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折々の記 2008 C

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】08/31〜        【 02 】09/06〜
【 03 】09/13〜        【 04 】09/29〜
【 05 】10/08〜        【 06 】10/14〜



【 02 】09/06〜

  09 06 直下型地震の被害は甚大
  09 07 王様の野菜
  09 08 50年目の社会科の授業
  09 10 学者の脳中世界
  09 11 9.11テロ 7周年
  09 12 うそこきの横行

09 06(土) 直下型地震の被害は甚大

日本は地震列島だという。 都市の直下型地震は関東大震災にしても神戸震災にしても大被害を与えました。

戦後いつからのことだったか、9月1日を防災の日(調べてみると1960年です)に定めて地震に対する心構えや応急の対応を訓練するようになっています。 この訓練の方法は、防災の日が決まった当時バケツリレーによる消化訓練でした。

この方法は戦時中の消化訓練とそっくりの考え方からのものでした。 私が50才過ぎですから今から30年ほど前になりますが、下条村役場で防災会議が行われたときに出席し、

 「地震対策でバケツリレーによる消化訓練は、枝葉末節のことであり消化の必要がない方法をとる対策のほうが急務である」

と主張しました。 それには家屋が倒壊しない補強対策を検討すべきであり、消防のかたがたはその対策を担う必要がある、というのが私の主張の骨子でした。

バケツリレーが止められてから10数年にはなると思いますが、まだまだ家屋補強の行政指導はありません。 個人で補強を申請して家屋補強をするというのはなかなか進まないものです。

下水による河川汚濁を防ぐために、一人残らず水洗トイレを設置したのに、家が倒壊したり火災が発生するという地震対策には行政の手が入らないというのはおかしいのです。

下伊那の直下型地震を想定するとすれば、活断層はどう走っているのでしょうか、そのことを知らなくてはなりません。

下記サイトから拡大図を見ることができます。

  http://www5d.biglobe.ne.jp/~kabataf/katudansou/nagano.htm長野県の活断層

を開きますと、伊那谷断層帯という名前が出ています。

  伊那谷断層帯>主部  上伊那郡辰野町(たつのまち)から同郡箕輪町、同郡南箕輪村、伊那市、
             上伊那郡宮田村、駒ヶ根市、上伊那郡飯島町、同郡中川村、下伊那郡松川町、
             同郡高森町、飯田市、下伊那郡阿智村を経て同郡平谷村(ひらやむら)に至る
             約79km
  伊那谷断層帯>南東部 長野県飯田市から下伊那郡阿智村、同郡下條村、同郡阿南町を経て
             同郡売木村(うるぎむら)に至る
             約32km

実際にはこれだけではなくもっと細かくあるのではないでしょうか。

この伊那谷断層帯とは別のことですが、長野県の活断層を開いてみていますと、次の地震防災対策強化地域も出ています。

 海溝型地震

  東海地震に係る地震防災対策強化地域(29市町村)

    飯田市、伊那市、駒ヶ根市、飯島町、中川村、宮田村、松川町、高森町、阿南町、阿智村、
    下條村、天龍村、秦阜村、喬木村、豊丘村、南信濃村、岡谷市、諏訪市、茅野市、高遠町、
    下諏訪町、富士見町、原村、大鹿村、上村、辰野町、箕輪町、南箕輪村、長谷村

  東南海・南海地震防災対策推進地域(1市)

    諏訪市

コピペは以上にします。 ただ、地震対策として家屋補強は行政面からも地震対策の柱にすえて検討を進めていただきたい。

09 07(日) 王様の野菜…モロヘイヤ

朝のテレビでモロヘイヤの出荷が出ていました。

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%9E%E3%83%84%E3%83%8A%E3%82%BD<シマツナソ - Wikipedia>

  http://cookpad.com/category/1313<モロヘイヤ レシピ 125品 [クックパッド] 簡単おいしいみんなのレシピが40万品>

  http://allabout.co.jp/health/healthfood/closeup/CU20070811A/<夏バテにおすすめ! モロヘイヤで栄養補給 - [食と健康]All About>

「Wikipedia」では概要が説明され、「二番目のサイト」では豊富なレシピが説明されています。

三番目の「食と健康 All About」に栄養補給の記事が出ています。


モロヘイヤは、古代からインドやエジプトを中心とした中近東でも広く栽培・利用されてきました。「モロヘイヤ(Molokheiya)」というのは、アラビア語の「王様の野菜」という意味。どんな薬を飲んでも治らない重病の王様がモロヘイヤのスープを飲んで治ったとか、王族以外には食用が禁じられていたなどの古代エジプトの話に由来しているようです。

日本に入ってきたのは、20年くらい前で歴史はまだ短いですが、今では日本の各地で栽培され、スーパーなどでも手軽に買うことができます。

ホウレンソウを上回る栄養価

モロヘイヤには、カラダの抵抗力を高めるβ-カロテンやビタミンC、疲労回復を促すビタミンB1やビタミンB2、ビタミンEなどのビタミン類、そしてカルシウム、マグネシウム、カリウムなどのミネラルが多く含まれているます。栄養価が高いことで知られるホウレンソウやコマツナと比べても、多くのβ-カロテンやカルシウムが含まれています。

モロヘイヤに多く含まれている栄養素
 野菜β-カロテン(μg)ビタミンB2(mg)ビタミンC(mg)カルシウム(mg)
 モロヘイヤ 10000 0.42 65 260
 ホウレンソウ  4200 0.20 35  49
 コマツナ  3100 0.13 39 170
 *五訂増補 食品成分表より


表を見ますと、β-カロテンビタミンB2ビタミンCカルシウムこれらが多く含まれているのに驚きます。

09 08(月) 50年目の社会科の授業

八月になってから片桐久義君から電話で、同級会の折社会科の授業をお願いしたい、という依頼がありました。 お遍路の話でもよいとの話でした。

どうもこの発想は丸岡君のものらしいと察しはしていた。 八月末になってと思うが、丸岡君から小沢修君も壬生フミさんも行くという電話がかかってきた。 社会科の授業は察していた通りでした。

久義君発送の8/15日付案内葉書は下記の通りです。

  見えにくかったら拡大鏡を使ってください。

  頭の中……

  @ なぜ社会科の先生になったのか

      敗戦  青年師範学校入学  歴史  温故知新  社会科の免許状

      青春を失った仔羊  ヒューム  漱石  トインビー

      (明治百年)  東洋と西洋  (心の拠所)  宗教(又は哲学)

  A 心情のゆくえ

      ヘロドトスの歴史観  生まれ苦しみ死ぬ

      生老病死  苦楽一如  楽しんで死ぬ  不動明王

  B お釈迦様の無常観

      般若心経  漢文解釈  「 照見五蘊皆空  度一切苦厄 」

  C 無常観に寄り添う意味  

      なぜ、お遍路なのか  人の喜怒哀楽  自と他  人の力

  D もの言えば くちびる寒し 秋の風   (芭蕉)

      なべて  路傍の花 違うことなし 人のはて   (水鏡)

  E 孤立の自覚  親孝行 子孝行  親子の情愛(0歳教育)   さいはては遍路の心か

ともあれ、これらの中身の推敲をかさねていって、年寄りの語りぐちのようになればと願っています。

09 10(水) 学者の脳中世界

三四日前、湯川秀樹と朝永振一郎の二人の人柄や学問のスタイルなどに触れた放映がありました。

興味があったので早速調べてみました。

  朝永振一郎 文京区 1906.3.31〜1979.7.8 喉頭癌 享年73 京都第一中学校 第三高等学校 京都帝大理学部物理学科

  湯川 秀樹  港 区 1907.1.23〜1981.9.8 心不全 享年74 京都第一中学校 第三高等学校 京都帝大理学部物理学科

  二人は大変似ています。 東京生まれの父親はともに学者でともに京都大学の教授に迎えられ、その子供が三高、帝大が同期でしかも二人とも理科はいつも100点の成績でした。

私がいつも0歳教育の解明で才能教育の壁>に突き当たるのは、胎教を含め満三歳までの四年間の具体的教育がどのように行われていたかという一点にあります。

両親の教養、子供の養育方針、具体的記録、それらが鮮明になることです。 この二人の場合にも親の望ましい教育は四年間、日々行われてきたことは明らかなことです。

でも、このことが明示されていません。

近世第一の学者と思われる南方熊楠を調べていても、この四年間の具体的教育が分からないのです。


   そういう意味で 「四年間の具体的教育」 が理解できるのは
   <ヴィッテ> <ストーナー夫人> <ジツコ・スセディック>
   この三人だけです。


四年間の具体的教育は別にして、二人の様子を次のサイトで見ることができます。

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E5%B7%9D%E7%A7%80%E6%A8%B9 <湯川秀樹 - Wikipedia>

  http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/tour/nobel/yukawa/p1.html <ノーベル賞日本人受賞者7人の偉業【湯川 秀樹】>

  http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic9.html <湯川秀樹の生涯>

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%B0%B8%E6%8C%AF%E4%B8%80%E9%83%8E <朝永振一郎 - Wikipedia>

09 11(木) 9.11テロ 7周年

きょうは 9.11テロ 7周年にあたるという。 アフガニスタン、イラクともにアメリカの独断で戦争状態がひき起こされました。 以来多くの人々が戦争を拒否しながら死んでいきました。

武力による紛争解決は二度のわたる世界大戦で間違いであることが、世界の共通意識になっているのに、アメリカの指導者は独自の経済体制によりかかって武力を行使してきました。

国連の過半数の意思ではありません。 身勝手な解釈の仕方で横車を押し通してきました。

事実かどうかは分かりませんが、【9.11テロ事件の陰謀説】のサイトが出ています。 7周年になって始めてみたサイトですので、参考のため載せておきます。

Google検索で【9.11テロ】と入力すると、ものすごくたくさんのサイトが出てきます。

そのなかから、次の三つを取り上げました。

  @  <アメリカ同時多発テロ事件 - Wikipedia>

  A  <アメリカ同時多発テロ事件陰謀説 - Wikipedia>

  B  <9.11の真実(飛行機が突っ込んでいもいないWTC第7ビルがなぜ崩壊?)>

  次の四つのサイトは B から次々にジャンプしていくと、出てきたものです。

      <9・11に関するこれらの質問に対して、私たちはなぜ答えを得ることができないのか?>

        <テロ特措法改定=延長の強行採決に強く抗議する!>

          <アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名運動>

            <リブ・イン・ピース☆9+25”への改称と、会員募集、ご支援のお願い>

この最後のサイトを見ていると、AB の疑義から分け入って物を考えるという思考過程をとりますが、たとえ AB が陰謀でなかったとしても、戦争否定の立場から考えていきますと、参考になります。 これらは Print out して製本しました。

09 12(金) うそこきの横行

前に<折々の記 2008 B【 02 】2008/07/01〜>で「偽装の横行」を取り上げました。

偽装の横行にはもう辟易しています。 どうしてこうもウソコキが横行するようになったのでしょうか? 

平然として、依然ウソコキを続けた社長がいました。 社長の値打ちもない身勝手なウソツキなのです。

道義も、モラルもありません。

<食品会社 偽装の歴史>の中に次の記事が載っています。


新たな偽装が発覚!コメの卸売加工業者「三笠フーズ」(大阪市北区、冬木三男社長)が国から購入した非食用の事故米を食用などとして転売していたことが判明。

03年度以降に購入した約1800トンのうち、残留基準値を超える有機リン系殺虫剤「メタミドホス」が混入した中国産など少なくとも約300トンの転売が確認された。福岡県内の工場で加工され、一部は焼酎などで販売されているとみられる。

農水省によると、同社は03年度から今年度まで、事故米を粉にして工業用のりなどの原料に加工するとして国から非食用の事故米計約1779トンを購入。実際は、佐賀県や鹿児島県の仲介業者や焼酎メーカーなどに転売していた。

転売が確認された米は、メタミドホス混入の中国産約295トンのほか、発がん性のカビ毒「アフラトキシンB1」に汚染されたベトナム産などの約3トン。いずれも国が世界貿易機関(WTO)の協定に基づくミニマム・アクセス(最低輸入義務)枠で輸入した。


「ウソは泥棒の始まり」今の子供たちは親からこんなことは聞かなかったことでしょう。 日本の世相を反映した、ウソや偽装で糾弾すべきなのは、「ウソは泥棒の始まり」ということを聞いて育った親や年寄りの人達なんです。

「金儲けをして何が悪い」というような空気が蔓延し、良心の呵責などという言葉も考え方もどこかへ投げ捨ててしまったのでしょう。 実に恥ずかしいことです。

文化の熟爛、熟爛(熟しきって、くずれること)などという漢字はパソコンで転換しても出ていません。 熟爛とまでは言えないとしても、国民の殆どが生活に困るようなことがなくなって中流意識になってきたとき、衣生活も食生活も住生活も事足りるようになり、着るものも食べるものも新しいもの美味しいものに手を出すようになりました。

いったん生活レベルが都合よいものになりますと、そしてそれが続きますと、衣生活も食生活も元へ戻すことは至難なこととなります。 このことが「金儲けをして何が悪い」という言い方や「金儲けのためにウソをつく」ようになる、その一番の原因でしょう。

人はどんな悪条件でも死にたくないから極限の忍耐にも耐えます。 けれども生活条件が良くなってしまうと、やがて努力するとか精進するとか道義の心を堅持するとか、そうした価値観が薄れていき<凡欲が熟しきって崩れる>ことになります。

“満つれば欠くる”このことわざが デ〜ン と位置づくのです。

世相の変転をそんな切り口で見つめるのですが、違うのでしょうか?