今、住んでいるこの長岡から15qほど離れた所に、私の実家のある与板町がある。
信濃川と西山丘陵の間に挟まれた、南北に広がる細長い町だ。
人口7600人ほどのこの町は古くからの城下町であると共に、西本願寺別院をはじめ、34社21寺の大小さまざまな神社仏閣が点々と連なる門前町でもある。
その与板の町のほぼ中央に、明願寺と言う大きな古刹があり、その裏手に実家の墓がある。
お彼岸のある日、お墓参りをするために妻の和子と共にそこを訪れた。車を降り、線香の香りがほのかに漂う中、代償の墓が並ぶ参道を小砂利を踏んで歩き、父と母、それに弟らが眠る墓石の前に佇んだ。
これまであれこれと言い訳をしながら、お彼岸にお墓参りをすることはそう多くはなかった。
雨あがりの澄んだ空気の中で妻が用意した紫色と白の桔梗の花を供えた。そして思いもかけず、これも妻が気を利かせて用意してくれた2本の缶ビールと缶入りの日本酒を1本、それぞれ墓の前に丁寧に置き、持っていた白杖を小脇に挟んで静かに手を合わせた。家族の平穏を祈りながら、考えると
もなしに来春の自治体選のことが脳裏をかすめ、思わずつぶやいてしまう。
和子が「はい、これはお父さんの…」と、余分に買っておいたらしいもう1本の缶ビールを、 さりげなく私に手渡してくれた。「一期一会」と書かれた墓の前で、ほんの少しためらいながら私はプシュッと大きな音を立てて蓋を開け、冷えたビールを静かに喉の奥に流し込んだ。
ビール党だった父と弟。そして僅かずつではあったが日本酒の晩酌を欠かさなかった母。おいしそうに飲むそれぞれの顔が目に浮かぶ。
ゆっくりと流れる時間を味わいながら、妻の細やかな心遣いとアルコールが、ジーンと腹に浸み込んでゆくのを感じていた。
帰宅して高床式の自宅の階段を上がろうとしてオヤッと、思わず足を止める。玄関先の小さな前庭に植えてあるキンモクセイの木がオレンジ色の花をつけ、いつしかほのかな甘い香りを漂わせはじめていた。
3年前の秋には弟が、そして一昨年の秋には母が、それぞれこのキンモクセイの花が咲く頃突然病に倒れ、短い闘病生活の末、花が散るように急逝した。
キンモクセイの香りは周囲を包み込むようにして遠くまで広がり、どこからともなく臭ってくる。
私にとってこの花は、その時の事を思い出させ、また生き方を偲ばせる花でもある。
(ふう)
撮影・高木淳子
(2002-09-28) |