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折々の記 2008 D

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【 06 】11/12〜

  11 12 筑紫哲也さん死去Web
  11 19 降雪あり●朝日社説(11/19〜11/12)

11 12(水) 筑紫哲也さん死去Web

文化人としてのジャーナリスト、筑紫哲也さんが亡くなった。

今日はその記事を新聞とウィキペディアから転載しておきます。


    <現在位置:asahi.com>ニュース>おくやみ>記事>

   筑紫哲也さん死去 NEWS23前キャスター 73歳  2008年11月7日(金)

 政治・外交から文化まで幅広く報道するテレビキャスターとして長く親しまれ、雑誌「朝日ジャーナル」編集長も務めた朝日新聞元編集委員の筑紫哲也(ちくし・てつや)さんが7日午後1時50分、肺がんのため都内の病院で死去した。73歳だった。葬儀は近親者のみで行う。喪主は妻房子(ふさこ)さん。後日、お別れの会を開く予定。

 大分県生まれ。59年に朝日新聞社に入社し、68年には米軍統治下の沖縄特派員として返還交渉を取材。71年からの米ワシントン特派員時代には、当時のニクソン大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件を取材した。

 84年に朝日ジャーナル編集長。「若者たちの神々」「新人類の旗手たち」などの企画が話題になり、「新人類」は流行語になった。

 外報部次長時代の78年、「こちらデスク」(テレビ朝日系)のキャスターになり、テレビでも知られるように。89年に朝日新聞社を退社し、TBS系の報道番組「筑紫哲也NEWS23」のキャスターに就いた。穏やかな語り口で、フリップにタイトルを示して世相を評論する「多事争論」のコーナーが話題を呼んだ。98年11月にはクリントン米大統領(当時)をスタジオに招くなど、各国の首脳と市民が直接対話する場の司会を務めた。

 07年5月、番組中で初期の肺がんを告白。治療に専念し、約5カ月後の10月に、がんを「ほぼ撃退した」として生出演を果たしたが、番組のキャスターが12月から後藤謙次氏に代わってテレビ出演が減っていた。

 08年度の日本記者クラブ賞を受賞。著書に「筑紫哲也のこの『くに』のゆくえ」「職業としてのジャーナリスト」「旅の途中」などがあり、共訳に「メディアの権力」など。「スローライフ」にも着目し、NPO法人「スローライフ・ジャパン」の理事を務めていた。



    <出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』>

   筑紫哲也  ちくし てつや

 本名     同じ
 生年月日  1935年6月23日
 没年月日  2008年11月7日(満73歳没)
 出生地   日本・大分県日田市
 血液型   A
 職業     ニュースキャスター
         ジャーナリスト
 活動期間  1959年 - 2008年
 活動内容  1959年 - 1984年:朝日新聞記者
         1984年 - 1987年:「朝日ジャーナル」編集長
         1989年 - 2008年:「筑紫哲也 NEWS23」
         2008年:「筑紫哲也 明日への対話」
 家族     筑紫ゆうな(次女)

  筑紫 哲也(ちくし てつや、1935年6月23日 - 2008年11月7日)は日本のニュースキャスター、ジャーナリスト。
大分県日田市出身。元早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授(専任扱い)。元立命館大学客員教授。血液型A型。

  目次 [非表示]
   1 来歴・人物
   2 ジャーナリスト活動・賛否
     2.1 沖縄問題への取り組み
     2.2 マリファナ使用について
     2.3 阪神大震災報道
     2.4 TBSビデオ問題へのコメント
     2.5 「政治家・辻元清美」の「製造元」
     2.6 北朝鮮による日本人拉致問題への姿勢
     2.7 イラク戦争への疑義
     2.8 自身の年金未納
     2.9 山本モナの『NEWS23』降板
     2.10 部落解放同盟との関係
   3 滝廉太郎との縁
   4 エピソード
     4.1 筑紫の死去に対する反応
   5 出演
   6 著書
   7 文献
   8 関連項目・人物
   9 脚注・出典
   10 外部リンク

来歴・人物
東京都立小山台高等学校卒業後、早稲田大学政治経済学部経済学科を卒業。在学中は合唱団「グリークラブ」に所属。
朝日新聞社に入社後は政治部記者、返還前の琉球(沖縄)特派員、ワシントン特派員、外報部次長、編集委員などを歴任。政治部時代には内閣総理大臣三木武夫の番記者を務め、自民党ハト派の人脈と親交を深めた。
1977年10月から1982年9月まで、『日曜夕刊!こちらデスク』のメインキャスター。(テレビ番組デビュー作品)。また、この時期、タモリと共に朝日新聞社のCMにも出演した。
1984年から1987年までの間、雑誌「朝日ジャーナル」の編集長。「若者たちの神々」「新人類の旗手たち」「元気印の女たち」の連載で、当時の若者のリーダーたちにインタビューし、対談を通じて時代の気分を探ろう・表し出そうと試みた。この連載で新人類なる言葉を世に広める(新・人類の意と新人の類の意)。
1989年10月から、TBSのニュース番組『筑紫哲也 NEWS23』【現・NEWS23】のメインキャスターを務める。評論(特にコラムコーナー『多事争論』)が人気を集める。彼のジャーナリストとしての社会的な発言には、毀誉褒貶・賛否両論あったが、ニュースキャスターとしての手腕はこの番組で確実となり、以降は『ニュースステーション』のキャスター・久米宏と並び民放ニュースキャスターの顔として広く認知された。
ウォルター・クロンカイトを尊敬しており、クロンカイトに倣って『NEWS23』のエンディングでは決め台詞「―では、今日はこんなところです。」を使用した。
雑誌「週刊金曜日」の編集委員、創価学会と関係の深いの雑誌『潮』による「潮賞」の「ノンフィクション部門」選考委員も務めていた。
1992年12月30日から1993年1月1日まで「元旦まで感動生放送!史上最大39時間テレビ」の総合司会を担当。
1994年から2006年まで出身地・日田市の市民大学自由の森大学の学長を務めた。
2008年に「テレビジャーナリズムの確立に多大の貢献をした」として日本記者クラブ賞を受賞した。
2007年5月14日放送の「NEWS23」、オープニング後の「多事争論」で「先週、春休みの検査入院をしましたところ、初期の肺がんだということがわかりました。」と、自らの癌を明らかにした。[1]治療に専念するため「NEWS23」への出演を休業。2007年10月8日の放送に治療後初めて出演。以降はスペシャルアンカーとして数ヶ月おきに番組へ出演。2008年11月7日午後、本格復帰することなく、肺がんのため東京都内の病院で死去した[2]。
イラストレーターの筑紫ゆうなは次女。

ジャーナリスト活動・賛否
リベラル派文化人の代表格だが、保守的政治家との親交が多いことや、議論で追い詰められても反論しようとしないことを理由に、「享楽主義的ノンポリで思想信条は無い」と宮崎哲弥、猪瀬直樹らは批判している。

報道姿勢についても批判が多く、特に保守派においてその傾向が強い。他のコメンテーターを例にとると、宮崎哲弥からは「ノンポリ」、三宅久之からは「無節操・無定見」、勝谷誠彦からは「言論人として謝罪と反省と総括をしろ」「アルツの白髪頭」(ただしマスメディアでは「筑紫さん」)など。田原総一朗に「右翼から諸悪の根源だとこてんぱんにいわれてますね」と冷やかされ「それを名誉に思わなければいけません」と答えるなど、一貫して自己のスタイルを貫いている。

沖縄問題への取り組み
朝日新聞記者の時代から沖縄問題を積極的に報道し続けた。NEWS23の番組内でも何度も在日米軍基地問題を取り上げた。筑紫の訃報に際して元県知事・大田昌秀は「沖縄にとってかけがえのない恩人を失い、大きなショックを受けている」とコメントを発表した。

マリファナ使用について
歌手の井上陽水のマリファナ使用問題に対しては「さて今週は」(1977年11月6日放送)で、「自分もアメリカでマリファナを吸ったことがあるが、タバコよりは害が少ないことは医学的に明らかであるし、これを日本で使用すると違法ではあるが、そのことと絡めて井上陽水の歌まで否定する一部の意見は間違っている」という趣旨の発言をし、そのとき一緒に出演していた朝日新聞論説委員の日比野和幸が激怒して話題となったが、極少数の芸能人と若者からは支持を得た。

阪神大震災報道
1995年1月17日の阪神大震災で、被災地からの生中継で、焼けた建物から上がる煙を見て第一声に「まるで温泉地に来ているようです、そこらじゅうから煙がまいあがっています」と発言した。

TBSビデオ問題へのコメント
1995年の一連のオウム真理教関連の犯罪が明らかになった際に、TBSのワイドショー『3時にあいましょう』のスタッフがオウム真理教幹部に坂本堤へのインタビュー映像を視聴させるというTBSビデオ問題が発覚した。これが、その直後の坂本堤弁護士一家殺害事件発生のきっかけとなったとされて、TBSが世間からの非難の嵐にさらされていた(TBSビデオ問題)。この問題に関し、筑紫は自身の番組「NEWS23」でTBSの対応に疑問を呈し続けた。社長が過ちを認めた1996年3月25日のNEWS23多事争論で、筑紫が「TBSは死んだに等しい」と発言し激しく批判した。

「政治家・辻元清美」の「製造元」
NPO活動中の辻元清美に政界入りを勧めたことでも知られる[3]。彼女の政治団体に夫人名義で寄付を行っていた。辻元議員の秘書給与流用問題の際には、辻元本人と共に批判の的となった(平成13年9月14日付官報・号外196)。

北朝鮮による日本人拉致問題への姿勢
北朝鮮による日本人拉致問題に関する一連の報道で、北朝鮮寄りの言動が多いことから、拉致被害者及びその家族や関係者などからは強い非難が寄せられている[要出典]。

イラク戦争への疑義
イラク戦争に対しては正当性を疑問視し、自衛隊のイラク派遣を含めて積極的な問題提起をおこなった。

自身の年金未納
2004年5月13日放送分の「筑紫哲也 NEWS23」で、自身の年金未納(1989年から92年6月までの2年11か月)を謝罪し、翌日から一時番組の出演を見合わせた。

山本モナの『NEWS23』降板
2006年9月下旬にリニューアルされたNEWS23において、TBSはABCテレビ元アナウンサーで、当時TBSラジオ「アクセス」のナビゲーターをしていた山本モナを採用したが、リニューアル直後に、山本は民主党衆議院議員の細野豪志との不倫をフライデーにスクープされた。これについて筑紫は彼女への言及をテレビではせず(当該フライデー発売日の番組打ち合わせの席で、スタッフに対し「あいつはもうここに入れるな」と激怒しながら言ったということが後に複数の週刊誌で報道された)、その姿勢を勝谷誠彦などが批判した。一方で「人が誰を好きになろうが付き合おうが勝手だが、国会議員と恋愛関係にある人間がその状態を維持したまま、公共性を担保しなければいけないはずの報道番組のキャスターの仕事を請け、実際に出演したということは、ひとつには公人としての社会的背任行為であるし、TBSに対しても損害賠償を求められてもしかたがないほどの行為だ。TBSの取りうる態度は番組内で徹底的に糾弾するか、あるいは山本の将来のことを考えて(オフィス北野との関係もあり)完全に潰さず「病気療養」ということで済ませるかしかなく結局、後者をとったのではないか」という分析もある。ラジオで共演していた宮崎哲弥は山本について「とんでもない大馬鹿者だ」と発言した。一方かつてから山本とも細野とも親交が深かった勝谷誠彦はそのことには一切言及しないまま「降板させるとはTBSは冷たすぎる、何も言及しない筑紫は冷酷だ」と批判した。

部落解放同盟との関係
部落解放同盟との関係が指摘されており、2006年にTBSの系列局のMBSが奈良市環境清美部収集課職員が病気を理由に5年間で8日しか出勤していなかった問題をスクープ。TBSにテープを全国放送するよう依頼したが、この職員が部落解放同盟の関係者であることを理由に筑紫側が拒否。交渉の末、テープは放送されたが、該当者が部落解放同盟の関係者であることは一切伏せられた。[要出典]

滝廉太郎との縁
滝廉太郎は大伯父(滝の妹・トミが筑紫の祖母)。筑紫自身はかつて「私には音楽の才能がないので、私が『滝廉太郎の親戚』であるということを非常に戸惑っていた」と述懐している。1993年より、竹田市にある滝廉太郎記念館の名誉館長を務めている。

2002年5月21日に、母校の早稲田大学で行われた早大創立125周年と野口雨情生誕120年を記念する菅原やすのりのコンサートで、野口雨情の孫・不二子と対面している。

エピソード
ハイライトとマルボロの赤を1日3箱吸っていたというヘビースモーカー。肺がんになって禁煙した後も、「一服できないと面白くない」、「百害あって一利なしと言うけど、文化は悪徳が高い分、深い。(たばこは)人類が発明した偉大な文化であり、たばこの代わりはありませんよ。これを知らずに人生を終わる人を思うと、何とものっぺらぼうで、気の毒な気がしますね」 「がんの原因はストレスで、たばこはきっかけにすぎない」と怯まない。[4] 『日曜夕刊!こちらデスク』の司会者を務めていた頃、“宇宙人と交信しました”というウソのニュースを伝えた。伝えた日は1979年4月1日。ちょうどウソをついてもいい日だからということで伝え、すぐ「ウソです。」と言ったが、直後に抗議の電話が殺到。生放送中に抗議の電話に応対する事となった。此の模様は後に新聞で取り上げられた。後にこのニュースはフジテレビの「トリビアの泉」で紹介された。 シリーズ「日常からの疑問 こんなものいらない」の代表記事は、『現代無用物事典』および『こんなものいらない事典』(いずれも新潮社)として出版され、話題を呼んだ。
久米宏とは平日夜のニュース番組の視聴率を激しく争ったが「広島東洋カープのファン」という共通項があったため、日刊スポーツの企画で1991年の西武ライオンズとの日本シリーズを仲良く観戦した。
TBSと専属契約を結んでおり、原則としてTBS系列の放送局以外でのTV出演はしなかった。ただし、フジテレビの番組・トリビアの泉にVTRで出演したり、年に1回テレビ朝日の特番にゲストとして出演していた。
2003年4月10日に福岡ドームで井上陽水・武田鉄矢らが中心となって開催されたコンサート「ドリームライブ in 福岡ドーム」のオープニングで「多事争論」の収録を行ったが、その時カメラマンを務めたのは南こうせつだった。しかし「福岡ドーム」と言うべきところを間違って「東京ドーム」と言ってしまい、南こうせつからそれを指摘されていた。
2003年の自民党総裁選では「小泉圧倒的有利」の分析を討論の前に行ったところ、当時、自民党の有力者だった亀井静香は「ツクシさんね?。」と筑紫の事を呼び間違えた。さらに同年の総選挙の際には日本道路公団民営化について「玉虫色の結果になったと言われていますが…。」という発言をし、総理小泉純一郎が激しく抗議すると筑紫は「いや、ですから…。」と言い、当時、民主党代表だった菅直人が仲裁に入った。
2005年9月11日、TBSで放送の第44回衆議院議員総選挙の特別番組(開票速報)『乱!総選挙2005』で、メインアンカーとして参加し、元『ニュースステーション』の久米宏と実に14年ぶりの共演となった。「乱!総選挙2005」の視聴率は、民放で第1位だった。

筑紫の死去に対する反応
かつてキャスターを務めた『NEWS23』では、現在のメインキャスターの後藤がオープニングで「今夜はこのニュースをお伝えしなければなりません。」と言い、冒頭20分と「金曜解放区」の放送内容を変更し、筑紫の追悼特集にあてた。
死去同日、平日夜のニュース番組でライバル関係であった『報道ステーション』が冒頭で筑紫の死去について報じ、古舘伊知郎が「筑紫さん、お疲れさまでした」と偲んだ[5]。
大学の後輩でもある田勢康弘は、死去の翌日に放送された『田勢康弘の週刊ニュース新書』(テレビ東京)のエンディングで、最後の多事争論を紹介して筑紫を偲んだ。田勢は「少数派であることを恐れないというのが、たぶん筑紫さんのジャーナリストしての信念じゃないかと思いますね。筑紫さんのレベルには届いていないけれども、都立高校から早稲田に行って、新聞社に入って、ワシントンに行って、テレビに出たりとか、筑紫さんの背中を追っかけてきたような感じですね。色々教えてもらいましたが、驚くのはこの人の怒った顔を見たことないんです。常に安定していてぶれない。彼と話していると自分がぶれているなということがよくわかる、という感じがしましたね」と語っている。
また、報道番組でライバル同士だった久米は、『久米宏 ラジオなんですけど』(TBSラジオ)のオープニングで、久米が悲報に接したのは死去当日の夕方で、各媒体からコメントを求められたが、「言うべき言葉がないというか、何を言っていいのか分からなかった」という理由で一切応じなかったことを明かした。「思い出すことが多すぎた…」と言葉を詰まらせた[6]。
生前親交が深く、筑紫のことを『てっちゃん』という愛称で呼んでいた和田アキ子は、同年11月9日放送の『アッコにおまかせ!』のオープニングで筑紫の死去に触れ、涙目で筑紫との思い出を語った。

出演 この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
テレビ
日曜夕刊!こちらデスク(テレビ朝日) - パーソナリティ
ザ・権力!(テレビ朝日)
TVスクープ(テレビ朝日)
森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ) - テレフォンショッキングのテレフォンゲスト
朝まで生テレビ!(テレビ朝日) - 第2回の討論司会
筑紫哲也 NEWS23→NEWS23(TBS) - メインキャスター、次代の後藤謙次就任以降はスペシャルキャスターとして不定期出演
ラジオ
荒川強啓 デイ・キャッチ!(TBSラジオ) - ゲスト

著書
『筑紫哲也の 乱世を生きよ!―大変な時代を生きるヒント』(日本経済新聞社)ISBN 4532162424
『筑紫哲也の この「くに」のゆくえ』(日本経済新聞社)ISBN 4532161924
『沖縄がすべて』(照屋林助との共著。河出書房新社)ISBN 4309011721
『筑紫哲也の世世世(ゆーゆーゆー) パート3』(沖縄タイムズ社)ISBN 4871271382
『日本23時―今ここにある危機』(小沢書店)ISBN 4755103428
『マイ・アメリカン・ノート ポトマックの両岸』(朝日新聞社)ISBN 4022602678
『メディアの海を漂流して』(朝日文庫)ISBN 4022603402
『若者たちの神々』1?4(朝日新聞社) - 1984年から1985年の若者たちの“神々(20-40代)”50人との対談集。
『若者たちの大神』(朝日新聞社) - 1986年から1987年の若者たちの“大神(50代以上)”22人との対談集。
『新人類図鑑』1・2(朝日文庫) 1986年刊 - 対談時10-20代の若者34人との対談集。
『元気印の女たち』(すずさわ書房) 1987年刊 - 39人の活躍する女性たちとの対談集。


11 19(水) 降雪あり●朝日社説(11/19〜11/12)

おとといやっと柿剥きが終わった。 今日は今年初めての寒さで雪が舞った。 西山は一日中山並みが見えなかった。 困った陽気です。

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朝日新聞の社説 今週一週間のタイトル一覧
【掲載タイトル(11/19〜11/12)】


   http://premium.asahi.com/column/editorial/  <asahi.com:朝日新聞 社説 - アサヒ・コム プレミアム >

最新14本

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 酔いが覚めるにつれて、自らの行為の愚かさと罪深さに頭をかきむしっているのではないだろうか。  警視庁の幹部職員である警視が酒酔い運転の疑いで逮捕された。……

GDPマイナス―不況を生き抜く戦略を(2008/11/18)

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前空幕長―「言論の自由」のはき違え(2008/11/12)

 事態の深刻さが、そして何が問われているかが理解できていない。航空自衛隊の田母神(たもがみ)前幕僚長を招いての参院の参考人質疑は、そんな懸念を強く抱かせるもの……


‘前空幕長―「言論の自由」のはき違え’の記事は有料でないともう読めません。 検索してみますと、「読売新聞の社説・コラム」には接続できたので、それを参考に取り上げておきます。


   前空幕長招致 「言論の自由」をはき違えるな  (11月12日付・読売社説)

 つい先月末まで自衛隊の最高幹部を務めていた人物とは思えないような発言が相次いだ。

 田母神俊雄・前航空幕僚長は参院外交防衛委員会での参考人招致で、終始、「我が国が侵略国家というのは濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)だ」などとする自らの懸賞論文の内容を正当化しようとした。

 「私の書いたものは、いささかも間違っていないし、日本が正しい方向に行くために必要だ」「日本には、日本の国が悪かったという論が多すぎる。日本の国は良い国だったという見直しがあってもいいのではないか」――。

 昭和戦争などの史実を客観的に研究し、必要に応じて歴史認識を見直す作業は否定すべきものではない。だが、それは空幕長の職務ではなく、歴史家の役目だ。

 自衛隊員に対する愛国心教育は必要としても、過去の歴史を一方的に美化することを通じて行うことではあるまい。

 田母神氏が身勝手な主張を続けることは、むしろ防衛省・自衛隊が長年、国際平和協力活動や災害派遣で地道に築いていた実績や国内外の評価を損なう。

 集団的自衛権の行使や武器使用権限の拡大など、安全保障上の課題の実現も遠のきかねない。

 こうした冷静な現状分析を欠いていること自体、自衛隊の指揮官としての適格性のなさを露呈していると言わざるを得ない。

 田母神氏は「自衛官も言論の自由が認められているはずだ」「自由な議論も出来ないのでは、日本は民主主義国家か」と、「政府見解による言論統制」を批判した。

 「言論の自由」を完全にはき違えた議論だ。一私人なら、日本の植民地支配や侵略を認めた村山首相談話と異なる見解を表明しても、何ら問題はなかろう。

 しかし、4万5000人を率いる空自トップが政府見解に公然と反旗を翻すのでは、政府も、自衛隊も、組織として成り立たなくなってしまう。政治による文民統制(シビリアンコントロール)の精神にも反している。

 空自では、同じ懸賞論文に、隊員94人が組織的に応募していたことが判明している。田母神氏の指示はなかったとされるが、徹底した事実関係の調査が必要だ。

 自衛隊幹部は、軍事的知見や統率力に加え、高い見識、広い視野とバランス感覚が求められる。

 防衛省は、自衛隊の幹部教育や人事管理を抜本的に見直し、検討中の省改革の計画に的確に反映すべきだ。それが国民の信頼回復につながる道だ。

(2008年11月12日01時49分 読売新聞)

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東京本社発行の最終版から掲載しています。