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折々の記 2008 B

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】2006/06/10〜        【 02 】2008/07/01〜
【 03 】2008/07/10〜        【 04 】2008/07/22〜
【 05 】2008/08/03〜        【 06 】2008/08/18〜



【 04 】07/22〜

  07 22 大分県「後姿の教育」はあるのか
  07 26 asahi>新戦略を求めて
  07 29 異常気象が続く
  08 01 葉月を迎えて
  08 02 高校野球始まる

07 22(火) 大分県「後姿の教育」はあるのか

教育そのものの姿勢がおかしくなってきています。 私たちはどうすればいいのでしょうか。

昨今のメディアによりますと、大分県ばかりではなく全国すべての教育そのものの世界の中に、神聖でなければならない教育そのものを揺るがす醜悪な姿が報道されています。

教育そのものは、もともと両親がわが子を養育していく営みを指しています。 そこには慈しみ愛するという親の情と、あわせて将来にわたってのわが子の幸せを願っての養育の営みがなければなりません。

親の中には、親が当然果たさなければならない責任を十分自覚していない人もあります。 こういう人が多くなってきますと、その国が疲弊し衰退していきます。 教育を大事に考える人が多くなっていけばその国が希望に満ち安定し発展していきます。

  教育は国家百年の大計を要する、といわれるのは故なきことではありません。 アテネ人が果たした人類への貢献はひとえに技と知を大事にしていたこと(ギリシア語philosophia=技、知を愛すること)にあったと私は思います。

  いま私たちは日本では教育が大事にされているという思いが強いでしょうか。 どう考えてもそうとは思えません。

明治初期に教育に期するものは相当なものだったとおもいます。 七月十五日記載の佐久の中込学校をみても明治初期の人々の意気込みが伝わってきます。

福沢諭吉の学問のすゝめを読み直さなくてはなりません。最初に発行された冒頭の部分を次にあげてみます。


 天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らずと云えり。

 されば天より人を生ずるには,万人は万人皆同じ位にして,生れながら貴賤上下の差別なく,万物の霊たる身と心との働を以て,天地の間にあるよろずの物を資り,以て衣食住の用を達し,自由自在,互に人の妨をなさずして,各安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。

 されども今広くこの人間世界を見渡すに,かしこき人あり,おろかなる人あり,貧しきもあり,富めるもあり,貴人もあり,下人もありて,その有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。

 その次第甚だ明なり。実語教に,人学ばざれば智なし,智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は,学ぶと学ばざるとに由て出来るものなり。    (以下略)


学んでしかる後富める者となったとしても、自由と我儘について、次のように釘を刺しています。

「自由と我儘との界は,他人の妨を為すと為さゞるとの間にあり。譬えば自分の金銀を費して為すことなれば,仮令い酒色に耽り放蕩を尽すも,自由自在なるべきに似たれども,決して然らず,一人の放盪は諸人の手本となり,遂に世間の風俗を乱りて人の教に妨を為すがゆえに,その費す所の金銀はその人のものたりとも,その罪許すべからず。」

私たちはどう対処していったらいいのでしょうか。

大分県の場合、教師としての資質を問う前に、人としての道義の資質を問わなければなりません。 道義の資質ある者の中から教師としての資質を問わなくてはなりません。

道義にもとる行為に陥った者がとるべき道は、教師の資質を失った者として職を辞することが最もよい判断でしょう。

ことが発覚しなくても悲痛な思いにいたった者は猛省しなければなりませんし、道義に反していると自覚したら教育の失格者として、辞職することを自分に約束しなければなりません。 そうした教育者は各都道府県にもいることでしょう。

こうした教育者の覚悟の表明がない限り、日本の教育の方向が鮮明になったとはいえませんし、私は悲しみが絶えることがありません。 報道を見ていますと、氷山の一角かという疑いすら感ずるのです。

教育について教育者だけを責めるのではなく、日本の将来の課題としてみんなで、日本の教育のあり方を見つけ出していかなくてはなりません。 ただ単に学校教育に限らず、殊に幼児期の教育、別の言葉としては0歳教育に焦点を当てて考えるべきでしょう。

教育の原点は、育ってくる子供たちに 「見られてもいい」 「聞かれてもいい」 そういう望ましい環境を、私たち親が創ってあげることにあります。

子供は自分で自分の世界を築いていくしかないのです。

この二つのことが十分理解されなければなりません。

07 26(土) asahi>新戦略を求めて

このタイトルで特集が始まったのは 2006年4月23日で、当時からこの特集が始まっていたことをなんにも知らなかった。

  ですから、全記事一覧を開いてその内容を見たときには驚いてしまった。 目配りが足りなかったことを痛切に感じざるを得なかった。

現在位置: asahi.com>ニュース>ニュース特集>の中に、トピックスとして

  提言 日本の新戦略 社説21   <http://www.asahi.com/strategy/index.html>

 日本国憲法は今日、満60年を迎えた。この間、なにかと改憲論の試練にさらされてはきたが、この憲法が日本の民主主義や平和を支える基盤となってきたことは疑いの余地がない。[詳細]


を何回か見ており、一昨日[詳細]をクリックして全記事一覧を目にしたときに驚いたのである。

早速そのすべてをコピーしページにナンバリングで印字し、本日四分冊(A5版総頁384)に製本し終えました。

いま日本が抱えている課題で、私たちが共通認識をしていたほうがよいと思われる、その基盤がここに明示されているように思います。

戦略という言葉は私が忌み嫌うものですが、仕方がありません。 構想とか基盤にしてもいいように思います。

07 29(火) 異常気象が続く ◆向日葵

兵庫県の鉄砲水、福井県や愛知県の突風、などなど

「日本の気象現象がおかしい。 穏やかさが特徴だった日本列島の気候が近年、急速に荒々しくなっている。 先週から各地で相次いでいる高温や突風、大雨の例からもその異常ぶりがはっきり実感されるだろう。 (以下略)」

と「MSN産経ニュース」 (29日03時41分)が報じています。 高温、突風、大雨、昨今の気象状況はまさに異常を感じます。

常軌を逸した地球環境は、私たちの凡欲が招来したものでお金をはじめとする衣食住すべてにわたる我欲によるものです。 他人のせいではなく「自分の欲望の成れの果て」がこうなっています。

そうしたことが分かっていても、良いものを着たいし食べたいし良いところに住んでいたいのです。 そしてそれらを手に入れるためのお金を欲しいのです。

たとえ人工衛星の軌道修正はできても、どんな理論によっても人の心を修正することは出来ないのではないんでしょうか。

凡欲熾盛にして寂滅は難し、というところでしょうか。 末世という言葉か気にかかります。

向日葵  六月六日に種を蒔いた向日葵がぐんぐん成長して今朝は花が三つ黄色くなり始めました。

肥やしをやり、草取りをし、水やりの手入れをしてきました。 日に日に伸びてくるので可愛いものです。

この命にはホトホト感心します。 手入れをしてあげなくても文句を言いません。 雨が降ろうが風が吹こうが、暑かろうとも寒かろうとも、なんにも文句を言いません。 それでいて、ちゃんと綺麗な花を咲かそうとしているのです。 抱いてやりたくなります。

夕方、写真を撮ってやろうと思います。

【ひまわり】2008/07/29 pm.05:00 撮影

 色がつかない花は、みんな太陽のほうを向いているのに、色づき始めた花は太陽から顔を背けていました。 どうしたことか分からないけれど、向日葵も色づき始めたときには太陽に恥らっているのでしょうか。

そうだとしますと、いじらしい。 ちょうど五時になりました。

〔追記〕

@ 07/30 朝06:30 畑へ行って見ると、向日葵は色のつかない花も色のついた花も、一斉に太陽に向いていました。 淡黄色の花になったものが、いきなり20位増えていました。

A 夕方5:30頃 畑へ行って見ると、色づいた向日葵はやはり太陽から顔を背けています。 不思議なことです。

B 07/31 朝5:00 畑へ行って見ますと、向日葵はすべて太陽が出る東を向いています。 淡黄色の花になったものは半数近くになっている。

 夕方見ますと、黄色の向日葵はやはり西を向いていません。

C 08/01 朝6:00 畑の向日葵は三分の一が黄色くなってみんな東を向いていました。

D 08/05 向日葵の花はみんな開花しました。

 何日か花の様子を見ていますと、花の実になる部分は日増しに大きくなってきます。

 そして、花が大きくなって重くなってくるので、日没に西に向かって太陽にお辞儀する芸当はできなくなっていることが、わかりました。

咲き始めから一週間でみんな咲きそろいました。 追記の部分はこの辺で終わります。

08 01(金) 葉月を迎えて ◆福田康夫、新閣僚を発表

【こよみのページ】を開いてみると、八月は葉月となっている。 十一月は霜月で霜の降る月の意味だという。十一月は霜月というほうが感じが出るというけれど、八月の葉月は木々の葉落ち月(はおちづき)だという。 

これでは月の別の言い方の意味をなしていません。 

やっぱりこの月の異名は安田徳太郎の考え方を取り入れたほうがよさそうです。 彼によると、ヒマラヤ地方の古語に由来しているというのだが、月の異名については安田徳太郎以外の説を聞いたことも見たこともありません。
【私たちの祖先→万葉集の謎→月の異名】

それはそうとして【こよみのページ】では、八月一日は二十四節気の大暑(7/22〜8/6)のさなかです。 そして◇暑さが厳しい頃、夏も本番としています。 ほんとにその通りです。

そして旧暦では7月1日 であり、
  日の出 04時49分 : 日の入 18時46分(計算地:東京)
となっています。

ちょうど四十日前の6月21日夏至では
  日の出 04時26分 : 日の入 19時01分(計算地:東京)
となっていますから、
  日の出は 23 分遅く、
  日の入りは 15 分
早くなっています。

  08/02 高校野球全国大会が始まる
  08/06 広島平和記念日
  08/07 飯田地方は旧暦の七夕さま-(七夕伝説)
  08/08 中国で北京オリンピック大会が始まる
  08/09 長崎原爆の日
  08/15 盂蘭盆

野球やオリンピックの観戦が始まるので、暑い夏の過ごし方も少しは落ち着きます。 お墓の掃除と七夕、お盆の迎え火と新盆まわり、子供や孫の来訪など残暑の終末をせわしく行事が過ぎることとなります。

● 福田康夫、新閣僚を発表

 [平成20年8月1日]福田総理は内閣改造を行い、総理大臣官邸で記者会見を行いました。
 (詳しくは“首相官邸ホームページ”)

    http://www.kantei.go.jp/jp/hukudaspeech/2008/08/01press.html

【追記】 福田内閣閣僚名簿等 (平成20年8月2日発足)
 職   名 
 氏  名 
 備 考 
 内閣総理大臣 福田 康夫
  (ふくだ やすお)
 衆 院
 総務大臣
  内閣府特命担当大臣(地方分権改革)
 地方再生担当 道州制担当
 増田 寛也
  (ますだ ひろや)
  -
 法務大臣 保岡 興治
  (やすおか おきはる)
 衆 院
 外務大臣 高村 正彦
  (こうむら まさひこ)
 衆 院
 財務大臣 伊吹 文明
  (いぶき ぶんめい)
 衆 院
 文部科学大臣 鈴木 恒夫
  (すずき つねお)
 衆 院
 厚生労働大臣 舛添 要一
  (ますぞえ よういち)
 参 院
 農林水産大臣 太田 誠一
  (おおた せいいち)
 衆 院
 経済産業大臣 二階 俊博
  (にかい としひろ)
 衆 院
 国土交通大臣
 観光立国担当 海洋政策担当
 谷垣 禎一
  (たにがき さだかず)
 衆 院
 環境大臣 斉藤 鉄夫
  (さいとう てつお)
 衆 院
 防衛大臣 林  芳正
  (はやし よしまさ)
 参 院
 内閣官房長官 町村信孝
  (まちむら のぶたか)
 衆 院
 国家公安委員会委員長
 内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策防災)
 林 幹雄
  (はやし もとお)
 衆 院
 内閣府特命担当大臣(金融)
 行政改革担当 公務員制度改革担当
 茂木 敏充
  (もてぎ としみつ)
 衆 院
内閣府特命担当大臣
 (経済財政政策規制改革)
 与謝野 馨
  (よさの かおる)
 衆 院
内閣府特命担当大臣(科学技術政策食品安全)
 消費者行政推進担当 宇宙開発担当
 野田 聖子
  (のだ せいこ)
 衆 院
内閣府特命担当大臣(少子化対策男女共同参画)
 拉致問題担当 公文書管理担当
 中山 恭子
  (なかやま きょうこ)
 参 院


08 02(土) 高校野球始まる

今日から高校野球が始まる。 高校野球全国大会を開いて‘大会日程’を見ると、全体の予定が出てきます。 今日の予定は 9:00 から開会式が放送され、続いて次のような計画になっています。

  10:30 第一試合 駒大岩見沢 対 下関
             (北北海道)    (山口)
  13:00 第二試合 済美     対 智弁和歌山
             (愛媛)       (和歌山)
  15:30 第三試合 鳥取西    対 木更津総合
             (鳥取)       (東千葉)

となっている。 パソコンを見なくても新聞やテレビを見ていれば試合予定は分かります。 大会日程をコピーし手元において観戦する予定です。

長野県代表の松商学園高校は 8/5、 13:30から第三試合で北神奈川代表の慶応高校と対戦することになっています。

【追記】

  第一試合結果 8 : 6 駒大岩見沢 勝ち
  第二試合結果 3 : 0 智弁和歌山 勝ち
  第三試合結果 6 : 1 木更津総合 勝ち

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