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折々の記 2008 B

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】2006/06/10〜        【 02 】2008/07/01〜
【 03 】2008/07/10〜        【 04 】2008/07/22〜
【 05 】2008/08/03〜        【 06 】2008/08/18〜



【 05 】07/22〜

  08 03 秋の虫
  08 04 教育の原点
  08 06 待ち望んでいた雨
  08 08 北京オリンピック●立秋●ちひろ
  08 09 長崎原爆
  08 17 お盆とコオロギ

08 03(日) 秋の虫

 【キリギリス】

 はじめて秋の虫が、昨日から鳴き始めました。 いつもは何時から鳴き始めるのか知らなかったのだが、今年は暑さが厳しくお昼のご飯を済ませてからは居間でテレビを見て休むことにしていた。

そしてきのう、ことし初めてキリギリスの鳴き声をきいたのです。 夜は虫の鳴き声をまだ聞いていません。 秋の虫はまだ鳴いていないのです。

秋の虫といえば、コウロギがその代表です。 でも、まだコウロギは鳴いてはいません。

隣の畑は住む人がいないので、草が茂っているのです。 キリギリスが秋の虫の鳴き声、トップなのです。

 【アオマツムシ】

 秋の虫の鳴き声といいますと、子供の頃は聴いたこともない秋も終わり頃やかましい鳴き方をするアオマツムシがいます。 私が気がついたのは10年ほど前からです。 はじめは名前も分からなかったのですが、アオマツムシだというのです。

調べてみますと、コウロギで、外来種というし、情緒のかけらも感じられないという。 ほんとにそうで、嫌な虫なんです。

 アオマツムシには、次のような説明があります。

 「鮮やかな緑色のなかなか綺麗なコオロギ。普通、コオロギの仲間は黒か褐色をしているのですが、このアオマツムシは木の上にいるため葉と同じ色をしているのでしょう。おもに夜、夏から秋にかけて、街路樹など比較的高い木の上で鳴きます。もともと外国から来た虫らしく、かつてはほとんどいなかったのですが、いまでは東京付近ならごく普通に鳴き声が聞かれるようになりました。姿は美しいものの、声は非常に大きく、情緒のかけらも感じられない、というのが正直なところ。他のコオロギの繊細な調べもこの声にかき消されてしまうので、秋の虫の声を楽しむにはアオマツムシが鳴き止む夜遅くまで、あるいは秋が深まるまで待たなければなりません。

08 04(月) 教育の原点

教育についての考え方は揺れに揺れているように思います。

教え育てるということは、人の生涯の営みを改善しようとする第三者のいい方といってもよいでしょう。

こうした視点で見ますと、時の経過や生活環境とか教え育てる内容など、教育の中身は複層したものとなってきます。

ところが、一般的に教育という言葉を学校教育という青少年を対象とした、保育施設、義務教育、高校教育、大学教育をさしていることが多い。 一面的なのです。

そして更に、2000年に始まったPISA(国際学習到達度調査…3年ごとに実施)の結果、日本の学力低下を目の前にして学力をテーマにした教育のあり方が議論されるようになった。 このことが教育の見直しのきっかけになりました。

この端的な様子は<OECD生徒の学習到達度調査>によって確認できます。 このページの末部には 

  OECD生徒の学習到達度調査(PISA2006) 文部科学省
  OECD生徒の学習到達度調査(PISA2003) 文部科学省
  OECD生徒の学習到達度調査(PISA2000) 文部科学省

という外部リンクがあります。 このほかにも、国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)を検索して理解を広げるとよい。

これらを中心にし、さらに読売新聞の

  ホーム>教育>教育ルネサンス

を開いてみますと2005年からの膨大な資料を見ることもできます。


ともあれ、日本の教育を何とか考え直したいという動きが、国際間の教育調査の結果異常なほどに盛り上がってきたのです。

このOECDの調査の結果では、第一回の調査と第三回の調査の結果を比べてみますと、国際間で見た日本の子供たちの学力は低下の一途をたどっていたのです。

その原因と考えられたのが、文部省のいわゆる「ゆとり教育」の方針でした。 たとえば、円周率は3と教えるという教育内容の質的低下が槍玉にあがってきたのです。 さらに授業時数の削減も問題になりました。

そこで、これらの動きを見ますと、いわゆる学校教育をどう考えどう変えていくことが良いのか、という角度からの意見がほとんどなのであります。

勿論、学校教育の内容の希薄化や授業時間の短縮も、学力低下の原因になっているでしょう。

だが、国民生活全般に皮相的な目に見える価値観が蔓延してきたことや、経済生活優先という価値観が、家庭内にも浸透してきて、家庭教育に対する願いや意識がどんどんと希薄になってきました。 家庭におけるこうした変化は目に見えることなく進行して、家庭の教育環境は質的にも崩壊の一途をたどってきたことを見抜かなくてはなりません。

学力低下はここ10年間だけのことではなく、ずっと以前から国の文教政策とともに家庭の質的変化が進行して子どもたちを学力低下に導いたと考えなくてはなりません。

OECDの調査によって事実が明らかになって政治家や学者は驚き、学校教育を何とかしなくてはならないと考えるようになったのです。

これは教育の総点検という命題から見ますと、両親による教育(いわゆる家庭教育)が無視された考え方になっております。

“良いナスを作るには、良い苗を育てることが必須用件である”このことは、百姓をしてきた人たちは身をもって体験していることであります。これは野菜作りの鉄則なのです。

子供の教育もこの自然界の“命の養育原則”を外れては十分な結果を望むことはできません。

どうしてこの明白な理論を大事にしないのでしょうか。

学校教育の分野のみを論議していても、学力の成果を期待するわけには参りません。

本来、学力の成果を期待するのならば、立派なナス苗はいかにして育てたら良いのか、十分議論し検討すべきなのです。

親はわが子をどう育てたらよいのか、誰でも知っているのですか。

元気な子にしたい、社会に貢献できる子にしたい、……それなら、お腹に赤ちゃんができたと知ったら何をしたらいいのですか。

元気な子にしたい、社会に貢献できる子にしたい、……それなら、生まれて一年間には赤ちゃんに何をしてあげたらよいのですか。

お父さんとお母さん、400字づめの原稿用紙10枚以内に、上の質問に対する自分の計画なり考えなりを書いてみてください。

それが家庭教育の原点です。

お爺さんでもお婆さんでもいい、学校の先生方でも村長さんでもいい、県会議員さんでも村会議員さんでもいい、400字づめの原稿用紙10枚以内に、上の質問に対する自分の計画なり考えなりを書いてみてください。

それが全体構想を含めた学力向上を求める原点です。

誰かが日本の子供たちの将来の学力向上を成し遂げてくれるのではありません。

学者の議論を聞いて、成るほど成るほどと感心していても、子供たちの学力は身にはつきません。

私はどうしたらいいのでしょうか。 自分でその答えを考え、実践しなければ、自分の子供の学力は一向に充実しようがありません。


教育論議の中で学校教育だけが論議され、親はわが子をどう教え育てたら良いのか何も考えることがなく、何の計画や目論みもないとしたら、どこにも子供の学力を伸ばすという保障もありません。

新聞や学者の議論には、もう辟易しています。

そこで登場するのが、カール・ビッテの考え方であり、ストーナー夫人の実行であり、ジツコ・スセデックの実践記録であり、ピアスのブレイン論理であります。

そしてこれは、私の「0歳教育」の根拠です。

08 06(水) 待ち望んでいた雨・七夕・平和宣言

昨日の夕方、待ち望んだ雨が降りました。 猛烈な雨でした。

気候情報の解説もありますが、地球規模の温暖化によってヒマラヤから東に通常より高い高気圧帯がのびているので、日本列島付近の高気圧帯と低気圧帯の合わさり目、いわゆる温暖前線とか寒冷前線とかそれらは異常なほど不安定になるのだといいます。

そのため、日本列島いたるところ短時間の豪雨や突風や竜巻現象が生じるのだといいます。

きのう東京で下水道のパイプ取替え工事をしていた五人が、突然の雨水増水のため流されるという悲惨な事故が発生しました。 これも最近の日本の異常気象の現れの一端です。

今朝畑を見回ったところ、霜ササゲは驟雨に打ちひしがれていました。 でも、六月からのカラカラ天気で耕耘した霜ササゲのふわふわ畑は十分水分補給ができたようです。 すべての野菜、果物にとっては恵みの雨でした。 ニンジンやナス、トマトへの撒水作業も一段落です。

ともあれ、雨の降り方にしても、雨降りの分布にしても、異常になっていることは間違いない。

● 今日は七夕飾りをする日で、六日の早朝はお墓の掃除をするのが私が子供の頃からのしきたりでした。

六時頃お墓へ行ったけれど、だあれもいなかった。 様変わりしてしまった。

七夕飾りは子供の頃からずうっと主役でやってきたが、去年から止めることにしました。 寂しいことです。

子供の頃は兄弟してサトイモの葉の水を集めてきて、短冊へ七夕様への願いごとを書きました。 カボチャを取ってきて飾り翌朝食べるのがずっと決まっていました。 飾り台にはカボチャのほかキビやナス、トマトなどの野菜を供え、米を計る枡を田植えのときの早苗を神棚へ進ぜてあっもので洗って、これも供えました。 スズリも同じもので洗って飾りました。 硯など洗うことなどこの機会のほかにはありませんでした。

短冊は観世よりを上部へ通して笹の枝へ結わえつけました。

これらはみな、懐かしい思い出になってしまいました。

●けょう六日は、昭和二十年、世界で始めて原子爆弾が広島へ投下された日です。

なんとしても悲しみの象徴のような日です。 人の心に巣食う悪魔の象徴といってもよいのです。

これはどこの国の人がという問題ではなく、一人ひとりの心の中の問題なのです。

毎年のことながら広島市長の平和宣言は、落ち着いて力強く心に響くものでした。 やっぱり保存しておきたい。


広島市は毎年8月6日に、原爆死没者への追悼とともに核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を願って平和記念式典を行い、広島市長が「平和宣言」を世界に向けて発表しています。広島・長崎の悲惨な体験を再び世界の人々が経験することのないよう、核兵器をこの地球上からなくし、いつまでも続く平和な世界を確立しようと、これからも平和宣言は訴え続けていきます。

平 和 宣 言

平均年齢75歳を超えた被爆者の脳裡(のうり)に、63年前がそのまま蘇(よみがえ)る8月6日が巡って来ました。「水を下さい」「助けて下さい」「お母ちゃん」―――被爆者が永遠に忘れることのできない地獄に消えた声、顔、姿を私たちも胸に刻み、「こんな思いを他の誰(だれ)にもさせない」ための決意を新たにする日です。

しかし、被爆者の心身を今なお苛(さいな)む原爆の影響は永年にわたり過少評価され、未だに被害の全貌(ぜんぼう)は解明されていません。中でも、心の傷は深刻です。こうした状況を踏まえ、広島市では2か年掛けて、原爆体験の精神的影響などについて、科学的な調査を行います。

そして、この調査は、悲劇と苦悩の中から生れた「核兵器は廃絶されることにだけ意味がある」という真理の重みをも私たちに教えてくれるはずです。

昨年11月、科学者や核問題の専門家などの議論を経て広島市がまとめた核攻撃被害想定もこの真理を裏付けています。核攻撃から市民を守る唯一の手段は核兵器の廃絶です。だからこそ、核不拡散条約や国際司法裁判所の勧告的意見は、核軍縮に向けて誠実に交渉する義務を全(すべ)ての国家が負うことを明言しているのです。さらに、米国の核政策の中枢を担ってきた指導者たちさえ、核兵器のない世界の実現を繰り返し求めるまでになったのです。

核兵器の廃絶を求める私たちが多数派であることは、様々な事実が示しています。地球人口の過半数を擁する自治体組織、「都市・自治体連合」が平和市長会議の活動を支持しているだけでなく、核不拡散条約は190か国が批准、非核兵器地帯条約は113か国・地域が署名、昨年我が国が国連に提出した核廃絶決議は170か国が支持し、反対は米国を含む3か国だけです。今年11月には、人類の生存を最優先する多数派の声に耳を傾ける米国新大統領が誕生することを期待します。

多数派の意思である核兵器の廃絶を2020年までに実現するため、世界の2368都市が加盟する平和市長会議では、本年4月、核不拡散条約を補完する「ヒロシマ・ナガサキ議定書」を発表しました。核保有国による核兵器取得・配備の即時停止、核兵器の取得・使用につながる行為を禁止する条約の2015年までの締結など、議定書は核兵器廃絶に至る道筋を具体的に提示しています。目指すべき方向と道筋が明らかになった今、必要なのは子どもたちの未来を守るという強い意志と行動力です。

対人地雷やクラスター弾の禁止条約は、世界の市民並びに志を同じくする国々の力で実現しました。また、地球温暖化への最も有効な対応が都市を中心に生れています。市民が都市単位で協力し人類的な課題を解決できるのは、都市が世界人口の過半数を占めており、軍隊を持たず、世界中の都市同士が相互理解と信頼に基づく「パートナー」の関係を築いて来たからです。

日本国憲法は、こうした都市間関係をモデルとして世界を考える「パラダイム転換」の出発点とも言えます。我が国政府には、その憲法を遵守し、「ヒロシマ・ナガサキ議定書」の採択のために各国政府へ働き掛けるなど核兵器廃絶に向けて主導的な役割を果すことを求めます。さらに「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め、また原爆症の認定に当たっても、高齢化した被爆者の実態に即した温かい援護策の充実を要請します。

また来月、我が国で初めて、G8下院議長会議が開かれます。開催地広島から、「被爆者の哲学」が世界に広まることを期待しています。

被爆63周年の平和記念式典に当たり、私たちは原爆犠牲者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠を捧(ささ)げ、長崎市と共に、また世界の市民と共に、核兵器廃絶のためあらん限りの力を尽し行動することをここに誓います。

2008年(平成20年)8月6日       広島市長 秋 葉 忠 利


08 08(金) 北京オリンピック●立秋●ちひろ

今日は下記のとおりオリンピックの開幕です。 asahi.comには次の記事が載っています。 記録のため載せます。

@スポーツの祭典、8日開会式 205の国・地域参加

「現在位置: asahi.com>北京五輪2008>大会関連ニュース>記事 (2008年8月8日3時45分)

【北京=阿久津篤史】第29回オリンピック北京大会は8日午後8時(日本時間午後9時)、メーン会場の国家体育場(愛称・鳥の巣)で開会式が開かれる。史上最多の205の国・地域が参加し、24日までの17日間、スポーツの祭典が繰り広げられる。

 北京大会では28競技302種目を開催。日本はハンドボール、バスケットボールを除く26競技に参加し、選手339人、役員を含めると史上最多の576人の選手団を編成した。前回の04年アテネ大会では過去最多タイの16個の金メダルを獲得、総メダル数も最多の37個だったが、日本オリンピック委員会は金メダルの目標を2けたとしている。

 8日は競技がなく、本格的に始まる9日は、3大会連続金メダルを目指す柔道女子の谷亮子(トヨタ自動車)らが登場する。」

A古代ギリシャの機械に五輪開幕日計算機能 文字盤を発見

「古代ギリシャの歯車式の「アンティキティラ機械」に、古代オリンピックの開幕日を計算する機能があった。

 月の満ち欠けや惑星の動きを計算できるこの機械に、4年に1度、夏至に最も近い満月の日に開幕と決まっていた古代オリンピックの時期を決める文字盤を見つけた。

 機械は1901年に難破船から発見され、研究が続いているが、英米、ギリシャの研究チームが北京五輪前のこの時期に英科学誌ネイチャーに注目論文として発表した。」

立秋  (8/7〜8/22)

昨日は立秋でした。 キリギリスに象徴されるように、いくら暑くても秋の気配がする。 暑中ではなく残暑の言葉が使われます。

向日葵はすべて開花し、花の実も大きいのは直径15cm余になっています。

童画家 岩崎知弘(いわさきちひろ)の命日

   http://www.chihiro.jp/(ちひろ美術館)

   上のURLから東京と長野の「ちひろ美術館」の案内や紹介を見ることができます。 さらに、ちひろについての詳しいことは、Wikipedia「いわさきちひろ」を見るとよい。 私よりちょうど10才年上で、生まれは12月15日になっています。

  ちひろ美術館 (旧いわさきちひろ絵本美術館)
  〒177-0042 東京都練馬区下石神井 4-7-2








  彼女のやさしい絵は、何時見ても心を和ませてくれます。

  練馬の石神井も安曇野の松川も MapFan.net で
  詳細図をコピーできる。






  安曇野ちひろ美術館
  〒399-8501 長野県北安曇郡松川村西原





  ちひろ公園 (安曇野ちひろ美術館)








08 09(土) 長崎の原爆●黒柳徹子誕生日

 1945(昭和20)年8月9日午前11時ごろ、米軍のB29爆撃機「ボックスカー」がプルトニウム原爆「ファットマン」を投下し、長崎市松山町の500m上空で爆発した。約7万4千人の市民が死亡、約7万5千人が重軽傷を負った。 原爆投下の時刻とされる午前11時2分から1分間黙祷が捧げられる。

 http://www.ffortune.net/social/history/nihon-mei/nagasaki.htm 長崎原爆の日(下記)

 『 8月9日は長崎原爆の日です。昭和20年(1945)、アメリカ軍は6日の広島に続いて長崎に第二の原爆を投下しました。午前11時2分のことです。

広島の原爆はリトル・ボーイと呼ばれましたが、長崎の原爆はファット・マンと呼ばれます。広島の原爆はウラン爆弾でしたがこちらはプルトニウム爆弾で、広島より強力、TNT火薬1000トン分の威力とされます。しかし平地の広島に比べて谷間の長崎は、地形が原爆の被害の拡大を防ぎました。それでもこの原爆で数ヶ月以内に7万人が亡くなり、その後亡くなった人を入れると、やはり15万人ほどの人が命を落としたとされます。長崎にしても広島にしても、 役所の記録が失われた上に、朝鮮などから徴用されて働きに来ていた人の数や一時的に疎開してきていた人などの数は分からないものが多く、本当の被害者数というのは永遠に不明のままでしょう。 

広島に原爆を落とした飛行機はエノラ・ゲイですが、長崎に原爆を落としたのはボックス・カーというB29です。エノラ・ゲイと同様早朝テニアン島を出発し、当初第一目標の小倉上空に達しますが、天候が悪かったため投下を断念、目標を急遽第二目標の長崎に変更しました。そして長崎でも市の中心部には投下できず、少し北部の浦上地区、松山町上空9600mから投下。高度500mで炸裂した原爆はわずか0.2秒後には半径200mもの火球を作ります。この火球の表面温度は太陽の表面温度並の8000度にも達しました。 (以下略) 』

●黒柳徹子の誕生日 1933/08/09 東京都港区乃木坂 75才

 日本のテレビ放送開始以来50年以上にわたり第一線で活躍してきた、日本テレビ史を代表するタレントの1人です。 30年以上続く日本初のトーク番組『徹子の部屋』の司会や、累計750万部を誇る戦後最大のベストセラー『窓ぎわのトットちゃん』の著者(愛称=トットちゃん)として知られています。

08 17(日) お盆とコオロギ

秋の夜の虫、コオロギの鳴き声が風呂に入っていると聞けるようになりました。 やっぱりコオロギはお盆過ぎになると鳴くのです。 お風呂に入っていて虫の鳴き声を聴くのは最も風情があります。 虫がなくのだから、鳴くではなく口偏に虫を使いたいものです。

‘盆、盆と待ちくる盆もただ三日’今では実感がなくなった言葉ですが、逆に昔をしのぶ言葉として頭をかすめます。 昔は家内中みんな働いて生活を支えていくという、家は一つの生活共同体でした。 ですからこの言葉がずっしりとした重さをもって私には迫ってくるのです。 私の今のように毎日が日曜日のような、仕事は気ままなときにするような、そんな悠長さはなかったと思います。

12日に真介、真弓さん、涼羽、三人そろってお盆に来てくれました。 うれしいことです。 涼羽の成長は目を見張るものがあります。

小学一年生になってから、食事の準備や片つけにはじまってお掃除やお手伝いが目に見えて気づくようになりました。 子供は一番身近な人からいろいろ汲み取って自分を作っていくのです。 私自身、省みて恥じ入ることばかり多く、もっと早い時からことの真実を身につけていたかったと後悔するばかりです。

夏休みには涼羽を連れて八丈島へ四日間行ってきたそうです。

   http://www.town.hachijo.tokyo.jp/八丈町公式サイト
   http://www.hachijo.gr.jp/八丈島観光協会

温泉、海水浴、遺跡、観光地など調べてみるのも面白い。

今年の新盆は、郭の松沢保雄、鼎の斉藤和広、組合の原利夫

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ブログ入力のもの一切を「折々の記」へ切替えました。 ブログ入力が不得手であることと、ホームページとしてのまとまりのなさを感じたからブログからの切替をしたのです。 結構手間のかかる作業でした。

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