプトと私のこの車のお気に入りの部分があまりにも合致したので気分が良かった。
キャンプまで含めた、オールパーパスの5ナンバー車を今買うなら、アルデオお勧めですよ。
酒を飲んだら、疲れがどっと出てきた。通常は夜更かしの私だが、12時には、ダウン。楽しい夜は、短かった。
8/16 自然の中で
キャンプの朝は、早くなかった。昨日の疲れもあってテントの中が暑くて寝ていられなくなってやっと起き出した。時計を見ると7時半。まあ、私としては、早いほうだが(^_^;)
お盆も終わり、今日で引き上げるグループが多いようである。我が家が朝食を終える頃には、撤収を完了してすでに旅立っているグループも多かった。隣のサイトが空いたので、我が家のテントサイトの写真を一枚。
サイトスペースは広く、設備の清掃も行き届いている。良質のキャンプ場であるが、一泊5000円は高い。整地はされているが地中に礫が多く含まれているので、アルミやプラペグは役にたたない。
バッタが異常に多かった。バッタだらけ。屋外にいると、何にでも飛び込んで来る。スープにもジュースにも。これには閉口した。
午前中は特に何の予定もないので、近くの鎌池と言うところにハイキングに行くことにする。
池の周りを一周したが、遊びながら子どもの足で30分程度。ちょうどいいお散歩の距離である。
バイシーズンではあるが、観光客の数は少ない。湖面には沢山の魚がいる。仲良く泳ぐカルガモの家族も見かけた。
一回りしてきて、駐車場の横のレストハウスでジュースを買う。奥から出てきたおばちゃんは、白馬八方の咲花ゲレンデにあるいこい食堂のおばちゃんであった(あまりのローカルな話でごめんなさい)。
12時前に、キャンプサイトに戻って、昼食の準備。今日のお昼は、付けカレーうどん。私の創作料理である。茹でた後、水で冷やしたうどんと、カレーうどんのスープで食べる物。手間がかからず夏向きの料理。
娘は、食べ過ぎて気持ちが悪いと言う。いくらうまくてもそこまで食うな。
さて、午後はアウトドア用品を探しに行かなければならない。昨日の出発時の恐れていた様に、忘れ物をしてきたのである。とりあえずは、白馬駅の周辺に行ってみることにする。忘れたのは、ランタンの予備のマントルとマヨネーズ。マヨネーズはどこでも手にはいるが、マントルは難しい。コールマンのなら、何とかなるであろうが、スノーピークの「天」用のものは、ほぼ不可能だろうな〜〜〜。昨日ランタンにぶつかって、マントルが割れてしまったのだ。これが、なきゃ、探しに行く必要なんてなかったんだけど。
往復で70km。ちょっとしたドライブである。
目的のマントルは、白馬にはなかった。EPIの似たようなランタンのマントルをとりあえず買ってみた。
ついでにスーパーで買い物して、帰り道はスキー場巡り。岩岳、栂池、コルチナと白馬のスキー場を通って帰った。
20年前、私が八方でバイトをやっていた頃は、アンノン族の時代。自分と同じ年代の人たちが、ペンションに泊まってテニスをするのがトレンドだった。今のスキー場の夏は、閑散としている。トレッキングが目的の年齢層の高い夫婦が目立つ程度で、街はどこも寂しい感じだった。賑わっているのは、温泉くらい。
途中で、山登りのベースともなっている雨飾荘で温泉に入る。大人300円。そんなに広い風呂では無かったが、値段も安く、体の温まるいい温泉だった。
4時過ぎにはキャンプ場に戻っていた。今日は、のんびりと夕食の準備。本日のメニューは、ホイル焼き。鶏、鮭、野菜をホイルに包んで、後は炭火で焼くだけ。でも、遠赤外線の効果はすごい。柔らかくてジューシーな肉と魚が堪能できた。
気圧の関係で、どうしても芯が残るご飯が残念。
隣のサイトは、ご飯を食べ終わった時間にもまだ空いていた。花火の特設会場にもってこいと思っていたのだが、8時近くなって、家族が設営を始めた。ヂーゼルエンジンのRVのキャリアから、投光器を使ってサイトを照らしながら設営。
うちも深夜まで話をして、周りのサイトに迷惑かけるから文句は言わなかったが、エンジン音がうるさい。
日没後の設営と言うのは、我が家でもやる。でも、車の照明に頼るのは、許せないものがある。日没後に設営が予想されるなら、明るいランタンとヘッドランプを準備すべきである。
今日も星はあまり見えない。辛うじて夏の大三角形が見える程度。雲と月がじゃま。
子どもは疲れたのか、9時過ぎには、自分たちからテントに入って寝てしまった。親も11時には就寝。
8/15 いざキャンプへ
我が家の夏休みの最大のイベントが始まる。海外旅行なんて到底無理。いつもの様にキャンプに行くのである。
準備は、前日の2時過ぎまでかかってしまった。当然、寝坊。7時過ぎには出発の予定が、結局8時半になってしまった。たぶん忘れ物があるだろうななんて不安を持ちながらも、とりあえず出発。目指すは長野と新潟の県境近くにある雨飾山オートキャンプ場。
中央高速から長野道、大町、白馬と進み約300kmの行程。ピークは過ぎたとは言え、お盆の帰省ラッシュの最中。中央高速は、府中から大月まで渋滞。後一時間早ければ、もっとスムースに抜けられた感もあったのだが、まあ仕方ない。渋滞の中に入ってしまえば、後は耐えるしかない。その上、雨。前日の予報とは正反対に雨が降っている。大月から先はほぼ順調であったが、諏訪でまた渋滞。今日は諏訪湖で花火大会があるようだ。途中で休憩もしたので、長野道の豊科インターを降りた時には、午後の1時を過ぎていた。ここでは雨が降っていない。
息子から、腹減ったのコール。安曇野に来たのなら、やっぱりそば。今年の3月に行った「あさかわ」へ。値段が高い割に、量が少なかった記憶があるのだが、今回はボリュームは十分にあった。
ただ、客が多い時期であり、かなり待たされた。店を出たときには2時を過ぎていた。キャンプ場に到着が遅れそうであることを連絡し、信号の少ない裏道を使って信濃大町まで進む。ここからは一本道である。車の量は少なく順調に進めた。途中白馬の農協で食料を調達して、キャンプ場へ後ちょっと。小谷で糸魚川街道(国道148号)から離れて、小谷温泉に向かう。国道を離れると、携帯電話が圏外となる。同時にフロントガラスに水滴。雨の中での設営を覚悟する。
小谷温泉を過ぎて更に山の中へ。乗用車同士のすれ違いが難しいくらいの道を5kmほど進んだところに、キャンプ場があった。時刻はすでに5時。たかだか300kmにずいぶんと時間がかかった。
霧の中ではあるが、雨は降っていない。とりあえず、暗くなる前に設営。テントは子ども達に張らせる。親の方はタープとキッチンの準備。ファミリーキャンプ6年目となると、子ども達も多少は役にたつ。タープの準備が出来る頃には、テントの準備も完了。夕食は、バーベキュー。食べ始めた頃には、すでに外は真っ暗になっていた。
片づけも終わって、子ども達が眠りについたのは、10時過ぎ。やっと夫婦の時間である。2時間ほど酒を飲みながら話をして眠りにつくことにする。
星空は拝めないままだった。
8/13 夫婦でメール
携帯電話を持ち歩き始めたのは、もう3年ほど前である。但し、PHS。NTT DOCOMOの900M帯の、一番普及している携帯電話ではない。900M帯のものも持っている。会社から支給されて持たされている。
でも、携帯電話は、やっぱり高いと思う。I-MODEが流行って、NTTの携帯を持つのが社会人の標準となりつつあるが、あの通話料の高さは、未だに電話の置き換えの欲求を起こさない。
確かに、どこでも繋がる。移動中でも繋がる。でも、携帯電話にかかってくる電話の大半は、その場で話さなければならない様な話ではない。自分に都合のいいときにかけ直せば済む話なのである。
I-MODEは便利である。でも、その表示能力は貧弱で、データ通信速度は遅い。めちゃくちゃ遅い。そのくせ通信料はメチャ高い。
PHSは音声がクリアである。データ通信に使っても速くていい。その上通話料が安い。我が家は、1台の携帯電話を使う変わりに、夫婦で2台のPHSを持つことにした。
それでも基本料金以外の通話料は、月に数百円しか使っていなかった。仕事以外の電話など微々たるものであることがわかる。
先月、電話機を新しいものに換えて、使い方が変わってきた。かみさんがメールに目覚めたのである。PHSのメールは、インターネットのメールを直接受信できる。1つのメールの容量は、I-MODEの8倍。通常のメールならほとんど欠ける事なく読める。IT嫌いのかみさんが、メールを積極的に使いだしたのは驚きだが、私は助かっている。
自宅から、仕事中に電話をかけてくるなんて言うのは、よほどの緊急事態だけ。逆に、通常の家族の行動や、希望は、ほとんどわからない。最近は、メールでせっせとこれを送ってくる。
メールだから忙しければ、私は返事書かない。それでもいいらしい。
8/8 初めてあった古くからの友人
仕事を早く切り上げて、東京駅まで出かけた。niftyで知り合った友人が、北海道から東京に来ている。他の東京のメンバー数人と共にオフ。
niftyの掲示板で知り合ったのは、もう5年も前になる。実際に会うのは、初めてなのである。キャンプを共通の趣味として集まった仲間であるが、nifty上のプライベートな掲示板であるパティオに移ってからは、あらゆる事について話をした。メンバーのうちアクティブな人は20人程度。なのに、パティオへの書き込みに、一時期、一日200件を越えていた。1つの書き込みの量も今の掲示板の比ではない、長文が連発するのである。
パティオへのlogを読み、書き込みをする事に、私生活の時間のほとんどを使っていた。
待ち合わせ場所から、八重洲の地下街のレストランまで。ほんの数分ですでにうちとけて、その後3時間半。あっと言う間に、過ぎて行った。
インターネット上で知り合った人とのオフとは、また違う集団でのオフであった。
来年は、北海道に行くことを約束して、別れたのであった。
8/6 八王子子供科学館
我が家の週末の1つの趣味になっているプラネタリューム巡り。今回は、八王子市のこども科学館というのに行って来た。20号と16号の交差点の近く。16号からちょっと入ったところにある。こんなところに、こんなものがあったなんて、インターネットで検索するまで知らなかった。
広い無料の駐車場はある、建物の規模は、比較的小さく常設展示物も少ないが、科学を体感する事をモチーフにしている様で子供には面白い。
併設のプラネタリュームは、六都科学館などと同じで、階段状に客席が配置されたもの。映画とプラネタリュームで1時間という構成なので、星に関しての解説は浅め。この時期でありながら、夏の大三角形の話だけで、流星群の話がなかったのは残念。
帰りがけに、小さな本箱を買ってくる。パソコンの横に、コンピュータ関係と食べ物関係のよく見る本を置いておくものが欲しかったのである。やっと、ラーメン関係の本の整理がついた。ならべてみると、これだけ良く買ったものだと、自分でも驚き。
8/4 ダウン
昨日からお腹が痛くてダウン。昨日は、会社に2時間いただけで帰ってきてしまった。その後は、8度の発熱と、おう吐。お腹に来る風邪をひいたようである。
今日の午後になってやっと熱も下がって、水が飲めるようになった。夜になって粥を食べた。うまかった。節々が痛い。
熱が下がって、やることもなく、昨日から回線が開いたはずのIP接続サービスにやっと接続する。通信速度は、かなかな快適である。今までのプロパイダの場合は、プロパイダ内の川崎のポイントと、東京のセンタの間がネックであった様だ。テレホタイムになってもストレスのないスピード。今後IP接続の利用者が増えるに従って、どの程度速度が落ちて来るかが、気になるところである。
とりあえず接続はしたが、そのあたりで、力つきた。メールや掲示板のRESが溜まっているが、明日返事を書くことにする。
8/1 先月のアクセス数
7月のアクセスは、6月に続いて新記録の連続でした。トータルアクセスは6719で過去最高。一日のアクセス数では7/19に313と300を突破、週のアクセスでも7/24〜7/30に1657件と記録を更新した。
一月のアクセス数はいきなり1713も増えた事になる。
ちょっと驚きである。みなさんに感謝である。表ののカウンタも6月29日に50000を突破。一ヶ月で5000ペースになっている。
10万を越えるときには、何かやりたいな〜〜〜。プレゼントなんて言うのは、ろくな事がないから、どこかでオフ会でもやろうかな〜。
今月は、夏休みの月。アクセス数はガタ減りだろうけど、秋にはみんなが戻ってきてくれるように頑張らなければ。
7/28 徘徊
同僚を家に送って、さてラーメンでも。
そう思って、走り出すも、行く場所が決まらない。多摩センタから町田方面に向かうも、途中で考えなおす。暑いから坦々麺がいい。そう考えて、津久井道を登戸方面に進む。鶴川のあたりで鎌倉家へ行こうかとも思うが初志貫徹。狛食を目指す。ルパンアニメが始まってから、ずいぶんたった頃に店の前に着くがすでに閉店(;_;)。
坦々麺はあきらめて、日向屋に行く。うう。ここも締まっている。中に明かりが漏れていたから、やっぱり早じまい??
そのまま、甲州街道に出て、とりあえず調布方面に進む。仙川あたりで気が変わる。またもや狛江に向かう。狛江通りから世田谷通りに出て、水道道路に入って「田園」へ。
ラーメンを食べようと思ってから、家に帰り着くまで2時間。馬鹿やっている。でも、こうやって意味もなく、車で徘徊するのが結構好きであったりする。だから車の走行距離も増えるのである。2月末に納車された車は、すでに1万キロを突破している。
7/22 今日も
19日、21日と飲みに行って、今日もまた飲みに行った。今日は子供はかみさんの実家に泊まっている。夫婦水入らず。調布で飲んだのだが、二人で外で飲むなんて、10年ぶり。会話がぎこちない。その上、かみさんはペースがつかめなかった様で、お店を出たところで貧血。お店の人に氷やお水をもらったり、だいぶん迷惑をかけてしまった。
タクシーで帰ってきて、かみさんはそのままダウン。
やることがなくて、コミックスを読み出した。気づくと表が明るい。あわてて寝ようとしたが、こんな時間でも暑くって寝られず、寝室の冷房を入れた。
これからの数週間。寝苦しい夜が続くかと思うと気が重い。
そうだ、書くの忘れていた。
IP接続の話。NTTから連絡が来た。来月3日に工事とのこと。予想外に早かった。
7/21 オフ
今日はまたもやオフであった。お相手は、横浜在住さんと、如何様犬さんと佐藤(M響)さん。夕方に、ラ博に集合したのだが、今日のラ博は大混雑であった。飛び石連休の狭間と子供達の夏休みが始まり、そして金曜日。条件は揃っている。
まずはみんなでマメさん。納得の塩ラーメンを食べてから、それぞれ食べたいお店に散る。私は行列のなかった六角家。いつでも機会はあるからと、今回はそれだけ。
身動きするのが大変なほどに混雑。純連はいつもの様に行列。このまま、ラ博で飲むのは無理なので、近くの適当なお店に行く。そのまま11時近くまで、いろいろな話をしてきた。特に今回は自作ラーメンの話が中心だったかな?
いつもの様にあっと言う間に、時間が過ぎて行った。
7/17 IP接続サービス
本日から、NTTのISDN向けサービスのIP接続のエリアが拡大されて、我が家でも申し込みが可能となった。
当初は、niftyを使ってこのサービスを受けようと思っていたが、本日の段階では間に合わなかった様だ。もう一つ契約しているASAHIネットで契約した。
なんせ追加料金も、プロパイダへの申請もいらないと言うのがいい。わずか月450円で(NTTへの料金は4500円かかるけど)24時間常時接続の環境が出来上がるのである。
問題は、NTT側の機材の準備がいつ整うかである。申し込みはしたものの、実際にサービスを受けられるようになるのが、いつになるか全くわからない状態。
まあ、それまでは今の環境で過ごせばいいのだから、気長に待つことにする。これで、ASAHIネットがCGIも使えるようになれば、HPも移行するのだけどな〜〜〜。
話は変わる。
本日のマンボウプロダクションへのアクセス数は、270。過去最高であった。6月から、アクセス数が急増している。ラーメンブームが下火になった今、アクセス数が増えているのは、ラーメンの情報ではなく、多摩の食い物屋の情報を求める人が増えているのだと思う。
ラーメン以外の情報。充実させなければと思う。
7/16 ザウルスゲット
昨日の棟梁さんとのオフの前に、ザウルスを買ってしまった。
今までのザウルスも、買ってから1年ちょっとしかたっていなかったのだが、今回のはどうしても欲しかった。14日に発売されたものを、15日に買ってしまった。
周辺機器もほとんど買い換え。
ここまでして、なぜ買ったか? 欲しかったから(^_^;)
まあ、半分はそれなのだが、去年ザウルスを買ってから、ノートパソコンを持ち歩くことがなくなった。
出張も含めて、ほとんどザウルスだけでモバイの環境が確立できて、鞄が軽くなった。
今度出たザウルスは、私が持っていた不満のほとんどが解消されていた。これで即決の買いとなった。
オプションでキーボードが使えるようになったのがいい。これで出張先でも、食い物屋の感想をその場で書ける。メールにして自宅に送っておけば、家に帰ってからページを作る時間が短縮できるはずである。
現在、屋外でのメールの確認は、PHSでやっている。これで十分事足りる。ただ、食い物屋の感想を書くには、PHSも今までも手書き入力のザウルスも貧弱であった。
やっぱりキーボードがないと、長文の入力は無理。これでザウルスで、HTMLの編集とftpが出来たら、文句ないのだが、携帯端末にそれを望む人間は、少数派であろう。
週末は、お盆で実家を回ったのと、ザウルスの環境設定で終わってしまった。
夏蕎麦の話を書こうと思っていたのに、手つかず。
7/15 オフ
オフなどと言うほどもものでもない。
調布で、棟梁さんとあって、酒飲んで、千ひろでラーメンを食べた。それだけである。
でも、楽しかった。延々と5時間も話をした。もちろん話題の中心はラーメンであったが、いろいろな話が出来た。また一人、友人が増えた。
千ひろに行ったのが、夜の10時半。スープがなくなる寸前で、醤油とみそしかないと言う。初めてスタンダードな醤油ラーメンを食べたが、やぱっり、ここのスープはいい。うま味が強い海産物系の味。満足した。但し、初めて食べたチャーシュー(いつも、鯛骨か薩摩揚げで、チャーシューを食べたことがなかった)は、かなり味が濃く、折角のスープとバランスがよくない。季節的に塩分を強めにしているのかもしれないが、残念であった。
7/10 新天地にて
今日から新横浜勤務。本日の仕事は、荷物の開梱とミーティングのみ。明日の仕事はわからない。多少不安はあるが、しばらくすれば忙しくなるであろう。
6時には仕事終わって、ラーメン博物館に行く。3ヶ月のフリーパスを買ってしまう。
昼に、夜にこれから通うことになるであろう。多摩のお店のレポートが滞るのではないかと不安。府中に戻りたい。
そんな今日であったが、私の心を和らげてくれたのは、メール。
私の不安を察してくれた訳ではないと思うが、HPを見たというメールが多数来た。
6月後半からアクセス数も増えていて嬉しい。
7/3 携帯端末
携帯端末やモバイルグッズについて最近いろいろ思うこと。
まずは、最近自分の周りで見つけた事を3つ。
先日、バッテリーがへたってきたPHSの機種変更をやってきた。バッテリーを買い換えるより、機種変更をした方が安いのである。
新しい機種は、インターネットのメールがダイレクトにやりとり出来る。1つのメールは1500文字までだが、これだけあれば、通常のメールなら内容の確認には十分。
外出先で、ザウルスを引っぱり出す事も少なくなりそうである。
I−MODE。これも最近の流行ですね。209の発売と同時に、周囲の人間が一斉にI−MODEの端末に変更。自分のHPを初めて見させてもらった。文字のみの情報ではあるが、これも何とか使えそうである。特に、私のページの様に、文字中心の場合には、使えそうである。
ザウルスの新型が、17日に発売になる。これも気になっている。低価格のアイゲティーにキーボードが付く様になる。今もアイゲティーを使っているが、キーボードが付かないため、長文の入力に時間がかかる点が一番辛い。これがなければ、出張にパソコンをもって行く必要はなくなるんだけど。
こんな事と最近の雑誌などの話を総合すると、モバイル環境の変化が見えている。
1年ほど前、モバイルの主流は、ノートパソコンであった。移動先で、メールを読む、HPを見る為に、重たいノートパソコンを持ちあるいていた。移動の最中にアクセスするのは無理で、移動した先とか、喫茶店とかそう言う場所に自分のインターネット環境を展開するのが、モバイルであった。
現在のモバイは、移動中を含むようになった。移動中の主流は、携帯端末ではなく、携帯電話。これで最低限の事は足りてしまう。移動先では携帯端末で足りる。ノートパソコンは、長期に渡って拠点を移動して使うときしか意味をなさなくなってきた。
サブノートが必要な機会はずいぶん減ってしまった様である。文書を書く仕事ととか、ソフトの開発をやっていて、環境をそのまま持ち歩く必要がある人以外は、省スペースと言う理由以外で、ノートを必要とする事は、ほとんどないと思う。
さて、やっと本題になるのだが、この様にモバイの中心が携帯電話と携帯端末になって来ている訳で、特にI−MODEの普及で日本で一番多く使われているwwwのブラウザーはI−MODEと言う状況になっている。
ところが、これらのブラウザーは機能が貧弱なんですよね。5年ほど前に、モザイクが登場した頃に戻っていると言ってもいい。
ネスケやIEは、高機能化競走をしていて、HPの作者の方も、最近の新しい機能を使ってページを構成しようとしているけど、端末は、実は退化しているのです。
私は、3年前に買った、HP作成用のツールを未だに使っています。私のページを作るにはこれで十分だから。フレームを使った構成にしていますが、フレームレスにも対応するようになってます。
このフレームが問題なんですよ。携帯端末ではほとんど使えない。ホームページ作るなら、このあたりの事は考慮した方がいいと思ってます。
7/1 アクセス数と近況
先週は、忙しくて更新をサボってました。
その話は後にしてまずは6月のアクセス数から。
総アクセス数は、5006で、過去最高。12日は241のアクセスがあってこれも一日のアクセス数では過去最高でした。
4月に生活の変化があった方も多いと思います。多摩に移ってきた新しい人が、私のページを見てくれたのかもしれません。掲示板の書き込みも増えたし、嬉しい月でした。
さて、近況の方なのですが、まず、7月から勤務先が、新横浜になります。多摩のお店を食べ歩くのはちょっと辛くなるかも?
ラーメン博物館から、徒歩数分の場所に通うことになるので、まずは、このあたりから情報が増えるかもしれません。後は、町田とか。センター北のあたりとか。
変化があっていいのかもしれません。
それから、どうもお腹の調子が悪くって、医者に通っています。どうも大腸ポリープの様です。去年も切除したんだけど、またやるのかなあれ(^_^;)
先週のオフ会の時に行ったお店の紹介をやっとUPしました。木曜日には、宿題になっていた、竈にも行ったのですが、これは、また明日にでも感想を書きます。
2000年4月〜6月の独り言
2000年1月〜3月の独り言
1999年10月〜12月の独り言
1999年7月〜9月の独り言
1999年4月〜6月の独り言
1999年1月〜3月の独り言
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