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折々の記 2006 @

【心に浮かぶよしなしごと】

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【 02 】03/21〜

  03 22 野球世界一
  03 24 杜甫と「春望」:「国家の品格」

03 22(水) 野球世界一 PSEマーク4月実施は凍結せよ

03 21 春分の日、辻屋の叔母の初彼岸で墓参りに行ってきた。午後WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)決勝戦を見た。10:5 で優勝の栄冠を得た。

03 22 朝日の社説は次のように報じている。


  野球世界一 がけっぷちからの栄冠

 紙吹雪の下で、日本が初代「野球世界一」のトロフィーを手にした。

 16カ国・地域で争った「ワールド・ベースボール・クラシック」は予想以上に面白かった。2次リーグでの敗退目前から頂点まで駆け上がった日本が、波乱続きの大会を象徴していた。初の試みとしては成功といっていいだろう。

 3月は、本来ならシーズンに向けて調整を重ねる時期にあたる。仕上がりは万全ではなかったろうが、選手たちは気迫にあふれたプレーで大会を盛り上げた。

 場外へ飛び出す特大の本塁打や、塀に激突しながらのジャンピング捕球など、大リーガーが初めて本格参加した国際大会の名に恥じないレベルの高さだった。

 イチロー選手が引っ張り、途中から開き直ったかのようにまとまり始めた日本のたくましさには感心した。野球ファンにとっては、大リーガーも交えての大会での世界一はまさに「夢がかなった」思いだろう。

 準優勝したキューバはさすがだ。韓国の強さに驚いたファンも多かったろう。ドミニカ共和国やベネズエラのパワーにもうならされた。今や大リーグの球宴の4割は米国以外の選手だ。彼らの活躍は当然なのかもしれない。

 半面、米国の不振が際立った。本家意識が油断を招いたようだが、首脳陣の及び腰も目についた。球団の発言力が強いから、野手になるべく均等に出場機会を与え、投手の登板順も厳守だ。

 松井秀喜選手のように出場を見送った大リーガーも少なくなかった。けがの心配もあったのだろうが、開催時期を夏か秋に移して出やすくすべきだろう。

 感心したのは球場の観客席だ。試合ごとに応援する言葉と国旗が入れ替わり、それぞれの国の香りを運んでくれた。

 興味深いのはナショナリズムが燃えつつも、ぎりぎりのところで包み込まれていたように見えたことだ。それぞれ母国では応援の過熱ぶりも報じられたが、球場は少し違った。

 巨大スクリーンが両チームの応援風景を交互に映す。そこへ笑いや音楽が仕掛けられる。大リーグと同じ演出だが、感情のとげはさりげなく丸められていく。

 ナショナリズムを超えて野球に敬意を払うべきだという意識が、グラウンド内外で共有されているのを感じた。

 内野の塀は低く、金網はない。ここで見る者は試合への一体感と集中力、理解力を求められる。そうやって野球を育ててきた誇りが米国の球場にはある。

 残念なこともあった。

 米国戦で日本のタッチアップによる得点が取り消されたのを含め、誤審としか思えない判定が続出した。大リーグの審判との交渉が失敗し、マイナーリーグの審判が担当したのが原因だ。各国の審判を加える案も検討すべきだろう。懸念されたドーピング検査でも違反者が出た。

 浮き彫りになった課題こそが、3年後の次回大会を充実させるバネになる。

  PSEマーク 4月実施は凍結せよ

 「PSEマーク」をご存じだろうか。4月から、これが付いているかどうかで、電気製品の取り扱いが大きく違ってくる。しかし、周知が不十分だったことから、中古品市場などで混乱が起きている。

 PSEマークは、漏電などの検査を通った製品にだけ許される「安全性保証」のお墨付きだ。マークがない製品は順次販売禁止にされる。違反には、1年以下の懲役などの罰則まである。

 01年4月に施行された電気用品安全法の改正で決まったが、国会ではほとんど審議されないままだった。

 新製品は施行と合わせてマークの取得が義務づけられたが、中古品については、販売が禁じられるまで5〜10年の猶予期間が設けられた。この3月末には冷蔵庫などの白物家電を含む259品目が期間切れを迎える。

 しかし、中古品の取り扱いは法律の条文では触れられず、これも対象になると経済産業省がホームページで明示したのはこの2月に入ってからだ。

 リサイクルと安全の根幹にある制度なのに、「そんな話は聞いていなかった」という業者や消費者が多い。「法律なのだから、従って当然」という官のおごりがあったのではないか。

 ここにきて、猶予期間の延長を求める声が中古製品の売買などを取り扱う業者たちの間から急速に広がった。

 音楽家たちも反対に立ち上がった。中古楽器には「ビンテージ」と呼ばれるアンプやシンセサイザーなどがあるが、年代物なので高電圧をかける漏電試験が難しく、このままでは取引できなくなる。

 「音楽文化発展を阻害させないよう願う」。坂本龍一さんらが呼びかけた反対署名には7万人余が賛同した。

 こうした反発の高まりを前にして、経産省は14日に緊急対策を発表した。マークの前提になる検査について、半年間は無料で代行するサービスをするほか、検査機器も貸し出す。またビンテージ楽器は例外扱いにするという。

 これで予定通り4月から規制に入る構えだが、何とも泥縄だ。ビンテージ機器のような一部の愛好者向けのものよりも、一般の中古家電にこそ配慮をという中古業者の主張には説得力がある。

 私たちも、このまま強行することには問題が大きいと考える。家電製品の事故報告は04年度で千件を超え、漏電事故の防止などの安全確保は欠かせない。だが、これほど多くの人が納得しないままでは制度の定着は望めないだろう。

 中古家電は1千億円を超える市場に育っている。マークがないことを理由にその取引が止まれば、大量の中古家電がゴミになる恐れもある。

 半年間は検査の代行までしようというのなら、その間はいっそのこと実施を凍結してはどうか。半年のうちに中古家電全体の安全対策を練り直すとともに、業者はもちろんのこと一般消費者への周知にも全力を挙げるべきだ。



 日本代表を優勝に導いた“世界のホームラン王”こと王貞治監督の優勝コメント。

「私は現役の監督なので、こういう形でWBCの監督を任せてもらえるとは全然思っていませんでした。日ごろから熱烈な応援をしてくれているおかげで、この素晴らしい感激を味わえることができた。この喜びをファンのみなさまと分かち合いたい。ありがとう!」

ヤフーのスポーツナビには、次のような記事が載せられた。

  “日本のシンボル”イチローにSo long!

優勝という形で終わった“野球人生最高の日”
 勝った瞬間、イチローは二度、三度、右手でガッツポーズを取った。小走りで、内野にできた歓喜の輪に加わる。念願だった王貞治監督の胴上げにも加わると、相好を崩した。

「数字を残しただけの人ではない。こんな人は見たことがない」
 そんな監督の重み、イチローはどう感じていただろうか。

 その後、キューバの選手と握手。彼らからは記念撮影を求められる程の人気。またイチローはダッグアウトで、スタンドから沸き上がる「イ・チ・ロー」コールの指揮を取るほど上機嫌だった。

 セレモニーが終わって、場所をクラブハウスに移す。
 105本のシャンパンが並べられたテーブルの横に立った王監督の、
「諸君は、素晴らしい。今日は、とことんやるぞ!」
 で、シャンパンファイトがスタート。
 直後、真ん中で集中砲火を浴びたのはイチロー。
「お前ら、先輩を敬えよ!」
 と絶叫したが、その声、上原浩治らのコールにかき消されてしまう。
 自然発生的に、「イチロー」コールが起こっていた。

「本当にふざけた野郎どもだ」
 ただ、そう言いつつも、イチローは目を細めていた。
「野球をやって、強くなれたのがうれしい。本当にものすごいプレッシャーでした。でもこんな形で終わるとは思わなかった。野球人生最高の日です」

 そのプレッシャーを背負ったイチローを支えたのが、チームメート。彼は、その仲間をたたえることも忘れなかった。
「最初、アメリカに渡って、みんなの動きが変わった。これはちょっとまずいなぁと思ったけど、最大の屈辱があって……。でも素晴らしい仲間と野球ができたことが本当にうれしい。素晴らしいチームでした、キューバも。でも、僕らも、どの世界でもやれるということを、このチームメートたちに盛り上げてもらった。グラウンドでのモチベーション、パッションがすごい。このチームで、メジャーでやりたいぐらいです。それぐらいすごいチームです」

野球人としていい勉強をさせてもらった
 その後、記者会見場に姿を見せたイチローは、シャンパンの匂いをプンプンさせながら、壇上へ。帽子を逆さにかぶったまま、松坂大輔と並んだ。

 イチローは、この大会を総括して言う。
「オリンピックと違って、このWBCが本当の世界一を決める大会だし、僕は、だからこそ参加したわけですけど、まあ結果として、チャンピオンになった。これは、僕の野球人生にとって、最も大きな一日と言っていいと思います。ただ、優勝した瞬間というのは、1カ月ということでしたけど、素晴らしい仲間とプレーできて、素晴らしいチームになって、このチームと今日で別れなくてはいけない寂しさ、喜びと同時に沸いてきました」
 あしたからは、マリナーズに合流。この数年、チームとして感じられなかった喜びを複雑にかみ締めていたのかもしれない。

 大会を通して、チームを引っ張ったイチローの背中。松坂は常に見つめていた。
「この日本代表のシンボルのような人だった。当然、言葉でみんなを奮い立たせるようなこともありましたけど、ほとんどは背中でチームを引っ張っていたと思うし、あれが本当に、『背中で引っ張るということなんだなぁ』と目の前で見せてもらいました。刺激を受けたのは、僕だけじゃない。みんながイチローさんの背中を見て、刺激を受けた。野球人として、いい勉強をさせてもらいました」

 22日、イチローと大塚だけがアメリカに残り、ほかの選手は日本へと旅立つ。
 イチローは寂しげな笑みを浮かべた。
「日本のプロ野球の結果が、気になるかもしれないね。これだけ仲間ができると」

 3年後を問われれば、力強く言っている。
「そういう選手でいなきゃいけない。声が掛かる選手でありたい」

So long!



03 24(金) 杜甫と「春望」:「国家の品格」

朝日新聞に通販‘トップアート’の杜甫と「春望」が18面前面に広告宣伝されていた。値段が 19800 円で安かったし、「国破れて山河在り・・・」という杜甫の詩は、昭和20年敗戦により故郷へ帰ったときの思いが彷彿として蘇ったこともあって、購入することに決め電話で発注した。

   春望

  国破山河在   国破れて 山河在り
  城春草木深   城春にして 草木深し
  感時花濺涙   時に感じては 花にも涙を濺(ソソ)ぎ
  恨別鳥驚心   別れを恨みては 鳥にも心を驚かす

  烽火連三月   烽火(ホウカ) 三月(ゲツ)に連(ツラ)なり
  家書抵万金   家書 万金に抵(アタ)る
  白頭掻更短   白頭 掻けば更に短く
  渾欲不勝簪   渾(スベ)て簪(シン)に勝(タ)えざらんと欲す

  長安の都は戦に破壊されたが、山と河に変わるところは何もない
  その都に春が巡り来て、草も木もみずみずしく生い茂った
  騒乱の時世に心が痛み、美しく咲く花を見れば涙があふれて
  親しい人との死別を嘆くたび、鳥の声にも胸騒ぎを覚えてしまう

  戦いののろし火は、三ヶ月を経た今も止まず
  家族からの手紙は、万金に値するほど懐かしい
  白くなった頭を思わず掻くと、髪はすっかり短くなっており
  役人時代に冠を留めていた留め針さえ刺せなくなろうとしている


杜甫と「春望」 …朝日より転写した解説…


杜甫(712-770)が活躍した頃、中国は唐の玄宗皇帝と楊貴妃の時代。宮廷では詩や芸能がもてはやされ、詩人の祖父を持つ杜甫も若くから読書と詩作に励んだとされています。

その後、官職への登竜門である進士の試験に落ちた杜甫は、失意のまま放浪の旅へ。その先で、のちの大詩人・李白と知り合ったことが大きな発奮となりました。

やがて宮廷で自作の詩が認められるようになった頃、杜甫は既に四十歳過ぎ。ようやく官位を得て、朝廷に出仕できるようになりました。

ところが755年、安禄山の乱が勃発。侵攻をうけた玄宗皇帝は皇位を息子の粛宗に譲り、長安の都を捨てて敗走します。このとき杜甫は新皇帝のもとに駆けつけようとし、敵陣に捕縛。

囚われの身となった杜甫は、戦乱が続く厳しい冬がほっと緩むように春めいてきたある日、許しを得て近くの丘へ出向きました。

そこで杜甫が目にしたのは、戦いに破損した都の悲惨さと、いきいきとした春の緑に輝く山河のあまりにも対照的な眺めであった。

後世に残る名漢詩文はこうして創り出されました。現世の哀惜と人の情けの機微をうたった詩聖、杜甫の代表作「春望」。遠く大らかな風にも似た郷愁が、胸にしんしんと響きます。



※‘トップアート’の宣伝文

詩聖・杜甫の情趣あふれる世界を描いた逸品を驚きの特別謝恩価格でお届けいたします。

広々と雄大な構図。闊達かつ繊細な筆の冴え。そして胸を打つ限りない詩情。大陸の歴史に人の無情を重ね、季節の永劫の移ろいに封じた杜甫の名詩「春望」が、中国の名匠、李瑞智の才気と熱情のもと、一幅の豊醇たる山水画に結実しました。唐時代の詩聖、杜甫は、この詩を詠んだ当時四十六歳。戦乱に疲弊し荒れ果てた都の姿を深い感嘆をこめて五言律詩に刻み込みました。以来千二百余年、その興趣と余韻で多くの人々に感銘を与え続けてきた「春望」が、いま李画伯という得がたい才能と出会い、山水画という豊かで馥郁たる世界を醸成するに至ったのです。この漢詩を若年の頃から愛してやまない李画伯だけに、雄勁かつ典雅な筆致にこめられた思いはまさに万感のひとこと。画伯入魂の肉筆による、この『春望山水図』を、トップアートでは本格的な三段本表装の高級掛軸に仕立ててお届けいたします。しかも特別価格18,900円でのご提供。日常の気ぜわしさから離れ、悠々とした時の流れに心遊ばせる……そんな贅沢なひとときをご満喫いただける、またとないチャンスです。

国破れて山河あり、城春にして草木深し…懐かしい言葉だ。わが身を流れに浮かぶ泡沫(ウタカタ)と詠んだ鴨長明、無常観を言い表わしている気品のある表現である。

どんな思いがあろうとも、どんな考えを書き残そうとも、所詮は泡沫となろう。してみればわが身も哀れなものである。

泡沫は泡沫として、この「春望」軸を紹介したのは次のHPである。

   <http://www.topart.co.jp/index2.html>(トップアート)

参考にいろいろと調べてみるのも面白い。

藤原正彦…『国家の品格』…

新潮新書の「国家の品格」がベストセラーになっているという。そのカバーの裏表紙にはこんなことが書かれている。

日本は世界で唯一の「情緒と形の文明」である。国際化という名のアメリカ化に踊らされてきた日本人は、この誇るべき「国柄」を長らく忘れてきた。「論理」と「合理性」頼みの「改革」では、社会の荒廃を食い止めることはできない。いま日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことである。すべての日本人に誇りと自信を与える画期的提言。  《上記の武士道精神<http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/bushido1.html>を開き、最初の枠の最後にのっている‘武士道’をクリックすると、〔武士道 新渡戸稲造著 岬龍一郎訳 PHP文庫〕が出ている。これがとても参考になる。》

定価680円のこの文庫本はとても読みやすいし、わかりやすい。講演を元にして加筆修正したからであろう。

因みに荒廃を表わす言葉を拾ってみよう。

核兵器保有と非保有の論理分裂、環境破壊の論理の非一貫性、犯罪、テロ、麻薬、エイズ、家庭崩壊、教育崩壊、学力低下や読書離れ、少年少女の非行、などなど……。

これはほとんどが論理や近代的合理精神の産物であり、その破綻が現在の荒廃の真因であると著者は言っている。

植民地主義や委任統治方法も自分たちの利益優先の考えの中から生まれている。共産主義も砂上の楼閣に過ぎなかった。徹底した実力主義も社会秩序から見れば穏やかではない論理であった。弱肉強食に徹する資本主義社会は安定性を失う。

市場原理主義を前提にする社会も、勝者は「ウィナー・ティクス・オール」という原理になっている。武士道精神からすればそれは卑怯ということになる。

会社はそこで働く従業員のもので、株主のものではない。株主主権を声高に言い立てる人には「下品」で「卑怯」という印象を禁じえない。「法に触れなければ何をやってもいい」と、財力にまかせてメディア買収を試みた人がいますが、日本人の過半数が彼を喝采しているのを見ると、何とも絶望的な気分に襲われた。

「嗚呼玉杯に花うけて」(一高第12回記念祭寮歌) 矢野勘治作詞・楠正一作曲

  嗚呼(ああ)玉杯に花うけて
  緑酒(りょくしゅ)に月の影宿(やど)し
  治安の夢に耽(ふけ)りたる
  栄華(えいが)の巷(ちまた)低く見て
  向ケ岡(むこうがおか)にそそり立つ
  五寮の健児(けんじ)意気高し

  芙蓉(ふよう)の雪の精をとり
  芳野(よしの)の花の華(か)を奪い
  清き心の益良雄(ますらお)が
  剣(つるぎ)と筆とをとり持ちて
  一たび起たば何事か
  人世の偉業成らざらん

  濁れる海に漂(ただよ)える
  我国民(わがくにたみ)を救わんと
  逆巻く浪をかきわけて
  自治の大船勇ましく
  尚武の風を帆にはらみ
  船出せしより十二年

  花咲き花はうつろいて
  露おき露のひるがごと
  星霜移り人は去り
  舵とる舟師(かこ)は変るとも
  我(わが)のる船は常(とこし)えに
  理想の自治に進むなり

  行途(ゆくて)を拒むものあらば
  斬りて捨つるに何かある
  破邪の剣を抜き持ちて
  舳(へさき)に立ちて我呼べば
  魑魅魍魎(ちみもうりょう)も影ひそめ
  金波銀波の海静か

イギリスにはパブリックスクールやオックスフォード大学、ケンブリッジ大学がエリート養成の教育機関であった。

日本にも旧制中学校や旧制高等学校(ここへジャンプしてみると、細かく出ている)があって、それらがエリート養成の教育機関であった。

この一高の寮歌に出てくる“栄華の巷低く見て…”の歌詞はエリート養成機関の本質をついているといえる、という。若い頃にはよくうたった歌である。こうした格調の高い歌は今では聞くこともできない。

旧制の中学校や高等学校の制度は、教養を身につける人材が育ちやすい仕組であったと思う。戦前の上田市長の御曹司、同級生堀込藤一君など屈指のエリートと思う。

子供のときからの環境が違うとその人のバックボーンになっているものが違うことがすぐわかる。文化といえばいいのか文明といえばいいのか、私の言い方でいえば三歳までの宿業によって基本的に人としての要素が無意識裡に大脳内部に深くインプットされていることを感ずるのである。

★『国家の品格』という本の54ページには、

   このような情緒力とか、あるいは形というものを身体に刷込んでいない人が駆使す
   る論理は、ほとんど常に自己正当化に過ぎません


   世の中に流布する論理の殆んどが、私には自己正当化に見えて仕方ありません。

とある。本能的な自己防衛手段として、自己正当化を理解することはできるけれども、老年に至るまでこの域を乗り越えない人がほとんどであろう。

願えることなら、則天去私に近づきたいものである。

153ページでは、

   実際、歴史を振り返ると、論理とは「自己正当化のための便利な道具」でしかな
   かった
ことを思い知らされます。

   人間が時代とともにどんどん賢くなれば、戦争はいつかやめることができます。
   しかし、人間としての賢さとか知恵は、そのまま後の世代に残りません。だから英
   国の歴史家トインビーが「人間とは歴史に学ばない生き物である」と皮肉ったの
   です。

つづく154ページには、

   このように知識や技術は蓄積する。しかし、人間としての賢さとか情緒力は一代
   限りです。

   したがって、論理と合理のみに頼っている限りは、歴史的に証明されたごとく、
   戦争をやめることはできません。

として、私達がマクロの見方考え方がいかに大切かを指摘しています

さらに161ページには、

   どんな国でも経済的に発展する場合、常に工業の発展がベースとなります。

   高い質の労働者のほかに、それを支える基礎力としての数学や理論物理が強
   くないとうまくいきません

   …数学や理論物理のレベルが高くないと、長期的な発展は望み得ない。

とも述べている。国家の品格に直接かかわりのない主張であるが、国語教育とともに勤勉な勉学の必要性を説いている。

158ページからの「国家の品格」は、この本の総括が述べられている。

しばらく振りに一気呵成に読了した。精読してその詳細を心に刻むことが大事であろう。



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