折々の記へ
折々の記 2003 @
折々の記:…2003…【心に浮かぶよしなしごと】
【 01 】01/01〜
【 02 】01/11〜
【 03 】01/19〜
【 04 】01/27〜
【 05 】03/01〜
【 06 】03/11〜
【 07 】04/02〜
【 08 】04/10〜
【 04 】01/27〜
01 27(月) 老人クラブ
02 04(火) 隣政寺と蘭ミュージアム ●山の寺入口標識●蘭ミュージアム・高森
02 05(水) 住民基本台帳システム
02 07(金) 赤石山脈 ●蘭ミュージアムから南アルプスを望む
02 16(日) インフルエンザ
02 26(水) 至誠寮寮歌
02 28(金) 生来無一物
老人クラブの定期総会とか新年会など必要不可欠の問題があれば別だが、そうでなければ一般には出席などしない人が多い。まして足の不自由な人はことさらだろう。
@春になって陽気もよくなってから山野の緑や桜の花など行ってみたいなという場所をえらんで、日帰りでも参加できそうな計画を立てるのも一つの方法だろう。
A老人だからこそ日帰り範囲内で先人の業績を訪ねることも価値観の共有という点からみていいのではないだろうか。
この@やAのような考え方で老人クラブの行動計画を立案するのがひとつの手である。
Bボランテアから助力ばかりを頼らず、独自の考えによって活動することはないだろうか。
大島山の滝、瑠璃寺(宝物、歴史、お獅子)、山麓線街道
観賞(蘭園)、山寺
西駒ケ岳(ロープウエイ、千畳敷お花畑)、早太郎
高遠城かいわい
治部坂、平谷(湯) : しらびそ : その他
手まり歌、文部省唱歌、懐かしい歌など
毛糸編み、まりつくり、手漉き葉書づくり
三人寄れば文殊とやら、広く会議を興し万機公論に決すべしともいうし、おばすて山の話も子供の頃聞いたことだし、お年寄り万歳ということもいいんではないだろうか。
昔者の歌といえば、つぎのようなサイトが参考になる。
★ごんべ007の好きな「なつかしい童謡・唱歌・わらべ歌・寮歌・民謡・歌謡」
http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/00_songs.html
★曲名索引〔歌いだし、童謡、唱歌、わらべ歌、作詞者、作曲者…各索引あり〕
http://www.interq.or.jp/japan/k3j/utaidasisakuin1.htm
調べてみると、懐かしい歌がいっぱいでてくる。わすれかけた歌がでてくると、頭の中がはれわたるような気持ちになる。
記憶の引出しはほこりがいっぱいだから、むかしうたった歌をうたうことによって、大掃除ができたようになる。
1 埴生の宿も わが宿
玉のよそい うらやまじ
のどかなりや 春のそら
花はあるじ 鳥は友
おお わが宿よ
楽しとも たのもしや
2 ふみよむ窓も わがまども
瑠璃の床も うらやまじ
きよらなりや 秋の夜半
月はあるじ むしは友
おお わが窓よ
楽しとも たのもしや
*「山の寺入口標識」
フリーズしたとき消滅。
悪しからず。
隣政寺は通称「山の寺」として親しまれている。国道153号線「カインズ」と「アピタ」の間の丁字路から山へ向って登ります。まず「JR下平駅」そばの線路をまたぎ、「中段新設道路」を過ぎ、「旧上街道」を横切り、すぐ「中央道」下をくぐりぬけ、更に登りつめると「山麓線」の、写真のとおりの十字路に出る。
ここを登っていくと、「山の寺」へ行ける。門前の木標札には次の説明がある。
天台宗普門山隣政寺
通称「山の寺」と呼ばれ鎌倉時代日得上人により開山された。本堂前の龍の彫刻は諏訪の名工立川和四郎の作と伝えられ堂内には領主座光寺家ゆかりの伝説「蓮仏」も安置され庫裡の裏手の庭園にはひかり苔の自生も見られる。 長野県高森町
山の寺は下見案内のためだったが、見学ならば前もって電話でおねがいして、説明して頂くといい。
カメラに写っている家あたりから、天気のいい日の夕映えに輝く南アルプス連山を撮影すれば、素敵な写真ができるだろう。雪のあるうちに一度はチャンスを狙いたい。
*「蘭ミュージアム・高森」
フリーズしたとき消滅。
悪しからず。
山の寺交差点から西へ数百m行くと、蘭で知られる「欄ミュージアム・高森」がある。この前きたときには、この敷地下にあるハウスいっぱいに空中に根を張る蘭がひしめきあっていた。いまはやっぱり栽培研究室になっているという。
観賞温室は面積約700uあり、蘭の栽培のほかに珍しい熱帯果実や美しい熱帯の花木や観葉植物を観賞できます。
また展示棟では、季節ごとに年間20回以上の展示会を開催するという。いろいろの蘭の花や絵や写真なども展示されている。
ここ「蘭ミュージアム・高森」は一見の価値がある。
次のサイトにアクセスして、調べていくほうがいい。
http://www.ran-museum.jp/「蘭ミュージアム・高森」
「住民基本台帳ネットワークシステムの構築」という次のものを見ると、
http://www.soumu.go.jp/c-gyousei/daityo/index.html
最近の発表資料
住民基本台帳ネットワークシステムの経緯
住民基本台帳ネットワークシステムの概要
住民基本台帳ネットワークシステムのサービス
住民基本台帳ネットワークシステムにおける個人情報保護
参考資料集
みなさんのご意見・ご質問をお寄せください
という見出しで各種資料も添付して国の方針を打ち出している。参考資料集の中では「住民基本台帳法関係法令集」というものもあり、詳細をきわめている。
http://www.soumu.go.jp/c-gyousei/daityo/jyuminkihon_09.html
一方、長野県のホームページから、第2回本人確認情報保護審議会を開いてみると、現状調査結果が出ており更に、審議委員のメンバー桜井よしこの意見を見ていると、問題点が多くあることを知らされる。
http://www.pref.nagano.jp/(長野県のホームページ)
http://www.pref.nagano.jp/soumu/shichoson/jyukisys/singikai/dai2.htm
(第2回本人確認情報保護審議会)
http://www.yoshiko-sakurai.jp/index.html(桜井よしこの意見)
細かいことを知るためにはこれらのサイトを必要なときに開いて学ぶことがいい。
*「〈蘭ミュージアム〉から南アルプスを望む」
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仙丈岳 北岳 間ノ岳農鳥岳 塩見岳 烏帽子岳
「蘭ミュージアム」は伊那谷を一望できる位置にあり、ここからの眺めはすばらしい。いつかはデジカメに収めたいと思っていたら、こんなに早く好天に恵まれ、午後1時半頃カメラをもって家をとび出した。
深田久弥が選定した日本百名山では次のとおり。左から順に……
仙丈岳 百名山 3033メートル
私の好みで、日本アルプスで好きな山は北では鹿島槍、南では仙丈である。
何よりその姿がよい。単純なピラミッドでもなければ、鈍重な容量でもない。
その姿に軽薄や遅鈍のないところが好きなのである。スッキリとして品があ
る。
ちょっと見ては気づかないが、しばしば眺めているうちに、次第にそのよさ
がわかってくるといった山である。
北岳 百名山 3192メートル
日本で一番高い山は富士山であることは誰でも知っているが、第二の高峰は
と訊くと、知らない人が多い。北岳だよと教えても、そんな山はどこにある
かといった顔つきである。
間ノ岳 百名山 3189メートル
白根三山(白峰三山→北岳・間ノ岳・農鳥岳)の一つで、名称の通り真ん中
に位置している。日本第四の高峰である。
塩見岳 百名山 3047メートル
塩見岳の特徴は、漆黒の鉄の兜、あるいはズングリした入道頭、こうおぼえ
ておけば、遠くの山から南アルプスを眺めても、その塩見岳を見落とすこと
はないだろう。
ということになる。
更に右手には、荒川岳(百名山3141メートル)と赤石岳(百名山3120メートル)が続く。ただこの二つの山は僅かしか見えず、山型の山容でないために判別しにくい。写真掲載は省略する。
8日に小川の湯で小川区の各種役員会があった。翌日から昨日までの丸一週間はひどい目に会った。インフルエンザの予防接種はしてあったので、たんなる風邪と思っていたが、喉があまり痛いので小坂医院で再度診てもらったらインフルエンザだった。
最初は医者もわからなかった。2割くらいは免疫性ができないという。先ずは大変であった。
二月もあと二日で終わりとなる。昨年の日記では原畑の柿の剪定が終わっている。
今年は風邪のため致し方ない。
3月10日は青年師範の同級会がある。今のところ滝君が体調が悪く欠席。5人は出席で、2人は判らない。
データ散逸を防ぐために「至誠寮寮歌」をあげておく。
至誠寮寮歌 瀧澤太郎作詞・古越百治作曲
一 千曲の流れ 越ゆる風
若芽に触るゝ 春の朝
清き血潮の 高鳴りを
胸にぞ秘めて 遥かなる
理想の峯を 見つめつゝ
歩みは軽し 朝日かげ
二 飯綱の峯に 湧く雲の
崩れて騒ぐ 稲青田
電光車軸の 雨あるも
鍛えてやまぬ 意気を見よ
青桐の葉の 青きうち
力を致す 時ぞいま
三 朝は朝霧 夜は夜霧
み寺の鐘に 日は沈む
余韻は示す 吾がゆく手
驍将の夢 偲びつゝ
灯火のもと 研ぎ足らぬ
魂をぞ磨く 秋の月
四 吹き荒らしたる 嵐止み
軒の氷柱に 月影の
映りて更くる 雪の夜
集いは結ぶ 至誠寮
教えの庭に 立たん身ぞ
いさ諸共に 纜解かん
長野青年師範学校は学制改革によって昭和25年3月の卒業生で終了した。私は戦後の21年4月入学で、海軍兵学校、高等商船学校などに在籍していた人達が多くいた。自分でも土浦海軍航空隊飛行予科練習生在籍の身であった。下伊那は9人の同級生で、年上の人が6人いた。同級生を見ていると、独自の個性を身に付けた人たちがおり、学問が如何に大切なものかを痛切に感じたものである。
下伊那出身のものは最初はすべて「至誠寮」へ入った。寮歌は青年にとっては自己との格闘によって位置づけられるものような意味をもっていた。いろいろの感動がほとばしるものなのである。
誰が使い始めた言葉だろうか。菩提樹下の悟りという言葉がある。涅槃という言葉がある。
即天去私という言葉があり、柳緑花紅という言葉がある。
ヒュームは、現実はすべて灰色の灰燼の世界であり、そしてその闇の世界のあちこちに夜の灯火のようにきらめくのは、人間の築いた観念の世界であると見据えた。
人間、生来無一物!
これは誰が使い始めた言葉だろうか。金銭的な所有欲を去り、地位肩書き名誉欲を去り、性欲の執着がおさまった時、そこには一茶のおじさんがあり、良寛和尚さんが在るような気がする。生死も桜花の散るにひとしいと観ずる。愛もすべて無一物に基盤をおいている。
宣教師が異郷で死を迎えんとしても一向に気にかけることもない。「一粒の麦」の殉教の中核もまた、無一物の境地から生まれ出るものであろう。
哲学でいう「一即多」も真理の普遍性とか真理の多面性を意味しているものと思う。
ここに到って、雲雀を雲雀として観ることができ、花を花として観ることができ、生命を宿している米麦を食してなお「絶対矛盾の自己撞着」を凌駕することができる。「獅子投身」も理解できるのである。人間、生来無一物とはなんと素敵な言葉だろうか。
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