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Magical Child 5
誰も知らなかった大脳発達のプログラム
<9 終りははじまり、はじまりは終り(2)>

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 〔 1 序文                〕
 〔 2 用語解説              〕
 〔 3 約束された未来:すばらしき遺    〕
 〔 4 マトリックテ変換:既知から未知へ  〕
 〔 5 相互作用としての知能        〕
 [ 6 ストレスと学習           ]
 [ 7 自然を悪魔払いする医術       ]
 [ 8 分娩室にて             ]
 [ 9 終わりははじまり、はじまりは終わり@]
 〔 9 終わりははじまり、はじまりは終わりA]

【 9 終りははじまり、はじまりは終りA 】

●赤ん坊の悲劇

「隔離」の結果は、赤ん坊から次のものを奪う
絆づくり
出生ストレスの弛緩
感覚器系の活性化
網様体の活性化


▼赤ん坊の悲劇
赤ん坊は既知のマトリックス(安全な場所・エネルギーの源泉・可能性の源泉)に戻れないため、すべての可能性を否定され、ショック状態に陥り心は閉じられる。そして、もはやほとんど何も吸収しなくなる。
吸収されるのは精神的外傷と苦痛だけである。
この結果
@ 完全な無意識を意味する「不活発」状態
A 同上          「不快」 状態   となる。
生きる意識になったときは、解決不能の高いストレス状態に押しやられ、間違いなく全般的な興奮状態に変わる。
刺激を与えられず孤立させられた身体が、遅れを取り戻すのにおよそ2ヵ月半はかかる。
笑いや喜びはずっと遅れるのである。
赤ん坊の身体は徐々に自らの感覚器官に生命を吹き込み、網様体を機能させ、生を全うするしかない。発展すべきプロセスが一旦失われた場合、こつこつと再建する以外ないのである。

●赤ん坊の睡眠について

▼病院出産の赤ん坊の睡眠
病院出産の赤ん坊は大変多くの睡眠をとるが、目を覚ましやすく、目覚めるとひどく泣く。
出生時に身体的刺激が乏しいため、網様体が完成されていない。そのため感覚情報が適切に処理できず、感覚から入ってくる情報は混乱や不安を引き起こす。 副腎ステロイドの高い生産が緩和されず、網様体未完成が互いにあいまって、目覚めている状態を堪え難いものにしている。

▼ウガンダの赤ん坊 はるかに長時間目覚めている。
母親は赤ん坊の睡眠にはまったく左右されず、いつでも赤ん坊を吊れ歩き、赤ん坊と共に眠むる。 赤ん坊はさまざまな状況下で眠むる。日中赤ん坊は眠くなれば、母親が日常生活の雑事に追いまわされている最中でも眠むる。
ウガンダの赤ん坊にとっては、動いているのが自然の状態であって、静止している時よりよく眠むる。事実、静寂は新生児や赤ん坊にとって最もなじみにくい状態なのである。
ウガンダの赤ん坊は既知の世界から決して離れない。それどころかそのマトリックスに(吊り帯とか・おんぶで)安全に抱かれながら、非常に刺激的な新しい体験へと絶えず入っていく。新しい感覚データが入ってきても、すぐそばに母親がいるから、常に安心して照合同化できる。これは理想的学習状態である。つまり、刺激と安心感をたえまなく与えてくれる<ストレス/リラックス>の自動的サイクルがそこにできているからである。

●生後48時間でお座りができる!

ジーゼル・テスト
(マルセル・ジーバーが1年間のウガンダ滞在中、300人の自然分娩の子どもたちを研究し、赤ん坊の知能を調べるにあたり、イェール大学の小児発育センターで考案された有名なジーゼル・テストを用いた結果は次の通りである)
@ 生後48時間の赤ん坊が、前腕を支えられただけで、
・まっすぐお座りする。
・首が座っている。
・目の焦点が定まっている。
・顔に知性の輝きがある。
A生後6〜7週で全員が、
・上手にハイハイする。
・自分でお座りする。
・鏡の前で、長時間自分の姿を見られる。
*欧米では、24週(6ヵ月)より前には見られない。
B「おもちゃの取り返しテスト」
(子どもにおもちゃを見せ、部屋の反対側の背の高いおもちゃ箱に持っていって、しまった。子どもの対象物の存在認識の感覚と、運動感覚技術の反応をみる検査)
子どもは飛び起きて、部屋の中を走っていって、おもちゃを取り戻した。
*欧米では、15ヵ月〜18ヵ月にならないと、うまくできない。

限りなくウガンダ方式に近づけたい。(私だけではないと思う)

〔安全が最善か?〕
●病院出産の母親に強いられる道
たとえ母親が、どんな赤ちゃんだかひと目みたい・愛しい言葉をかけたい・おっぱいをやりたい・微笑んで撫でたいと本能的に感じ、あるいはそう願っても、子どもにとって一番大切な、またその逆の母親にとっての子どもに対する本心を医者に伝えたにしても、そのチャンスはまったくない。
母親からの、子どもとの絆は、完全に絶たれることになる。赤ちゃん虐待症候群の母親になる可能性ができあがってしまう。こうした母親については、いろいろと報告されている。
病院では、規則とスケジュールこそ最も重要なのである。

●病院の主張
ベビー・ドクターの無頓着な発言
「新生児に必要なのは暖かくしてそっとしておいてやることである。だからわれわれは、赤ん坊を注意深くおくるみにくるみ、暖房のきいた静かな落ち着いた場所に入れるのだ。それ以外のことはナンセンスとしか言いようがない」

●病院の規則とスケジュール
規則とスケジュールに従って、母親への顔見せの時間がやってくる。赤ん坊は5分間の面接につれてこられ「はい見てください。でも触っちゃだめですよ」がその規則である。
赤ん坊の要求によって母親がお乳をやることは、ほとんど不可能となる。
赤ん坊は、突然ゆり起こされるたびに、高いストレス状態に引き入れられる。身体を撫でてもらえることもない。そして、ベビー・ベッドへ戻され、ほっておかれることになる。
そして(赤ん坊の要求である)泣き声に対しては、何も対応してもらえずない。すると皆はこういう「あら、あそこにいる子はなんて元気良く泣くのかしら、見るからに健康でたくきしくて、将来が楽しみですわ」と。とんでもない受け止め方である。

●ベビー・ベッドの孤独が対人恐怖症を生む
出産直後マトリックスから引き裂かれた赤ん坊をとりまくものは、ベビー毛布という非人間的なものだけである。
ここで起こる学習とは何か。人間とは、情け容赦のないストレスの原因であり、そのストレスを緩和するものは、物質的なものしかない、という認識である。
自宅でもし、休息と静寂が必要で黴菌の不安もあるとすれば、家族の者は静かに足音も忍ばせる。偉大なマトリックスと自然の逞しさから遠ざけられ、赤ん坊は目覚めやすく、よく泣き、かんの虫に見舞われる。その症状は出生ストレスの場合とほとんど同じである。
むずかりがひどいと、母親は抱くことに不安を覚え、子育てにすら不安を覚える。
泣いてもほっておかれる赤ん坊は、不安におののき、見捨てられたことを心に刻みつけ、その後の子ども時代に影を落し、無力という避け難い感覚につながっていく。

物質との絆で結ばれた子どもたち
これが実質的に、一方では社会秩序の崩壊をもたらし、他方では消費製品ばかりを追い求める世代を生み出してきた。そしてこの世代は子孫に同じことを伝えることしかできない。つまり、物質と絆で結ばれた子どもがゆくゆくどうなるかといえば、相互的な人間関係を結べず、物質的なものに対する強迫観念ににた執着をもつようになるのである。
物に対する強迫観念的な執着が生じるのは、人間との関係からストレスが生まれるのに対し、逆のリラックスは物質から生まれることを、出生直後学習したからである。かくして、相互的な人間関係が崩壊したうえ、物質に強迫観念的な執着を示す国家が出現する。
事実、われわれ大人は、自分で苦しんできた強迫観念的な物集めと同じサイクルに子どもを駆り立てることによって、この不安を露呈している。すなわち、子どもが「世間で出世するように」との思いやりであり、ストレス緩和剤として物質をもっともっと獲得するよう求めている。


●うがった分析に見えるかもしれないが、これはわれわれの現状を正確に提示したにすぎない。
絆とは、心理的生物的な一つの状態であって、生物システム全体を調整し統合するのに欠くべからざる身体的な鎖なのである。絆は、合理的思考の基礎となる原初的な知識をもたらす。われわれは絆で結ばれていることを意識することは絶対ない。
絆がない場合とか、強迫観念や物質に結びつけられたりした場合、強い不快感が意識されるだけである。
絆のない人間は、マトリックスを一生追い求めることになる。すべての知的活動は、マトリックス捜しに費やされ、権威とか、社会的成功とか、何事かの達成とか、そのような仮面の影に隠されてしまう。自然の設計どうりに開花することができない。

良寛さまのように、山羊もミミズも竹の子も、一つのマトリックスをもつお友達なんだよ、となったとき、自然の設計といえるのでしょう。

●ウガンダのタブー
人間の可能性は、われわれが今持っている概念(脳細胞140億の4%だけ開発)をはるかに超えるものである、ことをわかってもらいたい。
私(ピアス)は、可能性と失敗の両方を鳥瞰して橋渡しできる枠組みを見つけたからである。
ウガンダのタブー
ウガンダの母親は、その文化の厳格かつ堅固な風習、ないし禁忌(タブー)に従って、約4歳になると、子どもを見捨てる。注意深く、完璧かつ確実に、何の予告もなく全面的に子どもを見捨てる。母親は突如、子どもの存在を認めることすら拒絶する。子どもは遠い親戚に預けられ育てられるか、近所に養子に出されたりする。子どもにとって、見捨てられたことに対するショックはすさまじい。激しく落ち込んで、そのショックを越えられない子どもも多い。

壮絶な苦痛、絶望、遺棄への恐怖でタブーを受け入れ、知能の成長は停止する。

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