0歳教育関係へ

ドーマンメソッド
常識を打ち破る画期的な方法


【子どもの知能は限りなく1】 【子どもの知能は限りなく2】
【子どもの知能は限りなく3】 【子どもの知能は限りなく4】
【子どもの知能は限りなく5】
【幼児は算数を学びたい1】 【幼児は算数を学びたい2】


子どもの知能は限りなく3

【 母親こそ最良の教師 】

1 母親は子どもを熟知している  202p

 ・子どもを養育するのに最高の人は、母親しかいない
   母親が考えるように、子どもは考え
   母親が喋るように、子どもは喋り
   母親が行動するように、子どもは行動し
   母親が振舞うように、子どもは振舞い
   母親が祈るように、子どもは祈り
   満6歳過ぎてから子どもは独立していく
   すべて母親の考え方に懸かっている
    すばらしい生命体は独立しており
    すばらしいエネルギーを誕生のときから保障され
    すばらしいマトリックス構築のプログラムをインプットされており
    すばらしい超能力を与えられており
    すばらしい「学ぶ意欲」を持ち
    満6歳で第一次マトリックス構築を終了するようプログラムされている
    これが臨界期といわれる時にあたる
   母親は、子どものマトリックスであり
   それは、子どもにとって可能性の源泉であり
              可能性を探索するエネルギーの源泉であり
              探索を可能にする安全な場所である
   母親は自然の生命力の摂理をよく見詰めて学習し
   子どもに対して 知識を広め 愛の在り方を知り 
   自分の世界を築かなければならない

2 新しい母親が生まれている

 ・教育の崩壊はなにを意味しているのか
  世の中をよくしていく一番よい方法は、人を変えていくことである。
  それは、命が胎内に宿ったときから6歳まで十分教育することである。
  複数思考の考え方の中で自己の存在価値を見出だすことは、人の褌で相撲をとる
  ようなものである。
  単数思考の考え方の中で自己の存在価値を見出だすことが常に大切である。複数
  思考の中での公約数的考えは、個人を埋没させ個人を非条理に陥れ個人の成長を
  保障できないことが多い。そこではあってはならない個人の攻撃が横行し集団の
  価値基準すら定見のないものが多くなるのである。起居振舞いから学習、運動、
  礼儀作法にいたるまで、すべて個人の成長に価値基準をおき集団の価値基準を正
  す必要がある。個人の自由と責任に立脚しない集団の価値基準は砂上の楼閣であ
  り、教育の崩壊は、こうした複数思考の考え方の道筋に必ず姿を現すものと考え
  てよい。個人の権利が保障されていないからである。
 ・複数思考の考えをもつ学校社会の教育崩壊はきたるべきしてきたものである。人
  に教育を任せ学校が悪いの社会が悪いのと議論してみたところで、なんの改善に
  もならない。親がみやましい逞しい子どもを養育しなくておいて、なんで子ども
  の望ましい成長がありえようか。
 ・問題は根深く簡単には改善できそうもない。なぜなら、ここ20年ほど病院出産
  と共に母親の養育放棄が進んだからである。それは一つは経済的に豊かになった
  ために万一の場合という安易な考え方から病院出産が常識?になってきたことと
  更に産婦人科医のいかにもらしい指導の結果である。もう一つは、今はやりの女
  の生き甲斐、社会的に自分の能力を発揮して自己存在の価値を求めるようになり
  大事な3歳までの養育すら放棄したことである。これは極めて根深い基本的な因
  果関係の図式である。この二つのことは、子どもそのものをおかしくしてしまっ
  た元凶である。
 ・子どもはもともと自ら好んでおかしくなろうとは決してしないものであり、いま
  でも自分の中の経験を生かしてなんとかしようと懸命なのである。自ら命を絶っ
  た子どもですら「お母さん、ごめんなさい」と書き残している。母親の愛情庇護
  は十分承知していても、ゆがんだ環境からうけとってきた自らの価値判断なり人
  との関係対処の仕方なり自分が育った無条件の成育環境の、その結果から自ら死
  を選んでしまったのである。問題は簡単なものではない。
 ・答えは一つ、自宅で出産し母親が自分で子どもを育てることである。これが自然
  のすばらしいメカニズムに即した最良の方法である。
 ・幼児の超能力を活かしたドーマン法
  ドーマン法にもとずいて、母親は赤ん坊に読み方を教えた。英語ではすばらしく
  読めるし、他の2〜3ヵ国語でも十分読めるようになった。算数を教えると、信
  じられないほどの速さで覚えた。母親たちは1歳や2歳、3歳の子どもたちに、
  鳥、花、昆虫、樹木、大統領、旗、国家、地理、といった百科事典的知識を教え
  た。また、オリンピックの平均台競技や水泳、バイオリンの奏法も教えた。
  つまり、大人が正直に事実に基づいたやりかたで示すことができるものは、何で
  も教えることができるということがわかった。
  何より興味深いことは、そうやって学習する過程で、幼児の知能が何倍にも伸び
  たことである。
  何よりも大切なことは、母親たちが学習を、これまでに経験した何よりも楽しい
  経験であると、発見したことである。お互いに対する愛と、おそらくもっと重要
  なお互いに対する敬愛の念が、何倍にも高まったのだ。
  すてきな人物を育てた親は、私たちと違っていたのだろうか。いや、まったく違
  ってはいない。問題は、母親が「やるか、やらないか」にかかっているだけだ。

 ☆子どもと接する時間と質

 ・母親の三つのタイプ(0歳教育を指向している母親)
  @フルタイムの母親
  A4〜5時間子どもと過ごす母親
  B短い時間しか子どもと過ごせない母親
  ☆無関心・虐待タイプの母親
  第一のグループ
  子どもの知性を何倍にも増やすことができるし、実際増やしている。
  第二のグループ
  子どもの知性を何倍にも増やすことができるし、実際増やしている。
  昔の母親は、多く薪で煮炊きをし、手で洗濯をし縫い物をしたり次から次へと仕
  事に追われていた。その合間をみつけて子どもの相手をじょうずにこなしていた
  人達が多かった。
  第三のグループ
  この人たちこそ、ドーマン法を最も必要としている。
  この人たちにとって、殊に時間の質が最も問題である。
  子どもと過ごす時間の質と量は、明らかに両方とも非常に重要である。
  子どもと「遊んで」時間を無駄にしてはならない。子どもは遊びたがってはいな
  いということを心に留めておく必要がある。子どもにとっては学習する喜びに比
  類する喜びは他になく、子どもは他の誰よりも父親や母親と一緒に学びたがって
  いる、ということを覚えていなくてはならない。

 ☆明日の世界は母親がつくる

 ・母親こそ最良の教師である。
 ・「この世の中の過ちを正し悪を追放したかったらまず母親の力を借りることだ」
                          (チャールズ・シモンズ)
 ・世の中は、自然の状態ならば美しく秩序立ったものである。環境汚染をはじめと
  して世の中を狂気に導くものは、人間だけなのだ。良識ある子どもを育てる以外
  にどんな方法もありえない。
 ・有名なユネスコ憲章前文の冒頭には次のような言葉で呼びかけている。

    戦争は、人間の心の中ではじまるものであるから、人間の心の中に
    平和の砦が築かれなければならない。
    that since warsbeginin the minds ofmen,it isin the minds
    of men thatthedefences ofpeacemust beconstructed;

【 天才をもっと多く 】

1 中傷される天才たち 220p

 ・フラストレーションは悪くない 
  悪い意味に歪曲されてしまった言葉の代表がストレス( stress=緊張)、フラス
  トレーション(frustration=欲求不満)、アグレッション( aggression=攻撃)
  である。そういう嫌な言葉である「フラストレーション」と「アグレッション」
  について少し考えてみよう。
  本当の天才というのは、人の中で最もフラストレーションを感じ、攻撃的であり、
  完全に充実した人だ。フラストレーションとか、アグレッションという言葉は恐
  ろしい言葉である、と仮定することが間違いである。
  誰でも、この世で物事がこうであるという現状と、こうあるべきであるという姿
  との間の、明らかな差異に苦しめられている。まさにその度合いだけ、フラスト
  レーションを感じ、攻撃的になる。頭が悪く、物事にこだわらない人間ほど、現
  状と理想との差異に打ちのめされる度合いも低い。頭がよく、物事にこだわる人
  間であればあるほど、現状と本来あるべき姿との差異に打ちのめされる度合いも
  高いのである。
  私たちは、フラストレーションの性質と規模によって、自分がどれだけ人間性に
  こだわっているかを測ることができ、それにいかに対処するかによって、自らの
  能力と価値を測ることができる。

2 天才をもっと多く 227p

 ・エジソンは母親に読み方を教えてもらい、本を読むのが何より好きな少年だった。
  ところが、彼の学校の成績はよくなかった。ほとんどの天才もやはりそうだった。
  彼は愚かだったから成績が悪かったのではない。頭がよく、学校で教えてもらう
  ことが退屈すぎて、成績が悪かったのである。
 ・天才とは、生まれつきのやさしさと、尽きることのない好奇心、および子どもに
  対する無限の尊敬を兼ねそなえることができる人のことである。
  数年前、アイルランドの古城を改造したホテルで開かれた世界人間能力機構の会
  議に、妻のケイティとともに出席した時のことである。孫のエリックの姿が見え
  なくなってしまった。当時、彼は七歳か八歳だった。ようやく見つけたとき、彼
  は上を向いて背の高い男性を見つめ、その男性は身をかがめてエリックと話して
  いた。二人は鼻と鼻を突き合わせて、ちょうど「n」の字のように向かい合って
  いた。エリックを連れ戻したとき、彼は私にこうたずねた。
  「おじいちゃん、あの人、ボクがどう思うかって、いろいろ聞いてくれたよ。あ
  の人、大好きだよ。先生かな」
  「うん、そうだよ。彼は先生だけど、生徒でもあるんだ。史上初めてノーベル賞
  を二回も受賞した人なんだ。あの人の名前は、ライナス・ボーリングだよ」
 ・すばらしい才能をもった子どもたちに共通していたのは、ほとんど例外なく、頭
  がよい子ぼど楽しく、魅力的で、愛情深く、人びとをひきつけるカリスマ性(ch
   arisma=大衆をひきつける強烈な魅力、教祖的指導力)をもち、人を喜ばせる、
  思いやりのある、愛らしい性格の持ち主だった。
  それに加えて、頭のいい子ほど好奇心が旺盛で、独立心が強く、自分たちの身の
  まわりのことをきちんとできる。自信があり、確信をもち、自らの価値をよく認
  識し、個人としての人格をもつ。他人を尊敬し、自らも尊敬されることを期待す
  る興味深い人間である。

0歳教育関係