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折々の記 2003 @

折々の記:…2003…【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】01/01〜       【 02 】01/11〜
【 03 】01/19〜       【 04 】01/27〜
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【 03 】01/19〜

  01 19(日) 外孫の涼羽、一歳の誕生祝
  01 20(月) 内孫の優の絵の展示見学 ●天までとどいたあさがお
  01 21(火) デジカメの取り入れとトラブル修正
  01 22(水) 悉有佛性
  01 23(木) 百人一首
  01 25(土) 故郷の山 ●中央アルプス南駒ケ岳 ●中央アルプス西駒ケ岳
                ●南アルプス仙丈岳
  01 26(日) 続故郷の山 ●飯田市と風越山 ●天竜川と風越山

 01 19(日)外孫の涼羽、一歳の誕生祝

涼羽の誕生日でした。5時過ぎ森住の家で誕生祝、一升のお餅を背負うのは下伊那地方と同じだったし、箕であおりだすのも同じようだった。ただ、今は箕がないのであおりだしはしなかった。
「アンヨ」はまだ出来なかったというが、祝杯をあげて暫くしてから森住の婆ちゃんが片手をとっていたら、ヨチヨチ歩いたというので、さあ大変。ソファーにつかまらせて、ママが少しはなれて「おいでおいで」をすると、二三歩、歩いたではないか。思わず手を叩いて「ばんざい、ばんざい」と褒め称えました。

ああ、よかった。「這えば立て、立てば歩めの親心」とか、親も嬉しいが、赤ちゃんの喜びは計り知れない。すべてはこの喜びによって進められていく。

両親による涼羽の記録が40分のテープにまとめられていた。バースデーケーキも元気に吹き消し、おいしそうによく食べれた。健やかな涼羽である。

すくすく伸びていく涼羽の様子、嬉しい限りである。

 01 20(月)内孫の優の絵の展示見学

*「天までとどいたあさがお」

 フリーズしたときに消滅。
 悪しからず。



涼羽の誕生祝を終えて、翌日長野市の信濃教育会館で行なわれている「花やみどりのある絵」を見学した。優の絵が入選して展示してあるからである。
運動会では「かけっこ」の選手、プールでの競泳は驚くばかりの力泳ぶりそれに今回は絵の入選、嬉しい限りである。 左利きなので、みているといじらしい思いがしたんだが、線引きとか文字さえもちゃんと書けれるようになったんで、嬉しかったのだが、今度の入選は決定的なものだった。

デジカメ作品としても説明してあるので、以上の紹介とする。

 01 21(火)デジカメの取り入れとトラブル修正

ページの消去は、ページの索引修正の折発生した。ページ索引には細かな注意が必要である。

 01 22 (水)悉有佛性

一切衆生悉有佛性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)という言葉は、個の存在を表現するのに多くの捕らえ方の中の一つとして、こういう見方があるということだ。生体維持の本能はこれより上位の捕らえ方と見なくてはならないだろう。生体維持本能は別として、今回は「悉有佛性」の見方を取り上げたい。
この見方は生体の全般を掌握した表現の一つである。角度づけは佛性である。
是に対して、ホログラムという概念があって、生体はすべて大脳能力の中に個人では計り知れないほどの潜在能力を本来具備しているという考え方である。

この二つのものの考え方をみると、非常に共通しているといわざるを得ない。

ホログラムという捕らえ方は幼児教育における幼児の大脳発達で理解しておくべき基本事項であり、悉有佛性という捕らえ方は人間を情意面から理解していく場合の基本事項である。これらの基本事項は好き嫌いのレベルのことではなく、無条件理解事項なのである。

hologram(ホログラム)
ホログラムとは、全体の像があらゆる部分や断片の中にも含まれて
いる一種の写真である。たとえば、花瓶を写したホログラム・プレ
ートを半分に割り、それを結像させると、二つに割ったどちらから
も全体像が得られる。この部分の中に全体があるという現象が、脳
の特質に似ていることから、脳のホログラフィ理論が生まれた。人
間の脳ばかりか地球自体も一つのホログラムと捕らえられている。

いろいろの生命体はそれ自体の中に、生体維持という物凄い意志が備わっており、個体が出会ういろいろの環境に個体変容して順応していくという能力が備わっている。

悉有仏性やホログラムの概念は、生体維持能力の下位概念である。悉有仏性なのにどうして他の生命を脅かすような戦争とか強奪とか個々の殺傷などが生まれるのか。

幼児期にこうした属性がどうして育つのだろうか考えてみれば、やはりそれらの属性が必要からだからという考え方もありうるし、実際必要なのかもしれない。生体維持の本質からは「目には目、歯には歯」の論理や「毒は毒をもって制する」の論理も許容されると観てもいいのかもしれない。

「絶対矛盾の自己撞着」を認める考え方は生体維持概念を肯定する立場だから、生命を宿す五穀や野菜などを人間は常食している。

同種族の間では食事の問題と生命の問題とは区別しなければ、生体維持は不可能であり、「目には目」の論理は多数の判断基準としての法律というもので、線引きして考えていくより他に方便もない。

明文化されない些細なことはどうしたらいいのか。明記されないだけに個々間のイザゴザはどうしたらいいのか。

そこに道義の問題がある。

道義の高揚こそ、日常茶飯のたいせつな品性なのである。

悉有佛性がコロコロころがって、道義の高揚とまできてしまった。むずかしそうな言葉をつぎから次につかう癖がでてきたようす。

じつは、イザゴザというのは自分勝手のおしゃべりと振舞なんでした。考えるまでもなくおおくの場合自分もあいてに巻きこまれてわれもなく自分勝手になっているんです。

きょうはここらでおしまい。

 01 23(木)百人一首

小倉百人一首は次のものがいい。
http://homepage1.nifty.com/kasen-e/index.htm

小学生四年の孫に誕生祝いとして百人一首を贈った。

ちょうど担任の先生から百人一首を憶えてくるよう年末には指示があったという。子どものときからの体験が後々よいことは判っていたからである。私が読んだのは松田何某という著者でしたが、探したがみつからなかった。

一つ一つの歌のいみを知るにはやっぱり本は一冊用意しておくことがいい。たとえば、業平の「ちはやぶる神代も聞かず竜田川からくれないに水くくるとは」のくくるとは、染める意味だと知ればなるほどなあと納得できるからである。意味を知ると拾いやすくなるのも事実である。

子どもだからといって大人が遠慮してはいけない。うたを憶えて拾ったことを終わってから褒めることがいい。年末に一度正月になって一度、二度目の拾い方をみていると憶えた歌がいくつもあることがわかった。やっぱり大人は遠慮してはいけない。

中学生の頃になれば、歌の感覚がさえわたりガタピシした爺をあっさり追い抜くことだろう。

孫の話にうれしくなるのは年寄りの性、ここらにしておこう。

*宮本武蔵

テレビをみていて、千年杉っていい杉だなあと感心し、どこで撮影しているのか調べていくと参考になることがいっぱあった。

岡山の大原町だとわかったので、次のようにして調べた。

「全国自治体マップ検索」これは旅行やらテレビでいいとこだナと感じたところを調べるのに、役に立つサイトである。
http://www.nippon-net.ne.jp/cgi-bin/search/mapsearch/nn_MapSearch.cgi

ここで「岡山」をクリック

次に「大原町」をクリック

続いて「武蔵のメニューへ」をクリック

ここで「武蔵関係リンク」をクリック

ここからは好きなように見ていけばいい。直接アクセスなら「お気に入り」に追加する。
http://www.optic.or.jp/musashi/index.htm

プリントアウトすれば、立派な武蔵の解説資料ができあがる。

さらに「MapFan.net」から該当地域を適宜に拡大してプリントすれば、旅行計画の資料ができあがる。
今年の旅行予定に組み入れたい。

「MapFan.net」は年間3200円支払えばいつでも利用できる。次のサイトから申込すればいい。各地の地図をかうより割安だし順次改訂している。
http://www.mapfan.net/

宮本武蔵はテレビで楽しめるが、若いときには一度でいいから読むことがいい。軽快な筆致や文体はしらぬまに吸収できると思うからだ。漱石の空気とはちがうし、大衆文学といっても山本周五郎とも違う。ちがうのは当たり前だといえばそれはそうなんだが……。

 01 25(土)故郷の山

 ふるさとの山にむかいていうことなし
       ふるさとの山はありがたきかな

啄木の歌は、渋民村からみえる岩手山にもろもろの感慨をこめて歌ったものだと思う。
ふるさとに寄せる心は、少年時代や青年時代にはまだたまだ模糊としていて形作られていない。伸び盛りの者にとっては望郷という感慨はないのがあたりまえである。夢に満ちている証拠である。
やがて齢をかさねてきたとき、わが身をふりかえって生まれてくる感情だと思う。

彼の歌にはグッとくるものもある。

 たわむれに母をせおいてそのあまり
       軽きに我は三歩あゆめず

自分がひとりで大きくなって今日を迎えたものではないことを悟ったとき、そして親孝行をしようにも恩に報いるとて十分できないことを悟ったとき、涙がこみあげるのである。山のようにどっしりしていて、温かくじっと見守ってくれた親はもちろん、仲良く遊んでくれた友達、ときには勝手なことをいって悲しませた友達も、自分をよく判ってくれていたという想い、それらはみな、故郷ということばに温かくつつまれて我に迫ってくるのではないだろうか。

中川村の望岳荘からみた南駒ケ岳は、中川村ことに昔の南向村(みなかたむら)の人たちにとっては素晴らしい山であり、親兄弟はもちろん、野山や川とともに忘れえぬふるさとを形作っていると思う。

  *「中央アルプス南駒ケ岳」

 フリーズしたときに消滅。
 悪しからず。


喬木村からは風越山がいつも見る山だが20分車を走らせて北に向うと、この雄大な山がいつも見る山となる。
妙義山のような峨々たるという形容はできないが、与田切川を渡るあたりからの景観はすばらしい。
望岳荘から見たとき、どこにも故郷の山があるんだということをひしひしと感じたので、冬空に聳え立つ南駒を撮影しに行ってきたのである。
雪山の撮影はちょっとむずかしい。

*「中央アルプス西駒ケ岳」

=  フリーズしたときに消滅。
 悪しからず。


西駒ケ岳は20数回登った山である。
戦後は中学二年生を引率して上伊那下伊那のどの学校も校外教育の一つとして登山を実施した。
最初は今の駒ヶ根駅は赤穂駅といったがそこから徒歩で往復した。この写真は宝剣岳がはっきりしないが、思い出おおい山だ。中腹には駒ヶ根キャンプ場がありそこでのキャンプファイヤも懐かしい。
今では「しらびそ平」からロープウェイが「千畳敷」まで往復しているから、軽装でピクニック気分でいけるようになっている。今昔の感を深くする。

*「南アルプス仙丈岳」



冬が近づいてくると先ずはこの山が白くなる。勿論、赤石岳や塩見岳も白く見えるのだが、仙丈岳は飯田の方から見ると遠いのだが格好よく見える。天竜川西側の河岸段丘からは南アルプスの代表のように見える山である。
この映像は伊賀良の梅ヶ久保から写したものである。喬木のほうから見てもおなじようにみえるのがふしぎだ。
南アルプスの山を見るとすれば大鹿村か上村か、よい撮影ポイントはすくない。

 01 26(日)続故郷の山

*「飯田市と風越山」

 フリーズしたときに消滅。
 悪しからず。

この写真は去年の9月2日昼頃伊久間原で撮ったものだから、雪もない。ただ、故郷の山という意味では幼いときからの山として網膜にすぐうかぶ景色である。

*「天竜川と風越山」

 フリーズしたときに消滅。
 悪しからず。


こちらはアルプスの山を写した昨日、伊久間堤防の川原からとった写真である。
天竜川を紹介するにはどこがいいポイントなのか、まだ見つけていない。ことによると弁天橋の上から上流をみた景色がいいのかもしれない。
南原橋がいいかもしれない。
この辺りの川幅は流れがゆるやかなため150〜200m位はあるかもしれない。
この風越山は伊久間部落から見るのがいちばん形よく見えると思う。



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